2020年10月16日(金)
  「種蒔き」

以前、Aさんの証しをお聞きした。

Aさんに、様々な問題が次から次ぎへと、おおいかぶさった。
家庭の問題で、苦しい経済状況に、貧しい生活の中に、
尚も押しかぶさる経済的必要。

働き詰めの日々、働いても働いても貧しく、小さな子どもたち
の世話に明け暮れる。
7.80年も昔の事で、日本自体もまだ貧しかった。

身体も許容量オーバーで、もう倒れそうだった。
そんな時、薬を買いに薬局へ行った。

その薬局の会計時に、ふと見ると、柱に色紙のようなものが
掛かっていた。
そこに「神は愛なり」と書かれていた。

それが心に入り、妙に気になって仕方が無かった。

そして猛烈に腹が立って来た。どこの神か知らないが、愛?
愛なら、自分は今、何でこんな悲惨な状態なのか。
こんなに苦しくて、ひどい事になっているのか。

どこが愛なのか!

そしてどうしても怒りがおさまらず、薬局に、怒りをぶつけに
行った。

すると、その薬局の夫妻は、丁寧に、親切に接してくれて、
何と、奥の、自分の家の居間に招いてくれた。

そして、聖書を開いて、その意味をわかりやすく教えてくれた。
ぐいぐい引き込まれて、そこで自分も主を受け入れた。

ボーンアゲインで、主と共なる、新しい人生が始まった。
喜びと平安を経験して行き、家族も救われて行った。



そこに掛かっていた、「神は愛なり」の御言葉を通して
Aさんは救いに導かれた。

ある人は、「私、学校のごみ箱に入っていた、トラクトを
拾って、救われたんです」

というのは、昔、登校時に学校前で、よくトラクト配布を
した。そのトラクトが、受け取られて、ごみ箱に捨てられた
ようだ。

その人は、そのトラクトが目について、読みたくて、拾って
読んだ。そして連絡先に連絡してくれた。


種蒔きを覚えさせられる。
どこで実を結ぶかわからない。

種を蒔き続けて行けるよう。

2020年10月07日(水)
  「不思議な神の時」

実家が遠方で、まとまった時間も取られるので、なかなか
帰省できず、ある時、すごく帰りたいなあとの思いが募っ
たんです。

それで、時間も必要なので、帰省できるように祈っていた
んです。

まあ、自分さえその気になれば、何とか帰れるだろうと
思っていました。

ところが、不思議な事に、全然道が開かれないんです。
仕事の都合や、家族もからんで、何やかやとはずせない用
が入り、支障が起きて、どうやっても道が開かれない。

思いが募っていたので、神様の御心ではと思ったし、都合
つければ、すぐ行けるとぐらいに思っていたのですが、
ほんとに神様が開かれ無ければ、行けないのだと思い知ら
されました。

今は時でなく、閉じておられる事がわかりました。


そして、数ヶ月経た頃、今度は、時間に余裕が出来ました。
すべての面で、大丈夫で、家族も、前回帰れなかったから、
帰って来たらと勧めてくれて。

何もかも問題無く、環境は開かれて、整っているのですが、
なぜか、どういうわけか気持ちが、いまいち動かずで、
とても不思議でした。その時は帰りたい気持ちが無くて。

神様の時でないように感じられ、動けませんでした。


そして、またしばらく経た時に、環境も問題無く開かれ、
それが、その時はとても帰りたい気持ちになっていて、
思いが募り、とうとう帰省が実現しました。

「神の時」だったのだなあと思います。

親族と素晴らしく良い交わりができて、証しができて、
主が一緒に行って下さったとわかりました。

今回の出来事を通して、「神の時」には、環境が開かれて、
心と思いも備えられて、それらが一つになるんだなと。

神様の祝福に感謝でした。












2020年10月06日(火)
  「神の時・ひたすら待つ」

「神の時」が定められているなら、焦ることなく、急くこと
なく待っていれば良いんですよね。

御心は待つことなんですよね。それが、何とか自分の思い通りに
なって欲しいし、強い願いがあるので、焦ってしまう。

焦ると、自分で動き出すんですよね。神様は動いておられない
のに、自分が動き回ってしまう。
結果、失敗するし、神様の栄光が現れないですよね。


★Aさんが引っ越しのため、家を売却することになった。
何の心配もなく、すぐに売れるだろうと思っていましたと。

最初は全く心配も不安も何も無く、荷物の準備をしていた。
ところが、2ヶ月経ても売れない。

え?と思い始め、今までも祈っていたが、更に祈りを積み
上げて行った。

3,4ヶ月を経ても売れず、それが、見学にも来られて、良い
感触で、話も進むのだが、どういうわけか、最後の取り決め
の段になると、成立にならない事が何回か続いた。

「祈っていて、これは、神様からの忍耐の訓練と思いました。
忍耐を試されていると。長い忍耐でした。

もう仕事の引っ越しの期限が来て、私一人残り、家族は
先に任地に赴きました。

神様に頼りつつ、じっと主の時を待ち続けました。
とうとう、神様の時が満ちて、買い手が現れました。

それがとても良い方に買って頂いて、こちらも平安で、
こんな感謝な事はありません。

待ち続けた分、喜びと感謝も、もう倍増でした。

忍耐の時を通された事により、すべての事は、神様によって

動かされていることに、目が開かれた思いでした。

信じて待っておれば良いのだなと(*^_^*)」


“しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように
翼をかって上ることができる。
走ってもたゆまず、歩いても疲れない”イザヤ40:31

