2020年01月26日(日)
  「深みに漕ぎ出し、網をおろす」

プロの漁師ペテロが、一晩中漁をして、一匹も魚が獲れなかった。
ベテラン漁師で、ずっとガリラヤ湖で漁をしている。

一晩中働いたにかかわらず、収獲ゼロで、ガックリと心身疲れ
果て、心身消耗していた。

主が、集まる混雑する群衆に話をしておられたのに、ペテロは
聞いておらず、背を向けて、網を洗っていた。一刻も早く家に
帰り、休みたかったろう。

そんな中、主が舟を少し出すよう頼まれた。先生の言うこと
なので、舟を出した。岸から少し離れて、舟の中から話される
と、声がよく通り、群衆も混雑混乱状態でなく、秩序を持って
よく聞けた。

ペテロも自分の舟なので、仕方なく舟の中で、する事もないので
御言葉を聞いた。

その後、主はペテロに「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚を
とりなさい」と言われた。

ペテロは、物理的にも、常識的にも、朝は魚がいないと思ったが
先生の言う事なので、網をおろした。
するとかつて経験した事のない、舟が沈みそうなほどの大漁だった。

・・・・・・・・・・・

「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」

自分にとって、深みに漕ぎ出すとは、何だろう。

Aさん「自分は老齢の親族が浮かびます。昔人間で、ずっと
他の宗教で来ていて、ペテロと同じく、救われるのは絶対に無理と
思ってしまうのですが、網をおろして魚をとれと。
神様に従って、証しして行こうと思います」


Bさん「今まで、目の前に問題続きで、試練続きで、目の前の
問題の対応でずっと来た気がします。問題解決でなく、今年は
深みに漕ぎ出して、神様を知って行きたいです」


2020年01月20日(月)
  「神様に頼るということ」

「大きな試練があって、身体も壊して、病気にもなり、もう
ガタガタでした。

でも、自分で何も、どうにも出来ないので、ただただ神様に
祈り、すがり続けていました。
状況も、身体も、自分で何一つコントロール不能で、ひたすら
祈るばかりでした。

今、感謝な事に、体調も回復し、事態も落ち着いて来ています。
すると、神様への頼り方が違うんですよね。

あんなに必死に、あがいて、すがり祈っていたのに、少し落ち着くと、
真剣さが違い、鈍くなる。

本当に肉はどこまでも強く、頑なだと思い知らされます。
逆に、いっさいの道が閉ざされ、自分で全く何もできず、何のすべ
も無いところにまで、追いやられないと、神様に頼らないのだと。

自我の強さと、神様は、ご自身を求めさせるために、試練を
与えられることを、学ばせられました。

とてもしんどく、瀬戸際だったですが、神様にほんとに近かった
です。
神様無しでは生きて行けないこと、祈りに答えられ、守られた
こと知りました。

試練が去り、ふっと気が緩んでいると、サタンの猛攻撃が来ます。
思いの火矢が吹き込まれて来て。

自分は思いたくないのに、された事への赦せない思いや、怒り、
裁く思いが、吹き込まれて来ます。

サタンだとわかります。わかることは感謝です。
それで、祈って、祈って、祈りに持って行けることは感謝です。

すると、思いが消えるんですが、もうしょっ中、サタンは来ます。
ほんとに戦いですね。

神様が、絶えず、主に拠り頼むように、して下さってるんですね。

ぼや〜っとしている時、心が真空状態の時、サタンが来るって
ほんとにその通りですね。

祈りや、御言葉や、賛美を心にいつも満たしておくことなんですね。

でも、試練は痛く、辛いけれども、神様に近づけられて、感謝です

ほんと、追い込まれて、瀬戸際になって、なすすべ無くなるまで
神様に頼れないんだなあと、自我はどこまでも強いです。

試練による砕きは感謝です。」



2020年01月13日(月)
  「祈ると」

これまで何度か聞いた、祈ると不思議に変えられて行く。

「嫌で嫌でたまらない相手がいた。顔を見るのも
嫌だった。大嫌いだった。

でも、人を嫌い、憎むと、自分が苦しい。胸の内が辛い。
ずっと重苦しかった。
神様に出会って、でも、赦せないし、愛せない。礼儀
を保つのが精一杯。

自分には出来ないので、祈るばかりで、ずっと祈り続けた。
何年も祈り続ける中で、心が変えられて行った。

自分では、絶対に赦せないが、祈っていると、いつしか
憎しみが和らいでいた。
赦すことができて、心の苦しみが消えた。自分では不可能
だったので、神様によるものだった。

