2003年07月31日(木)
  実行すれば、変わる!

ここから47キロ離れた地区集会に集って
いるF子ちゃん。最近、引越しして来たば
かり。

夫婦の学びを少しする。従うこと、愛する
こと、歩調を合わせること、相手の喜ぶこと
をして行くこと、等など学んで行く内に、自
分が全くそうでない事に気づく。

神様に従いたいし、みこころを行ないたい。
そして、夫婦は絶対に建て上げられたい。心に
思い当たる事、示される事を実行して行った。

「あなたがたが私から学び、受け、聞き、また
見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の
神があなたがたとともにいてくださいます」
ピリピ4:9

すると、良いご主人だが、何と、更に更に優しく
なり、愛情を示し、気遣ってくれるようになった。

教会へも一緒に来て下さった。そして、君が
行きたければ、毎週日曜に、広島まで自分が
連れて行って上げるよとまで、言って下さった。

でも、ご主人はアメリカ人、日本語が全然わか
らない。自分は行きたくて、その気持ちも嬉し
く感謝だが、ご主人のために、朝は一緒に英語
の教会へ行こうと思うと。

神様のみこころに従うなら、神様が良くして
下さる。従うことの祝福を見せられる。

以前、D子ちゃんも、お母さんに小さい頃から
の不平不満を、ある時、切れて爆発させてしま
った。泣きながら電話をして来た。

母の救いをずっと祈っているのに、とんでも
ない悪い証しをしてしまって、母に今から電
話して謝るから、一緒に祈って欲しいと。

電話口で一緒に祈った。そして、数時間後、
報告の電話があった。母親に暴言と悪い態度
を謝り、小さい頃の自分の気持ちを冷静に穏
やかに話した。

すると、母は泣いて泣いて、そんな辛い思い
をさせていたなんて、全然全く知らなかった。
ごめんね、ごめんねとワーワー泣いた。それで、
D子ちゃんの気持ちは癒された。

自分は誤解していて、お母さんの愛情が初
めてわかった、感じられた。その後、何と、
お母さんは教会へ来て下さった。彼女が転勤
になるまで、お父さんと一緒にも来て下さった。

ある時、婦人会にも出席して下さり、一緒に
食事をしながら、お母さんは生き生きと楽しく、
D子ちゃんの昔のことを話して下さった。

D子ちゃんの顔は嬉しそうに輝いていて、母が
あんなに私を愛してくれていたと、今日も又、
知れましたと。

D子ちゃんが、謝りますと、みこころを実行
して行った時、素晴らしい神様の栄光を、皆
で見た。

D子ちゃん、神様からはっきり示されて、み
こころに従おうと決心し、姑さんにも愛情を
示し、具体的に示された事を実行した。

すると、何とご主人が教会へ来られた。アメ
リカ人なので、自ら英語の教会へ行かれ、
イエス様を受け入れられた。

神様に従う時、自分自身にも、周囲にも大きな
祝福が及んで行く。
by 多恵子



2003年07月30日(水)
  変わりたくない自我

「私が変えられることを求めないといけないです
よね。どうしても、周囲を変えようとしてしまい
ます。」

先日、一人の婦人が、そのように祈って欲しいと
言われた。
婦人会の最初の頃に、「私を変えて下さい」の学び
をした。変えられるのは夫でなく、子供でなく、
周囲でなく、自分自身。聖書は一貫して、「私」
が変えられることだけを言っていると。

自分は変わりたくないので、周囲を、環境を変え
ようとするのが人間の常。頑固で、強情な自我が
あるため、自分は絶対に変わりなくない。
自分を捨て、自分に死に、変わって行くことはしん
どい。自我は拒否反応を起こす。

では、周囲も同じで、変わりなくない。だから、
対人関係、最後まで変わらない。
やっぱりこれは悲しい。自分が変わらなくてはな
らない。イエス様のかたちに、聖霊様は変えて行っ
て下さる。
自分が変わろうとして、心開いているから、御言葉
がわかるのであって、成長がある。変わる気が無い
なら、御言葉が入らないし、わからない。いつまで
たってもおんなじ。成長がない。

あるテレビ番組を見た。2組の親御さん、最初、
自分の子供が自閉症だとはわからず、言葉にできな
い苦しみ、不安、葛藤を通られた。
それが、数年を経て、それが認識できた。しかし、
自分達の価値観、思い、やり方、生活様式に、子供
を合わせようとし、子供を変えようとして、数々の
修羅場を経験。何もどうにもならず、何も変わらない。

苦悩と行き詰まりの中で、そうじゃなくて、子供を
あるがままに受け入れ、子供に自分達を合わせて行
くことに思いが至った。光が見えて来た。状況は何
も変わらず全く同じだが、自分達が変わった。

離婚寸前で、何人もの婦人が教会へやって来た。
神様に出会って、心照らされて、相手の欠けを責め、
要求するばかり、自我と自己中心に気づかされた。
聖霊様に導かれて、一人一人が180度変わって行
った。
すると、離婚寸前だった夫婦が、見事に建て直され、
建て上げられて行った。

