2016年02月10日(水)
  「立ち返って、静かにする」

「向こう岸へ渡ろう」と、イエス様が言われ、
湖を、弟子たちが渡る箇所を学んでいた。

途中で、激しい突風が吹き荒れ、台風のよう
な突風に、舟は水をかぶり、どんどん水が入る。
水でいっぱいになって来た。

水をかき出さなければ、沈没、転覆だ。
「おぼれて死にそう」と弟子たちが思うほどの
状態だった。
夕方出たので、日も落ちて来る。

イエス様は伝道旅行の疲れで、舟に乗った途端、
熟睡しておられる。

自分たちが死にそうなのに、平気で寝ているとは、
どういう事かと、主を起こす。
しかし、主が同船されている舟が、沈むわけがない。
沈む方が不可能だ。有り得ない。

そして「向こう岸へ渡ろう」と言われた。
途中に何があっても、絶対に向こう岸に渡れる。

しかし、起き上がられ、そんな弟子たちのために
嵐をピタリとしずめられた。

そして、「信仰がないのは、どうしたことです」と、
ここでの問題は、信仰だよと言われた。

嵐が問題なのでなく、信仰が問題だと。


「あー、私も同じ。私だったら、まず一生懸命
に水をかき出して、他の人たちも仕切って、
水をかき出させる!!それに必死になる。

日常生活でも、まずは神様を信じるのでなく、自分
の力を信じている。
何かが起きると、こうして、ああしてと、まず自分が
動く。焦って、御心など吹っ飛んでる。

神様信じているつもりなので、御心に従っている
つもりだったが、全然従っていないことに、今日
気づいた。

自分が、自分が、と動いていて、静まって、神様を
信じるということをしていない。
信じて、待つ、ということも無い。
自分が何もかもやっている。
それで、心に平安が無いんですよね。焦り、不安、
いら立ち、思い煩いでいっぱいになる。


“立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、
落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る

しかし、あなたがたは、これを望まなかった。
いや、私たちは早馬に乗って逃げよう”
イザヤ30:13

この通りで、待ち望まず、早馬に乗って逃げているので、
静かにし、信頼したいです」

2016年02月07日(日)
  「弱さを認める」

サタンの学びをしていたら、

「何かもう、朝起きた時から、一日中ずうっと来てますね」

「好きでない事は、どうしてもおっくうで、したくないので
背後のサタンの誘惑に負けて、スルーしてしまったら、
今度は、前に出て来て、真っ向から責めて来る。

そんなお前はダメだ、ダメだと。ダメクリスチャンと失望
落胆させられてしまう。気力が失せて。サタンですよね。


又、逆に、出しゃばった事をしてしまう。神様に言われて
いないのに、自分の強い思いで、自分の力で突っ走って
しまい、失敗する。
そんな時も、ダメだ、ダメだ、ダメクリスチャンと責められて、
落ち込ませられる。」


「わかる、わかる。今は、いつも神様に、あるがままを祈ってる。
今、どうしてもしたくないです。したらいいのでしょうけど、
気持ちが乗らず、動かない。神様ごめんなさい。できません、
できません。と、ああでもない、こうでもないと自分の気持ちを、
ありのまま告げて、祈っていたら、

それが、なぜかしばらく後で、できるようにされている。
自分ができているのが不思議で、まさに自分でなくて、
神様ですよね。
祈りに答えて、神様が働いて下さる。自分の心も平安
そのもので、感謝です」


「自分はどうしても愛せない相手がいて、嫌な一言
があると、サタンですよね。過去の傷ついてるあれや
これやを、どおっーと見せて来る。

サタンのしわざですね。それを受け入れて、それについて
行くと、もう嫌な思いでいっぱいになる。
ますます愛せなくなる。サタンにやられてしまう。
平安も全く無くなってしまう。

でも、御霊にサタンだと気づかせられて、そっちには
行かないと祈り、この事を神様が取り扱って下さって、
今は、できないけれど、必ず神様ができるようにして
下さると思う時、平安になるんです」

