2017年03月19日(日)
  「本心」

★「過去に辛かった出来事やら、苦しかった病気やら、
物凄く悩んだ対人関係やら、様々あったんですが。

年月経て、一応心で整理できて、これがあったから、
神様の事を知れたし、同じ悩みにある人をわかって
上げられるし、良かったんだ、感謝だったんだと思えて。

もうすべて解決できたと思ってた。だから人に言う時も、
すべて益で、これらの事があって感謝でしたと、話して
たんです。

でも、この間、死にそうなほどの、しんどい事に会った時、
もう、むくむくと本心が出て来て爆発し、何でこんな境遇で、
何でこんな苦しい歩みをさせて、辛い事ばかり!と、
感謝なんか無く、神様に怒りをぶつけ、不満と文句、
恨みつらみをぶつけまくった。

しばらく後に、落ち着いた時に、本音だと思っていたのは
実はきれい事で、本音だと思っていたその下に、真の
本音があったと気づかされて(>_<)
その事が祝福でした。」


“人の内側のものと心とは、深いものです”詩篇64:6

ほんとに人の内側は深い。本音の下に、本音がある。
御霊が気づかせて下さることが感謝だ。

★「私は、学びの中で、神様に対して、心の内を打ち明け
誰にも言えない本心を、吐き出し、聞いて頂くことをいつも
学ぶんですが、

私は、自分の本心、本音がわからない、という事がわかり
ました。内側を探って頂こうとするが、自分の本当の気持ちが
わからない。
本当の自分は何がしたくて、どう思っているのかがわからない。
自分では認識がないんですが、その場がうまく行くように、ずっと
人に合わせて生きて来たのかも知れないです。
それにも気ついていないんですよね。
必ず自分の気持ちはあるんでしょうが、それが自分でわからない。

この事がわかって感謝でした。わかったので、祈りに持って
行けますよね。この事を祈って行きます」

★「私も、自分で自分の気持ちがわからないです。
自分は、ずっと人を気にして、人にどう思われるか、嫌われ
たくない、好かれたい、受け入れてもらいたい、そればかりで
生きて来た。
境遇的に、そうしか生きられなかった。
救われてからも、神様の前でなく、人の前に生きようとする
根深いものがある。
日々戦いですが、それに気づけたことが感謝です。
今は、その事が祈れていて、更に気づかせられていて感謝です」

信仰人生、「御霊の気づき」が何より感謝だ。

2017年03月11日(土)
  「妨げているもの}

聖書の金持ちの役人の箇所のことを
話しながら、交わっていた。

あの役人は、お金が手放せなくて、握り締めて
イエス様のもとから去ってしまった。

彼は、隣人を愛しています、その御言葉を守って
いますと言ったので、主はそうではない事を、本当
の自分の姿を知らせ、救いに導こうとされた。

それで、彼にとってはお金が命だったので、そこに
切り込まれた。
そして、隣人を愛していないこと、愛しているなら
言われる前に、貧しい人々に施していたはずであり、
御言葉を守れていないことを、気づかせようとされた。

彼はお金を放せない事がわかり、しかし主より、お金
の方が大切だったので、命だったので、悲しんで、主
から去った。
主も、慈しんで彼を見ておられた。

太陽の前に10円玉を置くと、太陽が見えなくなる。
握り締めているものがあると、神様がなかなかよく
わからない。

握り締めているものを、自分の命となっているものを
捨てる事は、人間には出来ない。不可能だ。

しかし、神には出来る。自分には出来ないと認めて
主に助けを求める時に、そうできるよう助けて下さる。
主は、彼に、主に助けを求めて欲しかった。

“それは人にはできないことです。しかし、神はどん
なことでもできます”マタイ19:26


すると、
「ここの箇所を自分で読んで、やっぱりお金を
献げないと、ダメなんだとずっと思ってました!
そういう事だったんですね!
自分で読んでいたらわからんですねえ」

「私も、ここ読んで、お金を捨てないと、ついていけないん
だと思って、いやあ、無理だと思ってた!全然違うんですね」


一人一人、命となるもの、大切なもの、握っている
ものが違っていて、彼はお金だったので、そのように
導かれた。
自分は、何なんだろう?


Aさんが、「自分は長年、信仰生活をしているが、何か
神様と自分の間に、ヴェールがかかっていて、神様が
よくわからない。
自我が、手放せないものがあることを、そのものを示された。

もうあと何年生きるかもわからない。このままでいたくない。
絶対に、イエス様のもとを去るのは嫌だ。
神様と、もっともっと近く歩みたい。
同じクリスチャン人生なら、神様に献げて生きて行きたい。
祈って行きます」と。



2017年03月08日(水)
  「日々に主を感じつつ」

日々の歩みに、日常生活に、主が働いて
下さっていることが嬉しいと語り合う。

★「出勤前に、聖書を読んでいたんです。
それが、心注いでいて、時間を忘れて、読んでいて、
はっと気づくと、え!こんな時間!!と。

びっくりで、即、家を出たんです。
もう自分のミスだし、仕方無いと思い、祈りつつ
職場へ。
でも、御言葉恵まれ感謝で、今日は遅刻になって
も、もうしょうがないやと、覚悟しながら、祈りながら。

すると、何と、自転車ですが、職場まで全部青信号!
2,3分前に着いてしまって、びっくり!!
間に合ったんです。神様を感じて、嬉しかったです(^^)」

★同じような事が以前、別の方にも。

「郊外に住んでいるので、隣県の街の中心部の大きな
美容室にいつも行ってるんです。
その日、予約を入れていて。でも、何やかや用が入り、
出るのが遅くなってしまって。
ああ、これは絶対間に合わないと。

