2019年08月19日(月)
  「必要を満たされる」

次の日曜は創立38周年記念礼拝です。

母教会の祈りとサポートにより、開拓宣教を始め、伝道所が
母教会から独立して、38年になります。

学生がほとんどの10名で独立し、最初はずっと赤字でした。
毎月赤字で、その赤字額を、祈って特別献金をすることに。

持てる5つのパンと2匹の魚を、主のもとに持って来ようと。
全員で祈り、与えられているものの中から、お献げしました。

すると、すると、不思議が起きて、必要な穴埋め額よりちょっぴり
多い目が与えられるのでした。

毎月、毎月、同じ事が起こり、主がまことに生きておられることを
目の当たりに見せられてました。

誰も相談するわけではありません。誰が、幾ら献げるかなど、
誰も知りません。

色々皆、事情もあり、今月は献げたいが、想定外の出費があり
ちょっとしか献げられないとか、又、想定外の収入があったから、
多めにお献げしたいとか。

だのに、必ず満たされて、ちょっぴり余る・・。
赤字も主のご計画の範囲内で、まことに生きておられ、働かれて
いることを、もろに知れた。膚で知れた。
それを知らせようとして下さった事に感謝。

それ以来不思議で、赤字の中も、突如の目の前の必要は
必ず100%満たされました。

時に、不意の、急な必要が生じてきました。100万単位の
事も、何度も。
しかし、絶対に満たされて来ました。

主の堅い守りの御手に、主のご愛、慈しみ、真実を感じざる
を得ず、ずうっと暖かい主の愛に包まれ、守られて来たことに
感謝でいっぱいです。、

“また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富を
もって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます”
ピリピ4:19

2019年08月15日(木)
  「台風」

台風一過、
超大型と言われ、直撃予想で、去年の水害もあり、かなり警戒
したが、風雨共にほとんど強くなく、普段の雨ぐらいで、不思議な
台風だった。

30数年前の事を思い出した。
当時、夏休みに子供たちのテントキャンプを毎年行なっていた。
4〜50名の子供たちと、スタッフお手伝いも入れると60名ほど
の大所帯。

テントを8つ9つと張り、いつも午後に着いて、陽が落ちるまでテント
張りをしていた。
その間、子供たちはメッセージや、聖書ワークブック、ゲームや工作
川遊び、お手伝い方が食事作り。

そんな1泊2日分の夕食、朝食、昼食分の食材を予め購入する。
5−60人分は、大変な量となる。

ある年に、キャンプ前日に何と台風がやって来た。
翌日出発という前の日、大変な暴風雨。
打ち付ける台風の大雨は、止む気配無く、夕方になり、夜になって
も降り続けている。
テントキャンプなので、豪雨の中は不可能だ。

スタフゥが心配して、教会にかけつけた。
「祈りに来ました!」
どしゃ降り、ひどい豪雨の中、ひたすら心合わせて祈る。

「明日がキャンプであること、ご存じです。また、この台風がこの日
に来ることもご存じで、御心です。
すべてが全知全能の主の御手の中です。エリヤの神様、明日、
雨が止めて下さい」

祈りを献げたスタッフは、大雨の中を帰って行った。

“イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられた
からである”ヨハネ6:6

教会の皆も、祈りに祈ってくれて、祈りつつウトウトとし、早い
時間に、ふと目が覚めると、何と、太陽が輝いていた。

雨はきれいに止み、晴れ渡り、無事に1泊2日のキャンプを御手に
守られて終えた。

2日目、テントをすべてたたみ、きれいに掃除し、ごみを集め、
何もかも車に積み込み、さあ、皆で帰ろうとした時に、

再び、雨が降って来た!