「愛することとか、赦すこととか、すぐにはできなくても、
大丈夫で、神様が少しづつ導いて、必ず愛せる
ように、赦せるように、して下さるので。

ほんと、これは神様の力でしかできない。神わざ。」

「自分にできると思っているから、落ち込むのでしょうね。
自分の弱さを認めることですよね。
自分にはできないと認めて、自分に頼らず、期待せず、
神様にすがって行く時、平安ですよね」

2016年02月05日(金)
  「ギブアップ」

ペテロの学びをしていた。

ペテロは、主に従うことにおいて、自信満々だった。

「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、
私は決してつまずきません」

本心でそう思っていた。
自分の弱さを知らなかった。
それゆえ、主が前もって言われた通りに、主を裏切ってしまった。
主を三度否み、最後は呪いをかけて誓って知らないと言った。

ペテロは自分の思いと自分の力で従っていたので、従い通す
ことができなかった。
ペテロは砕かれた。

しかしペテロは裏切った時、主に向き、主の言葉に向いた。
そして、合わせる顔もない中、主の指示に従って、ガリヤラ
へ出向いた。
そこで、主はペテロに三度「わたしを愛するか」と問うて
下さって、ペテロを回復させ、癒された。
もう資格もないと思ったであろう、主の働き人として再度
立たせられた。


Aさん「自分の弱さを知ることが大事ですね。恵みは十分で
弱さの中に、神の力が完全に現れるのですね。

弱いからこそ祈り、主にすがり、拠り頼む。
自分の弱さを知らないから、祈ることも頼ることも薄いんですね」

Bさん「イエス様にあって、以前のたばことギャンブルがずっと
止められています」

「主の取り扱いの中で、依存症からの脱出は、自分に期待
しないことだと、教えられています。

自分の意志に期待しないで、神様い期待する。

自分にはどうにもできないとギブアップして、神に委ねつつ
今日一日と必死に祈り、すがり、それの積み重ねが脱出
につながりました」


「ギブアップして、自分に期待しないこと。主に拠りすがること」。


信仰生活もう50年になるが、主の奇跡を見て来たのは、
まさにこの時だった。
どうにもできない、全くできないことを認めて、ギブアップし、
神様に明け渡すこと。
その時に、奇跡が起きて、180度変えられて行った。
自分で全く何もしていない。一方的なみわざだった。

2016年02月03日(水)
  「試練によって」

試練のことを語り合っていた。

★「クリスチャンになっても、以前は試練は絶対に嫌
だったのに、歳月かけて変えられて来ました。

振り返った時、神様に一番近かったのは、厳しい
試練の時だった。もうすがって、すがって、拠りすが
った。
ずっと祈っていた。神様とあんなに近かった事はない。

以前は、とにかく状況が、変わることだけを願っていた。
試練が早く去ること、元に戻ること、とにかく目の前から
苦しみが無くなること。それだけだった。

でも、今は、そうじゃなくて、状況が変わることは嬉しい
が、それよりもっと、自分が変えられたことが嬉しいと
思えます。

神様は必ず良くして下さると信じられている自分。
以前は、思い煩いと不満のかたまりだった。


“すべてのことについて感謝しなさい”
以前は絶対に感謝などできなかった。試練には、拒否反応
だった。でも、今、感謝しようとしている自分がいて、
変えられていることが嬉しい。」


★「クリスチャンになって、喜びが変わった。
以前はとにかくラッキーなこと、ハピーなこと、自分に
とって都合が良いことが喜びだった。

でも、今は、赦せない相手が赦せるようにされたこと、
愛せない人が愛せるようになったこと、それが何より
の喜びで、長い歳月をかけて取り扱って下さった
ことが感謝でならない。」


★“神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富を
もって、あなたがたの必要をすべて満たしてください
ます”ピリピ4:19

“すべて”満たして下さるとある。
以前は経済的困窮がある時は、もう不安で不安
で、恐れになって、ほとんど恐怖となっていた。
不安でたまらない。

でも、一つ一つの目の前の経済的試練の度に、
祈って、祈って必ず必要が与えられて来た。
ほんとに振り返る時、“すべて”満たされた。

その繰り返された経済的試練を通して、今は
試練が来た時に、大丈夫だと思える。
祈って神様に求めて行けば、必ず与えて下さる
と思える。

今、こう思えるのも、何度も試練を通り、与えられた
からだと思う。試練を通ったゆえの恵みに感謝です」