2015年12月16日(水)
  「驚きの答え」

みわざとは、神にしかできないことを、神が成して
下さること。
“わたしが事を行なえば、だれがそれをとどめること
ができよう”イザヤ43:13

行くも戻るも、どうにも出来ない中で、目の前で
紅海が分かたれ、進むべき道が現れた。

主は道無きところには、道を造ることがおできに
なる。
今までの信仰生活においても、又、この一年も、
小さな事から大きな事まで様々な主のみわざを
見せられた。

出エジプトを果たし、苦難のエジプトを出た民が
荒野に出た時に、引き返すようにされた。
追ってが来るやも知れず、一刻も早く、とにかく
エジプトから少しでも遠ざかる必要があるのに。

主は、あたかも、パロに追いかけるように誘導
しているような。
追いつかれて、もう身動き取れない絶体絶命の
セッティングをされ、神にしかできないみわざをされる。


海外宣教地にいた一家に、突然の訃報が入った。
しかし、その時が、自宅から車で7,8時間の
首都に、用で出ていた時だった。
どう動けば良いのか??

一旦、地方の自宅に戻るべきか??
すぐ帰国か。だがチケットが取れなければ帰る
にも帰れない。
ネットで帰国のためのチケットを探していると、何と、
翌日の最後の5席が空いていた。5人家族。
まさに神様だ。

それが、首都での用に、たまたまパスポートが必要
だったので、持つはずのないパスポートを持参していた。
翌日、着のみ着のままで帰国の途に。

「はからずも」「丁度その時」ルツ記に出て来る
主の配慮そのままだ。主のわざに驚かされた。


以前、忘れられない驚きの出来事があった。
Aさんが離婚問題で、悩み苦しみ、その事で主に出会い、
喜びの救いにあずかった。

問題の原因は自分にあり、自分の自己中心、わがまま
相手への配慮など全く持てない結婚生活だったと。
自分の姿が見せられ、心底悔い改め、相手に謝罪し、
もう一度チャンスを欲しい、やり直したい強い願いを伝えた。

ところが離れていた間に、相手には新しい女性ができて
いて、きちんと離婚したいと。気持ちは変わらないと。

双方弁護士を立てて、離婚調停が進んでいた。
Aさんは自分のして来た事に、悔いくずおれた。
愛することを知らなかった自分、したい放題にしてきた
結婚生活、まだ相手への愛情があり、このままでは終われない。
やり直したい強い気持ちは変わらず、御心ならそのようにして
下さいと、一心に祈り続けた。

調停はどんどん進む中で、祈り続けていると、突然相手の
女性が去って行ったのだった。
相手は我に返り、赦して欲しいと、やり直したいと。
Aさんは赦すも赦さないもない。赦してもらいたいのは
自分の方で、心からもう一度やり直したいと。

報告を聞いて、ただただ驚き、神のわざだった。
祈ってくれていた方々に電話すると、それがどの人も
余りの驚きで、電話口で声が出ない。
しばらくの沈黙の後、「まあ、良かったですねえ!!」の
驚きと安堵の声。

2015年12月14日(月)
  「自分の思いが・・」

「ものすごく苦しい、もう何が何だかわからないほどの
大変な所を通ったんですが、その渦中では、苦しい
ばかりだったんですが、

今は、通って良かったと思えるんです。
砕かれるためだったんだなあと。自分の思いが強く、
自分の力で、どうしてもやってしまう。
神様は、その所を砕かれたかったんだなあと。

