2014年09月20日(土)
  「ゆだねること」

Aさん
「対人関係で、ぎくしゃくする出来事が起きた。
人間関係は難しく、時に、説明しようとすれば
するほど、更に、こじれてしまう。
糸が更にからまって、誤解に誤解が重なり、やや
こしくなってしまう。
どうにもならない事を経験する。

そんな時に、ほんとに自分ではどうにもできない事が
わかって、神様に祈ったんです。
自分が、自分の立ち位置で、自分にできる事をし
ますので、神様、すべての事を良きに導いて下さいと。

お委ねしたら、まあ、自分自身は平安になってしま
って。申し訳ないぐらい、気持ちが楽になって。
そして、祈っていて示された、自分にできることを
したんです。

その時も、何の気負いもなく、心穏やかで、平安で
すると、奇跡が起きて、何と事が動いたんです。
良い方向に動き出して、周囲も皆、驚いて。
解決に導かれて。

私は、お委ねしたので、その間もずっと平安で、
また、一つの経験でした。
自分の思いはあるけれど、思い通りにならなく
ても、神様の思い通りで良いと、それが一番
良いのだからと、素直に思えた事も感謝でした。」

Bさん
「あ、わかります。
神様に委ねたら、ほんとに平安になること
経験します。

自分の思いはあるけれど、思い通りでなくても
良いと思えて、それがまた平安なんですよね。

すごく自分の思いが強くて、そんな事思う自分
ではないのに、それが神様のみわざですよね。
委ねた時にそうなること経験します」

2014年09月03日(水)
  「気づき」


★【イエス様を信じてから、もう年数もたつが、御言葉も
学んで行き、神様の愛が頭ではわかるのだが、
何というか、実感として、膚でなかなかわからなかった。

頭ではわかるが、愛されている感じがしない。

わかるといいな、実感として知りたいとずっと思って
来た。感じれるといいなと。

しかし、学びの中で、神様ははっきりと「愛している」
「わたしの目には、あなたは高価で尊い」と言って
おらるのだから、「有難う」と受けとらない限り、
前に進まないと、学んだ。

自分のことだと思った。「あなたは高価で尊い」との
御言葉も、頭ではわかるが、自分で自分をそのよう
に思えない。
その自分の思いの方を信じていて、神様の言葉を
退けてしまっている。
そうじゃないという自分の思いを受け取り続けている
ことに気づく。
拒んでいることに気づかなかった。

救われて初めて、「神様有難うございます」と受け
取ろうと、素直に思えた。
心に喜びが来た。】

・・・・・・・・・・・・・・

★【今日、気づきが与えられました。

対人関係で、色々な付き合いの中で、自分は
時間的、労力的に、自分もしなければならない
が、出来ない事が多々生じて来る。

又、した方が良いであろうことも、状況的に
自分には無理な場面が出て来る。

そんな時、気ばかり遣うし、どうしたものかと悶々
とする。でも、自分は動けない。

周囲に、してもらうばかりで申し訳ないと思う。
気持ち的にしんどくなる。

又、自分のことで、余り手をかけてもらうのも
気が落ち着かない。

そんなこんなで、しんどかったり、悶々としたり
ああでもない、こうでもないと思い煩ったり。

でも、今日、学びをしていて、底に自分の
「プライド」があって、そこから来ていると
気づかされました。

感謝でした。「有難う」と素直に受け取ること
も教えられました。】


2014年09月01日(月)
  「神様の布石」

Aさんと、今まで神様が見えるところ、見えないところ、
思いを越えて、導いて下さっていたことを話していた。


「自分の親は明治生まれで、因習の強い、閉鎖的な
大変な田舎なんですが、自分が信仰持った時に、
不思議に親に反対されなかったんです。

というのは、明治生まれの親が若い頃、そんな田舎
に宣教師が来ていて、かやを背負って歩き、宣教
していたと。

その宣教師に、ものすごく良い印象を持っていて、
自分の信仰が反対されなかったのは、その宣教師
のお陰だと思いました。

後に、両親共に主を受け入れてくれて、もう二人共
天に帰ったんですが、本当に感謝でした。
その宣教師の働きが、大きかったと思います。

その時はわからないが、後に実を結ぶんですよねえ。
その宣教師さんも、天で、大きな報いに驚かれるで
しょうね」


私も、イエス様を信じた時に、父は全く反対しな
かった。むしろ良いことだと言っていた。

話してくれたところによると、大正生まれの父が
子供の頃、田舎で、お菓子など全く無かった中、
おじいさんが子供たちを集めては、お菓子をくれ
て、聖書の話をしてくれたと。子供たちは大喜び
だったと。

とても優しいおじいさんで、その頃の菓子など、
今と全く違い、大変な犠牲で、それが終生残る
非常なインパクトだったようだ。

その方のお陰で、私も反対されずに、信仰に
進めたのだと。

父はまだ未信者だったが、開拓伝道に出た
クリスマスには、子供さんたちにお菓子をと、
お金を送って来てくれた。

そのおじいさんのことが、どれだけ歳月を重ねて
も、変わることなく心に深く残っていたのだろう。

父も、老後、イエス様を受け入れ、救われて、
天国に帰った。


神様の布石に感謝。神様は、布石を打っておられるの
だなあ。