とにかく祈るなら、神様が働いてみわざをして下さること
を経験した」


「自分も経験します。相手の言動で、すごく傷つく事が
あって、腹が立って、怒りで悶々。

でも、言葉を発すると、取り返しのつかない事になるので、
黙ったまま、心の中で、神様に祈り続けてました。

怒りも、思いも、神様に全部ぶつけながら、あれやこれや
祈っていると、一日終わる頃には、段々心がおさまって
来て、神様に聞いていただいて、落ち着いて来て。

いいや、赦して上げようと思えて、平安になってしまい
ました」


「ちょっとした行き違いで、夫婦喧嘩になりかけたんです。
ムッとなって、すごく言いたい事があったんですが、

御霊が止められて、言わずにまず祈ろうと思えて。
それで、夜中に神様と交わり、祈っていると、心が
落ち着いて来て、平安になってしまい、文句を言わなくて
良かったと感謝だったんです。

すると、翌朝、主人が、昨日はごめんと、謝って来て。
ほんとに、まず祈って、神様に従って良かったと、心から
思いました」


どんな時も、祈ると、自分の心が変えられるという、
みわざを経験する。







2020年01月10日(金)
  「苦しみがあったからこそ」

いろんな方々が、人生最大のこの苦しみがあったからこそ、神様の
もとに来れたと、語り合った。


Aさんは、悩み苦しみを持ち、郷里で教会へ行った。子供たちは小さくて、
行くだけでも大変だった。

又、子供はじっとしていなくて、迷惑をかけてはいけないと、泣いたり、
騒ぐと、ちょっと出て、出たり入ったりで、それでなくても初心者で、聖書
はわからないところ、もうメッセージも全くわからなかった。

それでも、行けない時もありながらも、行けたのは、悩み苦しみがあった
から。助けを求め、支えを求めていたからだと思いますと。

引っ越して、子供たちも少し大きくなり、仕事をしつつも、平日に聖書の
学びに行けた。そのまま職場に駆けつけたり、大変な中も、学びに
行けたのは、苦しみに、心の支えが欲しかったから。

そんな中で、少しづつ神様のことをわからせてもらい、今は、以前を思う
と全く違います。神様のご愛、神様の事がわかるようにされ、感謝で
いっぱいです。

最初は神様のことが全くわからない、よくわからない中、環境が大変な
中も、やめないで、教会に通い続けられたのは、苦しみや問題があった
からです。

心の支えが欲しかったから、続けることができ、神様のことがわかって
行きました。
もし、悩みや苦しみが無ければ、教会へ行っていないです。
神様を求めることも無かったです。
だから、やはりすべての事に感謝です(*^_^*)


Bさん、私も悩みがあったから、繋がり続けることができた。
問題が次から次へと来て、もう絶対に神様から離れてはいけないと
思わされ、信仰強くない中も、神様にすがるように、させられ感謝だったです。

必要が無かったら、神様のもとへ行ってないです。


Cさん
教会は全然嫌でなく、交わりは楽しいので、イベントの時には行ってました。
でも、全く聖書がわからなかったです。全然わからなかった。

何を頼るのか意味がわからず、自分の力で生きなくてどうすると。
自分の考え、自分の力がすべてでした。

でも、自分の力でどうする事も出来ない問題にぶちあたり、徹底無力を
わからされ、神様のもとへ追いやられてました(^^)

もしあの一つ一つの試練が無ければ、今も、神様がわからなかったと
感謝でいっぱいです。







2020年01月06日(月)
  「人の目」

人を気にするって、非常に根深いと話していた。

神様を知る前は、人との差異でしか、自分を量れないから、測る方法
が無いから、人との比較でずっと生きて来た。
それは極めて根深く培われている。


★「神様に出会う前は、ずっとプライドで生きて来ました。
人にどう見られるかが、すべてだった。

自分がどうかでなく、人前がどうか、人の評価、人に認められること、
そのためにずっと生きて来た。

だから、何かに頑張るのも、人より上に立ちたい、人が羨む自分で
いたい、動機がそこだった。

自分の能力や、経歴や、仕事の華やかさに、人は一瞬羨望の
まなざしになる。
それが快感だった。でもその一瞬だけで、別にどうって事はない。

そんな生き方だから、全く安らぎが無かった。
動機も、方向性も、何もかも、的はずれだったと、わからされた。
人前に生きて来て、人が神になってたと思う。
人って、大きいですねえ。神になってしまいますよねえ。」


★「自分は、若い頃からずっと、人が気になって仕方が無かった。
とにかく、人を気にするんです。
人に、どう思われるか、どう言われるか、それがもう生き方だった。

だから、人に嫌われたくないし、人に良く思われたい。良い人
だと思われたい。
人目を気にして、言動も、行動もする。
人前の自分を意識して、生きてしまいますよねえ。でも、そんな
事、考えたこともなかったです。

