2019年11月08日(金) 「祈っていたのに、何で?」
★「大きな厳しい試練が来たんです。 でも、その事は、普段から毎日のように、守られるよう、 祝福されるよう、祈っていた事だったんです。 ずっと守られるよう、祈っていたのに、「何で?何で?神様!」 と最初は、思ったんです。 祈ってたのに、「何で?」と。 でも、祈っててわかったんです。苦しい試練だけれど、今の時期で 良かったのだと。これが、もっと後であれば、傷は遙かに 大きくなっていたと。 今で良かったと。ほんとに守られたんだと、わかりました。祈りが 答えられたんだなと。神様、感謝します!と、心が変えられて、 心から感謝できるんです。 そして、自分でどうにも出来ず、全く出来ず、何も出来る事は無く、 神様に委ねる事がすべてでした。 本当の意味で、初めて委ねるということを知りました。感謝でした。 自分で、何も、どうにも出来ないからこそ、委ねるんですよね。 御言葉が、もうビンビン入って来て、今までと、全然違います。 御言葉がいのちと、力となっています。 神様無しに生きて行けないです。 祈っていると、目の前に一つ一つと、具体的に道を教えて下 さって、こっちに歩め!これだ!と、言って下さっているように、 目の前に道が開かれて行くんです。 神様にはご計画があって、万事益として下さることを、信じています。 神様を知っていて、ほんとに良かったです。こんな恵み無いですよね」 ★「うん、試練は、痛く、苦しくて、自分から願わないけれど、でも、 ほんとに神様が近いよね。 自分も、人生で物凄く辛い事、悲しい事、苦しい事があったから 教会に来れて、神様のもとに来れたと思う。 自分がもし何もなく順境だったら、神様のところに絶対来ていないです。 なかなか神様のことがわからない中でも、ずっと悩みが次から次と来て、 指針が欲しかったから、続けて来れました。 悩みが無ければ、今頃、神様のもとにいなかったです。 今、神様を以前より近く知れて、ほんとに苦しみが感謝だったと 思えます」
2019年11月04日(月) [言葉は両刃の剣」
言葉は両刃の剣だ。 人を殺すことも、生かすことも出来る。 “舌を制御することは、だれにもできません“と言っている。 “それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちて います“ヤコブ3:8 “舌は火であり、不義の世界です“ヤコブ4:6 「言葉は恐いですよね」 「神様を知る前は、もう何でもかんでも、思った事を口にして ました。言いたい事を言って、ほんと相手を傷つけますよねえ。 神様を知って、肉の言葉、自我からの言葉を出すまいと、 とにかくは口を閉じるようになったことは感謝です。 でも、我慢して、抑え込んでいるだけだから、そのままそこに あって、溜まるんですよね。 結局、溜まったものを、まとめて爆発させてました(笑) それの繰り返しが続いて。ああ、証しを台無しにしたと(^_^;) そこで、神様に祈りに持って行くことを教えられ、一つ一つ通り ながら実地訓練で、自分にわかるように教えられて感謝でした。 今は、神様に感情も思いも吐き出す事ができて、心が以前と 違い感謝です。吐き出しまくってます。 ほんとに神様を知れて感謝です。出会っていなかったら、どう なっていたかわからない」 「口に意識を向けていないと、とんでもない言葉が飛び出します よねえ。サタンからの肉の言葉。 取り返しのつかない言葉って、ありますものねえ。 それが自分では、肉なんですが、正しいと思っているから恐い。 正しいと思っているから、気づけない。わからない。 ふっと御言葉が来て、それが肉の言葉だと気づかせられたり。 とどめられて、口から出さなくて、良かったと、何度もヒヤリ!です。 御霊の守りに感謝です。 言葉は心から来るから、心を御霊に支配して頂かないと ほんとに恐ろしいことになると、思わせられます」 「心ですよねえ。 “なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです”ルカ6:45 御霊に導かれて、御霊に従って歩めますように」 「御言葉に、心に満ちているものを口が話すと、あるじゃないですか。 私、心に無い事も言っている。御言葉は心にある事を話すという。 と言うことは、自分はほんと心がいい加減なんだとわかりました。 悔い改めて、神様に喜ばれる歩みをしたいです」
2019年11月02日(土) 「サタンの火矢」
“これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それに よって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます” エペソ6:16 「朝、起きた時から、ずうっと、寝るまでサタンの思いが来ます よね。火矢ですよね。 最初の頃は、それがサタンだと、全くわからなかったですが。 朝起きた時から、気持ちがダルかったり、気力が出なかったり、 また、強い心配事がある時は、朝からどっと思い煩いと重苦しさ におおわれたり、それがサタンだと、学びで知って。 最近、あ、サタンだ!と気づけて、変えられたなあと思いました。 今まで、ずうっと思い煩いに何時簡も支配されたり、ふっと 以前の事や、昔の事が、思い出されては、怒りや、恨み、 に飲み込まれてしまったり、他人の一言で、不安や恐れで いっぱいになったり。 サタンの思いのまま振り回されていました。 今は、朝起きると「神様、おはようございます」から始めます。 サタンが来る前に、まず、「神様!」と。 ふっと、思い煩いに引っ張って行かれたり、様々な思いに 引きづられそうになる時、「はっ!」と、気づかせられて感謝です。 御霊様ですよね。 いつも意識を神様に向けていることが、大事だなあと思わせ られます。 でも、神様を知らない時、救われる前の人生は、人一倍 心配症で、ずうっと延々思い煩いの中に住んでいました。 “思い煩うな”との御言葉に、煩いがストップさせられる事を 経験します。 “御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい”エペソ6:17 御言葉って、ほんとに力があります。 朝、読んだ御言葉が、ふっと来たり、知っている御言葉が、ふっと 浮かんだり、御言葉はほんとに生きている事、実感させられます」 ほんとに救われました。」
2019年11月01日(金) 「変えられた」
自分が変えられている事が感謝だと、語り合っていた。 ★「物凄く厳しい苦しい試練が来て、もうどうにもならない。 ほんとに自分でどうにも出来ない。 自分の心は思い煩い、恐れ、不安、又、怒りや恨みや で混乱状態、カオス。 ほんとに瀬戸際、限界ギリギリで、神様にゆだねるしか無い、 ほんとゆだねるしか無くなってしまって、追い込まれて、 神様におゆだねしたんです。すると、あんなにカオス状態 だった心が、すっきり平安になってしまって。 もう感謝で感謝で。神様が何とかして下さる、最善をして 下さると思えて。前を向いてやって行こうと思えたんです。 今、平安です。 でも、ほんとギリギリになって、初めておゆだねできるんだなあ と。 自我はどんなに固いかということも教えられました。 自分が握りしめて放さないですものね。 試練て、恵みですね。神様がなければ、生きて行けない。 御言葉がビンビン響いて来て、心に来て。 日々のことば見ていて、全部自分の事だと。 ほんとに御言葉が霊であり、いのちです」 ★「対人関係の中で、何だか物言いが、上から目線で、嫌な 思いを持っていた相手がいたんです。 この間、祈って接していて、相変わらずおうへいな態度で、 やはり上から目線だったのですが、心が平安でした! 変えられたんだと、ほんとに御霊の喜びを感じました。 それまでもずっと、その事について祈っていたんですが、 やはり心の奥には怒りがずっとあって。 祈りつつも、神様に従いたいより、本音は裁いていたい、怒って いたい、自分の肉を通したかったのだと、わかりました。 自我は憎んでいたいし、赦したくない、でも、赦す方を 選択した時に、ほんとに平安で、解き放たれて、何にも代えら れない安らぎです」