2003年10月29日(水)
  傲慢を示されたこと

先日、遠くにいる友人と会う機会があった。
子供たちも独立し、それまで抱えていた問題
も神様に良い解決をあたえられて、やれやれ
とほっとした時ふとさみしさを覚えたとメー
ルが来た。

私も夫の単身赴任や子供の進学などが落ちつ
きほっとすると、なんと週に2日も3日も夜
の9時過ぎまで一人で過ごす日がある。
今まではゆとりのある生活…などと思ってい
たのが、果てしなく長い時間にぽつりと残さ
れたようで、これはさみしい…と素直に認め
るしかない日を送りはじめていた。

「独りでいることが好きだ」と思っていたが、
来る日も来る日も孤独なら、そんなことは言
ってられない、この思いがいかにに傲慢な思
いであったのかを知ったとの彼女のメールに
心が吸い寄せられた。本当にその通りだ。

いつか帰ってくる人がいるから、それまでは
独りでいるのが好き、ずっとそばに誰かがい
るより独りでいるのが好き…なんとわがまま
なことか。

「人間は神と隣人を愛することができない」
こうはっきり書いてある本を読んだことがあ
る。あまりに率直なのでぶっ!とふきだし
てしまったが、しかし、愛することもできず、
独りでもいられない、私の中にこの罪がいつ
もある。
神様に教えられなければ気づけない罪だ。
しかし、時を同じくして与えられ友人とのこ
の思に神様の慰めを感じた。
いつもすっと暖かな慰めを用意して下さる神
様がいるから本当のさみしさは知らずにおれ
るのだ。

まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと
恵みとが、私を追って来るでしょう。
    詩篇23:6    by富士子

2003年10月24日(金)
  「気持ち」

婦人会で、登校拒否の学びをした。
一人の長く登校拒否に関わった、クリスチャン
の体験の本をベースに語り合った。

・・著者は、大きな挫折を経験した事が無く、
不登校も一度も経験した事がない。
不登校は甘え、性格が弱いとしか思えず、鍛え
て、強くしようと、必死になる。

寮制の施設で、全時間、全勢力をかけて、善意で
良かれと思い、一生懸命に労するが、すればする
ほど、子供達の心は離れて行き、ますます悪くな
って行った。

これほど自分はしているのにと、腹が立つ。やがて、
著者が挫折して、この寮を去ることになる。
時を経て、冷静に考えて、自分の間違いを悟る。

上から見下ろし、さばかれ、愚か者扱いされ、誰が
心を開くだろうか。
学校へ行かせるという外側のことしかなく、心の内
の悩みや辛さ、苦しみを受け止め、理解しようとい
う態度が全く無かったことに気づいた。・・

何よりも、気持ちに寄り添うこと、気持ちを大切に
することをもう一度教えられる。

婦人方が、皆「全く子供達の<気持ち>に耳を傾けて
いなかった。親の思いを押しつけていた。家に帰った
ら、子供達の気持ちをしっかり聞いてやります。」

翌日、一人の婦人が「昨日、やっぱり進路を差し戻
しました。白紙にして、子供が自分で祈って、自分
で決めるようにしました。親の思いが入っていたと
思います。」

外側のことでなく、気持ちが一番大切。そして、それ
を大切にして下さる、神様!!
by 多恵子




2003年10月10日(金)
  もし、神様を知らなかったら・・

C婦人。夫さんによく仕えることができるよう
にと、ずっと祈っている。
一人で何でもよく出来て、ちゃんと物事を判断
できて、テキパキとやれてしまう。

「一人で、した方が早いですよねえ。買物でも
一人の方がさっさと済むし、自分の好きなよう
に時間も使えるので、気楽。
でも、一人で何でもしてしまうと、自分の心が
どんどん夫から離れて行ってしまうのがわかる。」

「うん。聖書に書いてある。“私たちはみな、羊
のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に
向かって行った。”とあって、夫婦は、努力しな
いと、放っておくと、心が離れてしまうそうよ。
罪の性質があるから、それぞれ自分の道へ行って
しまう。」

