2020年10月01日(木)
  「主が戦われた」

教会の墓石建設が、どんどん進んで行き、皆で意見を出し尽くした
デザイン案が、スタッフによってまとめられて行き、一つの形に完成寸前と
なった。

不思議で仕方がない。

全員の意見を出し合い、意見など十人十色で、皆、違って、様々だ。
意見は人によって全く違う。好みがあるので、皆違って当然だ。

それが、メリット、デメリットを何度も詰めで、一つにまとめ上げられて行く。
すごいと思う。

まことに、主が働いておられる。

数年前から、祈りの課題であった墓石建設が、丁度、目の前に具体的に
必要が生じ、動き出そうとしていた時に。

クリスチャン墓石業者さんが、ふっと教会に訪ねて来られた。
勿論、その方も、墓石建設の事情など、全く知らずに。

こんな事ってある?まさに神わざだった。

その道、専門の方から、どんな質問にも、すべて答えを頂く。
ノウハウやアドバイスを頂いて、まさしく主の送って下さった
助っ人そのものだった。

今までの豊富な経験から、様々助けて頂いて、皆の意見、思いを集約
できた、主の導かれた墓石デザインが目の前に!!

多額の費用も、皆が示された通りに、献げると、満たされた。



「これって、神様がすべてされて、かたわらに立って、見ていた感じですよね」

「私たちは何もしていないのに、すべてが、何もかもが導かれた」




“主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければ
ならない”出エジプト14:14

“この全集団も、主が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。この戦いは
主の戦いだ”Tサムエル17:47

まさしく主が戦われた!!!



“やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、
地の上であがめられる”詩篇56:10

“神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。
「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、
あなたがたは力を得る」”イザヤ30:15



本当に、主こそ神であられることを、見せられて、畏れの念でいっぱいだ!!



2020年08月31日(月)
  「神に導くストーリィ」

聖書放送を聴いていて、

夜空の星を見た時に、星座を知っているのと、知らない
のとでは、そこに違いが出て来る。

星を見ているだけなら、沢山の星があるなあ〜だけだが、
星座を知っていたら、そこにストーリィがある。

生まれてから、今まで起きた事が、偶然起きた事なら
バラバラに、散らばっているだけだが、

神を通して見る時に、偶然は一つも無く、一つの無駄もなく、
すべての出来事が、自分を神に導くストーリィであったと
わかる、と。



振り返ってみた時に、

思春期の頃、心の虚しさをずっと感じていた。
後に知ったが、パスカルの言う「心の空洞」だった。

心に神の形をした空洞があり、そこに、神以外の何を入れても
隙間が空くので、決して満たされることはないと。

例えば、四角の形に三角や丸を入れても、隙間が空くように、
何を入れても、虚しさは消えなかった。

そんな中、「レ・ミゼラブル」を読んだ時、心に響くものがあった。
あとかきに、キリスト教精神が流れていると記されていた。

中学生の時に、国語の時間に、聖書は、新約聖書と
旧約聖書に分かれていて、新約聖書とは神との新しい契約、
旧約聖書は古い契約だと習った。

普通の書店に売っていますと。ふと、読んでみたいと思ったが
日常に紛れて、忘れ去った。
何かのきっかけがないと、なかなか行動に移せないものだ。

高校に入学した時に、席が近くて、友人になった同級生が
クリスチャンだった。当時、毎週席替えをしていた。

すると、毎週〃席替えする度に、彼女と前後か左右に必ず
なった。「あ、また一緒だ」「嬉しい〜」を繰り返していた。
普通、有り得ない。

“くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定は、主から来る”箴言16:33

くじの結果は、主から来ると。
いろんな事を、よく話した。彼女が聖書を貸してくれた。
マタイを読んで、山上の垂訓に心惹かれた。

当時クラブもしていて、いつも時間に追われていて、全部は読めなかった。

その彼女と、次の学年も同じクラスになった。主の配剤だった。
その年に、特別集会に誘われ、その時に主を信じ救われた。

一つ一つの不思議が、私を神様に導くストーリィであった。


2020年08月19日(水)
  「心が変えられる」

感謝することは、力ですねえとの話に。

「日常生活で、ちょっとした事で、心に、いら立ちや、腹立ちが
起きて来る時に、あ!と思って、「すべての事について感謝しなさい」
の通り、感謝すると、そのいら立ちが、すうっーと消えるんです。」


