2019年06月12日(水)
  「主の御手」

様々、生活の中で主の御手を感じることに感謝です。


Aさん「悩みがあって、苦しくて苦しくて教会に来れたことが
感謝でならないです。
ずっと御言葉を学んで、神様のことを知れて、救われました。

状況は変わらず、そのままなのですが、心が変えられました。
心平安になり、感謝が湧いて、外側同じなのに、感謝が
あって。奇跡です。

神様に出会ってなかったら、どうなっていたかと思います。
本当に感謝でならないです」


Bさん「今、試練が与えられています。試練は厳しくしんどい
ですが、でも同時に励ましと慰めも豊かに与えられています。

そして、神様からの助けや知恵がいつも共にあります。
試練の中で、色々な事を考えさせられ、感謝です。

神様の御心を求めたり、今までの事を振り返り考えたり、
御言葉に真剣に向いたり、自分の内側を考えたり、

試練はほんとに感謝ですね。
自分はこのような苦しみや試練が無ければ、祈らないから、
神様が祈るように、頼るように、更に近づくように与えて
下さっていると思います。
以前より、遙かに神様が近いです。

神様が余りわからなかった頃の、苦しみや試練は、ただただ
苦しくて辛いばかりでしたが、今は、試練により沢山のことを
教えられ、恵まれて、感謝です。

自分が変えられて行っていることが嬉しいです」


Cさん「この間、神様をもろに感じて、感謝でした!

イベントがあって、お手伝いがありました。
無事終わり、帰りに、電車がトラブルが起きて、止まってしまって。

飛行機が問題で、チケット取っていて、飛行場までが、どうすれば
いいのか。
タクシー乗り場へ行くと、もう災害時と同じような延々長蛇の列。
気が遠くなりそうで、心の中で「神様!!」と祈る。

とても間に合わない、どうすればようのか、心で祈っていて。
とりあえず、一番先頭の人に、空港までのタクシー代が、幾ら位か
聞いてみる。

それが、話していると、同じ空港へ行く女性二人で、「相乗り
しませんか」と、言ってくれて、びっくり感謝!!

それも先頭で。タクシーで万単位のところ、費用も割り勘で行けて、
搭乗に間に合った。神様が助けて下さって、道を整えて下さった事
に主の御名を崇めました。
いつも、どんな時も、主を呼んで祈ればよいこと、また知りました」





2019年06月07日(金)
  「我慢ではない」

「信仰がためされると忍耐が生じるということを、
あなたがたは知っているからです。

その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あな
たがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた
完全な者となります」ヤコブ1:3


信仰がためされる=試練。

試練に会うと、忍耐が生じると言っている。
忍耐=トンネルは必ず出る、夜の後に必ず朝は来る、
主は必ず良くして下さると信じることだ。

その忍耐が培われるのは、トンネルの中にいる時、
夜にいる時だ。そこでしか培われない。

成長は、試練によってだ。

Aさんが、経済的苦境に陥った時に、不安と恐れと
思い煩いの中、祈って、見事にすべての必要が満た
される経験をした。初めての苦境であり、初めての
経験だった。

又、次に苦境が来た。やはり恐れと不安と思い煩い
に襲われる。しかし祈ると満たされた。

それを何度も何度も繰り返した。祈ると、必ず、必要
が満たされた。

何度も何度も訓練受け、段々、変えられて行った。

必ず与えられるので、次は、主がどのように与えて
下さるのか、楽しみになった。大きく変えられた。


Bさんが、手をけがした時に、処置した後も、余り
の激痛に、ただただ我慢していた。

額にしわを寄せ、力を入れて我慢していた時に、
ふっと主を仰いだ時に、気づかせられた。
これは違う。主が飛んで、自分の力で我慢している。

「我慢」の「我」=自我の「我」
「我慢」の「慢」=高慢の「慢」

我慢は、肉だと気づかされ、我慢するのでなく、
主に頼り、主にすがることだと教えられた。

2019年06月06日(木)
  「試練から学ぶ」

試練の時に、要注意が肉の対応をしてしまうことだ。

痛いことからは、どうしても逃げたいので、環境を変え、
環境から逃げ出そうとしてしまう。

しかし逃げても、自分自身は何も変わらない。次に同じ問題
が来た時に、また逃げてしまう。

また、単に我慢して、自分を抑え込んでしまう。早く問題
が過ぎ去るようにだけを願い、ただ頭をおおって、しゃがみ
込んでしまう。
ただ我慢して、しゃがみ込むのでなく、主に向かって、主
に祈ることが大切だ。
心の内もことごとく告げながら。

