2018年02月12日(月)
  「赦せない思い」

「赦すことって、最も難しいことの中の一つですねえ。」

「傷つけられると、赦せないですよねえ」

「頑なな強固な自我があって、赦さない、赦したくない。
神様の力でしか、どうにもならないですねえ」


特に見た目が、相手に非が大きい時が、難しい。
同じくらいに、非があれば、まだ何とか赦せたりするが。

自分も罪人で、日々罪を犯すし、自分も赦してもらわ
なければならない人間で、それも頭でよくわかるのだが、

相手の非が、一見大きいと、自分の罪は小さいと
錯覚してしまう。

夫のギャンブルで、悩みに悩んでいた婦人が、心底からの
助けを求めて主のもとに来た。
主はその求めに、祈りに答えて下さった。

御霊の光に照らされた時、裁きまくっている自分の姿を
見せられたと。

夫を見下して、夫は悪、自分は義とし、恐ろしい高慢
に気づかされた。御霊の示しに、おののいて悔い改めた。

その時初めて、夫の良い部分が見えて来たと。
自分は悪口ざんまいだが、いっさい人の悪口を言わない夫。
立派な人だと思った。
家族への思いやり、愛情のあれこれも思い出された。

赦すどころか、赦してもらわないといけないのは、自分の
方だと心底思えた。心が変えられた。


Bさんは、どうしても赦せない相手がいて、でも自分が
全く平安無くて、苦しくて、悶々状態だ。

赦すことは神様の御心だし、自分が苦しいから赦そう
とするのだが、どうしても出来ない。

頑なな自我がどうにもならない。自分ではどうにもならない、
だが、苦しい。

余りにも苦しくて、神様の前に、心の何もかもを吐き出し、
どうやっても赦せませんと認め、

「赦せない私を、赦して下さい」と祈った。
その時、何かが変わった。
不思議に心が変えられて、安らかになって、相手を
赦すことができた。自分でなく、神のみわざだった。

人それぞれに、色々な方法で、祈りに答えて下さる。


2018年02月07日(水)
  「自分が羊飼いに」

「主は私の羊飼い。
  私は、乏しいことがありません」詩篇23:1


ダビデは、主が自分の羊飼いで、自分には
何も欠けることが無いと言った。

英語では、I shall not want.。欠けが無い。

そして、I have everything I need.
必要は、すべて、何もかも与えられると。

羊は近視眼で、身体も弱く、狼に対して徹底無力だ。
しかし、羊飼いがいて、水のある沢に連れて行ってくれ、
食べ物のために、牧草へと導いてくれる。

羊飼いが、羊の体調をいつも注意深く見て、ケアをして
くれる。狼に対して、身を挺して守ってくれる。

私たちは羊で、羊飼いがいつも愛し、慈しみ、心配し
世話をしてくれる。

私たちには羊飼いがいる事を、よく忘れて、自分が
羊飼いになってしまう。

自分が羊飼いになり、事が起きると、あらゆる思い煩いに
ふさぎ込み、心配で夜も眠れず、食欲も減退。
不安と恐れで落ち込み、周囲にも害毒を流してしまう。


「私たちに突如の、想定外の事態が起きた時、あなたの
主人は、誰になっていますか」とあった。


皆が、「あ!自分が羊飼いになっている!!」と言った。


「丁度一昨日、親の介護に出かけたのですが、自分が
羊飼いになってました!!
ついイライラしてしまって、介護が自分の肩にずっしり
のしかかり、重いものになってました」


「家事で、自分が羊飼いになっていました。重荷でしんどく
なっていて、身体もきついし、辛くなっていて。
自分が、自分が、と自分の肩にかかっていました。
気づけて良かった」

「子供の心配事が起きて。自分も一緒に悩んで、何とか
助け出してやりたいばかりで、神様が飛んで、自分が、
自分が、になってました。
だから、思い煩いと不安で心が重苦しくなっていて」

「私も親の介護で、将来のこと、先のことを思うと、思い
煩ってしまい、羊飼いになってました」


羊であるとは、何と安堵なことでしょうか。

羊飼いが、絶えず平安の場所へと導いて下さり、
全お世話を担って下さり、常に愛と慈しみのまなざしが
注がれていて、本当に幸せなことです(*^_^*)