「あ、その通りです。突如の事態が起きて、パニックになりそうに
なる時、『あ!』と思い出し、

神様感謝しますと、神様に視点を向ける時、あ!これも御手の中
の事と思え、すうっ〜と心が落ち着いて来ます」


「同じく、突発事態が起きた時に、だいたい、心が大きく騒ぎ、まず、
『どうしよう!!』となり、『何とかしなきゃ』と、心がどっと重くなる。

自分の肩に、全部かかっているからですよねえ。自分が自分で
負っている。心が暗くなり、沈み、思い煩い、いっぱいいっぱいに
なる。

とにかく気持ちが落ち込む。その時に、『はっ!』として、そうだ
感謝なんだと思い、『今はわかりませんが、この事を感謝します』と
祈ると、何だか落ち着いて来るから不思議です。

そして、そうだ、神様が何とかして下さると思える。
神様に無駄は一つもなく、ご計画の中、しようとしておられる事
がある、と思えて来ます。


「ほんと、小さな事なんですが、あれをして、これをして、それもしてと、
スケジュールがぎっしりの時、もうそれだけで、心がどっとしんどくなります(笑)

酷暑の中で、それでなくても身体もしんどくて、もう気持ちが萎えて
しまいます(^^;)

あ、でも、『神様、感謝します』と、信仰と祈りを向けた時、心が変わる
んです。

あ、そうじゃなくて、この事が出来る事が、恵みで感謝なのだと。
動ける身体が与えられていること、体調が守られていること、
出来る機会が与えられていること、感謝だと。

先日、体調崩して寝込んだが、今は、元気に動けている。何と感謝
な事かと。感謝して行くと、感謝が見えて来るんですね」

感謝には、心を変える力がある。


“・・すべての事について感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって
神があなたがたに望んでおられることです”
Tテサロニケ5:18

2020年08月17日(月)
  「力になりたい」

今、不思議な墓石建設が、導かれている。

教会にはまだお墓が無くて、いつか必ず必要と、数年前から
祈りの課題で祈っていた。

すると、昨年、教会墓地に入りたいとの要請もあり、いよいよ
具体的に、墓石建設に取りかかる必要性が生まれて来た。

しかし、墓石についての、ノウハウも何もわからないところ、突然
クリスチャンの石材業者Aさんが、教会を訪ねて来て下さった。

別件で来られたのだが、丁度墓石建設に取りかかるところと
話すと、力になりたいと言って下さり、様々なノウハウを教え
て下さって、まあ、何を聞いても答えて下さる。
プロの業者さん。

今まで、沢山のお墓を作り、教会関係のお墓も作って来ました
と経験が豊富で、素晴らしい助っ人を、神様が送って下さった。

そして、Aさんのお知り合いから、墓苑の地所購入に導かれ、
あれよあれよと、門がどんどん開かれ、土地が与えられた。

現在、墓碑のデザインを皆で、提案、意見、アイデアを出し
合い、もうすぐ最終決定予定。

「神の時」があり、神の時が満ちると、突然物事が動き出し、
どんどん動き、ほんとに「神から発し、神によって成り、神に至る」だ。

神がみわざをされる。そして、みわざに共にあずかれる祝福!



以前の会堂建設の時にも、沢山の不思議を経験した。

まず最初の、土地購入に当たって、不動産の方が、教会の会堂
建設と知られ、自分はミッションスクール出身で、「力になりたい」と。
尽力下さって、価格を交渉し、引き下げて下さった。

そして融資のため、取引先の銀行を紹介して下さって、引き合わせて
下さった。

するとその銀行の副支店長さんが、ご自身の弟さんが牧師で、
「力になりたい」と。よくして下さって、お世話下さった。
融資を受けることができた。

実際の建設は、クリスチャン建設会社へ依頼。大いに力になって
下さった。
そして、海外からクリスチャンボランティア方が、来日して
建設に当たって下さった。早朝から祈りで作業が始まり、祈りで
建て上げて下さった。

