2017年01月21日(土) 「何も思い煩うな」
思い煩いについて、皆で、話していた。 ★「思い煩いって、サタンからの攻撃が来てますよね。 自分はすごく思い煩いが強いんですが、思い煩い でいっぱいになる時、 こう、どういうか、頭が、真っ暗なものにぐるぐるに、おおわれて もう真っ暗闇の中にいる感じになるんです。 真っ暗なものがおおいかぶさって、抑え込まれる感じ。 黒い幕がかかってる感じ。もう何も見えなくなってしまう。 サタンですよね。すごくサタンを感じます。 その思い煩いがすべてになっていて、全く何も見えない。 どお〜と、深い淵に落ちて行くような感じで、 もうどうにもならず、そこで、もう神様の助けを求めて、 必死に祈って行くと、 真っ暗なものから解放されて、ああ、あの事は、ああして この事はこうすれば良いんだと、御霊の導きが来て、 心が落ち着いて。平安になるんです(^^) 思い煩いって、サタン的なものを感じ、背後に来てます よね。心が塞がれて、真っ暗闇の中にいるようになってしまう。 先日も、自分にとっては重大な悩みがあったんです。 ずうっと思い煩ってて、大きな不安や心配で、もうどうしようかと。 心は重いし、暗いし、でも、もうどうしてよいかわからず。 どうにも道がなく、どうにもならなくなり、必死で、神様に 『助けて下さい!!』と、心から叫んだんです。 すると、あ、こうすればいいと知恵と導きが与えられて、 道が示されて、方法が示されたんです。 解決できて本当に感謝でした。 問題が来て、思い煩いとの戦いも来るけれど、神様を 知るチャンスにもされるんですね」 ★「私はもうすごい思い煩い症、心配症なんです。人一倍 思い煩うたちなんです(^_^;) でも、神様を知って、御言葉を学び、何でも祈れることを知り、 神様との交わりを通して、勿論まだ思い煩うんですが、 随分、思い煩いから解放されました。 御言葉を聞く。神様に祈る。神様と交わって行く。それが 大きな力ですね。以前とは全然違います。 思い煩いが来る度に、神様に持って行くことをいつも学んで、 しょっ中失敗もしますが、それを実践して行った時、ほんとに 助けられました。 神様にずっと告げて行き、まず心が守られました。 だから、落ち着いて問題に対処して行けますよね」 「何も思い煩わないで・・願いことを神に知っていただきなさい そうすれば・・神の平安が・・心と思いを守ってくれます」ピリピ4:6 <何も>いっさい思い煩う必要がないとは、すごい! 心と「思い」も守られる!!
2017年01月20日(金) 「神様から目を離すと」
Aさん 「仕事をしている中で、その対人関係で、相手に対して、 もどかしさや、いら立ちを感じてしまう。 丁度、今日のマルタとマリヤの学びがピッタリで、神様 から示されました。 マルタは、主をもてなそうとして、動き回っている内に 段々時刻も迫り、できていない事にイライラして来た。 何で、マリヤは手伝ってくれないのかと、ふとマリヤを見ると 何もしていない。主のそばに座っているではないか。 自分ばっかり忙しい目をして、何で私だけと、カチン!と 来て。 マリヤが自分を手伝うよう言ってくれと主を責め、 主に指図をする。 マリヤ本人に言うのでなく、それを許している主に 責めが向かう。恐ろしいことになる。 その箇所で、マルタはマリヤを見た。自分と比較した。 何もしていないことに、腹が立つ。 自分がイライラしているのは、神様から目を離し、 相手だけを見ているからだと。 ペテロは「来なさい」との御言葉を受け、御言葉を 信じ、主だけを見ている時、海の上を歩けた。 奇跡が起きた。 しかし主から目を離して、風を見た途端、ぶくぶくと 沈んだ。 主から目を離すと、イラ立ち、焦り、思い煩いが むくむくと湧いて出て来る。 主から目を離すと、自分が主人になり、自分の力 で歩み出し、マルタのごとく自分のしている事が 正しい、自分が正しいとなってしまうj。 だから相手を裁くし、責める。 問題は、主から目を離し、目の前のものだけを 見ていて、自分の力で歩み、自分は正しいと 思っていることだと。 自分の状態とピッタリで、自分の姿が見えました! 今の状況が、神様からのものだと受け止め、 神様と一緒に、その相手に対応して行きます!」 Bさん 「ものすごく辛い苦しい事態が起こり、もう苦しくて、 涙は止まらず、なぜ、どうして、で、もう心は押しつぶ されそうで、真っ暗な状態でした。 悶々状態だったんですが、はっとして、そんな中から 神様を見上げることが出来ました。 すると、これも神様の御手の内で起きていて、神様の ご計画の中のこと、神様はこの事を必ず良くして下さる、 祈って行こうと思えたんです。 すると、心がすう〜と落ち着いて来て、苦しみがおさまり、 状況や自分でなく、神様を信じて行こうと思えて。 心が平安にされました。 目の前の状況と自分だけを見ている時は、真っ暗闇で、 『はっ!』と、『あ!神様!』と思った途端、すでに 光なんですねえ」