こんな事があるのかという、不思議な、不思議な主の愛のみわざを
見せられた。



2019年08月10日(土)
  「一致・平安」

教会キャンプがあった。

世から、いっとき離れて、主に在る兄弟姉妹と浸食を共にする。
礼拝を献げ、学びをし、交わる。
山の中で、自然の木々に囲まれ、ほっとする楽しい時間だった。

心の底に、平安と心底の安堵感が横たわっている。
この安堵感はどこから来るのか、考えた。

「一致」。一致があるから、安らぎと安堵が、広がる。
潤いと、憩いがあり、喜びがある。

この一致は自分たちでは造れない。
“平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい”
エペソ4:3

御霊が与えて下さるもので、すでに一致が与えられているので、
それを保つようにと。

その一致を保てなくするのが、壊すのが、自分の肉、自我、肉の思い。
自分の良思いを通して行くと、一致が破壊される。

一致が無ければ、平安、安堵は無い。胸さわぎがし、心がざわつく。

自分の思いを捨てて、主のみ思い、御心に立つ時に、御心は
一つなので、必ず一致がある。


“見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、
なんという楽しさであろう。

それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンの
ひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。

それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこに
とこしえのいのちの祝福を命じられたからである”詩篇133:1


兄弟たちが一つになって共に住むことは、何という幸せ、何ちおう
楽しさだろう。

「主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられた」

主がとこしえのいのちの祝福を命じられたなら、主に従っている限り、
誰も除くことができず、誰も損なうことができない。


“その道は楽しい道であり、その通り道はみな平安である”箴言3:17

2019年08月07日(水)
  「赦すこと」

★「人を赦すのは、難しいですね。
いなくなってくれたらいいとまでは、思わないが、赦せない
相手がいて。
でも、赦せないと、相手でなく、自分が辛くなるのがよくわかる。

相手はどうもなくて、自分が苦しくて、辛くてたまらない。
相手はどうもないですよねえ。一人相撲してるようなもので。

いかに自分が苦しいかというのが、よくわかり、赦せるように、
祈って行きたいです」


★「職場に、折り合いの悪い相手がいて、自分が傷ついた事が
あって、赦せないんです。

でも、その事を思うと平安が無くなり、心が暗くなり、重苦しく
なる。忘れている時は、どうもないんですが、ふと思いによぎ
ると、心が沈む。

とにかく祈ろうと、祈っていると、それが部署が変わる事になり、
環境的に、もう顔を合わすことが無くなった。

ほっとして、安堵していたら、それが違った。相手が目の前に
いなくなったにもかかわらず、恨みや怒りが無くなっておらず、
同じだった。

目の前にいないので、心が苦しい。これは自分の問題だと
気づき、自分では赦す事ができないから、赦せるようにと
祈り続けた。

そんな中、意志を向けて、赦すことを決意し、選び取るようにと
御霊に導かれて、主の前にギブアップして、そうしますと。

感情は横に置いておいて、意志で赦します、選択しますと。
すると、不思議に赦せて、心から辛さや、重苦しさが無くなった。
自分でなく、神様の力でした。」

“私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、あなたがたの
ために、キリストの御前で赦したのです”Uコリント2:10


★「朝に主人とちょっともめて、すごく傷ついた事があった。
もう、怒り心頭で、腹が立って、腹が立って、恨みも募るし。

その日、主人は会社が休みで、子供たちは学校に出て行き。
掃除機をかけながら、内心もう怒り狂って、ガーガーかけてた。

主人はソファに寝ころんで、雑誌読んでいて。その間にガーガー
ガーガー、家中、かけまくり。

心の中で神様に感情をぶつけながら、「腹が立ちます!怒り
心頭です!」と祈りながら、掃除しまくり。

赦せない思いで一杯になり、一言も主人と話さない。
祈りながら、神様に吐き出しながら、家事をしまくってたら、
お昼近くになり。

主人が「お昼食べに行こう」と言った。全然行きたくないが、
むっとしながら、まあ、いいかと、一緒に行った。

テーブルについて、注文し、待つ間、主人はずっと本を読んで
いて。私は、一言も喋らない。むっと、沈黙で無視。

一言も喋らないまま、食事をし終わり、買い物をして帰宅。
帰宅後、主人はテレビを観ている。私は黙ったまま。

段々夕方になるが、それが、主人が、私が喋らない事に、
怒って黙っていることに、全く気づいていない。

もう可笑しくなってきて、笑えてしまう。悪気が無いのがわかる。
もう赦して上げようと思えて、自分も平安になり。

でも、あんなに怒り狂っていたのが、赦して上げようと思えた
のは、その間、ずうっと心の中で、神様に祈ってたからだと。

気持ちも、感情も、神様にぶつけて、聞いていただいて、段々
心が不思議に落ちついて来てしまって。自分が頑張ったわけ
ではないのに、赦せて。
やはり、祈りですねえ。感謝でした」




