2014年12月21日(日)
  メリークリスマス

今年もクリスマス礼拝で、主のお生まれに
思いを馳せ、御父のご愛を思う。

イエス・キリストが来られたので、
・罪が赦される
・真理に導かれる
・平安が与えられる

罪が赦され、まことの神を知り、真の生きる目的と
意味を知り、世が与えるものとは違う、主の平安
が与えられる。

ふとAさんを思い出した。
死に向き合っておられた時に、イエス様に出会い、
救いを受けた時に、突然180度変わられた。
奇跡のみわざだった。

余命数ヶ月の宣告を受け、イエス様を受け入れる
直前まで、食事が喉を通らず、でも食べなければ
命を保てず、無理やり押し込んでいたと。
味も何も感じず、ほんとに砂を噛むような食事
だった。

それが、イエス様を受け入れた、その夜の食事が
まあ美味しくて美味しくてと。

そして丁度迎えたクリスマス。Bさんが病院に送って
下さったクリスマスカードが嬉しくて嬉しくてと。
一人で賛美歌を歌って、もう嬉しくて喜びが溢れて
来るんですと。

もう目に見えるように、そのままAさんに成就していた。


若いCさんも、癌が発覚。
ご主人がクリスチャンだったので、訪問を頼まれた。
病院に訪ねると、苦しそうなお顔だった。
辛そうな表情で、精神的にも参っておられる
感じだった。

福音をお話すると、イエス様を受け入れられた。
その次に訪問すると、
あの日、十字架の罪の赦し、救いを聞き、
イエス様を信じた後、心が平安になったんですと。

それまで、不安と恐れで、思い煩いで、心が真っ暗
でしたと。
罪の赦し、神様の愛を知り、受け入れた時に、
あの不安と恐れが消えたんですと。全く無くなったと。
平安で、ほんとに神様です。

死を前に、死線を通り、真理がはっきりとわか
られた。

老齢のDさんも、「全然不安が無いんです」
「まあ、平安で、平安で」「思い煩いが何も
なくて」

平安を与えるために、来て下さったイエス様
十字架のご愛に、新たに感謝が溢れる。

2014年12月17日(火)
  「試練は神から」

「試練」について学ぶ。

苦しみ、悲しみ、痛みは、神様から送られて来るもの。

「それは、あなたを苦しめて、あなたを試み・・
あなたの心のうちにあるものを知るため」申命記8:2

「それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて・・」8:3

主が、はっきりと「苦しめ」「試み」「飢えさせて」と
言っている。

自らの心の内にあるものが、あらわにされ、そして、
御言葉によって生きることを培われるため。


Aさん
「もう教会に、来だしてから、長い年月がたつ
んですが、ほんとにその通りです。

試練が無いと、神様に頼ることが無いです。
普通の事だと、自分の力で、やれてしまう。
自分でやっていて気づかない。

そして何の問題もない、順境の中では、良い事
があっても、感謝が無い。
当たり前で、当然なんですよね。恵みがわから
ない。

過去に、かつてない大きな試練が来た時に、
もう自分の力でどうしようもない、どうにもできない、
絶体絶命の時には、ほんと、「神様!!」で。

もう瀬戸際で、パニックで、ほんと神様しかなくて、
必死で拠りすがる。その時、もうどうにもならず、
一歩も進めず、もう委ねるしか道がない(笑)

どん底で、委ねた時に、思い煩いも不安も恐れも
すべて消えてしまって、その時に初めて真に神様
を知りました。

その後、変えられて、小さな試練でも、その度
に「神様!」、いつも神様と対話しているように
なって、もうほんとに平安で、何があっても気持ち
が楽で。

神様が目の前のこの事も、あの事も、御心をして
下さると、信じれるんです。

一応イエス様を受け入れて信じてはいましたが、
試練がないと、ほんと神様のことが、頭でしか、
わからなかったと思います。
試練によって、実感というか、膚でわかるように
なりました。ほんとに嬉しいです。
喜びがあります!」


