2016年05月12日(木)
  「神のようになり」

サタンの学びをしていて。

サタンは、エデンの園のエバにやって来た。
「神は」言われたのですか?
と「神」を出してきて、認めている。

無神論者が来たなら、警戒するが、
警戒心をゆるめてしまう。

でも「ほんとうに?」と、巧く疑いを入れて来る。
サタンと会話を始めてしまう。

エバは「死ぬといけないから」と、神の言葉
でなく、自分の思いを言った。

エバは直接、神から聞いておらず、アダムから
伝え聞いていたので、うろ覚えだ。
アダムに聞けば良かった。

つかさず、サタンは「決して死にません」と
正反対の事を言った。
神は「必ず死ぬ」と言われた。

たたみ込んで。「あなたは神のようになる」と。
エバの心のまさに願望であった。
神のようになりたいとの。

善悪を自分で決めて、自分の好きなように生きたい。
誰の支配も受けず、自分で決めたい。自分が神だ。

核心に来た。
その言葉を受け入れて、その木を見ると、
もうダメだ。
食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするという
その木は好ましかった。

余りにも魅惑的で、あらがう事などできず、
もう取って食べるだけだ。


Aさん
「あ!、今日、気づいた!自分は欲しいもの
がある時に、サタンの声を聞いている。
暗に受け入れている。

サタンの後押しで、木の実を食べている。
肉は、そうなんですよね。肉はそうやって
欲望を遂げる。欲しいものを手に入れる。

例えば、カチンと来た時に、肉は言い返したい。
やり返せ、というサタンの言葉を後押しにして、
怒りを爆発させる。
サタンの言葉を、承認印にしている。

これがサタンの策略ですよね。」

2016年05月10日(火)
  「この事があったから」

Aさん「対人関係で、ものすごく難しい相手が
います。
相手は自分が気に入らないんだと、わかります。

でも、こちらサイドとしては、何とか努力して、良い
関係を築こうとして来たのですが、相手のある
ことであり、ほんとに祈らされて来ました。

悲しかったり、恨んだり、辛かったりして来ました。
そんな中、一時的にですが、環境が変わり、状況的
に、少し親しく交わる機会が与えられたんです。

いつもと違う環境で、何とかくいい具合に交われて。
良い感じだったんです。
初めてと言っていいぐらい、良い感触があったんです。

関係が改善されたというか、良くなったと感じさせられて。
そして、しばらくして、また、環境的に元に戻りました。

でも、きっと関係は変化したと思い込んでました。
ところが、環境が元に戻ると、関係も元に戻って。

やはり、自分のことが気に入らないんだなと。
ほんとにもうショックで、ガックリして、へこみました。

でも、心静めて、祈ったり、神様と交わったりしていた
時に、自分の姿が照らされました。

鏡に照らされるように、自分も自我は、ものすごく固く、
同じものなんだと。
これほどの事が必要なほど、自分が固いのだと。
砕かれない者なのだと。

この対人関係が与えられていたから、自分は神様を
求め、救われたのだと。
もし、これが無かったら、神様求めていないし、救い
も無かったと。
そして、砕かれることも無かったです。

神様視点に立つ時、全然変わります。救いに導か
れたことに感謝で、感謝でならないです。」


皆が「そうやって受け取れるAさん、すごいよ」

Bさん「そのように、受け取れるAさん、へりくだれる
Aさんが羨ましいです」

2016年05月07日(土)
  「祈ると・・」

Aさん
「休みの朝に、主人と、ちょっともめて、相手は
そんなに、どうこうないようなんですが、こちらは
もう腹が立って、腹が立って。

心の中で、怒り心頭・・。
全く、口をきかず、黙々と掃除や洗濯、
家事をしてたんです。

もう、腹の中、煮えくり返りながら(^^;)
主人は、ソファでずっと本を読んでいて。

お昼になって、その日、夫婦二人だったので、主人
が外で食べようと言ったんです。
行きたくもなかったが、まあ一緒に出かけて。
ずっと私は黙ったままで。

で、お店に、ランチをしに入って、私は腹が立った
ままで、主人は雑誌をパラパラ見ていて、
二人で、食事をする間も、一言も喋らないまま。
でも、主人は全く気づかないんです。

帰って、主人はテレビを見ていて、私は片づけ
やら、ゴソゴソしていて。

そんな頃、心の中で、神様〜と祈り始めて。
神様に、何やかや、ああでもない、こうでもないと
心の思いを、あるがまま、祈っていたんです。

夕方になった頃、一言も喋っていない事に、全く
気づいていない、主人に、もう何だか可笑しくなって
きて。笑えて来て。
赦してあげようと、思えたんです。
悪気は無かったんだろうしと。