2019年08月05日(月)
  「主にゆだねる」

Aさん、遠方から、高齢の親御さんを看るために、引き揚げて
来られたが、事情があり、娘さんが遠方の病院のまま。

心はいつもそこにあり、遠く離れていることに、非常に心痛んで
おられた。
引っ越し以来ずっと、近くに転院を祈り続けておられた。

思いは強いが、なかなか思うようにはならず、思うように進まず、
切に祈るばかりで、日が過ぎる。

祈りは積み上げられるが、環境は全く動かず、涙ながらに、「もし
このままが、神様の御心であるのなら、もうそれはそれでいいです。

神様にお委ねします」と。


それが、何とその4日後、「空きができました」と近くに転院許可
の知らせが!!びっくり感謝!!

神様に、明け渡された途端、祈りが答えられたことに驚き!!

本当に「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。
主が成し遂げてくださる」の通りに。

どうしてもこうなって欲しい、の非常に強い願望がある時、祈るの
だが、無意識にも、堅く握りしめてしまう。余りに強くて。

もしそれがみこころなら、このままでもOKですと、放した途端に
ゆだねた途端に、速やかに、主が御心を成し遂げて下さった。


右でも左でも、白でも、黒でも、主の御心のままでOKですと
ゆだねることの重要性を見せられる。



あれが欲しい、これが欲しい、こうなって欲しい、ああでありたい〜強い
願望がある。が、まずはよく祈って、御心にかなっていれば、叶えられる。

もし、幾ら祈っても動きが無い場合、何か取り扱って下さっているのか
なと考え、ゆだねる事が求められているかも知れない。

ゆだねるというのは、もし思うように叶えられなくても、OKですの態度だ。
もしそれが与えられなくても、それが主の最善なら、それで良いです。

主がお心が、主のみ思いが、自分にとって最善ですとのスタンスだ。
そう思えるのも恵みだ。

あなたの道を主にゆだねよ。
     主に信頼せよ。  
           主が成し遂げてくださる。


2019年08月01日(木)
  「御言葉が力」

「失敗してしまいますよねえ」との話になり。

★「いつも同じところで、失敗してしまいます。対人関係の
対応で、ついカチンと来て、態度に出たり、嫌味な言葉
を発してしまったり、

相手の対応が思い通りでないと、さばいてしまったり、
ずうっと失敗してる気がする。

証しにならないですよねえ。あ、また害毒流してしまった
と(^^;)」

★「あ、同じですー。日常の些細な対応で、特に身近だ
ったりすると、つい甘えが出てしまって、ムッとしたり、
黙り込んだり、きつい言葉を発してしまったり、
しょっ中やってしまう。

こうして欲しい、ああして欲しいの思いがあって、そうなら
ないと、つい言葉や態度に出てしまう。

言わなくてもよい事を言ってしまって、
嫌〜な雰囲気になってしまう。あ〜、失敗したと思う(^^;)

だいたい裁くのが、正・悪で、正しいからじゃんくて、自分の
思い通りでないから、思い通りにならないから、さばくと言わ
れていますよね。

ほんとその通りだなあと。神様ごめんなさい、です」


★「でも、心の中の何でも、祈ることを教えられて、神様に心の
内の、腹立ちや、さばく思いや、怒りや、落ち込みや、何でも
話して行くと、以前より変えられて、祈ると心が落ちつくことを
経験させられてます」


「祈ると全然違う。本当に心が落ちついてきて、感情が取れて
冷静に目の前の事態を見ることができて。

そうこしていると、いろんな御言葉が浮かんで来て、神様を
見上げてることができて、段々、平安になってくるから不思議です」

「裁きや、いら立ちやら、落ち込みは、目の前の状況だけを
見ていて、神様が無いし、御言葉が無いですね。飛んでしまっていて。

御言葉に立ち返れたら、ほんとに心が収まってきますねえ」


「そう!そう!御言葉が浮かんで来たら、心が収まる」