「神のみこころは何か、すなわち、何が良いこと
で、神に受け入れられ、完全であるのかをわきま
え知るために、心の一新によって自分を変えなさい」
ローマ12:2

自分が変えられて行きますように。
by 多恵子


2003年07月29日(火)
  怖〜い暗闇の世界

「神と交わりがあると言っていながら、しかも
やみの中を歩んでいる」Tヨハネ1:6 

の箇所から、若いB、C、D子ちゃん達と学び
をしていた。つまり、忠実に礼拝出席していな
がら、奉仕していながら、デボーションをして
いながら、すべてOKと自己満足しながら、
やみの中を歩むという事があり得る。

<偽り>が、信仰生活の中に入ると、信仰生活
に破綻をきたす。
良い人の振りをして、演技をして、外側を取り
繕っていると、最初は演技をしている自分を自
覚しているが、それを続けて行くと、自分が自
分に欺かれて、わからなくなる。

H子ちゃんが、若い頃、非行に走ったが、両親
の前では完璧に良い子を演じ、外へ出ると暴走、
盗み、恐喝・・したい放題をした。しかし、家
に帰ると、模範的良い子を演技し続けた。二つ
の生活を完璧に使い分けた。
その内に、怖いことが起こり、どちらが本当の
自分かがわからなくなって行った。自分がわか
らない。

取り繕い、演技すると、周囲から良い人だと言
われる。言われ続けるので、それが自分だと信
じ、思い込む。
自分は良い人で、正しい。聖霊様が幾ら、そう
でないと気づかせようとされても、自分は正し
いから、もう照らされようがない闇の中。

Bちゃんが「え?それって、私の事だ。私の事
を言われてる。なんで私の事がわかるん!」
中高時代、ずっと友達から良い人だ良い人だと
言われ続けた。それで、自分は良い人なんだと
思ってた。嫌いな人が一人もいなかったし。

バイトをした時、絶対に好きになれない人が現
われた。その時、自分の罪深さがわかった。

Cちゃん「私、家ではすごいわがまま。自我が
出て、むっとするし、怒るし、態度に出してし
まう。
でも、学校では、すごい良い人。Cちゃんて怒
らない人、怒ったことないじゃろと言われる。」
(大笑)
まだ、家でわがままだから、本当の姿がわかっ
ていいよね。(笑)

Dちゃん「私、ずうっと、外では取り繕ったま
ま。」Lちゃん「私も、外ではすごい良い人。
怒ったことの無い人。Lちゃんて怒ること全然
ないじゃろと言われて。家でこんな事、口が裂
けても言えません。(笑)」

「本当の自分をごまかしているのが、すごくわ
かる。本当の自分の醜さ、汚さを認めるのが嫌
で、見るのも嫌で、目をそらして、わざとぼや
かしているのがわかる。私はそんなにひどい人
間じゃないと。

神様の前ですら、取り繕ってる。全然正直なん
かじゃない。本当の自分を認めない、認めたく
ない。オブラートに包んで、向き合ってない。」
ごまかしている自分がわかるから、感謝なこと。
それがわからなく
なる。

取り繕い、<良い人>、<自分は正しい>にな
って行くと、闇の中。やがて、本当の自分がわ
からなくなる。正直であろうとしても、本当の
自分がわからないのだから、なりようがない。
光の無い世界。

「悪魔は初めから人殺しであり、真理に立って
はいません・・彼は偽り者であり、また偽りの
父であるからです」ヨハネ8:44
偽りはサタンから来ている。

正直であるなら、神様は限りなく成長させ続け
て下さる。
神様が見ておられるとおりに、自分自身を見て、
認めることができますように。

「神が光の中におられるように、光の中を歩ん
でいるなら、互いに交わりを保ち、御子イエス
の血はすべての罪から私たちをきよめます」

正直に神様と自分に向き合うなら、罪が示され
続ける。そして、その罪はすべて赦され続ける。
光の中!!
by 多恵子


2003年07月28日(月)
  心が一番大切

ずっと何年も不妊治療を受けていたB子
ちゃん。

卵管が2つ共、詰まっていて妊娠は不可能。
体外受精も失敗していた。
何が何でも、欲しかった子供。子供さえ与
えられればと、その一心。
祈りに祈って、与えられたのは、不妊の癒
しでなく、心の癒しだった。

神様は子供を貰う手段、どの神様でもよい
ということになる。
自分の姿に気づかされた。自分のことしか
考えられない、恐るべき自己中心。

あのまま子供が与えられていたら、恐ろし
い事になっていたと。
不妊の辛さ、苦しさがわかるのに、子供が
出来た途端、劣等感が優越感に変わり、恐
ろしい高慢に陥っていたと思うと。

先週、何と、自然妊娠が判明!!2つの卵管
が詰まっているから、妊娠不可能なのに、
どう考えてもわからない。不思議でならない。
不可能は一つもない、神様の奇跡としか思え
ない。