鷲が翼をかって、空高く舞い上がるのは、鷲の自力に
よってではないそうだ。

風の音に、気流に、じっとひたすら耳を澄まし、その
風が吹いた時に、その風に乗って、翼をかって高く
舞い上がる。

じっと風を待っている。

私たちも、じっと神の時を待ち、時が来た時に空高く
舞い上がる。神を待ち望んでいよう。









2020年10月02日(金)
  「神の時・するすると」

「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営み
には時がある」伝道3:1

起こるすべての事に、神の定められた時がある。
すべての出来事に、「神の時」があり、

そして「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」3:11

時にかなうとは、「ピッタリ」「適合する」「丁度はまる」で、
丁度良い時、ピッタリはまる時、ジャストタイミングだ。

「美しい」とは、人に感動を与え、調和がとれていて、快適に
感じることだ。

「神の時」に神がされるみわざは、人の心に感動を与える。


★ずうっと長い間、動かなかった事が、神の時には、するすると
門が開かれ、どんどん動いて、驚くばかりですね。

何もしていないのに、事が動いて行く。

あれよ、あれよと、成されて行って、ほんとに神ご自身のみわざ
だと、目の当たりに、はっきりとわかる。

逆に、「神の時」が来ないと、時が満ちないと、全く動かない。
人の力で、道を模索し、動かそうとするが、事が動かない。
微動だにしない。

環境が全く動かないんですよねえ。不思議ですよねえ。



★会堂建設の時のこと。

とにかく現在の集会所が狭くなり、次の導きをと求め始める。
何をどうすれば良いのか。とりあえずは、考えつく3案を出す。

@牧師家族が別の住まいへ移り、1階2階全部使うなら、まだ
しばらくは行ける。

A日曜だけ、人が入りきれず、平日集会はまだまだ行けるので、
日曜だけ大きな会館等、場所を借りる。

B新会堂を建てる。

最初はこれらの案を行ったり来たり、ああでもない、こうでも
ないと模索する。利便性や費用面で、それぞれ一長一短だった。

今のままではだめで、必ず事を起こさないといけないが、ただ次の
方向性が決まらない。どうして良いかわからない。


「子どもが生まれようとするのに、それを産み出す力がないのです」イザヤ37:3

まさにこれがピッタリな状況で、とにかく続けて祈りを積んでいた。

●すると突然、「神の時」が到来した!!

かなり多額の、無名の会堂指定献金が届いたのだ。

皆で話し合い、会堂建設のために献げて下さっている。せっかくの
その方の志を無駄にしないために、まず会堂建設について神様に
御心を祈り求めようと、いうことになった。

それで会堂建設が御心かどうかを、全員で、御言葉を求めて
祈り始めた。2ヶ月間、それぞれ集中して祈り、与えられた
御言葉を、出し合った。

すると、それぞれ聖書箇所は違うが、皆が、御言葉を通して、会堂
建設が御心であり、神様が建て上げて下さると確信を得た。

すると、するするとすべてに道が開かれて行った。
事が始まり、どんどん進んで行った。クリスチャン建築会社に依頼しクリスチャンボランティアワーカーが来て下さる事に。

土地捜しを始め、その中で4候補に絞られ、皆で祈り、話し合い、
皆一致で、高台の見張らしの良い、土地購入に決定した。

様々な問題が、驚くばかりにするすると道が開かれて行った。
そして、事は成就した。

神から発し、神によって成り、神に至る。

「神の時」であったと、全員で見せられた。




2020年10月01日(木)
  「主が戦われた」

教会の墓石建設が、どんどん進んで行き、皆で意見を出し尽くした
デザイン案が、スタッフによってまとめられて行き、一つの形に完成寸前と
なった。

不思議で仕方がない。

全員の意見を出し合い、意見など十人十色で、皆、違って、様々だ。
意見は人によって全く違う。好みがあるので、皆違って当然だ。

それが、メリット、デメリットを何度も詰めで、一つにまとめ上げられて行く。
すごいと思う。

まことに、主が働いておられる。

数年前から、祈りの課題であった墓石建設が、丁度、目の前に具体的に
必要が生じ、動き出そうとしていた時に。

クリスチャン墓石業者さんが、ふっと教会に訪ねて来られた。
勿論、その方も、墓石建設の事情など、全く知らずに。

こんな事ってある?まさに神わざだった。

その道、専門の方から、どんな質問にも、すべて答えを頂く。
ノウハウやアドバイスを頂いて、まさしく主の送って下さった
助っ人そのものだった。

今までの豊富な経験から、様々助けて頂いて、皆の意見、思いを集約
できた、主の導かれた墓石デザインが目の前に!!

多額の費用も、皆が示された通りに、献げると、満たされた。



「これって、神様がすべてされて、かたわらに立って、見ていた感じですよね」

「私たちは何もしていないのに、すべてが、何もかもが導かれた」




“主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければ
ならない”出エジプト14:14

“この全集団も、主が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。この戦いは
主の戦いだ”Tサムエル17:47

まさしく主が戦われた!!!



“やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、
地の上であがめられる”詩篇56:10

“神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。
「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、
あなたがたは力を得る」”イザヤ30:15



本当に、主こそ神であられることを、見せられて、畏れの念でいっぱいだ!!