2020年06月25日(木)
  「嬉しいメール」

飛び上がらんばかりに、嬉しい連絡が来た。


体調的にも、状況的にも、ずっと非常に厳しい試練が続いていた、Aさん。

「もうずっとサタンが思い煩いを持って来ます、ずっと来ているのがわかります」
「サタンだとわかるのが、感謝ですよね!!」

「サタンだとわかるのですが、ひょっとそっちに目が行くと、心はもう苦しくてたまら
ない。
神様!神様!!神様助けて!と、ずっと叫んでます」


コロナが蔓延し出した4月、緊急事態宣言が出るという直前くらいの
集会。
もう出来なくなる寸前の、最後の学びの時を、是非にと、行なった。

窓も戸も、全部開け放して、キープディスタンスで。


その中で、御霊様が力強く働いて下さった。

神様に明け渡す、委ねるということを、示して下さった。
それが神様の答えだった。

委ねられないのは、自分がしっかりと握っているから。放したくなく、決して
放そうとしない自我だと。自我は思い通りにしたい。

又、思い煩いを委ねられないのは、神様を信じられないから。信じられ
ないから、任せられない。
根に不信仰があること、御霊様は教えて、示して行って下さった。


その日の後で、Aさん「委ねることが御心だとわかりました。
委ねられるよう、助けて欲しいので、祈り続けます。

あの時、委ねることを思った時に、光のように、一瞬心が平安で
満ちたんです。すごい事が起きました。

苦しみのまっただ中で、平安に満ちる経験をしました。
委ねて行けるよう、祈って行きます!」

それが4/13午前だった。 そしてその4/13午後に県の緊急事態宣言
が出た。土日自粛を、平日も自粛にすると。

宣言が、午前に出ていたら、集いは持てなかった。
神様がもろに働いて下さったことを覚え、これもコロナ関連の「コロナの恵み」!!
コロナ禍の中で、主の恵みと祝福に、喜びに溢れた。


そのAさんからの、飛び上がらんばかりに嬉しい知らせは、

「神様に守られています。
神様の偉大さを、今さらながら、思い知らされています。

問題が、問題で無くなるって、最高ですね。

いろんな思い煩いは、絶えず襲って来ますが、そのつどお祈りし、おゆだね
することの訓練とされています」


状況的問題は、そこにあるのだが、心が平安にされてしまうと、
問題が、問題で無くなってしまう(*^_^*)




2020年06月20日(土)
  「続・試練 霊的な宝」

Cさん

「試練の恵みは、

単に、目の前の問題が解決して、問題が無くなる事で
なく、その試練の中で、神様ご自身を知れることですよね。

同居の子供が転勤になり、一緒に他県に引っ越しの運び
になりました。

転勤先での、とても良い住まいも見つかり、感謝でした。

引っ越し準備も整え、今の住まい売却のため、売りに出し
ました。
すぐに買い手が見つかると思っていました。

それが、売りに出してから、1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月、6ヶ月・・と
どうしたわけか、売れないのです。

祈りに祈り、買い手が見に来て、最終段階まで進むので
すが、最後で契約とならず。
なぜかそんな事の繰り返しで。

どうしたのかしらと、焦りや不安が出て来そうになるのですが、
その度に、祈りに持って行き〜を繰り返していました。

4ヶ月、5ヶ月たてど、売れずで。
子供は、仕事も始まるので、先に転勤先に移り。

祈っていて、これは神様の時があり、忍耐の時なのだと
教えられました。

荒野で、モーセとイスラエルの民が、雲の柱が動いた時に、
旅立ち、雲が動くまで、とどまった箇所で、

ほんとに神様の時が来て、雲が動かない限り、物事は
いっさい動かないのだと。

神様を信じて、じっと『待つ』事を、身をもって教えられました。
『待つこと』、『忍耐』を培って下さる時と機会だったのだと。

そして雲が動くのをじっと待っていると、神様の時が来て、
動きました!

まあ、良い方に買って頂けて、この方に使って頂けるなら嬉しい
と思えて、一番良い形での売却が与えられました。


神の時が来ると、ほんとにあれほど動かなかった事態が、ひとりで
に動くんですね(*^_^*)
主が動かされるんですね。


この事を通して、問題の解決は感謝ですが、それより、いや、それ
以上に、神様に近くされ交われて、『待つこと』『忍耐すること』
『信頼すること』を経験させられたことが、霊的な大きな宝であり、
感謝でした。」




2020年06月19日(金)
  「続・試練が感謝でした」

Bさん
「主人を亡くしましてね、戦後の混乱の中で、誰も、頼る当てが
ありませんでした。、

子供たち抱えて、食べる物も無い時代で、もう、どうやって
生きて行けばいいのか、真っ暗で、途方に暮れました。

ほんとにもう、どうしてよいのやら。

そして、狭い一部屋の住み込みの仕事があって、もう必死で、
働きに働きました。混乱期に仕事自体が無く、きつい肉体労働
でしたが、もう、ただただ食べるのに、必死でした。