心が癒された後で、与えられたことがもう
感謝で、感謝で、何より嬉しいと。
神様の大きな愛、神様の愛で包まれている
ことを感じた。

この事を通して、外側でなく、見えるところ
でなく、心が何よりも大切であること、見え
ないものが一番大切であることがよくわかった。

今まで、内側など、人に見えないからいいと、
心はグチャグチャなのに、気にも留めず、
外側ばかりを綺麗に繕って来た。
クリスチャンらしく振るまい、演技をして来た。

ところが、神様は外側は全く見ておられない。
神様が見ておられるのは、心。

「人が見るようには見ないからだ。人はうわ
べを見るが、主は心を見る」Tサムエル16:7

外側を繕うことに、全エネルギーを費やして、
生きる生き方、それはかの日に、すべて燃えて
無くなり、何一つ残らない。何の報いも無い。

正しく、的を射て、主に焦点当てて、みこころ
にかなった生き方ができますように。
by 多恵子



2003年07月27日(日)
  「思い通りにならない!」

F子ちゃんと話す。
「先週はもう大変だったです!!1週間予定を立て
て奉仕の準備をしようとしていたら、全然思うよう
にならない。職場は特別に忙しく、暇なら考えよう
と思っていたが、考える時間など全く無い。

いつも定時に帰れるのに、先週は、ハプニングが起
きて、残業、遅い帰宅時間が続く。
家に帰ると、用を頼まれる。遠方から長電話はかか
る。もう、しようとすることが全く出来ない。

心がイライラして、目の前に来る妨害に怒りが湧き
上がって来る。奉仕の最後の仕上げをして、教会に
来ようと思っていたら、それも妨害は入り、もう、
神様、どうにもできません!神様すべて委ねます!
と、委ねた。

すると、準備が思うようにできなかったのに、不思
議に良いものが与えられ、最善の結果が与えられた!

「神様のための奉仕なのに、イライラして腹を立て
て、怒るんよね。」「そう、これは絶対、おかしい
ですよね。」(笑)

神様のための奉仕なのに、自分の思い通りにしたい、
思いをどこまでも通したい自我。

その強い自我を砕くために、思い通りにならない事
を、これでもか、これでもかと起こされた1週間で
あったことが、土曜になってわかった。

時間も、予定も、なすわざも、すべて自分の思い通
りにしたいから、妨害が入ると、腹が立つ。

妨害をはね除けると、平安が無くなり、後でとがめが
来るのがわかるから、妨害を受け入れる。が、腹を
立てながら、イライラしながら、嫌々に。(笑)

最初から、時間も、予定も、なすべきことも、すべて
委ねていたら、何が起ころうと、みこころなのだから、
妨害は妨害でなく、平安に過ごせるのにね。

自我はどこまでも強いよね。(笑)
神様は愛して下さっていて、見捨てないで、砕いて下
さることが感謝。
by 多恵子

2003年07月25日(金)
  「さばいてはならない」

「さばいてはいけません。さばかれないため
です。」

「あなたがたがさばくとおりに、あなたがも
さばかれ、あなたがたが量るとおりに、あな
たがも量られるからです」(マタイ7:1)

なぜ、さばいてはいけないか。さばくと、必
ず自分にさばきが返るから。
つまり、人をさばいているのが、実は神から
のさばきをしっかり自分が、自分に向けること
になる。

人の欠点は見える。細部までよーく見える。
でも、自分の欠点は見えない。自己中心という
大きな大きな梁があるから。

<自分の欠点は見えていない者><自分には大
きな梁がある>と、見えていたらいいが、それ
が見えないから、最悪。

聖書の御言葉を知ると、御言葉は真理だから、
頭で理解したとしても、一応真理を知ることに
なる。
その真理は恐い。両刃の剣。それを人に向けて
振り下ろした場合に、恐ろしいことになる。
その真理を使って、ばっさ、ばっさと人を斬っ
て、平然、平気、正しいから罪意識すら無い、
ということに。

真理を知り、肉の手がそれを使うと、神様と、
全く正反対の方向へ。
ものさしを持ってるゆえに、細部にまで人の
欠点は見えてしまう。(自分の欠点は盲目。)

そして、それをもって相手をさばく、まさに
その基準で、今度は、神が私をさばかれること
になる。

「あなたがたが量るとおりに、あなたがも量ら
れるからです」

より欠点が見えて、高い基準で人をさばくなら、
その同じ高い基準を、自動的に自分に向けてい
るのだと。

さばけば、さばくほど、自分にさばきを招くこと
になる。その高い基準で、神が自分がさばかれた
なら、立ち行けない。
だから、さばかないなら、さばかれない。

「あわれみを示したことのない者に対するさばき
は、あわれみのないさばきです。あわれみは、さ
ばきに向かって勝ち誇るのです」ヤコブ2:15

御言葉は決して人に向けてはならない、自分だけ
に向けて、自分の心を探られ、矯正され、新しく
され、生かされるためのもの。

「もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の
人であるあなたがたは、柔和な心でその人を
正してあげなさい」ガラテヤ6:1

さばかれて、見下されて、攻撃され、責めら
れて、自分は悪かった、良くなりたいと思う人
などあったためしがない。

御霊に導かれて、へりくだって、自分も同じ者、
同じ過ちを犯しても不思議はない者との立場に
立って、相手への同情と愛に満たされ、愛をも
って真理を語る時、相手の心に届き、御霊が間
違いを教え、正して下さる。

さばきからは、さばき合いしか生まれない。
さばく時、必ず返る言葉は、「あんたはどうな
ん?」「なら、言わしてもらうけどね!」。
10倍になって返ること必至。
by 多恵子

2003年07月25日(金)
  祈ってうなぎ!

