2018年04月11日(水)
  「日常に共におられる主」

日々の生活で、主が生きておられ、共におられて、
導いて下さっていることを知る時、喜びが溢れる。


「こては、すれば良いだろうなという事があって、でも
多忙が続いて、体調悪くて、でも自分もした方が
良いとの思いがあり、でも、休みたい思いもある。

この二つの思いに心定まらず、悶々状態だった。

こんな場合は、どうすればよいのか。

神様は、環境の閉じ開きを通して、導いて下さる
と学び、とにかくこの状況を神様にお委ねして、
皆にも一緒に、導きがわかるように祈ってもらった。

するとその所用の相手先に、打診してみようとの思い
が浮かんだ。
祈りに答えて、神様が導いておられると感じた。

相手の動向によって、導きを示して下さい、お委ね
しますと神様に祈って、連絡してみた。

すると、相手先は、する事を望んでくれていて、それ
ならと、何と不思議だが、心がすっきりと定まって、
平安になった。

神様の導きを知って、物事を行なう時、そこに確信
があり、気持ちがあり、喜びがある。

もやもやの心がすっきりして、何と、なぜかわからないが、
身体もすっきりして、どんどん用事ができて、不思議
を経験した。

そして、祈っていたなすべき事も、助けられてできた。

日常に、目に見えない主が共におられて、御言葉
や平安や、環境を通して、語りかけ、導きを与えて
下さることに、喜びが湧いた。


でも、神様に導きを求めて祈ったから、答えられた。
もし、祈らずに、自分でしていたなら、もやもやの
心のまま、しんどい思いで、心がついて行かない
ままだったと思う。

また、しなかったとしても、するべきでは無かったかの
もやもやと、とがめが残る。


“わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え・・”
と、主を呼ぶ時、目の前のことを主と共に行なって
行ける」


「対人関係で、相手の言葉で傷ついたんです。
一言、言いそうになったんですが、そこで心で祈ると、
とどまれて。
言わない方が良いと思えた。争いになってただろうと。

そうこうしていると、相手が普段にない、優しい、気遣い
の態度をして来て、ああ、悪いと思ってるんだなと、
こちらも笑えてしまって、赦してあげようと思えて。

祈ると、ほんとに神様が働いて下さること、経験します」




2018年04月09日(月)
  「変えられた」

何やかやとあっても、自分が変えられていること
がわかると、語り合っていた。

皆が、神様に出会っていなかったら、どうなっていたか
わからないと。神様に感謝しかないと。

★「試練に次ぐ試練で、パニックになったんですが、振り
返ると、その試練が感謝で、もう心底、ほんとにどうに
も出来なくて、神様に委ねるしか無かった。

委ねさるを得ないとの感じで、その時、人生で初めて
御霊の平安を経験しました。心底の安堵があって、
肩の荷が下りて、肩から力が抜けて、平安で平安で。

ほんとに目の前の事が道が開かれ、次々導かれて
行って、神様の奇跡を見せられました。

今まで、自分の力で、自分が背負って、自分が頑張って
いたのだとわかりました。自分がしないと、誰がすると思って
いたし、自分がやるっきゃないと思っていて。

今は変えられて、いろんな事が起きるが、神様が何とか
して下さると思える。変えられました。

考えてみると、あの試練からで。試練があったから、瀬戸際、
許容量オーバーになり、明け渡す事ができて。
だから、試練に感謝です!!」


★「自分は大きな試練を抱えてて、ずっと暗闇の中でした。
苦しくて、辛くて、悲しくて、でも、どうしようもなくて。

色々探し求めるが、真に心に慰めを得るようなものは
無かったです。
悶々とした中でいました。

でも、神様に出会えて、状況は変わらないのですが、
光があって、感謝があって、心が落ち着いて、ほんとに
変えられました」


“暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の
地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った”マタイ4:16


“見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。
しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に
現われる”イザヤ60:2


★「神様を知る以前は、生活の中に『感謝』など無かったです。
良い事があっても、ラッキーで、当然、当たり前、そして神様など
無いから、すべては偶然。
うまく行かないと、不平不満、愚痴の募り放題。

ほんとに神様に出会って感謝しかないです。
生かされていること、今日も神様が共におられること、愛されて
いること、感謝でならない。
ローマ8:28の万事益が、何か起きた時に、いつも心に浮かび、
有難いです。
日常の平凡なこと、当たり前の事こそが、実は大きな大きな
感謝だと気づかせられる。
生活に気持ちがあって、喜びがある。ほんとに変えられました!」





2018年04月04日(水)
  続「光が照らす」

ある人は、とにかく親友が周囲からほめられると、
心にザラッとするものが生じた。心がザラついた。

ある時、それが特に強く感じられ、非常な違和感で、
帰宅するや主の御前に、ことごとく告げて、心の内に
あるものを照らされるよう、示し出されるよう祈った。

すると、実はずっと親友に対する妬みがあることが
わかった。
いつも一緒に遊ぶ親友、仲の良い親友だけに、
決して認めたくなかった事もわかった。

主の御前に悔い改めることができて、もやっとした心に
平安を頂いた。


「私も、日常生活で、いろんな時に、心のザラつきが
わかります。

心がザラッとする、そんな時、そのまま神様にもって行き
祈るんです。
心が照らされるように、心にあるものを教えて下さるよう
に祈ると、心にある様々な思いや感情を示されます。

