2015年07月22日(水)
  「思い煩い」

思い煩いは、生活の中で、大きな位置を占める。

“何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝
をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの
願い事を神に知っていただきなさい”ピリピ4:8


「“何も思い煩うな”と、神様は言われ、いつも
学んでいて、よくわかっているのですが、
頭と心が違うんですよね。

頭では、“思い煩うな”とわかるんですが、
感情が、また別なんです。

感情がついて行かず、思い煩ってしまう。
でもそれって、結局、御言葉でなく、感情に
従ってることが、間違いなんですよね。

だから、頭ではわかっているが、ずっと思い
煩いに支配されてしまっていた。

感情を脇に置いて、御霊の助けのもと
御言葉に従って、きっぱり神様に渡して
しまうことですよね。

でも、学んで行く中から、頭ではわかるが、
感情が別なんだと、知れたことが感謝でした。

それまで、思い煩うばかりで、全然自分が
変わらなかったですから。
神様に従って行きたいです」


「“思い煩うな!”と神様が言っておられる
ので、ストップすることが大事ですよね。

それを止めないで、自分がずるずる流されて
思い煩っているということは、結局、選んで
いるんですよね。

思い煩いをストップして、祈る!!ことです
よね。実行して行けますように」


「私は、以前、厳しい試練が次々に来た時に、
もう思い煩いでパニックに。
あれやこれやと、もう思い煩いで、身体にも
来て、体調崩してしまって。

自分の力で、もうどうする事もできず、何も
どうにもならず、ただただ思い煩うばかり。

とうとう許容量オーバー、もう限界になって、
もうどうにもならないから、神様に全部明け
渡したんです。

自分の力が強くて、そこまで追いつめられ
ないと、委ねられなかったからだと思います。

すると、何と、もうすっかり楽になって!!
びっくり!!です。神様すごいです。
ほんと、180°変わってしまって。
思い煩いが消えたんです。
平安で満たされてしまって。

何か問題が来た時も、もうお委ねすると
平安で、平安で。
神様が一番良いようにして下さると思え
るから不思議です(^^)

何か起きると、祈って、神様にしていた
だいているから、自分は楽で、感謝で(^^)
以前と全然違います(*^_^*)」










2015年07月18日(土)
  「サタンの火矢」

サタンの学びをする。

“これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取り
なさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、
みな消すことができます”エペソ6:16

サタンは、「思い」の火矢を、二四時間中、放って
来ている。

「朝、起きた時から、『ああ、今日もしんどいなあ』と
冴えない思いが、どよ〜〜んと来るが、サタンなん
ですねえ。

その言葉について行くと、気力が萎えて、朝から
ほんとに『だるい〜』としんどいですよねえ」


「突然の“火矢”がよく思い当たります。
10年、20年前のことが、突然思いに来ます。
その思いが来ると、あれが悪かった、これが悪か
った、ああすればよかった、こうすればよかったと、

何時間もくよくよ、後悔し、思い煩い、自分を
責め、人を責め、ぐるぐるで。

ほんとサタンですねえ。よくわかります。
過去の事など、絶対に変えられないし、どう
にも出来ず、ただただ暗くなるばかりで。

その時間を無駄に、落ち込んで、暗くなって、
次、来た時に、気づけるよう祈ります」


「わかります。同じです!ほんと、サタンですよね。
前後関係も、脈絡も何も無い。

ポンと、突然、思いが来るんですもんね。
ほんと矢が打ち込まれる感じですよね。

その直前まで、その事の思いも何もない。
ましてやそんな昔の事、きれいに忘れてる。

それが突然、数10年前のあの言葉、この態度
が思い出されて、怒りやいら立ち、で心騒ぐ。

サタンに乗って行ってるんですよねえ。
無駄な時間過ごしてしまう。
拒否し、無視して行けるように」


「祈ってたら、いつの間にか、怒ってて、
気がついたら祈りを止めてた(笑)

祈る前、全然怒ってなかったのに、祈り始めると
祈りが、どんどん思いに移行して、祈ってるの
でなく、思いが増幅して、怒り心頭になって(笑)
サタンにやられたんですねえ。