義母の命日が近付いていたのに、私はころっと
忘れていた。とんでもない嫁じゃ。

お花を送ろうか、それともお花料にしようかと
慌てて夫に相談すると
「すぐに盆休みになるから、その時でいい」と言
われた。
でも、やっぱり間に合った方が良いと思い、お花
料を送ろう、そしてなにか良いものも詰めて送ろ
うと思い立った。

そこでひらめいたのがうなぎ。
以前、近所の婦人からうなぎを頂いた事があった。
遠くにいるお嫁さんから荷物が届いた、コーヒーや
らお菓子やらと一緒にうなぎが入ってたので、一つ
お裾分け…と持って来て下さった。

うなぎは滋養が豊富でもらっても調理済なので手軽
に食べれる。お義父さんにうなぎでも送ってあげた
ら喜ぶだろうなぁ、と思ったのだが、なかなか出来
ずにいた。

さっそく「うなぎ!か、なにか、気が効いたものが
与えられますように」と祈って買い物に出かけたが、
頭にはうなぎしかなかった。

ところが、果たして!なんとうなぎの蒲焼セール。
みこころ、みこころ。^^
国産のうなぎが、二本入った袋が、ずらっと並んで
る。ラッキー☆

土用の丑の日も近いんだから店頭に並んでいるのは、
すごく、当たり前だが、何も考えず突進していただ
けにこれは神様しかない。
しっかり義父に喜んでもらえて、よい嫁できた!

神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行
いをもあらかじめ備えてくださったのです。
エペソ2:10
富士子

2003年07月24日(木)
  「信じていたい」

A子ちゃんが話してくれた。
「神様に頭で頼るのと、心底頼るのとは全く違う。
仕事をしていて、どうしてもミスをする。どれだけ
気をつけていても、必ずしてしまう。
自分で今日は絶対大丈夫、完璧と思った日ほど、後
で大きなミスが発覚。
今日はミスしそうと、神様に頼って祈りながら仕事
していると、ミス無し、完璧な一日だったり。

頭で頼らなきゃと、頼っている(つもり?)の間は、
何も起こらない、どうにもならない。
でも、ミスして、心から助けを求める時、必ず何ら
かのみわざが現われる。神様に触れる。神様と話し
ながら、仕事をしている。
何だか仕事を通して、日々、<信仰>を学ばされて
いて感謝。」

「共に行って、あなたがたのために、あなたがたの
敵と戦い、勝利を得させてくださるのは、あなたが
たの神、主である」申命20:4

主を心から信頼する時、主が成し遂げて下さり、
勝利を得させて下さることを、よく経験する。

私がすることは、ただ<信頼>。すると、主が戦っ
て下さる。

60才半ばの婦人。ご主人を亡くされ、働いて生計
を立てておられた。リストラになり、収入が全く
無くなられた。
貯えもなく、次の仕事を捜し続けるが、年齢的な
こともあり、なかなか無い。

不安で、どっと真っ暗になりそうだが、
「あなたがたのうちだれが、心配したからといっ
て、自分のいのちを少しでも延ばすことができま
すか」マタイ6:27

「あなたがに、よくしてくださらないわけがあり
ましょうか。信仰の薄い者たち。」

心の底に、この御言葉を受け入れ、受け取った。
本当にそうだ。心配したから、仕事が来るわけじゃ
ない。「心配するのはやめなさい」

いっさいの思い煩い、心配、不安が無くなった。
心は安らぎで一杯、不安が全く無い。
「私が平安なものですからね、家の中も明るいん
ですよ。落ち込んでいたら、暗くなってますよね。」

ただ、信頼していると、しばらくして、仕事が与え
られ、ずっと与えられている。この婦人によって、
周囲の皆が引き上げられ、大きな励ましを受けた。

D子ちゃん「経済的に、大きな危機を何度も何度
も乗り越えられた。いつも神様は素晴らしく見事に
備えて下さった。ほんとに不思議で、奇跡。いつも
思い煩って、ああ、信じてたら良かった・・神様ごめ
んなさい!の繰り返し。信じておりたいわ。」(笑)

大きな事、小さな事、些細な事、神様に信頼し、
平安でおれますように。神様と対話しながら、喜び
の中で、日々生活できますように。

「恐れないで、ただ信じていなさい」
by 多恵子

2003年07月23日(水)
  「はっきりと見えて」

★「さばいてはいけません。さばかれないため
です。」

「まず自分の目から梁を取りのけなさい。そう
すれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちり
を取り除くことができます」マタイ7:5

まず、自分の目にある梁に気づく時、自分の姿が
見せられる。聖霊様によらなければ、気づけない。

聖霊様に見せられる時、神様が見ておられるよう
に、見る。御言葉によって、自分の姿が照らし出
される。自分の姿を見て、心砕かれて、悔い改め
が与えられる。

そうする時、不思議なことが起こる。
梁が除けられて、はっきりと見える。対象がはっ
きりと見えて、そのものの姿が見える。
全くさばいてはいないのだから、判断に確信が
持てる。全く御言葉の通りだと、何度も経験し
て来た。

