2019年01月23日(水) 「忠実」
Aさんが、主のための働きをしていたが、ちょっとミスって しまうことがあった。 少しミスが重なった時に、周囲に迷惑をかけるから、降りよう と思った。 しかし、人から頼まれたかも知れないが、働きを与えているのは、 主ご自身。 そして、主は成功、失敗は問われない。「忠実」を見られている。 「忠実」を主は求められている。 Aさんは、働きを続け、ミスも減って来た。 そして、急に成し遂げなければならない、働きを依頼された時に、 Aさんは、一生懸命に準備した。 そして成し遂げることができた。 「自分に、出来る限りの準備をしたので、とても平安でした。 喜んで、お献げできました。 出来る限りの事をしたことを、主は知って下さっているので、感謝でした」 主は「忠実」に対して、豊かな報いを下さる。 そして、「忠実」とは、自分に出来る限りのことを、お献げすること。 ベストを尽くすことだと教えられた。 与えられたことに、自分に出来る限りのことをして行けるよう。 ベストを尽くして行けるよう。 主は、たくさんのものを与えて、豊かに豊かに祝福して下さる。 そして喜びを与えて下さる。 “よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実 だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。 主人の喜びをともに喜んでくれ”マタイ25:21
2019年01月21日(月) 「今は出来なくても、大丈夫」
★「以前からの辛い対人関係で、最近もとても悲しい事があった のですが、でも、この対人関係が与えられていたからこそ、 神様のもとへ来れたと思います。 これが無かったら、神様を信じておらず、救われていなかったと。 もし何の悩みも無かったら、必要がなく、絶対に神様のところへ 来ていないです。 だから、辛いけれども、ほんとに感謝なんです。 この苦しみが神様のところへ連れて来てくれて、出会わせてくれた。 感謝でならないです。 今は、心が痛過ぎて、まだ心底からは相手のために祈れないですが、 神様が必ず、私の心を導いて、いつか祈れるようにして下さると 信じれるんです。だから感謝です」 ★「今は出来ないけれど、祈って行くなら、神様がいつか出来るように して下さる・・これって信仰ですよね(^^) 信仰だから、必ず信じた通りに成りますよね。そして、その期間も 平安に過ごせますよね」 ★「奇跡を何度も経験しました。心が深く傷ついていて、その事に触 れることさえ出来ない。トラウマなんですね。 勿論、祈ることも出来なかった。まさに心が動かないような感覚で。 身体も震えるんです。 でも、神様に出会って、すぐにではないですが、時間を経ながら、 それが、環境的に、どうしても向き合わねばならない状況にされて、 身体は震えて、心は恐いんですが、救われてからかなり経ってた ので、自然に助けを求めて祈れて。 祈りに持って行けたので、まさに祈りが答えられて、正面から向き 合うことができたんです。今は平安にされていて、ほんとに奇跡 です。 触れることも出来なかったのに、ちゃんと祈れるようになって、心を 向けることができて、神様はすごいです」 “わたしは主、あなたをいやす者である”出エジプト15:26 ★「『今は出来なくても大丈夫。神様が出来るようにして下さるから』 これって救いですよね。先には、必ず神様が良くして下さると思えると、 今できなくても、今も、安堵と平安の中で生きられる。 ほんとに、そのようにして下さるし(*^_^*)」
2019年01月17日(木) 「偶像」
かなり昔の映画、「十戒」をテレビで放映していた。 用事をしながら、ところどころ観ていた。 紅海が分かれるシーンは、今、観ても十分劇的だ。 CGなど無い昔なのに。 で、その後に、モーセが十戒の石版をもらうために、 山に登って、40日が経過した時。 モーセは長く戻って来ない。 モーセは死んでしまったのか、どうなったのか。 民は動揺し始め、何と、アロンに頼んで、金の子牛を 作る。 え?何で?少し前に、後にも先にも無い、大々的な奇跡を 見たばかり。 何で、すぐに偶像?奇異に感じるが。アロンもモーセ不在で民 をリードしなければならないのに、民の言うままになる。 群集心理に身の危険も感じたのだろうか。 “彼がそれを、彼らの手から受け取り、のみで型を造り、鋳物の 子牛にした。 彼らは、「イスラエルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上 ったあなたの神だ。」と言った”出エ32:4 金の子牛が作られ、民が言った。 「イスラエルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上った あなたの神だ」と。 つまり、木の神やら、石の神のような、別の偶像ではなくて、 この金の子牛が、紅海を分けて奇跡を起こした神、まさに エジプトから連れ上った、唯一のまことの神だと。 エジプトに430年いて、エジプトは偶像の地で、偶像が普通で、 見える神に馴染みが強く、それが神であり、影響が大きかったの かも知れない。 