「あの大きな試練の後、Aさんが変わってしまった
よね。
お顔も変わって、いつも明るくて、平安そうで」


「ほんとに平安なんです!思い煩いがなくて!
神様がして下さると思えて(*^_^*)」

ほんど、信仰が試されることがなかったら、頭でしか、
わからない。

2014年12月15日(月)
  「敵の誘惑」

サタンの攻撃、誘惑について学んでいた。

とにかく、神様から離して、頼らせず、自分の力で
何とかするように、するようにと、誘惑して来ると。

自分の力で、自分の思いで、自分の判断で、
動かせようとする。

「こんな忙しい中、祈ってるどころじゃないよ。
すぐに出来るんだから、ちゃっちゃっとしてしま
った方が、すぐに済むよ」

「早くしなくちゃ。祈ってる場合でない。祈る
時間に、してしまったほうが、かたがつく」

「この場はちょっとぐらいグレイにしたほうがいいよ。
ちょっとぐらいのうそをついた方がうまくおさまるよ。
誰でもしてる」

「御言葉をちょっとぐらい、ちょっとぐらいその通り
でなくてもいいよ。ちょっとなんだから、この場が
うまく行くよ」

「御言葉そのままとか、堅い事言わずに、
ちょっとぐらいなんだから」

様々、巧みに誘惑してくる。


Aさん「あ、しょっ中、来てます!『祈るより、ちゃっちゃと
してしまった方が早い!早く済む!』これ来る!
あ、これ、サタンなんですねえ。

この誘惑、日常生活で、いつも来ていて、祈りなしに、
まず動いてしまう。とにかくしないと!と。
しないと、片づかないから、祈りより、行動が先になって。
結局、それで1日ひきずられて、動いてしまってる。

でも結局、何やかかんやらからまって、ぎくしゃくして、
うまく行かないし、失敗する。
サタンにやられてるんですねえ」


Bさん「実は昨日もなんです。夜に、楽しい集い
を計画していて、食事の用意をしないといけないん
ですが、朝から、他のことでも忙しくて、

あれも、しなくちゃ、これもしなくちゃ状態で、
どんどん時間が迫ると、早くしなくてはと焦るし、
焦るばかりで、うまく回らないし、

そこで、これは祈らないと、と祈ったんですよ!!
すると、祈ると、物事がうまく回り出して、どんどん
はかどって、良い準備が出来て、ものすごく祝福
されたんです。

早くしなくちゃ、〃と、目の前のことに焦ると、
神様が飛んで、祈りが飛んで、自分でしている。
でも空回りになるんですよね。
サタンなんですよねえ」

Cさん「祈ろうとすると、あれが出来ないと見せ
られ、あれを、これをとりあえずしなくてはと
来るんです。

朝、デボーション持とうとすると、『テーブルを
まず片づけてから、流しにあるもの洗ってから、
洗濯機もついでに回してから・・』と、思いに声が
聞こえて来て、見せられる。

その声で、動いて行くと、次々とするべき事が
思いに来る。

ほんと、デボーションを取ってしまいたいサタン
です!
サタンを意識していないと、見えないから
わからないですねえ。合理的に思えるし、
説得されてしまう」

御霊の気づきに感謝です!!




2014年12月13日(土)
  「御言葉によって生きる」

Aさん
「失敗した時に、どうしても、自分が悪いと思
って落ち込んでしまう。

人は必ず失敗するから、失敗から学べば良いの
だと、いつも学びで聞いているのに、何度聞いた
かわからないのに、頭で止まっていて。

自分の心の底を見ると、自分は失敗をすごく
恐れていて、失敗したくないから、最初から
チャレンジもせず、何もしないということに
なってしまってると。

対人関係で失敗した時に、ものすごく恥ずか
しい、合わせる顔がない、赤面状態になる。

そんなため、失敗も感謝だと思えず、思おう
とせず、やはり、成功が立派で最善で、良い
事だと思っている。

だから、失敗が受け入れられない。自分の
せいで、自分がダメだと思ってしまい、自分を
責めてしまう。

その時に

「あなたは高価で尊い。わたしはあなたを
愛している」

の御言葉が、心のど真ん中に入って来た。

すると、突然180度変わってしまって、
主が、私を高価で尊いと言って下さった。
失敗がどうでも良くなった。
全く解放されてしまって、恐れが消えたんです!

今まで、ずうっと何度も何度も聞いて知っている
御言葉が突然、心に入って来て。

御霊によって入って来たら、全然違うんですね。
霊であり、いのちであり、力そのものとなって。

“人はパンだけで生きるのではなく、神の口
から出る一つ一つのことばによる”マタイ4:4

神の口から出る、「ことば」によって生きる
という意味がわかります。実感します。」



“わたしがあなたがたに話したことがは、霊で
あり、またいのちです”ヨハネ6:63

主が、自分に語られたことばは、霊であり、いのちだ。


2014年12月10日(水)
  「クリスマスのみわざ」

今年もクリスマスの季節が巡って来て、数々の集会の
準備をしている。

先日、遠方のAさんが来宅、思い出話に花が咲いた。

「クリスマス伝道集会を、初めて婦人たちだけの手で、
しましたね〜」

「そうそう!」

「あの時、チラシを見て来てくれたのが、Bちゃんだったん
ですよね〜」

もう20年ほど前に、12月上旬に、婦人の平日の学び会の
時間に、クリスマス特伝をしようと計画した。

チラシを作り、新聞折り込みをし、婦人方が近辺で配布し、
友人たちに、あちこち声をかけた。
クリスマスの、人の来やすい時に、ちょっとでも伝道できたら
との皆の思い(^^)