時を経て、こう思えることも感謝です。

その時は、「神様何で?何で?」ばかりだったです。
もうわけがわからず、必死であがくばかりで。

根が自分で何とかしよう、ですからますます
神様が見えないですよね。
問題がモンスターになって、自分がしてるんですが、
もう押しつぶされんばかりで。

あって良かったと思えることが、自分の大きな変化
で、ほんとに感謝です」


礼拝メッセージでも、主はすべてを支配して
おられる、主は主権者だから、私たちの身に起こる
ことは、絶対的に!益となる!!!
無駄は一つもない、と。

自分の思いの方を捨てて、主の言葉を心に受け
入れて行く時、御言葉が信仰によって結びつけ
られて行く。

“その聞いたみことばも、彼らには益になりません
でした。みことばが、それを聞いた人たちに、
信仰によって、結びつけられなかったからです”
ヘブル4:2

御言葉があっても、自分の思いの方を取って
行く時、御言葉を捨てていることになる。


「御言葉聞いた時、目に見える所はいつも逆。
“不可能は一つもない”と言われるのに、『そんな事
起こるはずがない』、『できるはずがない』との思いが
必ず来る。

問題を導く、必要を満たす、と言われるのに、
そんなことは無いと自分の思いが来て、いつも
ずっと自分の思いの方を選択していたと気づかされる。

その事にも気づいていなかった。
だから、いつまでたっても神様がよくわからず、
同じ所をぐるぐる廻っていたんだと。」

御言葉聞く時、自分の思いが同時に来るから、
サタンが御言葉を取って行くから、祈ることですよね。


2015年12月13日(日)
  「主の平安」

以前、Aさんが、末期癌で余命3ヶ月の宣告
を受けられた。
結局、それを通して、素晴らしい救いに入れら
れ、この世にありながら、この世のものではない、
御霊の喜び、人知では測り知ることのできない
平安を経験された。
そのみわざに、周囲がもう驚きで、恵みに恵まれた。

その時に、B宣教師が、「余命を決めるのは
医者ではありません。神様です」と言われた。

本当にその通りで、1年も延ばされ、ご主人と
幸いな、喜びの時を過ごされた。

先月、とても身近な先生が、突然天に帰られた。
ご親族方が、神様から、神の時であったことを
示されて、受け止め、心に主の平安を与えられ
ていますと、証しされた。

その事を祈っていて下さる方々に知らせると、
Aさんが、次の婦人会に「その事が聞きたい
です!!」と、飛んで来られた。

「世の中では、有り得ないから、世の中で聞いた事
も無いから、すごいですねえ」と。

「でも、わかります。神様を知ったから、神様のわざが
あること、神様にはできること、私にもわかります」と。

Bさん「私も、その平安わかります!
様々苦しいところを通った時、外側ほんとにもう
わけわからないほど大変なのに、心は平安だった。

人から見ると、ものすごく大変そうに見えるようなん
ですが、本人は、まあ平安なんですよね。
この平安すごいです。
何にも代えられないです。
来年も、もっともっとこの素晴らしい神様を知って
行きたいです!!」

“わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。
わたしがあなたがたに与えるのは、世が与える
のとは違います”ヨハネ14:27


世の与えるのとは、全く違う、イエス様の平安
に感謝です!

2015年12月10日(木)
  「変えられる」

交わりの中で、今年一年の恵みみを語り
合っていた。
やはり、皆が、変えられて行っていることが
最大の恵みだった。

一年一年変えられ、神様の働き、みわざを
見ることができて、感謝に溢れる。

★「ずっと長年思い煩いであった、親族の悩みが
あったんですが、今年、お委ねできたんです。

ずっと悩みで、ああでもない、こうでもないと、
ああすればいいのか、こうすればと、思い煩いで
いっぱいでした。
学びのたびに、ああ、委ねなくてはと思うのですが、
自分が堅く握ってしまってるんですねえ。
でも、ずっと祈っていて、今年、思い煩いが消え
たんです。
祈りに答えて下さったんですね。私にはこれらの時
も必要で、わかるように少しづつ教えて下さって、
ほんとに感謝でした!」

★「『認めて、受け止めて行く時、解決に導かれる』
といつも学び、認めることが大切とわかるんですが、
自分の弱さをなかなか認めることができなかったです。

認められないんですね。認めたくないんですね。
自分の弱さは見たくないし、触れたくもない。
痛いんですよね。
心のタンスの引き出しにしまって、もうずっとそのまま
にしておきたい(^^;)

でも、認めて行った時に、神様が働かれることを
経験しました。認めると、祈りにもって行けるし、
対応できますものね。
その祈りによって、今まで見えなかった色々な
事が見せられて、神様の恵みが知れる。

そして、何より、自分が楽になれました。
これ一番ですね。
今まで、肩を張ってたんですね。感謝です。」

★「私、神様に出会う前は、ずっと自分で生きて行く。
自分の力で生きて行くと、またそれが体質に
合っていて、もう頑張って頑張って生きて来た。
それが良いことだった。
神様に頼るなんて、はあ?で、全然馴染まなかった。

悩みが起きて、神様信じることができたが、神様を信じても、
その培われた体質は根深くて、自分で頑張ってしまう。
そんな中、もう絶対にどうにもできない状況与えられて、
パニックで、わけわからず、委ねざるを得ないところに
追い込まれ。

そこから、変えられた。全く自分が変わったのがわかった。
もう、楽で、楽で、こんなに楽でいいのかというほど。
ほんとに自我が、もうものすごく強いから対処して
下さったんだなあと。
神様すごいです!!」


自分が変えられて行くことが、感謝です(^^)