よく識別できるよう祈りたいです」。


2015年07月12日(日)
  「できない事を認める」

A「主からの御言葉が、与えられて、支えと
助けを感じ、目の前の頼まれ事を行って
行こうと思えた。

その頼まれ事は、好きで、喜びであり、自分も
したいことだった。
でも、しんどい気持ちがある。」

B「出来ない時は、断ることも必要なのでは?」

A「でも、したいんです。してあげたいし。
喜びなんです」

C「でも、本当に喜びなら、しんどい事は無い
のでは?」

D「心に何かあるのでしょうね」

A「自分の喜びだし、嬉しい事だし、御言葉
も与えられてるし、でも、よくよく祈って神様に
心を探ってもらい、整理してもらいます。
そのことを祈って下さい」

その後、

A「心の内がどうなってるのか、自分でもわからず、
気持ちをそのまま祈って行きました。

したい気持ち、喜びであること、嬉しいこと、
でも、しんどい思いもあること。
あるがまま、素直に率直に祈って行きました。

その時、わかったんです。
したいし、喜びなんだけど、出来ないということ
に気づかされました。
したいんだけど、様々なことがあって出来ない。
したいけれど、出来ないんですよね。

その出来ない事を認めていなかったと。
示されました。

出来ない事を認めた時に、心がすっかり
平安になりました。

出来ないからこそ、イエス様がいつも共に
いて助けて下さるんだと。

出来ないなら、ずっと絶えず助けて下さる
だから、いつも祈って行けばいいんだと。

心がすっきり平安になりました!」

2015年07月09日(木)
  「続・御霊の働き」

御霊はそれぞれの必要をご存じで、ふさわしく、的確に
導かれることに、驚くばかりだ。

前述のAさんは、泣くことで、現実逃避して、
自己憐憫に逃げていたので、御霊は「泣くな!」
と語られた。
逃げずに、現実に向き合いなさいと。


Bさんも、導きを経験した。
小学生の子供がしょっ中泣いた。事あるたびに泣く。
学校から帰り、学校でちょっと嫌なことがあると、泣き、
宿題がうまく出来ないと泣き、
男の子のくせに、ビービービービー泣いて、こんな事で
いいのかと不安になり。イライラもしてくるし、ある時、

「もう、泣きなさんな!」と叱った。
それにまた泣き出す始末だった。

そして、腹痛や吐き気を訴えて来て、ほんとに
お腹が痛むようで、病院に行くと、どうも神経
からのようだった。

その時、ああ、この子は人一倍敏感で、繊細で、
感じやすくて、様々なストレスを、まだ小さいので、
泣くことによって、自分を落ち着かせて、和らげて
いるのだと、教えられた。

泣きたい時には、思う存分泣かせてやろうと。
それですっきりして、自分を落ち着かせて、整えて、
次の行動に移れるのだと。

自分の心も平安にされて、おおらかに受け止め
てやれるようにされましたと。

自分自身がイライラして、且つ不安と思い煩い
も来て、受け入れられなかったのだと。


日常の生活の中で、動機まで探り、教え導いて
下さる御霊に、その働きに感謝だ。

2015年07月07日(火)
  「聖霊は、すべてのことを教え」

“助け主、すなわち、父がわたしの名によって
お遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべての
ことを教え・・・”ヨハネ14:26

御霊が信仰生活を、一人一人にそれぞれふさわしく
導いて下さることに感謝だ。

Aさん
「私は、しんどい事や、どうもできずに行き詰まる
時、辛い時、とにかく泣きに入るんです。

泣いても、どうにもならないのですが、ずっとそう
だったんです。
ある時、御霊が「泣くな」と、言われたんです。
神様の声だと思ったんです。

それで、泣く事について考えていたら、自分
のは自己憐憫だと気づかされて。」

「あ、わかる。自己憐憫の殻に入ると、すごく楽なん
ですよね。誰も自分のことはわからない。自分は
悲劇のヒロインみたいな。」

「そうなんです。逃げられるんです。逃げなんです
よね」

Bさん
「私は、対人関係が苦手で、いつも自己憐憫
の殻に閉じこもっていました。
そこは居心地が良くて、楽で、すぐに逃げ込ん
でしまう。
自分はかわいそう。自分は不幸せ。自分は被害者と、
どうせ誰も私のことはわからない。自分をあわれんで、
嫌な事から逃げられる。」


「自己憐憫は自分だけを見ている。自分しか見て
いない。神様に目が向いていない。
だから、御霊が『泣くな』と言われたのでしょうね。」

Aさん
「神様の『泣くな』を受け止めて、泣くのを止めたんです。
すると自己憐憫に行かずに、良い感じです(^^)
問題に、状況に向き合って、神様に求めて行くことが
大切なんですよね」

