2014年11月19日(水)
  「へりくだり」

Aさんに、対人関係で大変難しい人がいた。
お世話をしてくれるのだが、こちらの気持ちは
無視で、余計なお世話であり、過干渉だった。

圧迫を感じて、気持ちがしんどい。
こちらも、もっと大きな気持ちでいたらいいの
だろうか。しかし、心が重い。
ひたすら祈っていた。

そんな日々の中、余りに踏み込んで来られ、
許容量オーバーになり、キレて、爆発しそう
な瞬間に、神様に祈った。

すると、勝手に口から言葉が出て来た。
「すみません。いつもよくしていただいて」
その言葉に、自分も驚いたが。

すると、相手は「いえいえ」と言い、好意的
だった。神様が相手の心を開かれた。
それ以来、自分自身も心が全く変えられ、平安
になり、相手と大変和やかな、良い関係となり、
仲良しになってしまった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Bさん
「目の前の対人関係で、怒りや恨みたい状況の時に、
祈っていたら、勝手に口から言葉が出て来たと、
姉妹方の証しを聞くじゃないですか。

そんな事があるんだと思っていたんですが、
それが、自分も経験しました(^^)

対人関係で、カチン!と来たり、ムッ!と来る時に、
以前だと、そのまま言葉に出したり、出さなくても
不機嫌になり、嫌な雰囲気になってしまって。

でも、イラッっとした時に、祈ると全然変わること
を経験します。
自分も、姉妹方のように、口から出て来たんです
「ごめんね」。
祈らなければ、絶対に出て来ないです。
すると、相手も「ごめん」と。

Cさん
「私も、夫に仕えているつもりなのに、夫の偉そうな
言動と態度に、ムッとしたり、がっかりしたのですが、
神様覚えて、心で祈って、
『悪かったね、ごめんね』と言ったんです。

これも神様です。

すると、夫が、『有難う』と言ったんです。
びっくりしました!夫がそういうふうに言うのは
初めてです。


“・・へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた
者と思いなさい”

“キリストは・・神のあり方を捨てることができない
とは考えないで、ご自分を無にして、仕える者
の姿をとり、”ピリピ2:6

主は完全に正しいのに、へりくだって、ご自分
を捨てて下さった。

へりくだる時に、自分にも周囲にも祝福が及んで行く。


2014年11月14日(金)
  「神様との関係」

「対人関係で、明らかに相手に非がある
出来事があったんです。
はっきりと、相手が悪かったんです。

それで、相手に腹を立て、怒り心頭、裁きまく
るし、憎しみが出てくるしで。

自分は、悶々状態。怒りと憎しみが湧き上がり
平安は全くなく、心は真っ暗。

時間がたって、その事を考えていない時はどう
も無いのですが、ふっと考え出すと、怒りで
いっぱいになる。
ずっと根があるんですよね。

怒りで苦しいから、ずっと祈っていたら、
初めて、切り分けて考えることができたんです。

相手に確かに非があるので、相手が悪いとしか
思えなかった。どう思っても、相手が悪い。
本当に悪いですし。

相手のせいで、自分は苦しい。、この苦しみは
相手のせい、それでますます相手を憎む。

でも、違う。自分が苦しいのは、相手のせい
ではなく、自分が、怒り、憎しみ、裁きという
罪を犯しているから。
だから、苦しくて、平安も喜びもないことが
初めてわかった。

ここのところが、なかなかわからない。
相手に非が無くて、憎むなら、自分が悪い
と思うし、わかるが、

相手に非があるから、自分を正当化して
行くし、すべてがあいてのせいになって、
当然に思える。

相手は全く関係なく、自分が神様の御前に
罪を犯しているから、苦しいのだということが、
初めて見えた。

すべてに人は関係なく、神様との関係の
中にのみ、生きているんだなと。

気づきを与えて下さった神様に感謝です。

赦すことは、自分では出来ないので、でも
神様に不可能は無いので、これも神様
に委ねます。

“何も思い煩うな”と言われるので、信じて
行きます(*^_^*)」

2014年11月10日(月)
  「従うこと」

主の御言葉を聞くだけでなく、聞いた
御言葉に従うことが大切と、話し
合っていた。

Aさん「私は、プライドが高くて、
自我があって、絶対に『ごめんなさい』が
言えなかったんです。

プライドです。ずっと言えなかったです。
でも、今、言えるんです。
状況的に、自分がどうにもできない
状態にあって、『できなくて、ごめんね』と
言うと、『いいんよ、いいんよ』と、あったかい
言葉が返って来る。

御霊の働きです。自分には絶対にでき
ないことが、できている。
ずっと祈っていたんです。プライドも
自我もどうにもならず、一つ一つ
を導いて下さるようにと。
とにかく祈っていると、従えるように助け
が来ますねえ。

Bさん「このところ、何か神様との間が
もやっ〜としていて、ずっと霧がかかっている
ようだった。
何か幕があって、神様と距離があって、毎日
祈ってるし、聖書も読むんだけれど、心が
すっきりしなくて、晴れずに、雲がかかって
鈍い感じ。