皆で祈りに祈った。祈りが積み上げられた。
皆で料理を、手をかけて準備した。大ご馳走だ。

祈って主に期待し、待ちに待った当日!
私は、自宅からその集会所まで、1時間半はかかるので、
更に早目に家を出た。

すると!幹線道路に出るのに、家の前まで車の列〃。
大渋滞だ。動いていない。
え!何で??と、カーラジオをつけると、その日、電車の
ストだった。
ニュースもちゃんとチェックしておらず、全然知らなかった。

以前渋滞経験があり、集会が終わる時間に着いた。
これは絶対に着かないと確信できる。

「え!神様何で、ストがこの日!」と思うが、そうじゃないと
お思いがかぶさる。

思いが巡る。
神様は特伝をご存じ。そしてこのストも知っておられた。
神様の許しの中で、こうなっている。

だったら、「すべての事について、感謝しなさい」と、
この事態を感謝します!と祈った。

感謝します!感謝します!!と目的地へ。
200mほどを30分かけて、やっと幹線道路へ。
集会所は45キロ先・・。

しかし、感謝します!と言い続けて、前に進む。
高速との分岐点。
主よ、どうしましょうか?と祈る。

以前、渋滞の時に、高速に入って、身動き取れ
なかった事を思い出し、延々と下で行くことに。

すると途中から、段々スイスイと走れ出して、
結果、何と、間に合って着いた!
何で間に合ったのか、ほんとにわからない。

すると、新来者Bさんが来ておられた。

「チラシを見た時、この集いに行きたい!!と
強く思ったんです。
でも、平日で仕事があるし、行けないなあと
すごく残念だったら、何とこの日がストになって、
仕事が休みになったんです!
それで来れました。」

その日、Bさんはイエス様を受け入れられた。
その後、Bさんはいろんなお友達を次々に
連れて来てくれた。

忘れられない、神様のみわざだった(*^_^*)



2014年12月08日(月)
  「インマヌエル」

クリスマスの集いで、クリスマスメッセージがあった。

その中で、その名はインマヌエル「神は私たちとともに
おられる」ということが、みんなに印象に残った。

主がこの世界に来て下さって、それは、世の終わり
まで、私たちと共にいて下さるため。


Aさん「共におられることを、日々感じています。
嬉しいです。感謝です。
これはどうしたらいいかな、あれはどうしようか、いつも
祈れることが感謝です!

祈ると、あ、これはこうして、あれはああしたらいいと
示されながら、生活して行けて、ほんとに共におられ


ることを実感しながら、日々嬉しいです。
共にいて下さるために、来て下さったことが改めて
感謝で、嬉しいです」

Bさん「いやあ、嬉しいです。共におられることが
ほんとに安心で、喜びで、毎日の生活で、共に
おられることが、喜びが湧いて、嬉しくて。
今日ここにおれることが感謝です」

厳しい試練を通ったCさん「嬉しいです。感謝です。
今、ここにおれることが感謝です」神様が共にいて
下さることが、真に深く、重く伝わって来る。

Dさん「ほんとに共におられるために、来て下さって、
もう神様知る以前と全然違います!
ほんとに出会えて感謝で、感謝で。

やはり祈って生活できて、祈ると全然気持ちが違い
まず変えられて、あ、自分の思い通りでなく、御心
がなればいいと、すごく心が静かに平安になれて、
導かれて行く。
一つ一つ祈る時、共におられることを実感します」


ほんとに目の前に突如の困難が来て、祈り、ずっと
祈っていると・・。
この困難がどうこうは問題でなく、

「主がともにおられる」このことが、これが幸いなのだ
と、それがますますクリアになって行く。

共におられることを思うと、嬉しさがこみ上げ、
日々の生活に潤いと温もりが(*^_^*)

インマヌエル・・主ともにいます!!