身体はもう毎日へとへとで、ぐったりで、ものすごく辛く苦しい
日々でした。

そんな中、教会に誘われ、行きたいと思ったんです。
瀬戸際の、苦しい中で、すがれるもの、支えが欲しかったです。

行った先の教会で、イエス様を信じ、救われました。
神様のご愛を知れて、まあそれは嬉しかったです。


人生の最後に来て、振り返る時、その時が人生の中で、最も
辛い辛い、苦しい時でした。

でも、砕かれました。へりくだらされたと思います。
今、思うと、感謝しか無いです。あの試練があったから、今がある。

もう感謝で、感謝で、あの苦しみがあって、本当に良かったと。
本当に高ぶった人間だったです。あの試練が無ければ、どんなに
恐ろしいことになっていたかと思います。

高ぶりを砕いて下さるためだったとわかります。
心の底から感謝できるんです。

ほんとにその時はわからず、辛くて苦しいばかりですが、「後になると」
感謝できるんですよねえ。感謝に変えられるんですねえ。

試練は痛くて、苦しいけれど、感謝です」


「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれで
あなたのおきてを学びました」詩篇119:71

2020年06月19日(金)
  「続・試練を通して」

Bさん
「自分は経済的苦境に、ものすごく弱くて。
そこが自分の弱さだなあと。お金が無くなると、もう不安で不安で。
たまらなくなり、恐れで、恐怖になって。

もう普通でおれなくなり、パニックになってしまうんです。

ずっと若い時は、給料が普通に定期的に入り、全くお金が無い状態と
いうのを、一度も経験した事がないせいだと思います。

仕事さえ出来たら大丈夫なところ、仕事が出来ない状況になり、
もう恐怖しか無く。

でも、いつも、周囲の兄弟姉妹が、御言葉を示してくれて、絶対に
大丈夫だからと、神様は絶対に与えて下さると、励まされるのですが、
もう不安しかなく。

そんな中も、皆の祈りと励ましにより、初めて全必要が満たされるという、
大きな経験をしました。初めてでした。

すると、また次に、同じ試練が来るんです。また、同じように不安
と恐怖で、パニックなってしまう。
でも、満たされるんです。

そこが自分の弱さなんですねえ。
経験してるのに、目の前に同じ状況が来ると、やはりうろたえる。

それが何度も何度も、繰り返し繰り返し、同じ事が続き(*^_^*)
その度に、皆が祈ってくれて。

一度も欠ける事なく、ずっと満たされて来ました。
それが繰り返される中で、段々、心が変えられて来ました。

経済的苦境が来た時に、神様は今度はどうやって与えて下さる
のかなと、楽しみになったんです。

神様を信頼する訓練を与えて下さってたのだなと。

こんな不信仰で、神様を信じきれない、弱い自分に、ずっと
関わり、取り扱い続けて下さって、心を変えて下さったことに
奇跡です!!


2020年06月18日(木)
  「受け止め方が変えられて」

試練についての学びをしていた。

Aさん
「神様を信じて最初の頃は、まだよくわからず、何か苦しい事が起きると、
何で?何で?の思いでいっぱいで。

神様を信じたのだから、祝福して下さるのではないの?何で?
愛して下さっているのでは?

この世の価値観で、ハピーな事、良い事は祝福されていて、マイナスの
事、病気やけが、不合格、リストラ、問題等は、祝福されていないと
思ってしまうんですね。
それが無意識にもあって、深く落ち込んでしまうんですね。
ここが問題だったのですよね。

そして、必ず思いに来るのが、どれかのバチか?あれが、これがいけな
かったのか、とか。バチが当たるという価値観。

因果応報も、神様無しで生きて来た間に、根深く、培われていますよね。

良い事、順境=善、
一見悪い事、逆境=悪、との価値観なんですねえ。

試練の学びの最中、色々振り返れて、今の自分が変えられている
事に気づかされ感謝でした。

クリスチャンになって、もう長くなり、神様からの学びも積み重ねて
いただいて、

懲らしめは愛であって、実子だからこそ訓練があるし、試練しか成長
が無いこと、身をもってわからせてもらいました。

今は、試練に出会うと、大丈夫だ、神様が何とかして下さる、神様はどうして
下さるんだろうと、楽しみに思えたりするんです。

無駄は一つもなく、目的と、ご計画があり、成長のためなんだと
素直に思えるんです。

ここで何を教えようとして下さっているのかと、祈れて、ほんとに感謝です。

本当に今まで良くして下さいました。振り返ると、試練は万事益で、
あの苦しみがあったから、この祝福に至ったと、わかるんですよね。

それがいっぱい積み重ねられて、神様が御言葉の価値観を変えながら、
少しづつ培って下さったんだなあと。

自分が、変えられたなあと思いながら、試練の学びを聞いていました。
ほんとに感謝でした(*^_^*)