神様を知って、初めて自分の姿が照らされて。
ほんとに根深いものがあって、でも、御霊の気づきが与えられて
生きて行けることが、本当に神様のあわれみで感謝です。

人目を気にし、人によく思われたと、人ばかり見ている自分に
気づかせてもらえて感謝です。」


日本人は、向こう3軒両隣が、神と言われる。

「あなたは、わたしに従いなさい」
根深く培われているが、少しづつ少しづつ、主によって自由に
されて行く。



2020年01月03日(金)
  「苦しみがあったから」

なぜ神様を求めたか、を語り合っていた。

★「仕事がハードでした。日進月歩で、次から次へと進歩して
行き、質的、量的、時間的に、許容量オーバーになり、
ついて行けなくなりました。

身体を壊してしまい、そんな時に、教会へ行く機会が与え
られ、神様に出会い、信じることができました。
今は、回復していて感謝です」


★「自分も仕事内容が、精神的にきつくて、きつくて、喜びも
安らぎも、潤いも、心の余裕も無くなるようで、心がカラカラ
に渇くようでした。

もうどうにもならない状態の時に、チラシを見て教会に来れ
ました。神様を信じることができて、今は、避け所、拠り所、
安らぎが与えられました」


★「子供が病気になって、子供のことは、一番痛くて、あれが
悪かったのか、これが悪かったのかと、悩み苦しみました。
どこにも行き場もなく、辛く、苦しい日々でした。

そんな時、クリスチャンの方を通して、教会に誘われ、聖書
の学びを続ける中で、自分がどんなに罪深いか、罪人で
ある事がはっきりとわかりました。

この罪のためにイエス様が死んで下さったことを知り、信じる
ことができました」


★「自分は、逃げることのできない、辛い対人関係があり、
苦しく、辛かったので、知り合いに誘われるままに、教会へ
足を運べました。

心の奧で、生きる支えが欲しかったのだと思います。
子育てや仕事に追われ、教会へも行ったり行けなかったりの
中、でも、学びの中で、祈ることを教えられました。

苦しい中で、助けを求める祈りが、答えられて行くことを
経験しました。窮地の中で、叫び祈ると、神様が答えて
下さいました。

最初は、ぼんやりした神様だったのが、今は、ほんとに
感謝です。
でも、自分は、苦しみが無かったなら、教会へ行って無かっ
たです。神様に出会って無かったです。
苦しみがあったからこそ、神様に出会えて、感謝でならないです」



“苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれで
あなたのおきてを学びました”詩篇119:71



2020年01月01日(水)
  「信仰に立つ」

出エジプト後、荒野に出て、カデシ・バルネアから
約束の地カナンを調べるため、斥候12名が出た。

そして戻り、
ヨシュアとカレブの2名は、素晴らしく良い地だったと言った。
乳の蜜が流れる地で、主が約束して下さった地だから、
必ず与えられる。上って行って占領しようと。

ところが、他の10名は、
全く同じものを見て、恐れて怯え、民は皆、背が高く、
自分たちがいなごのように見えたし、彼らにもそう見えた
だろう。攻め上れない、と。

そして、民に不信仰はまんえんし、大声で泣き、エジプト
へ帰ろうと。

全く同じものを見て、正反対の結果が出た。

同じことが、特に、試練の時に、顕著に出る。
信仰に立つか、あるいは、心を屈折させ、反抗的になり、
ネガティブに陥るか。


信仰に立つAさん

「厳しい、苦しい試練です。
体調まで崩してしまいましたが、でも、自分の思いと、
自分の力で、動かないようにとの、神様の配慮だと感謝です。

思うように動けてしまうと、自分の考えや判断で動き回って
いたと思います。ただただ神様に頼るようにと感謝です。

頑なな自我をこれでもかというほど、教えられ、砕いて下さる
ことが感謝です。

御言葉で生きるということを、実体験させられています。
御言葉が命で力です」

Bさん

「神様を信じて行けることが感謝です。
苦しい心も祈っていると、心が落ちついて来て、不思議です。
祈ると、平安にされます。

御言葉が欲しくてたまらず、御言葉!御言葉!!の日々です」

Cさん

「試練を通して、家族の絆が深められています。感謝です。
特に何も無い、平凡な毎日が、どんなに幸せで感謝かと
実感させられています」

試練の中で、主を信頼して歩んでおられる方々の姿に
大きく恵まれ、励まされ、教えられる。