2018年02月05日(月)
  続「祈りによって」

Bさん。

「メカ類が苦手で、わからなくて、ちょっと夫に聞いた
んです。

男性にすれば、すごく簡単なことのようで、私が
うまく飲み込めないので、何度にもなると、イラ立って
いる感じが見えました。

でも、わからないし、こちらは、そうは言っても
教えてくれないと、わからないじゃないか、と思って
しまいます。
心がモヤモヤして来て。

何かギクシャクして、文句を言いそうになったんです。

その時、「あ、神様」と思って、心の中で助けを求めて
祈ったんです。
すると、悪い言葉を発することなく、守られたんです。
心も守られました。

すると、その後、夫が謝って来てくれたんです。

驚いて、自分も悪い言葉を出さなくて良かったと。
ほんと、神様だと思って、神様に感謝しました。

取り込み中なのに、心も騒いでいる中なのに、
ふっと、神様を見上げるようにさせられる、神様を思
わせて下さる、御霊様ですよね。

御霊の助けがあるから、守られて、歩めるんですよね。
自分の力でなく、ほんとに感謝です」


Cさん「同じような事が」

ある時、夫が帰りが遅く、寝ないで待っていたんです。
すると、深夜に、すごく酔っ払って帰って来て。

ちょっともう、ムッとなってしまって。
でもその時、はっと、「神様」との思いが来て、
「助けて下さい」と心で祈ったんです。

手がかかったのですが、ほんとに神様を感じて、
何だか親切に対応できて。
すぐ寝てしまったんですが。

すると翌朝、謝って来てくれて。

主に祈って、助けられて対応できて良かったと、
神様に感謝でいっぱいでした」



“しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によって
お遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、

また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い
起こさせてくださいます”ヨハネ14:26

2018年02月04日(日)
  「祈りによって」

「神様に出会う前は、思ったことをそのまま、夫に
ストレートに言ってました。
それが普通で、当たり前だと思っていたので。

だから、喧嘩が絶えなかったです。
しょっ中、口喧嘩になっていました。
でも、逐一、言わないと気が済まなくて。

神様に出会って、思ったことを何でもかんでも
言うべきではないと、わかりました。

神様に従おうと、不平や不満、愚痴、相手を
責める言葉、批判、否定的な言葉を言わない
ようになりました。

肉の言葉は、口から出すまいと、これは自分に
とっては、すごい変化でした。

時を経るうちに、ある事に気づきました。
しばらくの間、良い感じで持つのですが、

必ず、定期的に爆発するんです。溜まって来る
と切れてしまって、うわっ〜と不満を爆発させる。

そしてあの時はこうだった、この時はこうだったと
前の事まで持ち出して、それまでの証しがすべて
台無しで、水の泡。

これを繰り返していて、ああ、自分の力でやって
いるからだと気づかされて。

神様に頼って、御霊の力によるのでなく、自分の
力で我慢している。

我慢なので、表に出ないだけで、底に溜まって行く。
蓄積されたものは、容量オーバーになると絶対に
爆発する。

肉の力による我慢であって、神様によるものでは
ないと。

でも、それがわかった事により、祈ることができて
感謝です。

自分では出来ないので、神様の助けを求めて、
ずっと祈るようになって。

失敗もしますが、随分自分が変えられました。
何よりも、そのつど祈れることが感謝です。

特に、カッとした時は、言葉を出す前に、祈る
ようになって。ほんとに守られることを経験させ
られています。

心が変えられて行っていることを感じます」



“御霊によって歩みなさい”ガラテヤ5:16


“主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を
守ってください”詩篇141:3







2018年02月02日(金)
  「私にわかるように」

Aさんが証しをしてくれた。

神様がわかりやすく、自分の不信仰を教えて下さったと。

「婦人会で、まずコーヒーを入れ、お茶を飲みながらの感じ
で学びをするんです。

玄関で、バッタリと牧師先生に会い、『先生にも事務室に
コーヒーを持って行きますね!!』と言った。

だが、完全に忘れていて、自分はちゃっかり頂いていました。

婦人会が終わった時に、突然気がついた。『あー!!
コーヒー忘れたー!!』
慌てててコーヒーを入れ、牧師先生のもとへ持って行った。

『先生、ごめんなさい。忘れてました』と正直に言えた。
『有難う』とニコニコと受け取って下さった。

その時、正直に素直に言えたのは、先生が快く赦して
くれるとわかっていたからだと、わかった。

目に見える人は信じることができる。でも、自分は、目に
見えない神様が、赦すと言って下さっているのに、信じて
いないことに気づかされた。

赦されていることを、頭でしか受け取れていない。
こんなに完全に赦す、いっさい思い出さない、と言って
下さっているのに、心では、赦しを信じることができていない。

主は、その事をはっきりと見せて下さいました。
見せて下さったから、祈りにもって行けます。

赦しを心の底から受け取り、信じることができるように、
祈って行きたいです。

不信仰を示されたのに、嬉しかったです。感謝でした」と。



そのAさんは、普段から、「霊的なことが、なかなかわからない
ので、霊の事柄を、私にわかるように教えて下さい」
と祈っている。

ほんとにその祈りが答えられている。

それを聞いていたBさんも、「私にわかるように、教えて
下さい」と祈り始めたと(*^_^*)