自分に梁のある間は、見えない。ちゃんと見えな
いし、正しく見えない。判断ができない。

★「聖なるものを犬に与えてはいけません・・それ
を足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き
裂くでしょうから」7:6

神様を、中途半端でなく、はっきりと鮮明に打ち
出す時、敵対する勢力も、はっきりと姿を現わし
て来る。驚くほど鮮明になる。
パウロは足のちりを払い落として、立ち去った。

さばくことと、識別することの相違。
まず自分の内側が取り扱われ、対象のものが、
はっきりと見えるようにして下さること、足のちり
を払ってよいこと、
最近の出来事から、教えられたのであった。
by 多恵子


2003年07月22日(火)
  「願いは叶えられた」

★久しぶりに遠方の友人から電話があった。

「思い通りではないけれど、願いは叶えらて
いる」。重味をもって迫る。

ご主人が事故に会われ、手術の際、覚悟する
ように医師から言われたが、九死に一生を得、
命が保たれた。
職場復帰は、もう一生不可能で、障害を負っ
た、身体的にも、環境的にも大変な介護生活
の中にある。が、感謝でならないと。

未信者のご主人と結婚したが、神様は大きな
大きな憐れみを下さって、ご主人は救われた。
ただただ、感謝で感謝でならない。
「夫がどういう状態であれ、今、こうやって夫
と一緒におれることが、嬉しくて、幸せ、
心から感謝の日々」だと。

★一人の婦人が「願いは叶えられるんよ。でも、
全然思い通りではないけえ。思い通りにはな
らんのんよ」(笑)「でも、神様のお心の
通りは、最高」。

★自分の人生を振り返っても、自分の思い通り
では全く無い。しかし、自分が思い描いてい
た人生よりも、比較にならないほど、遥かに
良いもの、私にとって、最善のものを与えて
下さっていることがわかる。

神様が造って下さった私を、神様のみ思いの
通りに、人生を形造って下さって、私が一番、
私らしく生きられるように、道を備えて下さ
った。

自分が、一番自然に、自由に、自分でおれる
ようにして下さった。この素晴らしい神様の
御名を崇めるばかり。

★ある人が言った「生かされているのではない。
自分の力で生きるのが人間だ」と。

いいえ、こんなに自由に、喜びを与えられて、
生き生きと伸び伸びと、人間らしく生きられ
る幸せがここにある。

私も友人と同じように、心の底から言える
「思い通りではないけれど、願いは叶えられ
た!!」
この素晴らしい神様に、言い尽くせない感謝
を献げるばかり。

「主が、ことごとく私に良くしてくださった
ことについて、私は主に何をお返ししようか。
私は救いの杯をかかげ、主の御名を呼び求め
よう」詩篇116:12

「あなたは、私の神。私はあなたに感謝しま
す。
あなたは私の神、私はあなたをあがめます」
詩篇118:28
by 多恵子

2003年07月21日(月)
  「弱さは神様に近かった!」

★土曜朝、突然のめまいと吐き気、一日中寝ていた。
昨日の、聖日朝は、めまいは止まり、礼拝に出席
できた。

普通に歩けることが、座っておれることが、当り前
でなく、大きな恵みであることに、全身で浸りなが
ら、神様を膚一杯に感じつつ。

弱さの中は大きな恵み、現に、神様を特別に身近に
感じた、昨日の礼拝。
「しっかり立っていなさい。あなたがたの戦いで
はなく、主の戦い」のメッセージ。

★「わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるから
である」Uコリント12:9

自分の力でどうにも出来ない時、心底叫ぶ。そして、
自分の内で、信仰が働いて行く。何があっても、ど
んな事が起きても、言って行ける先があるのは、何
という幸い。

先日、B子ちゃんがあえいでいた重荷のいっさいを、
神様に委ねた。もう疲れ果てて、まさに限界。しん
どくて、一歩も歩めなかった。それを、心底叫び、
お委ねした。

そして、祈った後、顔が全くの別人になった。重荷
が取れて、本当に心が軽くなったと、笑い泣きに。

その間、ほんの30秒か1分ほど。祈った時間だ。
その後、信仰生活が全く変わってしまった。しんど
い辛い日々でなく、平安と喜びの毎日に変わってし
まった。

B子ちゃんはその大変化のために、何もしていない。
何一つしていない。「すべてを明け渡します。助け
て下さい」と祈っただけだ。
まことに生きて働いておられる神の力が現われた。

私も、今までに何度も経験した。神様は良くなるた
めに、何も求めておられない。「助けて」という心
からの叫びだけ。それに答えて、大きなみわざをし
て下さる。

★昨日の礼拝は、大好きな再臨の賛美が続いた。
「天の門開かれ 主の来るその朝 悲しみは過ぎ
去り 平安に満たさる
暗き闇消え去り 輝きと喜び 主に出会うその朝
またたく間に変えられん
みそらにて主に会い、ひとつとせらる朝、目の涙
ぬぐわれ、苦しみも 死もなし」

サタンの暗い闇、狡猾で巧妙な深い闇、あれこれ
思いつつ「主の来るその朝 輝ける夜明けぞ 戦
いは終わりて 主は勝利与えん」この戦いが終わ
る大きな溢れるばかりの喜び。

