2018年12月27日(木)
  「ハンナの祈り」

聖書にハンナの祈りが出て来る。

ハンナは子供がどんなにか欲しかったが、子供が無かった。
当時は子供が無いのは、神から祝福されていないとの
迷信があり、人々にそのような目で見られる事は非常に
辛いことだった。

エルカナには、ハンナとペニンナの二人の妻があった。
秩序が狂うと、必ず問題が起きる。

ハンナの方が夫から愛されていたため、ペニンナはハンナを
妬み憎んでいた。
そのため、子供のいるペニンナは子供の無いハンナをこれみ
よがしにいじめた。
苦しみに苦しみが積もったハンナは、祈りに持って行く決心
をする。

主の御前で激しく泣き、思いを吐き出し、感情を吐き出し、
長く思いの丈をすべてことごとく祈った。

心の何もかもを、吐き出し、主に受け止めて頂き、祭司より
御言葉をもらった時に、心すっきり晴れやかになった。

食事が出来ないほど悩み苦しみ、悶々状態であったのに、
思い煩い苦しみのすべてが消えて、平安になり、食事が
出来た。


ハンナの祈りを通して


色々な人々が、苦しくてたまらない時、悶々状態の時、「ハンナ
の祈り」をするなら、不思議に心が落ち着いて来て、導かれて行く
事を経験する。

対人関係で、どうしても嫌な相手がいると、綺麗事を祈って
いる間は、全く何も変わらない。しかし本音を吐き出すと事態が
動いて行く。

「愛さなければならない」が重くのしかかり、身動きが取れない。
幾ら愛そうとしても、愛せない。苦しいばかりだ。
心の底を探ると、愛したいなどと思っていない。嫌っていたい。

「愛したくありません」とありのままを祈って行く時に、心が変えられ
て行くから不思議だ。

Aさんは朝に夫婦喧嘩をして、夫が出た後も、怒りが沸いて
仕方がない。怒りと腹立ち、恨みをあるがまま、本音を主に叫び
祈っていると、段々心が落ち着いて来て、心が静められと。

心が平安になって行き、その内に自分の非も見えて来る、
悪い態度、不機嫌な雰囲気・・悔い改めに導かれる。
夫の帰宅時は素晴らしい笑顔で迎えられる。

「ハンナの祈り」をしていなければ、修羅場になっていたところ。

人に言えない事、本音を主は受け止め、平安に変えて下さる。



2018年12月26日(水)
  「今年の一文字」


そして一つ一つが必ず「希望」へとつながる。この一年も
それを実体験して来ました。

“患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出
し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望
を生み出すと知っているからです”ローマ4:3

Bさん 「勤」
今年は、勤勉の勤です。色々と周囲をサポートする事が多く
そのために用いられた一年でした。状況、環境的に自分が
必要とされている事がわかり、主の拠り頼みつつあずかれた
一年でした。
振り返る時、勤めることができたのは神様による事と、神様が
させて下さったんだなあと、平安と感謝でいっぱいです。

Cさん 「務」
私は、任務の方の「務」です。今年は、突然の想定外の事で、
子供一家と同居になり、家事に、育児のサポートに務めを
果たすことができました。神様の助けです。
加齢で、身体はなかなか大変ですが、守られ、助けられて、
喜びと楽しみを与えられています。

Dさん 「元」
今年は、元気の「元」です。ずっと仕事をして来て、定年でリタイヤ
しました。家の事と仕事の両立は、なかなかきつかったです。
職場の人間関係の大変さのストレスもあり、ずっと身体も慢性疲労
のような状態でした。
そろそろリタイヤと決心できて、辞めたら、もう比較にならないほど
身体が楽になって。今年は身体が元気でした。
元気だと、気力も備わって来て、余裕もって家族のために仕える事
ができた一年でした。
家の事に専念できる恵みに感謝で、平日の集会に来れる恵みに
感謝でした。

Eさん 「恐」
恐怖の「恐」です。恐れや心配、思い煩いに落ち込む時、それは
不信仰から来ていると教えられた一年でした。
何か想定外の事が起きると、自分は「恐れ」に支配されてしまう
ことを見せられ、気づかされた。
どっとネガティブな思いに支配され、心配、不安でいっぱいになって
しまう。不信仰が知れたことが感謝でした。
不信仰をそのまま、神様のもとへ持って行き、ありのまま祈ること
ができて、それが恵みへと変えられた、大きな一年でした。

