2020年02月10日(月)
  「再び会える」

長年親しい交流のあった、海外のクリスチャン婦人が先日、
90才で天に帰られた。

この世の使命を負えて、今、主のみもとで安らいでおられることに、
とても慰められている。また会えるので、大きな希望がある。

いつも彼女の信仰に、大変励まされ、力づけられ、大変
恵まれていた。遠く離れても、祈り合え、主に在る素晴らしい
方だった。

帰国の度に、会いに来て下さっていた。皆で、とても楽しい交わり
与えられ、喜びと励ましを与えられていた。

30年前、PCやネット、メールが始まった頃に、彼女60才の時に
PCを初めて操作され、チャレンジされ、チャット交流、メール交流
が出来た。

60才のチャレンジに、若い人々が、物凄く励まされ、自分もやって
みようと、当時、彼女がきっかけで始めた人々も(*^_^*)
いつも前向きで、チャレンジャーだった。

洋裁が大変上手で、得意、賜物で、海外では洋裁を女性方に
教える事を通して、聖書の集いをされていた。
主を愛し、いつもたましいへの重荷を持ち、よく労しておられた。

若い20代前半で、国際結婚し、海外へ。
右も左も、言葉もわからない中で、在住の日本人教会の方々
が、手取り足とり、それはまあ親切に助けてもらい。
ものすごく有難くて。

それで、その親切のお礼に、特に関心もないが、義理で、教会の
集会に行った。
ずっと大変親切にしてもらい、仕方なく義理で行き続けた。

義理で続けて出席していた中で、段々、それが御言葉が心に入って
来た。
自分の罪がわかり、どんなに罪人であるかがわかり、イエス様の
十字架の救いに目が開かれ、信じることができた。
救いの喜びが与えられた(^^)

信仰生活を歩まれ、今度は、イエス様を伝える側になられ。
家を開放して、聖書の集会をされ、日本人婦人たちが救われて
行った。

よく祈られ、いつも祈って下さっていた。私たちの教会の宣教師家族
のためにも、国内海外宣教のために、いつも祈って下さった。

ご主人を見送られて、時を経て、お会いした時も、独り身なので、
祈る時間がたっぷりあってね、自由に祈れて、主と交われて、感謝でなら
ないと、ずっと主を見上げておられた。
天で再び会える時が、楽しみにでならない。

2020年02月08日(土)
  「この日、今日一日を」

“だから、明日のための心配は無用です”マタイ6:34


「思い煩ってしまう、不安や、心配、恐れで飲み込まれ
てしまい、その中にどっぷり浸かってしまい、身動き取れ
なくなる。

心は重く、どんより状態。
その日の御心が行なえない。それが神様を信じない
不信仰から来ていることを示されて、
悔い改めました。

「わたしが心配しているから、心配するな」「わたしが
その問題を導く」「必要はすべて満たす」「わたしの平安を与える」

それを全然信じていないから、思い煩っている。
ほんとに不信仰だと。

「目に見えるところに左右されて、そこにしがみついて
います」
「思い煩いを放そうとしない、握りしめている自分がいます」
「目にみえるところしか、信じられないことをごめんなさい」

やはり心にあることを、そのまま神様のもとに持って行くと、
心が変わって来て。
御心をして下さる、最善をして下さる。愛していて下さる。
失敗も益として下さると、信じれて(*^_^*)


で、心配で、今日一日をつぶしたくないと、すごく思えて。
今日この一日を、しっかり神様見上げて、神様と共に
生きたい。
御心を行ないたいし、この一日の中で、神様の恵みや
愛、祝福をしっかり受け取りたい。