荒野の間中、水を出し、マナを、うずらを降らせ、40年間、すべての 必要を与えられた。雲の柱、火の柱で、常に共におられ臨在をもって 導かれた。 “この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、 はれなかった”申8:4 様々な訓練はあったが、完全に守られた。 クリスチャンである自分は目に見える偶像は拝まないが。 木の神、人間の神、石の神・・ でも、唯一のまことの主を信じ、礼拝していながら、同時に心に目に見え ない偶像があるなら、富や、自己実現、名誉、地位、人からの賞賛、 プライド・・ イスラエルの民と同じではないかと。 ・・鋳物の子牛にした。 彼らは、「イスラエルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上 ったあなたの神だ。」と言った”出エ32:4 この言葉は衝撃的だった。
2019年01月14日(月) 「肉の思い」
以前にAさんが、パン作りに凝っていた時に、パンが 焼けたので、出来たてパンをアパートのお隣さんに 届けて、大変喜ばれた。 しかし、家に戻って、どうしても心に平安が無い。良い 事をしたのに、何で?と思い、その場で祈った。 すると、「私はこんなに上手にパン作りが出来るのよ」と、 自分を誇って、誉められたくてしたと、御霊に動機を照らされた。 本当にその通りで、相手のためなどで全くなく、自分を 誇るためだった。気づきを与えられて感謝した。 Bさんが、人の手助けをしようとして、いろんな思いにさいなまれた。 こんな少し位の事をしても、何にもならない。 やるからには、もっとしっかりと、十二分にやらなければ意味がない。 この事をしても、相手は喜ばないのでは。 逆に、もっとしなければならなくなれば、どうするのか。 自分にはとても出来ない。 思いばかりが、ああでもない、こうでもないと巡り、何も出来ない。 でも、何もしないのも平安が無い。 そこで、ありのままを主のもとへ持って行き、祈った。 すると、確かに、手助けは御心で、それも自分に出来る事をすれば 良いとわかった。祈りの答えだった。 こんな少しの事なら、焼け石に水、何にもならないというのは 肉の思いで、自分の思い。又、先の事を思い煩うのも肉の 思い、又、動機も照らされて、自分が相手に良く思われたい、 肉の思いがある事、自分のためである事も示された。 良いことをしようとする肉を教えられた。 様々示された結果、神様に委ねた。 すると環境的になすべき事がわかり、少しの事だが手助けが出来た。 相手にも大変喜ばれ、自分自身も心がすっきりと、平安に満たされた。 肉の思いでなく、肉の力でなく、御霊に示され、御霊に導かれ て、した事だとの平安と確信に、心は喜びに溢れた。 また、とにかく祈りに持って行けばよいこと、主が教えて下さることも 経験できて感謝だった。
2019年01月10日(木) 「選択」
「無くてはならぬものは一つ」は、極めて明快だ。 あれも、これも色々と、有りそうに思うが、「一つだけ」と。 「マリヤはその良い方を選んだのです」ルカ10:42 マリヤは、その大切な一つのことを「選んだ」と。 マルタも、大切な一つは知っていたのだろうか? でも、その時は選ばなかったのか。 オートマチックでなく、御心を選び取らないと、流されてしまい、 結局、一生流されてしまいそうだ。 「朝起きて、まず神様に心を向けて『おはようございます』 から始めて、まず祈ろうと思うのですが、 ぼお〜としていると、朝起きた瞬間から、一日のスケジュールや、 又、心配事、悩み事がどおっ〜と来て、思いがついて行って しまってる。 すでに思い煩いに支配されてしまっていて。朝一からサタンが来 ますねえ。祈りが取られて、考え事をし不安や恐れも来る。 起きた時に、神様に向くことを、選択して行きたいです」 「Aさんが、同じ事を言っていて、前の晩、寝る時に、朝一で 主に向けるよう、祈って寝ると言ってたよ(^^)」 「デボーションも主が与えて下さるよう祈りつつ、自分も選択しない と持てない事、教えられます」 Bさんが、経済的必要のために、昼はフルタイム、夜もバイトをして いて、時間が無いのでデボーションが持てない。ああ、時間が欲しい、 時間さえあればと、ずっと思っていた。 ところが、突然の1日休みがもらえた時に、大喜びで行楽に飛んで 出かけた。その時に、デボーションは、時間の問題でなく、自分が選ば ないのだと、頑なな自我だと、気づかされたと。 「信仰人生、ずっと選択ですよねえ。御霊が引っ張るし、サタンが 引っ張る。自分に行なう力は無いが、意志を向けて選択した方 が、振り返ると結実している。 いつも目の前に二つの道があって、肉とサタンを選択すると、害毒 を流し、新しい性質と御霊の方を選択すると、良き証しとなる。 どちらも結実する」 祈りと御言葉を第一にして行くことも、意志を向けての「選択」だ。 御霊の方に、意志を向けて選択した時に、力が与えられる。 愛することも、感情ではなく、意志であり、選択だ。 以前に学びの中で、永遠の愛を誓って結婚した夫婦が、牧師 のもとへ来て言った。 「もう、自分たちに愛はありません。別れるしかない」 すると、牧師は言った。「さあ、今から愛することを学びましょう」と。 愛は有るか無いかというものでなく、学ぶものだと。 愛するとは決意であり、好きでも嫌いでも、愛して行くことを選択すること。 「選んでません」と、祈ることから祝福が始まる(*^_^*)