2014年12月05日(金)
  「御霊はひとつ」

お身体の不自由を持ったAさんが婦人の集会に来会
して下さるとのことで、皆で、祈りを重ねる。

神様の祝福があるように、心と心の交流が与えら
れるように、良い学びと交わりが与えられるように。
祈りに祈った。

当日、Bさんが横で、Aさんのサポートをする。
それもずっと祈って祈って準備して、備えて
くれていた。
学びの原稿をあらかじめ、更にわかりやすく
かみ砕いて整えて。

学びで、わからない言葉や初めての言葉を
Aさんは率直に、「これは何ですか?」「これがわから
ない」と、どんどん質問される。

懸命に御言葉を聞こうとされ、御言葉を知りたい
との姿勢があるので、サポートしていても、すごく
助けられましたと。

初対面ながら、皆で、本当に楽しい、楽しい、
心温められ、喜びの、恵みの交わりが与えられた。
神様の温もりで心が満たされた。

「ほんとに御霊はひとつですね!!」
「神様、すごいです!!」
「ほんとに、あたたかい集いでした。感謝が溢れました」
「良かったです。心満ちて、帰りました」

その場に、主がおられ、ひとつだと感じる。

Cさん「Aさんに、明るくされて、ものすごく元気を
もらいました!」

Dさん「Aさんが率直に、どこそこがわからないと、言われ
ていたことに、すごくいいなあと教えられました。
私、今さら聞けないと、わかった振りしてますから」(大笑)

皆で「わかる、わかる」(^^;)


御霊が働かれると、ひとつだと感じ、皆が喜びと温もり、
を与えられ、満たされる。

皆で祈りに祈って、祈りの答えに本当に感謝だった。

2014年12月03日(水)
  「祈りを顧み・・」

Aさん

ある困った状況に陥った。ある人とどうしても連絡を
取り、様子が知りたいが、その手段が無く、連絡の取り
ようがない。
事情があって、方法が無いのだった。

幾ら考えても、全く手段が無い。
これは祈りだ!と、全能の主、不可能が一つも無い
主に、手だてを祈り続けた。

祈りに祈って、数週間。突然、主からの祈りの答え!
目の前に、スルスルと不思議な道が開かれた。

人、また、人と、数人の人を介して、答えが
与えられた!びっくり!!驚きだった。

とにかく、窮地に陥れば、祈れば良い!
祈りさえすれば、すべてご存じの主が共におられ
すべての事を導いて下さる。

これは何という心強さ、力強さ、安堵だろう。
いつも共にいて下さる主。本当に感謝でならない。
喜びが湧き溢れる。

“窮した者の祈りを顧み、彼らの祈りをないがしろに
されなかったからです”詩編102:17

何が起きても、とにかく祈りに持って行けばよい。


Bさん

「献げようとする時に、必ずサタンが来るんです(^^;)」

「あ、御心行なう時に、来る!来る!来るよね。サタン」

「ものすごく欲しい物が具体的に浮かんで来るんです。
誘惑ですよね。
このお金があれば、手に入るよと。すごい誘惑(^^;)

神様に献げようとする思いと、欲しい物を手に入れたい
との思い、二つの思いがものすごく葛藤する」

「で、いつも祈って、決心して、神様の方を選ぶ」
祈ると、決心できるように助けられる。


「逆の場合もあるんです。それが突然、ものすごく欲しい
物の欲求が起きて来て、思うほどどうしても欲しい。

ぜいたくか、買おうか、どうしようかと思う時に、ふと、
え!またサタン?と思う。

すると、特別な献金の機会があって、あ!神様
献げるように言っておられるんだと(^^)わかる。

献げるよう示される時に、献げるとほんと祝福されて
献げた分が与えられるんです!(^^)

必要な物は必ず与えられるし、献げる事を通して
サタンの働きや、神様の祝福を教えられます」



2014年12月01日(月)
  「御霊の強い導き」

ずっと長年、状況的に難しく、教会に行けなかった
Aさん。

しかし、その間もずっと神様のことは思いから、離れた
事はなかった。しかし、なかなか行けなかった。

生活環境もひと息ついて、そろそろ行かなくては、
と思うが、何だか行きにくく、ずるずるしていた。

行かなくちゃと思うが、腰が上がらない。
そんな時、Bさんに、声をかけられた。

その時に、神様から背中を押されたように、
心素直に、すっと、行こうと思えた。不思議だった。

それ以来、休むことなくずっと教会へ行けている。

あれが分岐点だったとわかる。あれは神の誘い
で神の時で、御霊の促しに従ったからだと。
その時から、心も全く変えられて、以前の自分
と違うと。


ある人の証しがあった。

長い間、教会に行っていなかった。行かなければ
とは思うが、行けなかった。自分が行かなかった。

ある日、突然、御霊により「今日、教会へ行きなさい」
と強い導きと促しがあった。御霊だとわかった。

その強い促しに従った。
その日、教会へ行った。それ以後、欠かすことなく
行けていると。

御霊が力強く導かれる、「時」がある。
その時に、その導きを捨てず、無視せず、ないがしろ
にせず、従うなら、その後、力強く導かれ、神の
素晴らしいみわざにあずかる。

Aさんも、あの時に従ってなかったら、今も
行けてないと思うと。
分岐点だったと思うと。

“きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こし
たときのように、心をかたくなにしてはならない”ヘブル3:15