この一日をだめにしたくない、無駄にしたくないと。
しっかりこの一日を、喜びもって生きて行きたい。

結局その連続が一生なんですよね。
これからは、今日の一日をしっかり捕らえたいです。

教えようとして下さっていることを、悟らせてもらいたいし、
祈りの答えに目を見張っていたいし、

意味のあるこの一日を、精一杯生きて行きたいです。

心配や思い煩いを通して、そんな事を教えられました。」


“これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう”
詩篇118:24

2020年02月05日(木)
  「神に知っていただく」

“だから、明日のための心配は無用です”マタイ6:34


「神様を知る前は、何か問題が起きると、もうその事で
頭も心もいっぱいで、どお〜っと落ち込んでいました。

思い煩いや不安に飲み込まれてしまって、心は暗く、
重苦しく、景色は灰色に見える。

どうにかなるさ、なんて絶対に思えない。
ポジティブな事はいっさいなく、どんどんネガティブの方向へ
陥るばかりでした。

その悩みや、問題で頭がいっぱいで、当時は小さかった子供
にも、もう全く関われない。
むしろ子供の騒ぐ声がうるさかったり、イライラしてしまったり。

知らず知らず、子供に当たってしまったり。
悩み事に振り回されていました。

ずっとそんな人生を送っていました。
どうにもできず、それが普通でした。


でも、神様を知って、いっさい心配するな、何もいっさい思い
煩うな、この事がすごい事だと思いました。

神様が心配するからと。でも古い性質も強く、どうしても
思い煩ってしまって。

しかし信仰生活を経ながら、祈りながら、少しづつ少しづつ
変えられています。
思い煩っていることに気づく時間が段々早くなって。

今も、思い煩うのですが、御霊が気づかせて下さって、その時に
あ、そうだ!と神様を見上げる時、祈りに持って行けます。

一つ一つと不安も恐れも、心配も、心の恨みや怒りも、
一つ一つ神様に祈って行く時に、はっきり心が変わります。

心が落ちついて来るんです。すうっ〜と平安になって来る。
ほんとに神様がおられて、不安や心配を受け止めて下さることが
わかる。

状況は変わらないが、心が全く違う。
すると、あ、神様が導いて下さる、良きにして下さると、
自然に思えて、信仰が湧いて来る。

神様を知れたことって、ほんとにすごい恵みです。
感謝しかないです。

“何も思い煩わないで、あらゆるばあいに・・
あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい

そうすれば、人のすべての考えにまさる平安が・・
心を守ってくれます“ピリピ4:6

まさにこの通りで、神様に知っていただいたら、平安に
なるんだなあと。」

2020年02月03日(月)
  「思い煩いの亡霊」

「『思い煩い』について学び、思うところが非常に多いです。

思い煩いは、計画や予定を立てる事と違って、全く現実性のない、
現実に起きていない先の事を恐れ、不安にさいなまれ、それは
実体のない、亡霊です。

ちょっと負の事態が起きると、どんどん不安と心配は膨らんで、
自分で最悪のシナリオを描き、その思い煩いは、モンスターと
なり、飲み込まれてしまう。

心は暗く、重苦しく、心がふさがれて、押しつぶされそうになる。
それは、神様が飛んでしまい、自分が何とかしようとしている
から。

すると、すべてが自分の肩にかかって来るので、負いきれず、
不安で不安でたまらない。心がどっと落ち込み、真っ暗になる。

思い煩いの事態に、心が捕らえられ、囚われ、縛られてしまう。
ますますネガティブの方向に行き、ただただ重苦しいばかりだ。

でも、それは、思い煩いを自分が「選択」しているので、
「ストップ」をかける事が大切と。それを選択する事を教え
られます。


『あすのための心配は無用です』マタイ6:34
あすのための亡霊の心配は、いっさい無用と。

ちょっと体調が悪くなると、亡霊が動き出す。大変な病気では
ないか、高齢だと、寝たきりになるのではないか。
不安でたまらない。

子供に少し何かあると、もう子供の一生がだめになるのではと。
漠然とした、実体のない、亡霊の不安にどっと襲われる。

現実ではない、亡霊なので、神様もどうにもできない。

自分が勝手に背負い込む、その心配はいっさい無用と。

神様が、心配無用だと言われるのに、心配して慌てる
自分の不信仰を照らされます。


『あすのことはあすが心配します。労苦はその日その
日に、十分あります』マタイ6:34

今日一日のなすべき御心が備えられている。
明日を思い煩い、気力も削がれ、萎えて、今日の御心が
行なえない。


それが毎日続くと、一生がつぶされてしまう。
明日をゆだねて、今日の御心を行ない、今日を生きる
ことができるように。
祈ってゆきたいです」

2020年02月01日(土)
  「その所で」

「神様を信じた最初の頃は、わからなかった罪を
どんどんわからせられ、苦しく思うが、その罪が
赦されていることの感謝が溢れます。

歳月を経るほど、今も、今までわからなかった罪
を知り、どんなに自分が罪深いかを知らされてい
ます。

イエス様の十字架が実感を持って迫り、感謝です。
自分の罪をますます知り、ひれ伏させられます。

今も、心の根にある様々な思いを取り扱って下さって
いるプロセスです。

少しづつ少しづつ自分が変えられているのが、わかり
感謝です。

赦せない思いや、恨みや、怒り、裁く思いが来る時に、
その思いをそのまま、神様のもとへ持って行けること
がほんとに感謝です。

そのところで、神様に頼り、十字架のもとへ行き、
赦しが与えられ、そのところで、神様を新たに知って
行けることが、ものすごい恵みだと思います。


「彼らは、『あなたがたはわたしの民ではない』と言
われた所で、『あなたがたは生ける神の子らだ』と言
われるようになる」ホセア1:10


赦せない思いがあるのですが、いつか赦せるようにして
下さると信じれます。その思いが来る度に、神様のもと
へ行けることが感謝です。

対人関係で、これまでも苦しんだのですが、これが神様
のところへ連れて来てくれました。これが無ければ、来
ていないです。

今も、ずっと神様のもとへ行けて、拠りすがれることに
感謝です。

困難、問題を、即解決でなく、時間をかけながら少しづつ
少しづつ解決へと導かれていることがわかります。
どんな時も、希望があります。


『練られた品性』に一番心が惹かれます。
問題や悩み、苦しみを通るけれど、苦しみを通して、
『品性』が培われる事に感謝です。希望です、


『患難さえも喜んでいます。それは患難が忍耐を
生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、
練られた品性が希望を生み出すと知っているから
です』ローマ4:3」


どうしよもない弱さがあり、罪があり、悩みや問題
があり、しかし、その所で、主を知り、主に出会い、
主との関係が深められて行く。