2020年06月17日(水)
  「主の導きの中で」

Aさん
「主人が天に帰る日が、近づいていました。
最期まで、お世話になれる病院を、予約していました。

ところが、想定外のコロナとなり、いよいよ入院という時に、
一つ条件があり、外部者の面会が、たとえ家族であっても、
いっさい禁止にしていますとのとこでした。

理由はよく理解できますし、その通りだと思いました。ただ、
何とか他の方法は無いかと、探すことにしました。
やはり、少しでも面会は、どうしてもしたかったので。

すると、在宅にして、必要な時は即、サポートしてもらえる
病院が見つかり、そこにお世話になる事に。
そこにしばらく入院になりました。弱って来る中、看護師さん
方がよくして下さり、孫のお誕生日祝いを、何と病室で計らって
下さいました。

もう、何も飲めず食べれずですが、主人は目を細めて喜んで
いました。こんな素晴らしい時が与えられ感謝でいっぱいでした。

段々衰弱して来た時に、夢うつつかどうかわからないのですが、
「家に帰りたい」と叫んだのを、丁度、そこにいた看護師さんが
聞かれたそうです。

何とか帰して上げたいと、看護師さんも尽力下さり、病院から
許可が出て、看護師さんが点滴を持って付き添って下さって、
家に連れ帰ることができました。

その翌日に、主人は、イエス様のもとに帰りました。
本人は、家に帰りたいというのが、心からの願いだったのだと
思います。帰して上げることができて、本当に神様に感謝で、
病院の方々に感謝でした。」

皆で、コロナのお陰で、家に帰れましたねと。一番の願いを
神様が叶えて下さいましたね。神様のご愛をすごく感じますと。


ご主人を訪問し、牧師が聖書の言葉をお話しした時に、ご主人は、
はっきりと「わかりました」「イエス・キリストを信じます」と信仰告白
され、
牧師がお祈りした最後に、更に声を上げて「アーメン!」と言われました。
感動しました。感謝が溢れました。


親族のクリスチャンの方が「ほんとに自分にとって、天国が直結という
か、天国が今までより、ものすごく近くなりました」と。














2020年06月15日(月)
  「コロナの恵み」

新型コロナウィルスが、世界中に蔓延、大変な災禍となっている。

パンデミック、世界規模の疫病は、今まで経験した事の無い、生
まれて初めて出会す事態だ。

未知のウィルスとの事で、その道の専門家が、「未知なのでわかり
ません。専門家にもわかりません」と言っていたが、それが正解なの
だろう。

一度かかると、必ず抗体ができるのか、抗体が数ヶ月で消えるとも、
治ったとしても、何かの後遺症として残らないのか、未知なだけに、
わからない。

事象だけを見るなら、不安と恐れしかないが、天地を創造された
主を見上げる時、心平安にされるから不思議だ。

●神様の「主権」。
ここ数年ずっと、神様の「主権」を身を持って知り、教えられてきた。
天地を統べ治めておられる神様を畏れる。

「天にも地にも、わたしは満ちているではないか」エレミヤ23:24

「わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。
初めであり、終わりである」黙示録22:13


天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も
主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのですコロサイ1:16

ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、
人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。
誉れと、とこしえの主権は神のものです。アーメン。
Tテモテ6:16

「すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、
次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれまし
た」エペソ1:21

「イスラエルの王である主、これを贖う方、万軍の主はこう仰せられ
る。「わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに
神はない」イザヤ44:6

「わたしが神、あなたの神」と。


●患難時代のこと。
黙示録にも出て来、こんなものではない疫病。大変な天変地異。
QRコードで、合法的にプライバシーの何もかもをコントロール。
段々と、じわじわと、聖書の通りに。

●感謝が溢れる

「今まで、何も考えず、当たり前、当然に思っていた事が、すべて
出来なくなって、当たり前ではなく、神様の恵みだったのだと初めて
わかり、心から感謝しました」

「今まで、感謝せよと言われるから、感謝するのですが、口先でした。
頭の感謝で、初めて身を持って感謝することを経験しました」

「非常事態自粛で、自分の大好きな事が、したい事が何も出来なく
なったんです。全部ストップになった時、初めて色々考えさせられました。

神様を信じてはいたのですが、今まで、何のために生きて来たのだろうと、
すごく考えさせられました。神様に目が向かせられ、神様を求めて生き
て行きたいと、心から思わせられました」

「コロナの状況だけを見ていると、ものすごく不安と恐れに襲われ
そうになるのですが、神様を見上げると、平安にされます。
ほんとに不思議です。
主の平安とご愛に包まれている実感が来ます。こんな中だからこそ
ですよね。
神様を知っていることにどれほど感謝しても、しきれません」