Fさん 「温」
今年、特に一番印象深かったのが、親族が皆で集まれて、とても
幸いな喜びの時を過ごせたことでした。
それで「会」か「遭」かなと考えたのですが、趣味でしている事柄を
通しても、心と心の温かい交流が与えられ、喜びが与えられて、
「温」にしました。





2018年12月11日(火)
  「クリスマスは奇跡」

今年もすでに師走で、クリスマスを迎える季節になった。

今週は地区集会で、今年始まる1回目のクリスマス(^^)

「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれ
になりました。この方こそ主キリストです」

野宿で夜晩をしていた羊飼いに、御使いが現れて告げた箇所
からのメッセージ。

救い主が生まれたこと。この方こそ、神であり、神の力を持った
方であること。
真の安らぎを与えることができ、自然界をもおさめる力を持たれ、
罪を赦すことができる方。

A・B・Cさん共に「罪が赦されて赦されて、生かされていることに
改めて感謝と感動を覚えました。
本当に罪があり、罪深い。けれど赦されて、赦されておれること。
いつも罪のまま、十字架の主のもとに行けばよいこと、こんな恵み
ないですよね。感謝でならないです」

皆で「ほんとに神様知っていること、救われたこと、奇跡ですね」
主の御名を崇め、恵みのクリスマスだった。


私は、羊飼いたちが救い主誕生の知らせを受けて、15’「さあ、
ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事
を見て、来よう」と、

知らせを聞いただけでなく、実際に行動に移して、見に行ったこと、
その時に、
「羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおり
だった」と知れたこと。

そして「神をあがめ、賛美しながら帰って行った」ことが印象的。


主の言われた事に、ただ聞くだけでなく、従う時に、初めて本当に
主を知ることができて、主を崇め、賛美できるのだと。

「だれでも神のみこころを行なおうと願うなら、その人には、この教えが
神から出たものか、わたしが自分から語っているのかがわかります」ヨハネ7:17

従う時に、まことの神様がわかるようにされる

2018年12月11日(火)
  「痛」(^^)

4月中旬頃に、発熱で、熱が全く下がらず、近くの医院で
「腸炎」と診断。

ずっと抗生物質の点滴に通うが良くならず、更に午前と午後
に点滴を増やすが、更に数値は悪化。白血球が正常値の
3倍。炎症数値が普通0.3〜のところ19。

CTを撮ると、腸全体に菌反応と。看護士さんがこんなにひど
いのは見た事がないと。絶食にして点滴を更に強くしましょう
との矢先に。

突然の、いまだかつて経験した事のない激腹痛に襲われ。
出産も、痛みで全く動けないぎっくり腰も、転げ回る急性胃炎も、
どうにも出来ない尿路結石も経験し、それぞれ半端無い激痛
でしたが、全く別の遙かに酷い痛み。

何かの異常が起きた、イレギュラー、特異な事が起きた痛み
でした。
脂汗がダラダラと出て、じっと耐えるが痛みは変わらず。「痛い」
と思わず意志に反して、口から出てしまうほどの。

結果的に「十二指腸穿孔」、その時に十二指腸に穴が開いた
ための痛みでした。

救急搬送で、大きな病院へ。もう痛みの限界で、「早く、早く
一秒でも早く着いて欲しい」の一心で(笑)
さすが救急外来で、驚くほどテキパキと次々と検査。CT、
MRI,レントゲン、エコー、検査室へ次々移動でなく、機器が
向こうから次々やって来る。

腹膜炎を起こしていて、お腹は妊婦のようにパンパンに腫れ
上がり。
その検査中も、もう激痛が容赦無くで、もうろう状態。「ちょっと
痛み止めもらえませんか」に、「これから手術になるから、ダメなん
です。我慢して下さいね」。

「すぐに切ります。でないと死にます」と言われ、もう何でも良いので、
何とでもして欲しい、切ってもらえるのが有難いという状態でした(^_^;)

この間ずうっと、
「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」
「わたしは神、あなたの神」
との御言葉が臨み続けていました。

麻酔が切れて目が覚めた時、あの七顛八倒の痛みが消えていま
した。無事手術終わり、神様、有難う。背後のお祈りのお陰でした。

死と隣り合わせと言うか、本当に死ぬかも知れないと思った時に、
今までの人生、本当に幸せだった、今も幸せだと、心底思えた
ことが感謝でした。


Aさんも、「私もです!私も今年、救急入院した時に、神様に出会えた
人生、今、ほんとに幸せで、このまま死んでもいいと思いました!」

神様はすごい!!!