試練の時には、どうしても、とにかく問題が無くなること、
解決を求めてしまうが、そうでなく、一番大切なことは、
試練を通して、何を教えようとしておられるかだ。

学ぶことが大切で、教えようとしておられることがわかった
時に、御霊の喜びが与えられる。



Aさん、Bさん、Cさんも「試練が感謝でした。試練を通して、
自分の弱さを教えられました」。

弱さを知れたことが感謝です。試練でないと、圧迫や自分で
どうにもできない状況でないと、弱さはわからないですね。

今まで、知らなかった自分の弱さ、知らなかったので、そこ
のところで失敗を繰り返していた。つまずいていた。

しかし弱さを知ると、祈りに持って行ける。
祈りに持って行けたなら、その祈りは聞かれるので、弱さが
弱さでなくなる。弱みが、強みにされる。

試練を通して限界を知らされ、試練が自らの弱さを教えてくれる。
試練は痛いが、成長のためにどうしても必要だ。


Cさんが、仕事が出来なくなり、人生で初めて経済的苦境に陥った。
ずっと必ず月末には給与の入る生活だったので、パニックに陥った、

恐れと不安、思い煩いは恐怖となった。御言葉は必要の備えを保障
してくれているが、収入の無い生活が初めてで、目に見るところが
御言葉をおおってしまう。頭ではわかるのだが、どうにもならない。

試練が来ると、見えるところに飲み込まれ、思い煩いに支配され、
御言葉を信じることのできない弱さを見せられた。

それを祈りに持って行った時に、受け止めることができて、主が
すべての必要を満たされることを見せられて行った。


2019年06月04日(火)
  「試練を乗り越える」

「大きな試練がありました。

その時に、今、思えば、自分が握りしめて絶対に放せ
なかったとわかります。
自分にとって、一番痛い、自我が握りしめている部分
だったんだなと。

自分にとって命だったんですねえ。その時は必死で何
もわからなかったですが。

教会に行くと、神様にゆだねて、お任せすることが答え
だとよくわかる。自分への御心はゆだねることだと
わかるんです。そうだ!と思うんです。

それで、家に帰ると、また苦しくてたまらない。辛くて
辛くて、思い煩いでいっぱいで、どお〜っと重荷が来て、
暗くなる。

また、教会へ行くと、そうだ、ゆだねるように言われて
る、ゆだねればよいのだと心が軽くなる。

また、帰宅して、目に見えるところを見ると苦しくて
たまらない。思い煩いがどおっ〜と襲って来て暗くなる。

延々、その繰り返しだったですね(笑)

つまり、ゆだねることが出来なかったですね。放すこと
ができない。
どうやっても、自分でゆだねることはできないと教えられ
ました。
自我はものすごいですね。絶対に放さない。


自分では、ゆだねられなかったです。どうしても放せない。

「ゆだねられません、苦しくてたまりませんと、助けて下さい」
と苦しい心の内を、何やかやと祈り続けていたら、

神様がゆだねさせて下さったと思います。
状況も、事態も、全面的に受け入れることができるよう
になって。

自分ではできないことを、神様がして下さいました。
そして試練を乗り越えることができました。


神様に明け渡すこと、ゆだねること、任せることが
試練を乗り越える秘訣だと思いますが、自分の力では
できないです。

でも、神様はあわれみ深くて、させて下さるおとを
経験します」



「それは人にはできないことです。しかし、神には
どんなことでもできます」


人にできないことが、神にはできる。
ゆだねることも出来ないと、あるがままを祈り、助け
を求めよう。助けて下さる。









2019年06月02日(日)
  「試練」

試練の学びをした。
試練に会うと、嬉しくないし、むしろ悲しいと御言葉も言って
いる。しかし、必ず平安の義の実を結ぶと。
試練は苦しく、辛く、悲しい。全然嬉しくない。苦しいばかりだ。

しかし、約束がある。耐えられない試練はないと。
一人一人に送られているのは、匙加減ピッタリの試練だ。
脱出の道があり、その試練によって、一段階成長して行ける。


そして後の日に、試練に会ったことは、幸せだったと言える。

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。
わたしはそれであなたのおきてを学びました」詩編119:71


試練は、歩みを軌道修正してくれる、

「苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。しかし
今は、あなたのことばを守ります」詩編119:67

肉の方に歩みがそれていたなら、主は修正して下さる。

そして、主はどこまでもあわれみ深く、慈しみ深い。だから
「あなたはいつくしみ深くあられ、いつくしみを施されます」119:68

最善以下のことはされない。苦しみが臨むが、それは「愛する
ものを懲らしめる」懲らしめは愛だ。
試練によって、キリストの似姿に造り変えて行って下さる。

だから、「さまざまな試練に会うときは、それをこの上も無い喜び
と思いなさい」ヤコブ1:2と。
「成長を遂げた完全な者となります」1:4と。

Aさん「神様が無かったら、試練がただの試練で、痛く苦しい
だけです。救いが無い。私もずっと苦しかったです。
でも、神様に出会って、状況は同じで、変わらないのですが、
心が全く違います。平安にされました。同じ状況なのに、心は
穏やかで、平安なんです。神様を知らなかったら、どうなって
いたかわからない。本当に感謝しかないです」

Bさん「自分の失敗から、苦しみを招いたようなものでしたが、
苦しい試練を通りました。心は真っ暗になり、辛いばかりで、
でも、自分の失敗も全部益として下さって、本当に良くして
下さって、幸せを与えられています。

そして、『あなたのおきてを学びました』の通り、神様がまこと
におられること、真実に導いて下さることを知れて、それまで
は頭の部分が多かったのが、実際に知るようにされました」

「御言葉の通りです」