でもその時に、丁度前日の学び会での学びが「すべての
事について、感謝しなさい」を思い出して、
「神様、用で、今、遅れていますが感謝します。
間に合わないかも知れないですが、その事も感謝します。
今、共におられることを感謝します」と感謝して、
祈ったんです。

すると、車で1時間かかるんですが、何と全部!信号が青
だったんです!!間に合ったんです!!
こんな事って、あります?初めてで、もうびっくりして、神様に
感謝でした。

★この間、神様にお献げしたいなと思って、余裕は
無いんですが、献金の時に、お献げしたんです。

よく、どこからでも必要は与えられると、聞きますが、
降って来るわけじゃなし、どこから来るのかと思うん
ですが、でも、心からお献げしたかったので、献げました。

すると、その後、ふと手にした雑誌を通して、家計の
知恵、節約の方法が書かれてあって、これはいいと
思えて、その通りに実行したんです。

すると、その方法が自分にはとても合って、節約できて、
家計がうまく回るようになったんです。
ちゃんと余裕ができて、お献げしたことの祝福だと
わかりました。
神様は知恵を下さいました。感謝でした。


大きなみわざもですが、日常の些細な事、小さな事に
神様の配慮やご愛を見つけると、心に喜びが溢れ
ますね。

2017年03月04日(土)
  「刺繍の裏」

   「刺繍の裏」

よく人生は、刺繍の裏だと言われている。
どんなに見事な完成品であっても、裏から
見ると全くわからない。
理解不能だ。

ぐじゃぐじゃ、ごちゃごちゃ、混乱状態だ。
全くの意味不明。

この色とこの色が、何でここにあるのか。
何でこんなにも絡んで、重なっているのか。
全く綺麗でなく、むしろ汚い。
すべての糸と色が、無意味にそこにある。

しかし、ひっくり返して、表を見ると、
素晴らしい風景が描かれている。
この木々、この山々、この花々のために
この色が、あの糸が、そこにあったとわかる。
一目見て、いっぺんに理解できる。

私たちの人生も同様で、人生途上、起きる出来事
で、意味がわからない事が様々ある。

なぜ、この事が起きたのか。どうしてこうなっているのか。
なぜ、自分の生い立ちはこうなのか。
いろんな、なぜ?・・ どうして?・・

天国に帰った時に、完全にその意味を知るとある。


“今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、
その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。

今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が
完全に知られているのと同じように、私も完全に知る
ことになります”Tコリント13:12

今は、刺繍の裏しか見えないが、かの日には表
から、はっきりと、鮮明に、明らかに見ると。
意味や、目的を知り、驚嘆と共に主の御名を崇める。


この世においても、御心のままに、起こる出来事の意図
やご計画を教えて下さる。
沢山の事を学ばせて下さる。

振り返って、何でこんな事が、これは一体何?という苦しい
事態に遭遇するが、そのずっと後に、更に重大な事態に
遭遇する事になる。

その時に、対処、対応を以前に学んでいるので、向き
合うことができる。あの時、その事を経験していなければ、
通っていなければ、どうなっていたかわからない。

苦難を通った事を、心の底から感謝できる。
あの時、通って良かったと。

一つとして無駄な糸も色も無いことを知る。


2017年03月02日(木)
  「わたしのもとへ来なさい」

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしの
ところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげ
ます」マタイ11:28

この御言葉が大きな力で、様々な人々がこの御言葉
によって、救われ、励まされ、新たにされている。

Aさん。
「対人関係で、どうしても相性の悪い相手がいて、難
しくて、うまく行かない。
辛く当たられることもあり、ひどく苦しい思いをした。
よりによって、何で、目の前にこの人なんだろうとも思い、
しんどくてたまらなかった。

そんな中、事情が出来て、その場所を離れる事になり、
その相手とは、それ以後全く会うことは無くなった。

距離的に遠く離れ、物理的には離れて、会う事もない
のに、しかし、心は縛られていた。
相手を憎み、腹を立て、裁いていた。それは非常に心が
辛く、苦しい。ずっと相手にコントロールされている事になる。
相手は全く関係なく、自分が苦しい。

自分はクリスチャンだし、これでいいはずないし、それより
辛さは募るばかりだ。祈りに持って行こうと思った。

そんな中、「すべて疲れた人、重荷を負っている人は
わたしのところに来なさい」との御声を聞いた。

それで、わたしのところに来なさいと言われる、主のもとへ
行き、心の内をすべて打ち明け祈った。

その御言葉の通りに、主のもとへ行くと、御言葉の通りに
休みが来た。赦すことができたのだ。
主のもとへ行けばよいことを教えられた。

びっくりだったが、その後、相手との交流が与えられ、主の
素晴らしさを知る時とされた。

Bさん
「あ、私もここ数日、同じように神様を経験したんです。
友人のことで、自分もどうして上げたら、良いかわからない
重い問題があって、

重荷を負っている人はわたしのもとへ来なさい、の御言葉
が心に来て、とにかくイエス様のもとへ行こうと、その事を
御前に祈ってたんです。

すると、見事解決して!ほんとに感謝でした。
次にも、どうしたらいいんだろうと、心重〜くなる問題が
起きてきて、その時も、そうだ同じように、来なさいと言って
下さるイエス様のもとへ行こうと。

祈ってたんです。するとその事も導かれて行って、
心を喜びと平安で満たして下さいました。

とにかく、イエス様のもとへ行けばいいこと、教えられます」
「わ