「主とひとつとせらる朝」喜びが全身に満ち満ち
て溢れた。

何とか立っておれる弱さの中で、格別に素晴らし
い主の恵みにあずかった昨日であった。
by 多恵子

2003年07月20日(日)
  引き出されるもの

「また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに
目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつか
ないのですか」マタイ7:3

目の中に梁があるかも知れないでなく、あると
言っている。人の小さな欠点はよく見えるが、
自分の大きな梁には気づかない。
相手のちりが見える時には、自分に、ばかでか
い梁があると思って間違いない。人のことなど
言ってられる状況でないということ。

離婚寸前で教会へ来て、素晴らしく夫婦が建て
直され、建て上げられたCちゃんが話してくれた。

離婚寸前になると、心も醒めてくるから、どう
しても相手を責め、さばく。自分は棚上げで、
相手の欠点、悪い所ばかりが見え、もうそれし
か見えない。
相手を責めて、攻撃して行くと、必ずさばきと
更なる反撃が返って来る。同じ種類のそれ以上
のものが、きっちり返る。

そして、気づかされた事は、自分の攻撃によって、
相手の悪いところを、どんどん引き出してしまう
こと。
互いに、醜いドロドロの罪を引き出し合う。
陰険さ、陰湿さ、狡猾さ、憎しみ、憎悪、自己
保身、自己中心・・これでもか、これでもかと、
引き出し合う、まさに泥沼。

Cちゃんは神様に出会い、180度変えられた。
ご主人を尊敬すること、従うこと、愛すること
を始めた。
ご主人は驚いた。勿論、ご主人の反応は優しさと
愛情、思いやり、どんどん優しくなって行くばか
り。全く逆パタン。相手の良さがどんどん引き出
されるのだ。新婚になった。神様に出会っていな
かったら、確実に夫婦崩壊だったと。

しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、
親切、善意、柔和、自制です・・
「このようなものを禁ずる律法はありません」
ガラテヤ5:23

愛、親切、善意・・禁ずる律法はない。愛から
愛を生み出し、優しさが優しさを生み出して行く。
誰も、サタンも、禁ずることができない。

自分は周囲に対して責任があるんだなと。
良いものも悪いものも、どちらをも、
引き出させてしまう以上は。

by 多恵子








2003年07月17日(木)
  手に握りしめている宝

手の中の物を神様に献げて、今は安らぎと
喜び、安堵の中にいる一人の姉妹。

「自分の宝、自分の生きがいって、絶対に
手放せない。握っているから、ますます執着し、
ますます強く握り締める。そして、ますます
神様が見えなくなる。
太陽の前に、小さな10円玉を置くと、あの
大きな太陽が見えなくなるように。

手放してしまったら、何で、あんなに執着して
いたのかわからないと、距離を置いて見れるのに、
握っている間はだめ。
絶対にこれがないと、自分は生きて行けない、
幸せになれない、満たされないと、魅力的な、
絶対的なものに見えてしまう。

だから、絶対に自分でなんて手放せない。もう
不可能。100%無理。自分は絶対に放さない。

私が手放せたのは、神様がガーン!!と、事を
起こして、打ち砕いて下さったから。

本当に、神様に献げることが出来て良かった。
「自我」というものを知った。どんなに強情
で、頑なで強固なものか。岩のように固い頑強
なもの。自分を通したい。
神様しか砕けない。手放す事ができたのが
奇跡です。」

小さな子供が、口の小さなガラス瓶に手を
突っ込んで、中の物をつかんで放さない。
手が出ないと泣いている。物を放せば、手が
出るが、放そうとしないで泣いている。

放すと自由になる。解放される。必ず放して
良かったと思える。真に神様を知る。
やっぱり放せるのは、神様のみわざ。
by多恵子

2003年07月17日(木)
  「ノーと言うことの必要」

Cちゃんが、電話をして来た。小さい子供を抱えて
フルタイムで働いている。仕事が精神力も体力も
要る重労働。帰宅後は、もう消耗しきっていてクタ
クタのヘトヘト。もう何の余力もない。

休みの日は、まず子供に時間を取る。普段ほとんど
対応してやれていないので、その穴埋め。
家事も山積み。休みでないと出来ない。独り住まい
の知り合いのおばあちゃんが気になる。
普段から証しをしていて、交わりを大変喜んでくれ
る。あれも、これも〜。

一番大切な、主との交わりの時間が取れていない。
心がいつも焦っていて、心が立ってしまっていて、
何か慌しく、これではいけないと、平安がない。

イエス様が目の前のことを、何もかもされていたら、
必要は際限なく、一生それで終わられただろう。

イエス様は必要のために動かれたのでなく、父の
みこころを行われた。「必要」でなく、「みこころ」。
目の前の必要を行っていたら際限がなく、本筋ずれて、
迷路に迷い込んでしまう。
幾ら時間があっても、足らない。一生がすぐ終わる。

「わたしには、あなたがたの知らない食物があります」

「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみ
わざを成し遂げることが、わたしの食物です」

別の人は、10人の娘の箇所で、油を用意して
いた5人の娘達はケチだと思ったと。油を用意
していなかった5人の娘達に分けてあげればよい
のに、と。
しかし、この賢い5人の娘は自己中心で分けなか
ったのではない。花婿のために自分の務めを果た
すためだ。

