2021年07月10日(土) E「次の集会所が与えられた!」
次の集会場所のための、店舗用物件は小さいが、まだ 自分たちには、十分なように思えた。 幹線道路で、電車通りにあり、電停、バス停も、目の前に。 交通の便は最高によく、人通りもあり、目につきやすい。 自分たちに丁度良い場所と、皆で思えた。 敷金6ヶ月、手数料、1ヶ月分の家賃で、48万がネックだった。 今度は費用について、祈り始めた。当時では、大変な大金だった。 不動産には、借りたい思いがあり、考え中と告げていた。 その日、一人の青年が、家にやって来た。 「いやあ、家で祈ってたんですが、落ち着かないので、来ました」と。 その日、牧師は、アブラハムのしもべが、イサクのお嫁さんを探しに 行く箇所から示され、主にすべをゆだねて、不動産に会いに行く ようにと。 それで、彼と祈って、すべてをゆだねて、不動産に会いに。 そして、あるがままを不動産に話した。 借りたいと思っているが、費用的に難しい状態と。 すると不動産が、私は、あなたに貸して上げたいので、色々 問い合わせが来てるが、二番手の人も抑えていると。 非常に好意的で、更に「家主に、敷金の事を話してあげます」と。 すると、敷金が半分になった。 これは、まさに主の導きと、皆で確信できて、借りることを皆で決めた。 するとすぐに、ある高校生が、「ちょっと先に必要で、献げられずに、 すみませんが、貸すことができます」と、お金を持ってきてくれて。 とにかく、我が家も店舗の奥に引っ越すので、戻って来た敷金や 何やかやかき集めて、あと7万ほど不足だった。 高校生ばかりの集まりだったが、皆で祈りに祈って、特別献金を すると、7万と少し多い目に備えられた。 びっくり!!幾ら献げるとか、相談するわけでないのに、ピッタリな 額が与えられ、もろに主の働き、みわざを見せられた。 そして、引っ越しし、自由に集会する場所が与えられ、 大きな恵みであった。
2021年07月03日(土) D「集会所が使えなくなった!」
公会堂会議室で、開拓宣教・大人の集会を開始した。 主に若い人々を対象に伝道したので、学生たちが集った。 公会堂会議室は時間制限があり、12時ジャストで出なけれ ばならず、新来者があり、福音をお話する時は、会議室から 出て、ロビーの倚子で続きを。 話が長引きそうな時は、他の方々は、先に電車で(当時、車も なく)、教会の事務所用に借りているアパートの一室へ。 そこは教会の機材道具の収納所であり、交わりの場で、 先に帰る方々で、昼食準備を。 その頃は7.8名が集まっていて、男性陣も手を挙げ、当番で 食事作りをし、和やかな、楽しい交わりが与えられた。 男子学生たちは、ギターが上手で、ギター伴奏によく一緒に 賛美した。 学生たちは宿題もし、上の学年の子たちに教えてもらっていた。 この世から離れて、潤いと楽しさの別空間で、主が真ん中に おられた。 伝道の週もあり、午後あkら、皆でチラシ配布に出かけたり、 平安と楽しさいっぱいの日曜だった。 ★★ そんな時、公会堂が全面改装することになり、会議室も 使えなくなることに。 大変で、皆で、祈りに祈り、次の集会所捜しが始まった。 費用等で、余り大きな場所は無理で、自分たちにふさわしい、 適切な場所が与えられるよう、皆で祈り続けて、捜し続けた。 そんな中で、店舗用の物件が出た。 ふすま屋さんが引っ越す事になったのだ。 小さな店舗スペースと奥に6畳の部屋と横に廊下で、そこに流し台。 皆で下見に行った時は、余りにも老朽化に驚いた。 昭和初期風の、土間で、古くて、くもの巣が張ってそうで、ガラスは 割れて、不気味な感じだった。 家主は、きれいに改装し、貸しに出すと。 6万円だったが、貨幣価値が今と違い、当時50年前の6万は 大金だった。 とにかく集っている方々で、祈りに祈った。 すると、皆で、主がそこを御心とし、与えようとしておられる場所 だと思えた。ただ、敷金等の必要が問題だった。
2021年07月01日(木) C「主が心を開かれ・救われる」
開拓始め、念願の集会所が与えられ、定まった場所 が出来たので、案内と共に、聖書通信講座のの案内も 一緒に、配布し続けた。 登校時や下校時、戸別配布も、とにかく案内をし続けた。 そんな中から、聖書通信講座受講の連絡を受け、訪問 した。 まだ昔で、時代が違ったこともあるが、戸をノックすると、 女子高生の彼女の、お母さんが丁度、外出されるところ だった。 挨拶し、訪問について説明すると、「どうぞ、どうぞ、私は今 から出ますが、娘がいますので、上がって下さい」。 内心、え!と驚き、戸惑っていると、「どうぞ、どうぞ」。 家の中から、女子高生の彼女が「お話、聞きたいです」と。 初対面で、でも笑顔の彼女は、聖書のことを知りたいと。 心がすでに開かれていて、神の愛、イエス様の十字架、 福音をお話すると、よく聞かれて、話が終わると、「信じ ます」と。 嬉しそうな顔になり、開始した集会にずっと集われる事に。 不思議に、丁度家も我が家と近く、家へもしょっ中来て くれた。 クラスメイトを、沢山連れて来て、彼女たちが御言葉を 聞く機会とされた。 開拓の不思議な始まりだった。 “テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという 女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、 パウロの語る事に心を留めるようにされた”使徒16:14 主が、人の心を開いて、語ることを聞くように される。 救われる人々を、主が備えておられることを、 ずっと経験して来た。