2019年01月07日(月) 「まず祈ってから」
姉妹方で、年頭の学びをした。 「どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです」 の箇所から、「無くてはならぬ一つ」のことを学んだ。 マリヤもマルタもどちらもが、イエス様を大好きで、どちらも イエス様の訪問を大歓迎した。 だが、歓迎の仕方が違っていた。 マルタは綺麗に掃除片づけをし、美味しい料理を作り、 主に食べて頂こうと一生懸命だった。 イエス様の分だけでなく、弟子たちの分もあるので大変だ。 段々食事の時刻が迫り、焦って来る。思うようにはどらず イライラしてくる。ちゃんと段取り間に合うのだろうか。思い煩いも来る。 ふと、そう言えば、マリヤはと、何で手伝っていないのか、何で 自分一人で、てんてこ舞いなのか。怒りとなる。 座って、ボオ〜としているように見えるマリヤに、激怒だ。 腹立ちは主に向かい、自分一人で労働している事を何とも 思われないのか。自分を手伝うよう言うようにと。 主の上に立ち、指示する。 皆が、「わかる〜!!!」「その通り!一緒だ〜!!」 「腹が立つんですよね。自分一人だけ、何でよ!」 「自己憐憫に陥るし、相手や周りを責めるし、さばく」 「すぐにさばく。でも、そんな時は、自分の思いと自分の力なん ですよねえ」 「そう。自分の力だと、思い通りにならないと、人を責めるし、さばく。 神様も御言葉も、飛んでいる」 「何をするにも、まず祈って、ですよね。でも、意識していると、少しづつ 身について来たように思うんです。 ちょっと人に頼まれ事をしたんです。その頼まれ事の時間の後に、予定 があって、タイトなスケジュールになると、まず思いが来て。 でも、とにかく祈ろうと、すぐ返事せずに、まず祈ったんです。 すると、どうしても相手に他に方法が無ければ、引き受けるよう導かれて。 「いいよ」と了承したんです。平安与えられて。 すると、別に道が開かれたと、しなくても良くなったんです。 自分の予定の準備も十分できて感謝でした。 でも、タイトだから、即、断るのでなく、逆に何でもかんでもいいよ、いいよと 引き受けるのでもなく、まず祈った時に、自分自身も神様が働かれる のを知れて、感謝でした」 この一年も、まず祈って、事を始めよう!! 、
2019年01月02日(水) 「今年も万事益に」
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された 人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださ ることを、私たちは知っています」ローマ8:28 年末年始と、様々な方々と談笑する中で、昨年一年も すべての事を働かせて益として下さったと、いろんな方々から 耳にする。 「去年、解決を見た事柄がありました。その問題の渦中では 苦しかったり、重かったり、不安や思い煩いがありました。 でも、振り返って見ると、パズルのように繋がるんです。その 悩みがあったからこそ、神様の所へ来れたし、ずっと神様を 求める事ができた。 苦しくてたまらなかったから、求めた。そして主は私の信仰を 周囲にも繋げて行って下さった。確かな実を与えて下さった。 あの苦しみが無ければ、神様のもとへ行っていないし、必死 に求める事も無かった。今は、ご計画だったと感謝できます」 「私も対人関係で、苦しみました。それらがあったから神様の もとへ来れました。苦しみが無かったら、今も、神様のもとへ来てい ないです。神様を知らずに一生終わっていたと思います。本当に すべては益だと。 苦しみの中で、支えが欲しかったし、どうすればよいのか、指針 が欲しかった。それでずっと神様のもとに来れました。 苦しみが、私を神様のもとへ追いやってくれた。 神様を信じた後も、苦しい状況は変わらずそのままでした。 が、自分の方が変えられて行きました。 憎しみや赦せない思いを持っていると、ずっと胸が苦しく辛い かった。今は、胸の苦しみも辛さも無いです。 時間かけながら、神様が取り去って下さった。憎しみは自分が 苦しいですね。今は平安与えられて感謝です」 「ずっと以前のあの悩む、この苦しみがあったから、今のこの 感謝に繋がっている。昔からの一つ一つを考える時に、あの事 が現在のこの感謝に、この事が、あの問題の解決に繋がっていた、 それが、本当に心から感謝ができる。 パズルのように、昔からの事柄が、今に繋がっている不思議。 それが、一つ一つ感謝に、結果して行く、ほんとに神わざ」 今までがそうであったように、この一年も突如の事態、わけが わからない、理解不能の事態、様々起きるけれど、その先 に、すべてが益とされて行くことを、「知っている」、何という恵み。