生活の中で、御霊が自由に働かれ、信仰生活
を導いて下さることに、感謝だ(*^_^*)せい

2015年07月04日(土)
  「祈りの喜び」

“求めなさい。そうすれば受けるのです。
それはあなたがたの喜びが満ち満ちたもの
となるためです”ヨハネ16:24

祈りの大切さを教えられる。


「スピーチをしないといけない事になって、
それなりに少しづつ準備をしていた。

いよいよ明日という前夜、ずっと練習した。
けれど、何だか満足行くものにならず、
でも、もう遅いし、寝ようとした。

寝る前に、信仰の本を少し読んで寝ようと
したら、丁度そこに、スピーチする人の話
が出て来て、スピーチの前には必ず祈る、

人と大事な話をする時にも祈るとあって、
あ、祈らずに練習していたと気づいて、
その夜、祈って寝た。

朝も、祈って練習すると、ここは表現変えた
方が良い、これは削った方が良いと色々
アイデアが湧いて、行く途中も練習し、
いよいよスピーチの直前にも祈った。

すると、うまく行って、良いスピーチができて、
褒められた。
自分の力でなく、神様の力によって出来た
ことが、ほんとに嬉しかった。」


「今まで、漫然と礼拝に出ていたが、礼拝は
神様の招きで、招いて下さること、神様に
応答して行けることを学び、礼拝前によく
祈って、あずかることも学び、実行した。

よく祈って、礼拝に出ると全く違うことに
びっくりでした!

心がへりくだらされて、祈りなしに礼拝を献
げていた時と、全然違うんですね。

賛美や祈りに、心が寄り添って行って、
感謝が溢れて、御言葉に一心に聞き入り、
また、わかるようにされて、祈りの力に
驚かされました。

祈りなしに、礼拝に出ると、ほんと傍観者
的態度になっていて、心に留まらずに目の
前で流れて行くようで。
祈りの大切さを教えられました」


「庭をちょっと整えたくて、祈って、敷石やら
煉瓦やら、色々買いに行ったんです。
そして、実際に作業をし終えた時に、何と
それがどれもピッタリの個数だったんです。
びっくりでした!

ほんとに小さな、些細な事なのですが、
神様を知らない人には、ただの偶然ですが、
神様を感じて、もう嬉しくて、嬉しくて。
いつも共にいて下さることを実感できて、
喜びが溢れたんです」


「わかります。大きな事は勿論ですが、小さな
事での祈りの答えが、何とも嬉しいですよね!!
ほんとに、主が共にいて下さることを感じます」






2015年07月02日(木)
  「人の歓心」

“今私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。
いや。神に、でしょう。

人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし、
私がいまなお人の歓心を買おうとするなら、私はキリスト
のしもべとは言えません”ガラテヤ1:10


「生い立ちが複雑で、小さい頃から、自分の居場所
が欲しくて、人にどう思われているかが、ものすごく気
になって、人の言動、態度に人一倍敏感だった。

人に良く思われたい一心だった。
絶えず人を気にして生きて来て、でも、それは
ひどく疲れることだった。

イエス様に出会って、初めて真の平安を経験した。
人の歓心を得たい心と、神様を求める心が共存
しないことがわかる。

どちらかを見ている時、一方が消える。
人の歓心を得ようとしている時、人によく見られ
ようとしている時、神様が消える。

結局、人が偶像になって、人が神になっている
ことがわかる。
御霊が気づかせて下さることが感謝で、その度
に立ち返りたい」


「特に冠婚葬祭の時に、世のしきたりや、古い
習慣の中にいる時に、人の目が気になる自分に
気づく。

特に閉鎖的な地域、因習の強い地域では
目立つことを、気にしてしまう。

本当に人が気になる、良い人に見られたい
強い自分があることに気づけて感謝です。」


「人の目を気にする、良い人に見られたい、どこ
までも根深いものがあって、戦いです。

日本では、向こう三軒両隣が神で、何を言われ
るか、どう見られるかを気にして、気にして、縛ら
れて生きている。

人前を繕い、演技をし、偽ってしまう。余りにも
根深く培われていて、無意識だったりする。


“互いの栄誉は受けても、唯一の神からの
栄誉を求めないあなたがたは、どうして信じる
ことができますか”ヨハネ5:44

人によく見られようとするなら、神を信じる
ことができない。


“あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちが
あると思うので、聖書を調べています。その聖書
が、わたしについて証言しているのです”


“それなのに、あなたがたは、いのちを得るために
わたしのもとに来ようとはしません”

“わたしは人からの栄誉は受けません”

人からの賞賛を求めているなら、幾ら聖書
を学んでも、神様がわからない。

人前を繕っている時に、御霊が気づかせて
下さるように。