2019年02月14日(木) 「祈りの答え」
「去年、自分は神様を信じ、神様を知っているのに、なかなか 喜びが無いし、喜べない事に目が行き、来年は主にあって もっと喜びたい、神様のご愛をもっと知りたいと祈っていました。 主の愛をもっともっと知ったら、喜べるだろうなと。 ずっと祈っていたんです。 それが、新年になって、経済的問題がどっと来て、以前から あった対人関係が抜き差しならぬものになって来ました。 経済的必要は、自分では限界オーバーで、とにかくどうにも 出来ない状況でした。 ただただ、祈っていました。祈るばかりでした。 対人関係についても、自分ではどうしようもなく、主のお委ね して、ひたすら祈っていました。 経済的苦境は、一転二転し、更に大きなものにもなり、 本当に自分には不可能で、主に拠りすがるばかりでした。 全面ギブアップ状態でした。 どっと不安と恐れと思い煩いに、飲み込まれそうになるのですが、 いつも学んでいるように、不安も煩いも、心の思いも感情も 気持ちもことごとく祈りに持って行きました。 自分では、何もできずお手上げ状態でしたが、それが奇跡が 起きて、状況が変わり、自分の手持ちの範囲内の支払いで 良くなり、すべて解決したんです。 驚くばかりでした。 対人関係の方も、「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、 感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い 事を神に知っていただきなさい」ピリピ4:6 と学び、気持ちを主に吐露し、吐き出していたのですが、 「感謝をもってささげる・・」と教えられ、自分は感謝を献げて行こう と思い、主に感謝し、相手にも感謝したんです。 そうしていると、関係に変化が起きて、良い関係となって、 自分自身はいやされました。 これらの事を見た時に、自分はいっさい何もしなかった。 何も出来なかったのが正しいですが。 神様が全部成し遂げて下さったことを経験させられて。 神様のご愛をもっと知りたいの、祈りが答えられたとわかりました。 愛されていると感じました。 そして喜びが溢れました。 祈った通りに答えられて、神様を知る時とされました」 「この戦いは主の戦い」Tサムエル17;47 「主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙って いなければならない。」出エジプト14:14
2019年02月13日(水) 「弱さ」
Aさん「友達に誘われて、特別なイベントの時には教会に 来ていたのですが、ずっと、聖書の御言葉が全然、全く わかりませんでした。 何を言っているのかが、全然わからない。 でも、全然嫌とかはなく、食事会とか楽しいし、交わりも 楽しくて来ていました。 弱さの中に恵みが十分と、弱さが恵みなどと、何のことだか わからない。 ??ハテナ、ハテナ、でした。 ずっと頑張って、頑張って、自分の力で生きて来たので、 弱さを感謝などと、わからないし、受け入れられない。 強い事が善で、弱さは善じゃない。 弱い事など、どうして感謝なのか理解不能でした。 頑張って、強くあることが良い事と思っていたので。 むしろ、弱いなら、もっと頑張るべきだぐらいに思って いました。 頑張って、頑張って、強くあろうとしている自分が否定 される事が、きっと嫌だったのでしょうね。 だから無意識に拒否反応で、御言葉を拒否していたと 思います。だから全然入らないし、わからない。 幾ら、聞いてもわからない。 今、思えば、心の内もわかるのですが、その時は、無意識 なので。 友達が御言葉に恵まれて、涙を流していたのが、今はよく わかりますが、その時は、全然わからなかったです。 何で、泣くのだろうと、不思議で。 でも、神様はあわれみ、導いて下さって、取り扱って下さい ました。 自分では全くどうにも出来ない試練が来て、生まれて初めて 神様を頼りました。 その時に神様を信じ、救われました。その後、御言葉が 心に入って来て、「使用前、使用後」のようでした。 そして、信仰生活を始めて、また数年経た時に、大きな試練が 来ました。 もうほんとに右にも左にも、前にも後ろにも、どうにも出来ず、 神様にすべて委ねました。 その時に、今までとは全く違う、御霊の喜びと平安に満たされました。 ほんとに主の恵みは十分で、弱さの中に働いて下さることを 身をもって知りました。感謝です」
2019年02月09日(土) 「良い倉から良い物を」
“良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い 人は、悪い倉から悪い物を出します。 なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです” ルカ6:45 ★「日常生活の中で、実感させられます。 言葉って、ほんとに心から出て来て、自分が神様を見上 げてなくて、肉にいる時に、肉の言葉を発してしまう。 その時は、神様が飛んでしまっていて、自分で生きていて。 古い性質の、生まれつきのままの自分なので、カチンと来る と言い返し、自分は棚上げで、相手の非ばかりを責めてしまう。 そんな時は、必ず自己正当化し、悪いのは相手や状況。 全く、神様が飛んでしまっている状態。 肉の倉である悪い倉から、悪い物を出している状態ですよね。 悪い倉から悪い物を出すと、それだけで終わらず、相手にも 悪い物を出させてしまうことを教えられます。 