2017年01月17日(火) 「満足している」
「お金はあればいいなあとは、思いますが、 でも、もし何億、何10億もの大金があれば、 私は、働かなくてよいし、働く必要無いし、 ずっと家にいて、食べたい物を食べ、行きたい 所に行き、遊んで暮らす・・ でも、それってものすごく虚しいと思うんです。 生き生きした実感も、喜びも無い。 時にはしんどいが、今こうして適度な仕事が 与えられていて、働けること、充実感や達成感 が与えられていること、 ぜいたくはできないが、必要が十分与えられている。 老化はして行くが、幸せを感じ、満足できていること、 これってものすごく感謝だと思うんです。 私は満足している、これって絶対に神様にしか無い ですよね。感謝でならないです」。 人は、富を持てば持つほど、足らなくなる。持つほど に、もっともっと欲しくなる。貪欲の罪が潜んでいるからだ。 “しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を 受ける道です”Tテモテ6:6 神様が下さるのは、満ち足りる心を伴う敬虔。 「満足」、満ち足りる心を与えて下さる。 満足って、最高の神様からのプレゼントだ。 肉は絶対に満足が無い。不平不満、愚痴、不満足、 常に不足のみだ。あれが無い、これが無い、 これも足らない、あれも足らない・・ 無いものばかりを数えて、ネガティブになる。 あれがあれば、これさえあれば・・私は幸せなのにと。 「私は今、満足している」・・これって奇跡のように すごい事だ。 現状を受け入れている事であり、感謝し、喜んでいる 事だ。
2017年01月14日(土) 「血肉に対するものではなく」
“私たちの格闘は血肉に対するものではなく、 主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、 また、天にいるもろもろの悪霊に対するもの です”エペソ6:12 私たちの格闘は、人間に対するものではない。 人間とは、いっさい戦っていない。 私たちの戦いは悪霊に対するものだと。 Aさん。 「対人関係の中で、どうしてもネガティブになって しまう相手がいて。 こちらの要望をちゃんと告げて、その時は良い返答 をもらい、良い形になって行くと安堵していると、 全くもってそうならない。 反対の方向になってしまう。 あれだけ言ったのに、どうしてと不満でいっぱいになる。 イラ立ちが募ったり、心が穏やかでなくなる。 つまり平安が無い。 ネガティブな感情で悶々となる。 相手しか見えないので、心の中で責めたり、 裁いたりしてしまう。 そして、また自己嫌悪にも陥り、悶々とする。 そんな事を繰り返しながら、祈っていて、あ!サタン! と気づきが与えられました。 サタンが、あらゆるネガティブな思いを吹き込んでいて、 肉が、それに同意していて、平安を奪われてしまう。 重苦しい気持ちになる。 敵はサタンで、戦う相手は、人間でなく、サタン なのだと。 目に見える人を見せて、憎しみや不満や怒りを たきつけて来る。 敵が見えました。サタンの術中に、はまらないように、 人は愛して行けるように。 祈って行きます!!」 Bさん。 「自分としては、すごく傷つくことがあったんです。 傷つけられた相手を、憎んでしまって。 それは、自分がすごく苦しい。 サタンをすごく感じました。憎しみはどんどん 増幅して行ってしまう。心がそれでいっぱいになる。 でも、人を憎むって、自分が辛い。 苦しくて、苦しくて、神様に祈ったんです。 神様に導かれて、自分の憎しみ、敵対心、裁く 思いは、自分の罪なので、悔い改めました。 自分と神様の関係だけがすべてで、相手は関係無い。 悔い改めた時、自分と神様の間の罪のへだて が取り除かれ、平安になったんです。 何にも代えられないです。 ほんと人との戦いではないです。 私が憎しみでいっぱいの時も、平安になった時も 相手は何も変わらないんですものね。 罪をたきつけて来るサタンですねえ」
2017年01月06日(金) 「根深い価値観」