これも祈った事によって、心が自然に変えられて行っ
たんだなあと、神様にほんと感謝でした(*^_^*)」


Bさん
「もう、1日、ずうっと祈ってます(^^)
神様、助けて。あれができん、これができん。
神様、何とかして下さい。この事、お願いします。

神様、腹が立ってます。イライラしてます。
助けて。
身体がしんどくて、どうにもならないです。
神様!
神様、有難う。お陰で、この事、あの事ができました。」

「以前、そんな事、無かったですよね」

「ええ、もう以前と全然違います。変えられました。
全部、自分の力でしてましたから。自分がしなくて
誰がする。
神様に頼るなど、意味がわからなかったです(^^;)
でも、しんどくてたまらなかったです。

それがまあ、楽にされて。平安にされて。
以前と全く違います!こんなに平安に生きて行け
るんですねえ。もう、感謝で、感謝で」

2016年05月05日(木)
  「最近・・」

先日、強風が吹いた。

Aさんが「あのすごい強風で、アンテナの加減か、
テレビが映らなくなったんです。

それまで、夜、寝る前に何となくテレビを見て
いたのですが、ま、テレビは、いいやと、
毎夜、寝る前に、聖書を読むようになったんです!

何だかすごく感謝なんです!(*^_^*)
今日の聖書箇所も丁度昨夜読んだ箇所で、
すごく恵まれました!」

Bさん「強風吹きました!台風かと思ったほどの。
あの強風は、神様がAさんのために、吹かせられ
たんですね!」(^^)


Cさん
「最近、自分は、よく放蕩息子の箇所の兄息子を
思うんです。
なぜ、自分の生活に喜びが無いのか。
主は、いつも私と共にいると、約束して下さって
いるのに、どんな時も、一緒にいて下さるのに
喜びが無い。

兄息子は、父から“おまえはいつも私といっしょに
いる。私のものは、全部おまえのものだ”と言われて
いるのに、

喜びも平安も無かった。不平不満と怒りでいっぱい
だった。
喜んだ生活ができなかった。父の愛を受け取らずに、
父を裁いていた。

自分も、なぜ喜びが無いのか。自分がへりくだって
いない。主が高められ、主にだけ栄光があるように
と、思えていない。
そんな事に気づかせられる。

日常生活で、自分の感情が前に出ると、マイナス
の出来事や、都合の悪い事が起きると、感謝だと
思えない。
肉が勝ってしまっている。

そうではなくて、良い時も、悪い時も、主が共に
おられることを信じて、それを喜んで、感謝して
歩む者とされたい。」


Dさん
「仕事中に、足にけがをしてしまって、しばらくの
入院後、退院して、リハビリ中です。

全く歩けなかったのが、両手の松葉杖で歩けるよう
になり、片手になり、今、どうにかこうにか、杖
なしで歩けるようになった。

負荷がかかると、治癒が遅れるので、注意しつつ
でも、最初から見ると、回復に感謝でならない。

歩むごとに、神様に頼りながら、祈りながらで。
自分は、どうしても、自分の力で、動き回るので、
何もかもしてしまうので、神様がこうされたと
思います。

全く、ほんとに何も出来なくなって、動けなくされて
神様に全面的に委ね、頼るようにされています。
感謝です。」

2016年05月01日(日)
  「あとでわかるようになる」

神様を信じて、数十年になりますが、
時を経て、わかることが大きいですね。

苦しい試練の、その渦中では、もう必死で、いっぱい
いっぱいで、神様に拠りすがり、すがりつくばかりで、
真っ暗な中のように感じていて。

でも、後で思えば、試練のまっただ中が、一番神様に
近いんですよね。

それで、数十年を振り返る時、神様の布石がいっぱい
あったんだと。パズルのように、各ピースがつながるんです!!

あの苦しみがあったからこそ、次につながって、それがまた次に
つながって、今があると。

あの悲しみ、試練があったから、今がある・・
あの試練の中、あれが支えで、あの事が助けで、あれ
があったから、自分は乗り越えられた・・
数々の出来事やら、人やら置かれていたことに、今、
気づきます。

あの人、この人がいたから、助けられた、支えられた、
あの時、この時、それらの人がいなかったから、自分は
どうなっていただろう。
今の自分は無いと。

それらすべてをされたのが主であり、自分の人生への
ご計画なんだと。

その時はわからなかったですが、ほんと「あとで」わかる
んですねえ。

パズルがつながります!!驚くばかりです。


“わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、
あとでわかるようになります。”

過去を振り返る時、すべてがご計画の中だったと
心から信じれる。

だとすれば、同じように、これから起こる一つ一つも
必ず主の支えがあり、助けがあり、「後で」素晴らしい
主の栄光だとわかることになる。

主を信じて歩みたい。