批判や非難、攻撃をすると、相手の倉から悪い物を引き出し てしまう。自分だけで済まない。 そして逆に、新しい性質の、良い倉から、御霊に導かれて良い 物を出すと、相手の中から、思いやりや、愛情や、良い物を引き 出す。 言葉は、心の問題と御言葉が言っているように、心が御霊に 導かれているか、肉に支配されているかなので、 一日一日、祈りながら、御霊に導かれて、御霊に支配されて、 歩むことが大事で、自分には出来ないから、祈りなんだと思います」 ★「ほんとに、そう思います。神様を見上げて歩んでいないと、すぐ イライラしたり、とにかく目の前のことに、肉で反応してしまう。 肉の言葉、肉の態度、肉の行為は平安は無いし、必ず後悔する。 周囲に害毒を流し、証しをだめにしてしまう。 祈りつつ、神様を信じて、見上げて歩んでいると、思い通りにならな い事態でも、イライラせずに、ご計画がある、神様のみ思いがある、 別の御心があると思えるので、受け入れることができて、心は平安で、 思い通りでなくても、対処対応して行ける。 全然違いますよね。 でも、凄まじい世の勢いに、すぐ流されてしまうので、神様を意識 して、祈りつつ、一日を歩むことだなあと思います」
2019年02月07日(木) 「主に頼ること」
Aさん、行政上、しなければならない必要な事柄が起きて、 それに関わる経済的な問題、対人関係の問題で、思い 悩んでいた。 思い煩いに襲われる。しかし、いつもの通りに祈りに持って 行った。 自分の力を超えていて、もうどうにも出来ない事を、余す ところなく、打ち明け、主に拠りすがり、祈り続けていた。 時間をかけながら、祈りを積んで行った。事は一転、二転 して行った。見えるところは、対応自体も不可能な状況だった。 しかし、主に祈り、拠り頼み続けて行った時に、驚くべき、 想定外の見事な解決へと導かれた。 経済的問題は見事解決し、対人関係もその事を通して、 癒しと解決へと導かれたのだった。 素晴らしい主の御名を崇めた。 主はいつも、お手上げ状態の中で、素晴らしい、見事なわざを される。完全なるギブアップの時に、主の栄光を拝する。 であれば、欠乏しかなく、弱さしか無い中で、何の恐れも心配 も無く、主の御手の中で、安堵して、拠り頼んでいたらよいとは 何という恵みだろう。 幼な子が、親の腕の中で、全面的に身体をあずけて、どんな 状況の中でも、すやすや安心しきって眠っているように。 Bさん、「私はずっと教えられるのが、自分の力で動いてしまう から、神様が働けないんですよねえ。 とっさの事態に、神様が飛んでしまっていて、全く頼っていない。 祈りがないと、自分で動いてしまうのは本当ですねえ。 そして、失敗してしまう。自分も平安が無い。 自分で、出来ると思っているからですよねえ。 だから、頼らず、祈らず、自分で動いてしまう。 つまりは、自分で出来ないのに、自分で動いてしまう。 今、その繰り返しの中で、自分で出来ない事を教えて下さって いることが感謝です。 “立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、 落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る” “しかし、あなたがたは、これを望まなかった。あなたがたは言った。 「いや、私たちは馬に乗って逃げよう・・”イザヤ30:15 まさにこれで、自分は馬に乗って逃げている。 落ち着いて信頼できる者とされたいです」
2019年02月01日(金) 「御霊の導き」
「日常のごく些細なことで、神様を見たり、感じたりすると 喜びに溢れますね。 スーパーへ行った時、かなりの雨降りの中で、係員が駐車 誘導されていて、この雨の中、大変だなあと思いながら、 誘導に従って、駐車した。 その時に、一言感謝を伝えるようにと、御霊の促しを感じた。 それで、店に入る前に「この雨の中を、有難うございました」と 感謝を伝えた。 その日、買い物が特に多く、かなりの荷物になった。雨の中、 車へ荷物を運ぼうとしていたら、その係員さんが飛んで来て、 荷物を運び、車に乗る間も濡れないように傘を差して下さっ ていた。 親切が嬉しく、心からのお礼を言った。とても心が潤って 感謝でした。その方も、きっと親切を与えた事により、心 に喜びがあっただろうなと、更に嬉しくなった。 これも一日の始めに、御霊に導かれて歩めるよう祈ったからで、 その祈りが答えられたんですよね。それも感謝でした」 「係員さんは、お客からお礼を言われる事なんて無いでしょう から、きっと心温まって、嬉しかったのでしょうね」 「私は逆に、言わなくて良かったケースがよくあります。 外に出ると、まだ気を遣ったりするが、特に家族間だとどうして も甘えが出てしまって。わがままになったりしてしまいます。 神様知る前は、ムッと来る言動があると、一言言い返すと すっきりするので、とにかく言いたい事を、言い返していました。 神様に出会って、それが肉だと知り、自分はすっきりするが、 また周囲は嫌な思いになり、害毒を流していることだと。 とにかくまず言葉を発さずに、心で祈ること、ずっと訓練して 下さって、以前の自分が変えられました。 そして我慢するのでなく、神様に持って行くこと、祈る事を するようになって、自分自身も平安で、周囲にとっても良い こと見せられ、実を結んで行く事、教えられています。 御霊が止めて下さるんです。今、肉の言葉を出すなと(*^_^*) それが感謝で、家庭の中に、温もりと潤いが来ます。 御霊の導きに従って行きたいです」