神のみこころに応えて行くのが一番であり、義理
や情、義務感で、人助けをしたり、動いて行く
なら、無理が生じてくる。

時間、労力、自分の能力、体力等、無限ではない。
絶対量があり、限界がある。
目の前のことを、何でもかんでもするのでなく、
神の求めておられることをよく知り、みこころ
を行うことを教えられる。
by 多恵子

2003年07月16日(水)
  シンプルライフ

夫が単身赴任になった。単身生活は今回で
2度目だが、今度はちょっと遠い。

夫婦は離れていてはいけない、最近素直に
そう思えるのが、うれしい。

社宅についてビックリ!築40年の老体に
壁と畳はとりあえず新しくしてもらっていた。
台所もすごく低くて、窓も床もレトロ。

家電用品は大物の洗濯機、冷蔵庫はこちらか
らの送料よりもリースの方が格安とのことで
会社の単身用をお借りすることにしていたが、
都合で遅れていて、洗濯機も冷蔵庫もない。

何も要らん!という夫に従って、茶碗とお箸と
お皿もコーヒーカップも二人ぶんしか持ってき
てない。

ちまちまと洗って簡単にかたづく。選択もちょ
こちょこと手洗い。狭い部屋はあっという間に
掃除完了。

こんな時間に家事も完了かと、夫の出て行った
後、一人のんびりコーヒーを飲んでいると、
ものはないほうが断然いいじゃないかと気づいた。

生活の中に無駄なものが多すぎる。使わない食器
に埋もれた食器棚、着ない服、履かない靴のおか
げで収納にいつも苦労している。読んでしまった本
も捨てられずにいる。
帰ったらいらないものは、捨てるぞ!と決心した。

イエス様は、大切なものは多くはない、一つだけ
だと仰った。目の欲、暮らしむきの欲が様々な情
報を吸い寄せて、自分の回りに厚い壁を積み上げ
る。そして肝心な神様の御声は、いつも後回し…
ただ、神様に明け渡し、従うだけの生き方がなぜ
出来ないのだろう。生活の中の無駄はそのまま生
き方の無駄ともいえる。

どんどん無駄なものを削ぎ落としてシンプルに生
きていきたいなぁと、何もない部屋の中で考えた。 
by富士子





2003年07月16日(水)
  「誰かの人生に影響を」

「私達の日々は、誰かの人生に影響を与えて
いる」という言葉がある。
平凡かも知れないし、時々は、むしろ失敗だ
と感じたり、挫折を感じたり、いたずらに労
力ばかりを使っているように、感じるかも知
れない。

しかし、神は言われる。「神は・・至る所で
私たちを通して、キリストを知る知識のかお
りを放ってくださいます」

教会のAちゃんがHPを開いた。宗教を前面
に出すと、知らない人達は、知る以前にまず
引いてしまうので、自然な交流の中で証しを
して行きたいと。クリスチャンだと明言して。

そのAちゃんの、言葉や発想や価値観や態度
に、キリストの香りや温もりが、現れている。
悩みを吐露した人々や、落ち込んで来た人々
をしっかり温めている。
そこで、色々な人達が、勇気づけられ、力づ
けられている。
イエス様の何ともいえない芳香が漂っている。
来た人は、何かわからないが、確かにそこに
ある暖かいものに触れる。

HPを通して、Aちゃんを見ていると、確か
に誰かの人生に、HPを訪ねて来る人々に、
影響を与えていると感じる。

新しい道に進むために、もうすぐ退職予定の
Bちゃんは、職場で一番の若輩、自称「ペエ
ペエなんですよお」。
しかし、イエス様の香りを放てるようにが、
日々の祈り。いつの間にか、職場で、皆に愛
されている。

そして、コーヒーポットを先輩が割ったが、
先輩は知らん顔。Bちゃんが割ったと、皆に
思われた時、「すみませんでした」と、口か
ら自然に言葉が出て来た。

これを通して、正しいのに、十字架にかかる
必要など無かったのに、他人の罪を背負い、
身代わりに十字架にかかられたイエス様が、
心にしみ通った。

私達の心の芯に、生活の真ん中にイエス・
キリストを据えるなら、周囲の人は必ず
何かに触れる。
私達は気づこうが気づくまいが、何かを漂わ
せ、放っている。

どうか、願わくば日々の生活が、人々にとっ
てのイエス様への道案内とされますように。
by 多恵子

2003年07月10日(木)
  「思い通りでないが、それ以上のもの」

最近転勤で、岩国にやって来たT婦人。

早くに、両親を亡くしたことがあり、「家族」
への憧れが人一倍強かった。結婚して、子供が
どうしても欲しかった。
不妊である事が判明、不妊治療を受け続けてい
た。長い期間の治療で、経済的にも、心身共に
大変な状況の中、夢にまで見た妊娠が与えられ
た。
天にも上る心地で、もう、どんなに嬉しかった
か。しかし、それも束の間、あっけなく流産し
てしまった。その悲しみは深く、涙、涙の日々
だった。