「どうしても律法の価値観、古い価値観が根深い ですね〜」 「つまり、良い子は良くて、悪い子は悪い。 良い子が受け入れられて、悪い子は受け入れられない。 だから、良い子になれ。そうすれば受け入れよう。 になってしまう。 その裁きは、自分にも向けるから、自分はダメだと いつも落ち込んでしまう。 デボーションが出来た日は、ルンルンで晴れ晴れと 歩めて、出来なかった日は、何か悪い事が起こる(笑) 何か起きると、バチが当たったんだと(^^;) だから、つまりは良い事をして、受け入れてもらおうと。 これならずっとしんどいですよね。辛い人生。 良い事なんて、そうそう出来ないし、出来たら、出来た で、高ぶって、自分を誇るし(^^;) 救われていても、そう歩んでしまう。 放蕩息子の無条件の愛がわからない。 頭でしか、知識でしか、わからない。 放蕩息子の兄ですね」 「兄の方はしっくり来る(笑)わかる。 頑張るのが善。叱咤激励の中で育って来たし、 世の中、今も、これからも、ずっとそう。 ここにサタンの落とし穴があって、自分で頑張る。 自力でやるので、頑張れると自分を誇り、優越感 に浸るし、 逆に、頑張れなくなると、自分に価値が無くなってしまう」 小さい頃から、叱咤激励の中で、頑張って、頑張って、 辛い苦しい中を生きて来た人が、頑張らなくていい、 神様に頼ればいいんだと福音を知り、「恵み」を知 って、心底安堵した。 嬉しくて嬉しくて、恵みに浸った。 ありのまま受け入れられている喜び、平安、嬉しさを 証しすると、一部から非常に激しいパッシングを受けた。 神に頼るなど、逃げだと。 彼らの心理は、自分は頑張っている、こんなにも 苦しい、辛い目をして、でも歯を食いしばって 頑張っている。苦しくてたまらない。 それが、神に頼って、自分で頑張らずに、心安らかで、 喜びに満たされているなどと、我慢がならない。 非常な反発で、憎しみとまでなって行く。 それが攻撃となる。 「あ、クリスチャンだって同じですよね。 自分もそうです。肉で頑張ると、そのように出来てない 人を必ず裁くんです。頑張らないからだと。 そこに、愛なんて全く無いです。恵みもない。恵みの下 から、律法の下に出て行ってるんですよね。 これが出来たのは、自分の力でなく、神様の恵み だとわかると、人を裁かないし、自分も高ぶれない ですよね」 “しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは 律法の下にはいません”ガラテヤ5:18 御霊によって歩んで行けますように。
2017年01月02日(月) 「主を愛するがゆえに」
主が与えて下さった2017年を感謝します。 「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが 起ころうとしている」イザヤ43:19 今年も、去年まで知らなかった主を新たに知る ことができることを喜びます。 主の愛、真実、あわれみ、慈しみ、更に知って 行きたいです。 主に大きく期待しつつ!! Aさん「自分の今までの信仰生活を振り返って、 神様との関係が、労使関係なんです」 「雇用関係なんだ。ギブアンドテイク。労力を 提供するから、給料の代価をもらう」 「そうそう!それ!それ!! 常に神様からの見返りを期待して、献げてる。 時間も労力も、お金も」 「つまり、見返りが無かったら、何でよ!となる」(笑) 「そう。これだけしたんだから、もらって当然みたいな」 「祈ってるのに、何で与えてくれない!」 「そう!そう!で、自分が神様の愛を知らないことが わかったんです。 頭でしかわかっていない。愛がわからないから、労使 関係、ギブアンドテイクの関係以上でない。 もらうために、献げている。自分が中心なんですよね。 神様を愛して、愛ゆえに、献げたことなどない。 これだとこの世の宗教と変わりないですよね」 「気づけたことが感謝!!御霊の導き(*^_^*) 祈りに持って行けると、その祈りは聞かれる」 「今年、神様の愛を御霊によって知って行きたい。 与えて下さること楽しみです!!」 Bさん「私、チラシ配布の奉仕を示されて、自分 の時間の取れる時に、少しづつ配布してたんです。 祈って配布してたら、これだけの枚数配りたいと ビジョンが与えられて。 枚数を目指して、懸命に配ってたんですが。 ふっと、配る中で、今、自分は枚数を達成するために 懸命になっていて、これは違うと示されて。 神様のお心から、大きくかけ離れ、逸脱していると。 神様に愛されていて、神様を愛するがゆえに、 一つ一つのことを行なってゆくことを教えられる。