ちっとも楽しくないし、その事を祈っていると、
御心を示されているのに、ないがしろに
したり、無視していたことを示されて。

その事を決心して、とにかくどんな犠牲を払っ
ても、御心を行なおうと、行なったんです。

すると、もやが晴れて、心がすっきりして、
心が明るくなって、喜びが来ました!
この平安と喜びは、もう何にも代えられ
ないです。感謝です。

神様に従うことの大切さを、また教えられ
ました。」

2014年11月07日(金)
  「正直に祈ると」

「神様、ああして下さい、こうして下さい」の
祈りがなかなか聞かれないと、

「神様、何でですか?」「何で聞いて下さらない
のですか」と、心の内をあれやこれや、
ああでもない、こうでもないと、祈っていると、

はっと我に返り、

ああそうだ、自分が神様の上に立って、
自分の都合の良いように、主を動かそう
としていることに、気づかせられ。

「神様、ごめんなさい」と祈っていると、

ふっと、みこころが示されて、自分の思う方向
でなく、みこころの方向へ導かれて行く。

そして、神様の栄光が現されて行く。

でも、心の内を正直に言い表すから、
その祈りが聞かれて、我に返らせて下さる。
そして、自分が上に立っていることに
気づかせて下さる。

正直な祈りが聞かれていることを教えられ
感謝です。



「あ、わかります!」

「御心示されて、でも、『できません、できません
いや、できませんじゃなくて、したくありません
したくありません』と、ずっと祈り続けていたら、

不思議に、御心行えるように、心が変えられる
ことを、よく経験します。

それが、不思議に心が変わるんですよねえ」

「対人関係で、どうしても愛せない人がいると、
愛せません、愛したくありません、無理ですと、
ずっと祈り続けていると、

ほんとに不思議です、心が変わって来て、
声をかけなさい、〜〜しなさいという示しを
行なうことができて行くんです。

絶対にしたくなかったのに、神様のみわざです」




2014年11月04日(火)
  「水の中を過ぎるときも」

離婚を通ったAさんが、証しをしてくれた。

ある日突然、離婚を告げられて、もう青天のへきれき
だった。
何の予兆もなく、そんな素振りのかけらもなかったので、
頭が真っ白で、わけがわからず、大きな厳しい試練
だった。
もう愛が無いんだと言われた。これはもうよくよくのことで
相手が決心した事で、心が定まっているのがわかった。
もう変わらないと思った。

でも、振り返り、考えた時に、自分に色々思い当たった。
自分の非が思われ、受け入れざるを得ない、受け入れ
ようと思えた。

しかし、突然の出来事で、悲しみ、戸惑い、悔い、
これからどうすればよいのか、何もかもがどおっと来て、
わけがわからず、心は沈み込み、気力が失せ、
朝ベッドから起きて、息をするのがやっとだった。
生きているのか、感覚もわからなかった。


月日を経て、振り返った時、

“あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともに
おり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。

火の中を歩いても、あなたは焼かれず、
炎はあなたに燃えつかない”イザヤ43:2

あの絶体絶命の、深い水の中を過ぎた時も、主は
共におられた。

住まい、仕事、必要のすべてが備えられ、何一つ欠ける
ことが無かった。
元夫は、チャイルドサポートも忠実に最後まできちんと
入れてくれた。
霊的、経済的、精神的必要な助けが、必ず与えられた。

主は真実に支え、守って下さった。子供たちは巣立つ
事ができて、今までの守りを感謝するばかりだ。

離婚を通って、いかに自分の信仰が自分中心であった
かを教えられた。

大きな厳しい試練であったが、それが無ければ、一生
わからないまま信仰生活を終わったと思う。


“私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。
彼にはご自身を否むことができないからである”
Uテモテ2:13

2014年11月01日(土)
  「奇しいみわざ」

かの日、異国の地を訪問、Aさんとの数年振りの
再会を大喜びした。

が、「丁度ここに来る前に・・」と、目から涙が溢れ、

突然、大家さんの事情ができて、家を出て欲しい
との通告。

異国の地で、母子での生活。不安と思い煩いに、
どお〜っと襲われ、号泣。

どうして良いかわからないと、途方に暮れ、泣いて
泣いて、大泣き状態。

思いきり泣いた後、ひとしきり落ち着いて、話を
し出す。

ファーストフード店で、一緒に聖書を開いて、御言葉
を読み、祈った。

神様が必ず次の住まいを与えて下さり、生活を
守り、すべての必要を備えて下さるよう祈った。

「共に祈るために、会わせて下さったんだよね」と、Bさん

別れる頃には、Aさんに笑顔が見え、委ねて、神様
を信じて行くと。良くして下さると思えると。



そして、その後、神様は素晴らしい事をして下さった。

主に在る老ご夫妻が、一緒に住まないかと招いて
下さって、体調の悪い夫人のお世話を頼まれた。
主に在る兄弟姉妹と、共に住める祝福。

牧師の紹介であり、それが教会のすぐ近くだった。
教会の近くに住まいをとの、祈りの答えでもあった。

導きを求めた結果、平安を与えられ、住まいを得た。

あの大号泣の時に、すでに主は、こんなに素晴らしい
環境を備えていて下さった。


あれから13年。一時帰国の日本で、また再会を喜んだ。
神様のされる事は思いを越えて、奇しい。

老ご夫妻のお孫さんと、Aさんの娘さんが結婚。
本当の親戚とされた。