「そうですよね!感じますよ。幾らでも離れて行
きますよねえ。だから、一緒に買物にも行くよう
にしてるんです。
色々な事を一緒にするよう、努力してるんです。」

「えらい!えらいよ!」「でも、神様を知ってるか
ら、感謝で、夫婦関係もどうすればよいかが、わか
るのであって、もし、知らなかったら、ほんとに、
どうなってたかわからない。」

「子供が進路で、紆余曲折、つまづいたり、思うよ
うにならないが、見守ってやろうと思う。子供が納
得の行く、自分らしく、生き生きと生きれる道に、
たどり着くまで、見守っていようと思う。」

「変わったねえ。変わったよ。」「うん、変わった。
神様知れて本当に良かった。そうでなかったら、親
の思い通りの進路を押しつけていた。
子供が、自分が生きて来て、幸せだと思ってくれ
たら、もう、それだけでいいと思ってる。」

C婦人、すごい。そのようにして下さった神様は
すごい!感動した!!
by 多恵子


2003年10月09日(木)
  神様との交わり

一人の姉妹が話してくれた。

このところ仕事が忙しくて、大変なストレス。帰宅
は夜遅く、翌朝も早い、もう心身共にクタクタ。
そんな毎日が続くと、朝にデボーションが取れない。
神様との交わりが無いまま、出勤し、仕事をこなし、
帰宅するとイライラが高じる。

つい、家族に当たってしまう。自分でもわかってる
のに、家族にきつい言葉を投げつけ、傷つけてしまう。

教会へ来て、学びの中で、自我に気づかされる。
イラ立ちや思い煩いは、神様にぶつけて行けばいい
ことがよくわかっているが、神様に言えば祈りにな
ると、わかっているが、それをしない。

そうでなくて、人を傷つけて、自分の鬱憤を晴らし、
ストレスを解消しようとする。自分の自我が見えた
と。

姉妹は心から悔い改め、帰宅したら、傷つけた家族
に謝りますと。

デボーションが全然取れてなかったのが、やっぱり
そこですよねえと。
朝の神様との交わりが、いかに恵みであり、力であ
るかが、わかったと。

イライラが消えて、又、新たにされて、心落ち着き、
歩めるようにされた。
目には見えないが、神様との霊の交わりには、大き
な力がある。
生き生きとした、神様との交わりの生活が日毎に
与えられるように。
by 多恵子


2003年10月04日(土)
  神様のお心

86才のB婦人。老人ホームから、毎日曜、喜ん
で教会に来て下さっている。
それが、数ケ月前から、肩から首がひどく痛いと
言われ、病院通い、マッサージ、ハリ、飲み薬、
塗り薬、ありとあらゆる治療をしておられたが、
全く原因がわからない。

癒して下さいと、婦人達も共に祈り続けていたが、
一向に癒されない。日曜毎に、来られては、痛い、
痛いと痛そうだ。
尚も、祈り続け、B婦人も朝に夕に、必死に神様
に祈っていますと。
だが、癒されない。痛いし、悩まれて、神様聞い
てくれとってないですかねえと、思ってしまった
りするんです、と。

それで、神様にはご計画と、目的があるので、祈り
を変えて、この事を通して、神様は何を教えようと
しておられるのかを、祈り始めた。

祈りについて、信仰の試みについて、一緒に学び、
教えようとして下さっていることが、わかります
ようにと、祈る。

B婦人も、学びを通して、私が変えられたいです、
教えようとして下さっていることを、教えられたい
です、と言われた。
そう言われた途端、不思議なことに、あれほど治ら
なかった痛みが、治ったのだ。癒された。

先週も今週も、まあ、楽になりましたと、爽やかな
笑顔で。
こういう事だったのですねと、皆で、恵まれた。

癒して下さい、癒して下さいでなく、この事の中での
神様のお心は何ですか、が答えだった。
by 多恵子