「神様なぜ?」「流産するなら、なぜ妊娠させ
られたのか?」「こんなに悲しいなら、なぜ喜
ばせられたのか?」なぜ?どうして?答えの見
つからない真っ暗なトンネルに入り込んだよう
だった。

しかし、神様はその中で、はっきりと見せて下
さった。ただ子供が欲しくて、神様は子供をく
れる手段、神様から恵みをもぎ取ろうとしてい
た、恐ろしい自分の姿を。
もし、あのまま子供が生まれていたら、自分は
万々歳で、有頂天になって、神様から離れてし
まっていただろう。教会へも行ってないだろう
と。

そして、教会でのメッセージが、「神は外側で
はなく心を見られる」というものだった。今ま
でも薄々気づいてはいたが、その時、自分の心
がいかに醜く汚れてドロドロかを見せられた。

自分は、人の妊娠を聞く度に、苦しくて、苦し
くて、嫉妬に荒れてすさんでいたのに、私は平
気、どうもないわ、勝利してるのよ、という顔
をして取り繕っていた。
心の内は人に見えないので、外側さえ、綺麗に
していればよいと思っていた。

しかし、子供をくれない神様への怒りが、爆発
し、夫に当り散らしたことも。妊娠=祝福とい
う構図しか頭になく、神様がなぜ祝福してくれ
ないのかが、悶々で、苦悶の中にいた。

聖霊の光に照らされて、真に心をきよめられた
いと願った。その時に祈った「神様、もう外側
のことはいいです。不妊ももういいです。その
代わり、私のこのドロドロの心をきれいにして
下さい」。

すると、奇跡が起こり、あれほどあがき求めた
妊娠したいという思い自体が、きれいに消えて
無くなってしまった。妊娠しなくても、全く構
わない、こんな思いを抱く日が自分に来ようと
は、夢にも思わなかった。

心が平安で、平安で、喜びで一杯で、神様が共
にいて下さることが、真に感じられ、「愛され
ている」という思いが湧き上がり、嬉しくてた
まらない。

神様は身体ではなく、ドロドロの心を癒して下
さった。奇跡!!
by 多恵子

2003年07月01日(火)
  決死のダイブ


最近の娘その@が劇的にかわった。
仕事のストレスが続き毎日しんどかった。
朝から「しんどい」といながらの出勤。
仕事がらバイクでの一日、さぞ疲れる事だろう。

バプテスマの祝福まで吹っ飛んでしまって息苦し
くて生きて行けない。神様に明け渡す方法がわか
らない…。苦しくて仕方なくて泣いていた。

ある日それを、献身という形で神様に自分の生涯
をお任せする決心をした。
それは、まるで追い詰められた者が飛び込み自殺を
するように、神様に決死のダイブをするように私に
は見えた。

その日を境にすっかり変わってしまった。
しんどいの一言もなくなった。身体は疲れてても、
心が楽で、かる〜〜い様子。
神様にすべてお任せなのが家族の者にもよくわか
る。明け渡したぶん神様も知るとはこのことだ。
聖書のひとこと、ひとことがよくわかると言う。

一週間後、
礼拝の後の報告で先生が「先週、A子姉妹が献身し
ました」といわれた時、ふっと映画ETの一場面が
頭に浮かんだ。
バイクに大きなバッグを乗せた愛子が月を背中に
ダイブしている姿だったので思わずおかしくてふき
出した。見ると前のほうにいる娘そのAもくすっと
笑っていた。

    by富士子







2003年07月01日(火)
  見せられた罪

人の罪はよく見える。
人間とは罪人なり…とわかっているぶん、
人の妬みやひがみに派生する問題に遭遇すると
「そうそう、それが罪というもの、気がつかな
いと苦しいでしょうね」と覚めて突き放してみ
てしまう。
でも、神様はすぐに私の罪を指摘された。
人の罪に腹を立ててる場合ではないよと。
礼拝の招きのなか、祈っているとズッキ!と胸
に突き刺さる痛みとともに、はっきり自分の罪
を示された。

今までは自分が悪いから罪を嫌でも意識する場合
が多かったが、今回は、一見被害者である自分の
中に陰険な罪がへばりついているのをしかと見せ
られた。

しかし即座に目をそむける自分がいた。
嘘でしょう?と認めたくない。同時にどんどん
忘れる方に意識は働く。本当に罪がどんなに恐
ろしく陰険であるかがよくわかった。
「変われますように、従えますように」と祈りな
がら、都合が悪ければ神様の語りかけを一瞬で吹
き飛ばしてしまおうとする。
人に腹を立てていたら自分の罪は意識しないでい
い。
私は気が短くて忍耐足りてないなぁ…ていどの罪
で済む。
神様に謝った。的外れな怒りに襲われそうになる
たびに祈った。

マタイ18:22〜33から、
一万タラントの借りを赦された者が百デナリの借
金を返せ!と迫っている自分の姿が見えて、この
底無しの罪を赦してもらえたなら他人のささいな
罪など痛くもかゆくもないじゃないかと思った。

神様、今日のこの思いを決して忘れる事がありま
せんように。また自分を棚上げして人にむかつい
てしまいそうな時には、必ず思い出させてくださ
いますように。アーメン   by富士子