妬み、憎しみ、恨み、裁く思い、いろんな気持ちに気
づかせられ感謝です。
悔い改めることができるので。

そして、何かさみしいザラつき、虚しいザラつきを感じる
事もあって。
でも、その時も、神様のもとへ行けて、さみしい、虚しいと
神様に向いて、祈ることができます。

ザラつきが無かったなら、神様を求めることもないし、
罪を犯したまま気づけないし、もっと神様を親しく知ること
もない。

ザラつきが感謝だなと。
だから、すべての事が感謝なんだなと、覚えさせられます」

光があるから、闇にあるものが照らし出される。

2018年04月02日(月)
  「光が照らす」

自分の内の、本当の気持ちは、自分でも
わかっているようで、わからない。

祈りをもって、主に向かう中で、その心の底に
ある気持ちを指し示し、気づかせて下さる。

“すべての人を照らすそのまことの光が世に
来ようとしていた”ヨハネ1:19

暗闇では見えないものが、光が射すと照らし出
され明らかになる。


ある人が、いじめに会った。でも自分はクリス
チャンだから、愛さなければならないと思い、
「愛せますように」「愛せますように」と切に祈った。

いじめは辛くて、痛くて、苦しくて、帰宅すると涙が
溢れた。
でも、「愛せますように」「愛せますように」と祈り
続けた。

ずうっと祈り続けるのだが、祈りが全く聞かれない。
いじめはずっと続いている。自分も苦しくて、辛い。

ある日も帰宅して、涙ながらに祈っていた時に、
突然、口に出ている言葉と、心が一致していないと
気づかされた。

心は「愛せますように」などと全く思っていない。口先
だけの祈りで、建前で、形だけの綺麗ごとで、嘘で、
そこに真実が無い。

じゃあ自分の本当の心は?「いじめる相手が大っきらい!!」
嫌で嫌でたまらない。初めて「大っきらいです!!」と
心の底を告げると、涙が出た。

すると不思議が起きて、突然いろんなシーンが勝手
に浮かんで来た。次々と脳裏を巡る。御霊様だ。

それらのシーンが次々と巡った時に、「あ!妬まれて
るんだ」とわかった。それを確証づける場面〃が思い
出された。
御霊が教えて下さった。

自分みたいな者を、妬まなければならない相手も
どんなに辛くて苦しいだろうと、初めて、その人を
祝福してあげて下さいと、心から祈れた。

そしてそれ以後、心は平安にされ、相手がどうであれ、
普通に接する事ができるようになった。

とにかく祈りに持って行く時に、自分自身を照らし
導かれる。


2018年04月01日(日)
  「寒暖計」

自分はいつも「温度計、寒暖計」だと話し合っていた。

どうしても気がつくと、自分が寒暖形になっていると。

「即、相手に“反応“してしまう。
ムッと来る言葉を言われると、カチン!と来て、怒りで
いっぱいになる。
すると、ついきつい言葉を返してしまう。
あー、寒暖計だ〜、反応した〜と悔い改める(^^;)」


「でも、失敗を繰り返しながら、神様に頼ることを
学ばせられて感謝です。

ちょっと主人に物を教えてもらう事があって、それが
男の人にとれば、簡単な事で、面倒なのはわかる
んですが、何だか無愛想で、

でも、こちらは教えて貰わないとわからず、何かムッと、
もやもやと来て、物言いしたくなったんですが、

こっちもいら立ちがあったので、これはケンカになる
と、祈って、神様に聞いて頂いて、心おさめた
んです。

すると、翌朝、『昨日はごめん』と主人が対応悪か
ったと謝って来てくれて。
びっくり嬉しくて、怒りをぶつけなくて、ほんとに
良かった!!と。
神様に感謝したんです。


「ずっと寒暖計の気がする。だからケンカになるんです
よねえ」(笑)


「ある時、主人が動くのが面倒だったのか、頼み事を
してくれてなくて、内心は怒りだったが、自分で何とか
その事をした。

ところが、今度は主人が頼み事をして来た時に、
絶対にしたくない自我でいっぱい。

でも、これはサタンも来ていて、肉で、自我で、とにかく
祈ろうと、祈るって、丁度読んでいた箇所の続きを
読むと、

“ダビデは、その生きていた時代において神のみこころ
に仕えて後・・”と出て来て、

神のみこころに仕えることを示され、神のみこころは
相手が困っている頼み事を聞くことと、実行できた
んです。
いつもながら寒暖計になるところが、祈りと御言葉で
感謝でした!!」


寒暖計は、気温をそのままを示し、反映する。
相手が優しければ優しく、冷たいと冷たく・・

一定温度を保つための自動温度調節装置が
サーモスタット。

私たちは、寒暖計でなく、サーモスタットと。
反応するのでなく、御心を行って行くことだと。