2017年07月10日(月)
  「弱い時にこそ、神の力が」

「神様を感じた事があったんです。

ある日の事だったんですが、ちょっと色々あって、
自分自身がものすごくダウンしていて、打ちのめされて、
ボロボロで、もう自分には何も無い、ほんとにどん底と
思えるような状態だったんです。

そんな状態で、バスに乗った時に、隣の人がちょっと
よろけたので、大丈夫ですかと、声をかけ支えたん
です。

熟年の婦人でしたが、隣同士で座り、有難うござ
いますと言われ、それから、ぼつぼつと双方で言葉を
交わしていました。

で、話していると、見も知らぬその方が、ものすごく
重大な話をし始められ、全く初対面で、それも全く
知らない相手にと、
内心、驚き戸惑いつつ聞いていたら、それが、物凄い
内容で。

その人が、この事は、今までいっさい誰にも話した事
がありません。あなたに初めてお話しましたと。

下りる停車場になり、今日は、本当に有難うござい
ましたと、去って行かれた。
一緒に行きたいようなだったが、一言二言声をかけ、
心で祝福をお祈りした。


何で見も知らぬこんな自分に、誰にも話した事のない
極めて重大な事を話されたのだろうか、と思った。

その時、神様を感じた。
神様のあわれみを感じ、もうどん底の、何もない、何も
できないこんな自分だからこそ、だったのではないか。

主の恵みは十分で、弱さの中に神の力が現れることを
思い起こされた。

その人の気持ちが、少しだけでも軽くなるために、使って
下さったんだと感じて、神様はほんとに弱くて弱くて、
もう弱り果てて、立ち上がれないと思うところに、
ほんとに恵みは十分だと思わされた」。


周囲の人たちが、

「いや、それはAさんだから、その人は言えたんよ。
元気バリバリの人にだったら言えてないよ」

「Aさんだったら、弱さがわかってもらえると、何かを
感じたから、言えた」

「その人に、話したいと思わせたものを、Aさんが
持っていた。
誰にかれにでも、絶対に話せない」

神様ってすごい、素晴らしい。


2017年07月07日(金)
  「ありのままの祈り」

何やかやと話していたら、

職場で、様々な対人関係があり、悪口、噂話は
飛び交い、困難を極めますねえ。

聞き役で、ただ「ふ〜ん、ふ〜ん」と聞いていても、翌日
には、「○○さんも言っていた」と、同意した事になって
いて。もうびっくり。恐ろしいです。

全然同意などしていないのに。
悪口を言う気も、噂話をする気も無い。
ほんとに難しいですねえ。

との話になり・・

かつて施設にいた高齢のAさん「もう悪口と噂話だけ
なんです。ひどいものです。派閥もあって、大変な
世界です。

悪口と噂話の中には、いっさい入りたくないので、
自分は本を読んだり、絵画の本を見たりしながら
過ごしています」。

Bさん「そんな複雑な対人関係の中で、いろいろあって
どうしても人を憎んでしまって、『憎まないように』と
ずっと祈ってるが、全然聞かれない。
幾ら祈っても聞かれない」

「あ、それ、『憎まないように』でなくて、『憎んでいます』
とまず認めないと、前に進まない。

だって今、現に憎んでいるのに、『憎まないように』って、矛盾
していて、意味をなさない。
本当の部分、本音が出て来ない、正直な祈りでないし、形
だけの祈りにすぎない」

「ほんとにそうだ。『憎まないように』って言っても、今
憎んでる。そのままの気持ちを祈って行きます!」

Cさん「私も最初は、ちゃちこばった、きれい事の祈りを
ずっとしていた。
でも、聞かれないし、自分は変わらないし、平安もなかった。

それが、ありのままの祈りをし出してから、思い煩いが消えて
心に喜びが来て、平安を経験するように変えられた。

毎日がすごく平安で、感謝で、感謝でならない。
『神様、しんどいです』
『これ、したらいいだろうけど、今、したくないです』
『外側繕ってるが、あの人嫌いです』
『腹が立って、憎しみが来ます』