基礎工事が始まろうとした時、突然、知り合いの建設会社の
クリスチャン専務さんから電話が入り、今から基礎工事と聞くや
「力になりたい」。

そして、その会社のクリスチャン社長さんが来られ、会堂建設には、
大いに「力になりたい」と。
素晴らしい綿密な基礎工事をして下さり、内装も力になって
下さった。

主が働き、みわざをされた。

「力になりたい」と御使いを遣わして下さった(*^_^*)、



2020年08月03日(月)
  「主の口から出ることばで」


「本当に、御言葉の力を、身を持って経験させられます。

御言葉にあるように、試練の時、苦しい、辛い、痛い時にこそ、
御言葉が膚身に沁みる思いです。

御言葉によって、生きることを実感させられます。
ほんとに御言葉は力で、いのちです。

絶体絶命の時、窮地に陥った時、行き詰まった時に、特に
感じます。」


イスラエルの民が、出エジプトを果たした後、すぐにエジプトの
追っ手が来た。精鋭部隊であり、どんどん迫って来る。

ところが前方は紅海だった。前は海、後ろはエジプト軍、
進む事も、引き返す事も出来ない。まさに絶対絶命だ。

民は恐怖で主に叫び、モーセもずっと祈っていただろう。
その時に、主の言葉が臨んだ「前進せよ」と。

“なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエル人に
前進するように言え”出エ14:15

主の言葉の通りに、モーセが杖を上げ、手を海の上に
差し伸ばすと、海が分かれて、道が出来た。


ある人は、イエス・キリストを信じ救われた。
その後、信仰生活を送る中で、主の御心であるバプテスマを
受けたいと思った。

主に従って行きたいと。しかし、自分はどうしてもふさわしくない
との思いが募る。罪ばかり犯すし、失敗ばかりの歩みだ。

バプテスマを受けても、ちゃんと信仰生活をやって行けるのか。
自分を見ると、資格が無いと思う。とても勇気が無い。

とにかくそれらの思いをことごとく、主に持って行って祈った。

すると、神様を信頼しているのでなく、自分の力に頼っている
こと。信仰生活を自分の力で行なおうとしているから、
思い煩うことを示された。

そして、この箇所から「前進せよ」との御言葉が与えられた。
御言葉が来た時に、不安も、恐れも、思い煩いも消えた。
そして決心が与えられた。


不安な状況で、恐れと思い煩いでいっぱいな時に、
御言葉が臨むと、不安が平安に変えられ、恐れも思い煩い
も消える。

2020年08月01日(水)
  「主の平安」

80代の婦人が、少し前に、ご主人を見送られた。
クリスチャンご夫妻で、教会を訪問時に、いつもお会いしていた。

「お寂しいですね」と言うと、「神様が守って下さっていて感謝なんですよ」と
「また、会えますしね。楽しみです」と、柔和に微笑まれて。

「嫁がよくしてくれてましてねえ、感謝でならないです」
「教会で、聖書の学びが楽しいです」
「教会へ来ると、皆さん親切で、楽しくて、恵まれています」

「主人の介護が大変でした。私も年ですしね。ずっと祈りながら介護
していて、私の身体も、もう限界で、私も倒れるかと思った時に、
神様が、主人を天へ招いて、呼んで下さったかのようでした」

「私たちを愛して、ご配慮下さったかのようでした。主人は今、天で
安らいでいて、私も平安に過ごさせて頂いていて、いつか主のみもと
へ。すべてが感謝です」

「世の終わりが近いですよねえ。コロナに、災害に、バッタの大量発生やら
ねえ」

「ほんとに黙示録の世界ですねえ」



同じく数ヶ月前に、ご主人を天に送られた婦人も。

救いをずっと祈り続けて来たご主人が、まさしく神様の奇跡で、亡くなられる
前に、福音に応答され「わかりました。イエス・キリストを信じます」と
はっきりと、信仰告白された。明確な決心だった。

神様のみわざを目の当たりに見せられた。
そして、主のみもとへ、天に帰られた。とても安らかなお顔だった。

夫人がずっと、「平安に守られています」と言われ、同じように穏やかな
微笑みでおられ、神様のみわざを見せられ続けている。
頑張っているとかでなく、素で平安でおられるのが伝わって来る。

もう驚くばかりで、神様が心を平安でガードして下さっているようだ。

「うちで、学びをして下さい」「どうぞ皆で、お茶をしに来て下さい」と
言われ、皆で大変励まされている。

婦人方が、「○○さんは、ご主人の試練が発覚した時から、ズドーンと
信仰の遙か先に行ってしまわれました!」(^^)

「お手本です。見本です。私も、子供たちに、あのような姿を
見せたいです」

“わたしはあなたがたに平安を残します。わたしはあなたがたに
わたしの平安を与えます”ヨハネ14:27