2016年11月22日(火)
  「日々の生活で」

「朝に祈って、神様を意識して生活していると、
ほんとに喜びと幸せを感じます。

憎むところまでは行かないんですが、好きでは
無い、苦手な人がいたんです。

ところが、祈っていると、不思議に出会い頭に
バッタリで、考える間もなく、挨拶の言葉がとっさに
口から出て。
すると、相手も挨拶を返して来て。
何だか心が平安になって。

次も自然に挨拶ができて、その次も。
すると、あんなに苦手な人だったのに、全然嫌で
なくなってしまって。
ほんと祈りに答えて、神様がして下さった、神様
のみわざです。」

「加齢で、体力が、段々衰えて、今は、祈って、
神様に頼って、生活することのできる恵みに、
感謝でいっぱいです。

以前は全然頼っていなかった事が、よくわかり
ます。
今は、頼らないと、生活が回って行かない。
祈って祈って、一つ一つの事をして行けるので、
これも感謝ですよね。
年老いて行くことも、神様を頼れて、ほんとに
恵みなんですね」。


「♪新しき地に踏みいだす。心に備えありや見よ♪

年老いるというのも、未だかつて経験した事のない
新しい、未知の地。
主と共に、新しい未知の地に、踏み出して行ける
幸いに感謝です」。


「最近、聖書を読めない時があり、聖書を読めない事
を経験して、書物を読むのは苦でなく、聖書もずっと
読めていて、初めてなんです。
信仰がダウンしてるのだろうかと、思ったりしたのですが、

でも、ああ、今まで自分で読んでいたんだなあとわかり
ました。主の恵みが無ければ、聖書も自分の力では
読めないのだと、それがわかったことが、大きな感謝
でした」。




2016年11月14日(月)
  「思い通りにならない」

「人生は思い通りにならない」

皆で同感し!うなずき合った(^^;)

A「祈りには答えられるんですよね。
でも、自分の思い通りにではない。
ほんと、自分の思い通りにならないですね(笑)
砕かれて、感謝なんですよね」

B「神様に出会えて、ほんとに良かった。救われた。
今まで経験した事のない、喜びと平安が与えられ、
こんなに嬉しい事はない。
でも、クリスチャン人生、自分の思い通りではない
んよね(^^)

C「そうそう!祈って祈って祈って、祈るんだけど、その
答えが全然自分の思い通りではない(笑)

ほんと思い通りにならない。でも、後でわかるんよね。
自分の思い通りになっていたら、恐ろしい事になってる。

試練はすべて回避するし、必ず楽な道を選ぶし、損得で
考えるし、ほんとにとんでも無い事になってる。

思い通りでないから、砕かれて、練られて、少しでも
キリストのかたちへと造り変えられるんだなと。

後で振り返ると、高慢から守られた、ほんとに痛い事から
学べて、今、益となっている、必ず益とされている。」


思い通りとは、肉の思い通りだし、自我の思い通り
だし、ほんと命の道に見える、死の道だとわかる。

自分に都合の良い、目の前の美味し草しか見えない。
羊がすぐ迷子になるように、迷って行ってしまう。

“人の目にはまっすぐに見える道がある。
その道の終わりは死の道である”箴言14:12

主が自我を砕こうとされる時、目の前に思い通りに
ならない事を置かれる。

思い通りにならない事は、とても良い事だ。
方向変換して主の道を歩んで行ける。
それはとても平安な道だ。

2016年11月09日(水)
  「岩の上に建てた家」

賢い人と愚かな人、岩の上に建てた家と
砂の上に建てた家、について学んでいた。

聞いた御言葉、示された御言葉を実際に
行なうことが岩の上に家を建てることで、
どんな試練が来ても絶対に倒れない。

御言葉を聞くが、行なわないなら、聞きっ
放しなら、それは砂の上に建てた家で、
試練の際に、立ち行かずに、倒れてしまう。
そしてそれは、ひどい破壊になると。

順風の時は、二つの家は見た目は同じで
何も変わらない。
逆風の時に、違いが明らかになってしまう。

そして、岩の上とは、主イエス・キリストの
上に建てること、御言葉の上に建てること、

砂の上とは、自分の思い、この世の価値観、
常識、自分の経験値で歩むことだ。
これは、根深いものがあり、時になかなか気
づかない。

Aさんが、ご主人が亡くなった後、周囲の助け
もあり、仕事が与えられた。その仕事も助けられ、
感謝な事に、順調に導かれていた。

ところが、その職場が閉鎖になり、失職した。
これから先どうすれば良いのか。真っ暗になって
しまった。
心は沈み、落ち込んでしまう。
再就職のめどは全く立たない。

年齢の事で、まずこの年齢で仕事は無いと思って
しまう。
「絶対無理」との、この世の価値観、常識の下に
沈んでしまう。
それを自分で決めつけてしまう。

しかし、主は御言葉を与え、語り続けて下さった。
「深みに漕ぎ出して、網を下ろして魚をとりなさい」
一歩踏み出して、前に進めと。

だのに、常識が足を引っ張る。どうせ無理と。
身動きとれないでいた。

だが、御言葉は「でも、おことばどおり、網を
おろしてみましょう」と迫る。
とうとう、神様に導かれた一つの先に応募する
ことができた。
すると、絶対に無理と思っていた、大きな会社に
採用が決まった。
神様が与えて下さった先だった。
給料に驚いた。

「そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網は
破れそうになった」の通りだった。

この世の常識、自分の思いでなく、神の言葉に従う
ことの祝福を見せられた。



2016年11月04日(金)
  「赦すこと」

人を赦すことほど、難しい事は無いと
語り合っていた。

Aさんは、難しい対人関係で、辛く当たられ続けた。
しかし、とてもじゃないが、反撃などできる
状況でなく、耐えるしかない環境だった。

ただ我慢するのは、内側に鬱積するばかりで、
それは憎しみとなって行った。
決して表に出すことはないが、強い憎しみだった。

だが、それを抱いている自分は、辛くて苦しくて、
胸の内に、常に大きな重い苦しい荷を抱えていた。
いつも苦しかった。

主を信じ、救われた時に、その苦しみを祈り始めた。
苦しいのに、憎しみを握って放さない自分を知った。
自我の強さを思い知らされた。
だが、憎しみを抱えていることは、苦しい日々だ。

祈り続けていたある時、「さあ、向こう岸に渡ろう」
との御声を聞いた。

憎しみの向こう岸に渡ろうと。
それから、環境が動いた。今まで、微動だにしなかった
外側が動いて、状況に変化が起きた。
主がそのように動かされ、助けられたと感じた。
それがあって、赦すことができた。

心の鉛が溶けて、心に安堵と平安が広がった。
人を憎むことの辛さと、赦されたことの大海原のような平安
を経験した。


Bさんは、相手の妬みから、いじめに会った。
しかし、その先は、契約した仕事なので、途中で辞める
わけに行かず、契約終了までは、続けなければならない。

涙、涙の日々だった。
どうしてこんな目に会うのか、辛くて、苦しくて、悲しくて。
家に帰っては、涙が止まらなかった。

赦せない思いが湧き上がる。相手への憎しみとなる。
その赦せない思いが、自分を苦しめる。
平安が無く、苦しく、辛い。

赦せない思いで一杯の時、それなら、一生相手に
縛られ、コントロールされる事になると、示された。
絶対にそんな事、嫌だ。
絶対にそっちへは行きたくない。

祈りの中で、相手を赦すことを選んだ。
その時に、解放された。心は自由になり、喜びが溢れた。
自分を取り戻した。

赦すことを意志で選択する時に、御霊の力が来て、
御霊が助けて下さることを経験した。

2016年11月1日(火)
  「光がある」

たまたま厳しい試練を通った方々と、お会いする
機会があった。

Aさんは、事故に会われ、そのため失明された。
突然の失明に、もう真っ暗になり、絶望し、生きて
行けないと思いましたと。

そんな中で、教会に導かれ、救いを得ましたと。
教会に集う中で、世の中に、こんなにいい人たちが
いるのだろうかと思うほど、いい人たちでした。

暗闇の中に、光が射し、神様に出会えました。
生きることに希望が与えられ、今は、夫の救いの
ために祈っていますと。

Bさんは、子供さんを亡くされた。
自分が、どうにかできなかったのかと、自分を責めたり、
悲しくて、苦しくて、辛くて、もう何が何だかわからない
ほどの真っ暗な中を通った。
皆にも祈られ、主によって支えられ、御手に守られ、
そんな中で、御言葉によって救われましたと。

“いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について感謝しなさい。これが、キリスト・イエス
にあって神があなたがたに望んでおられることです”
Tテサロニケ5:16

この御言葉が光となって、心が不思議な力でおさめられて
行きましたと。

Cさんも、以前話して下さった。子供さんを事故で亡くし、
もう失意と、悲しみのどん底にいた。
悲しくて、悲しくて、涙は止まらず、周囲の皆が祈ってくれ
自分も悲しみの中で、祈り続けていた。

しばらく時が経た時に、“一粒の麦がもし地に落ちて
死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし
死ねば、豊かな実を結びます”ヨハネ12:24
の御言葉が与えられた。

子供の死は決して無駄にならず、神様はこの死を通して、
豊かな実を結ばせて下さるのだと思った時、光が心に
来て、前に向けた。

補償金が入った時に、これはまだ神様を知らない子供たち
の救いのために使いたいと、子供たちのための集会所を
建てた。
そして、牧師先生やスタッフ方に来てもらい、子供集会
が始められた。そこで沢山の子供たちが救われ、御言葉
を聞き、子供だけでなく大人の集会も開かれ、大人の
人々も救われて、もうほんとに感謝でいっぱいなんです、と。


どんなに苦しい、辛い、試みの中にも、必ず主の救い
があり、光があること、耐えられない試練は無いことを
見せられる。

“光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち
勝たなかった”ヨハネ1:5

“幸いなことよ、喜びの叫びを知る民は。主よ。
彼らは、あなたの御顔の光の中を歩みます”
詩篇89:15