何でも、神様に祈って行く時、ありのまま受け入れられて
いる実感が来ます(^^)」






2017年07月03日(月)
  「屈折させてくる敵」

Aさん、なかなか事態が自分の思い通りにならず、祈りが
なかなか答えられず、しんどい状況が全く動かない。

「こうなって欲しいとの願いがあるが、なかなかそのように
ならないと、ふっと、『神様いじわる』的な思いが湧いて来る。

そんな時に、時ピッタリに、エバの誘惑の箇所から語られ
たんです。

アダムは、善悪を知る木の実を食べると、必ず死ぬと言
われていた。“必ず死ぬ”と、明言された。

しかし、“ほんとうに?”とサタンは攻撃して来た。
園のどんな木からも食べてはならないのかと。

エバはそうじゃないと言いたくて、応答してしまうが、
善悪の木の実に触れてもいけない、死ぬといけないからと、
全く御言葉ではない、自分の思いで答えた。

御言葉に立っていなので、サタンは平気で、
「あなたがたは決して死にません」と畳みかけて来た。
正反対の事を言っている。

だが、エバはもうわからない。

そしてサタンは、「食べると、目が開いて、神のようになり、
善悪を知るようになることを、神は知っている」と。

暗に、神は知られるのが嫌なので、食べることを禁じて
いる。実は、そんなに愛されているわけでも無いよ、と。

巧く、疑いを入れて来る。足もとをぐらつかせる。


あ!これだ!とわかった。

暗に、神様は愛してくれてなどいないよ。良いものを
与えたくなくて、いじわるなんだよと、まさにサタンの攻撃だと。

御霊に見せられて感謝でした」と。


Bさん「自分は、いつもすぐに、神様はいじわるだと思ってしまう。
ちょっと試練が来たら、神様はいじわるしている。

必要なものが与えられるのが遅れると、神様はいじわるしてる。
すぐに、その発想になってしまう。

“懲らしめは愛”と受け入れらず、信じていないので、そうなってる。
神様中心でなく、自分中心でいるから、神様のみ思いがある、
御心があるなどと、とれないで、心を屈折させてしまうんだと思う。

正しい信仰に導かれたいです」

2017年07月01日(土)
  「絶えず祈りなさい」

Aさん、いつも生き生きと溌剌とされている。
日々明け渡しながら、祈りながら生活していると
ほんとに思い煩いから守られるんですと。

「何でも、祈りに持って行っています!

『神様、この事どうしましょうか』

『身体が、しんどいです』

『この目の前のこと、したくないです』

『嫌な思いがあります。助けて下さい』

『この事した方がいいですよね。でも身体が
動きません。助けて下さい』

何でも神様に告げていると、それが、思い煩いが
消えて行くんです。

“何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝を
もってささげる祈りと願いによって、あなたがたの
願い事を神に知っていただきなさい。

そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、
あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって
守ってくれます”ピリピ4:6

ほんとにこの通りだと、経験します。

そしてね、神様に祈ってると、不思議ですが自分の
心が見えて来るんですね。

自分は全然良い人間ではない、本音が見えて来る。
本当の心の底が見えて来る。

外側、良い格好しているが、全然、そんな者ではない
底は醜くて、どんなに酷いか、見せられます。

“私の肉のうちに善が住んでいない”ローマ7:18
とありますが、
ほんとに生まれつきの自分には、善が無いんですね。

ほんとに、人なんて祝福できるのだろうかと。
喜ぶ人と共に、喜ぶことなんてできないと。

祈りの中で、見せられます。
それを認めて、委ねて行けることが感謝です。
どんな状態でも、あるがまま受け入れられていること、
愛されていることを、経験して行けます。

祈りって、ほんとに感謝だなあと。」



真に神様に向き合えてて、感謝です!!