2021年10月20日(水)
  「〃 4」

大変な生活をしているFさん、子どもの修学旅行代
が無かった。

子どもが「うちはお金が無いから、行かなくても
いいよ」と言った。

Fさんが不憫で、不憫で、心が痛くて、辛くてと、
話してくれ、絶対に神様は与えて下さるから、
皆で祈ろうと、祈った。

するとその週、無名の献金があり、次の日曜に行った
時に、修学旅行費を聞いた。

¥26000で、¥6000まで積み立て出来たが、
それ以後が出来なくなったと。

あと2万の必要だった。
預かって来た指定献金を渡すと、何と2万円!!!

皆で、びっくりして、年配のGさん「あんた、これは
神様よいね」皆が「良かったねー!!!」

Fさん「子どもが喜んで、喜んで、まあ喜んで、
感謝でした!!」

・・・・・・・・・・・

Jさんが、試練に次ぐ試練で苦しい中、お米が底を
ついた。

経済的な試練も臨んでいた中、その上にお米が無く
なってしまい、もうヤケになってしまい、

「神様なら、米、与えてみい!」と祈った。

すると、直後に、Hさんが家に来た。
転勤で渡米の引っ越し荷造りを終えた。後、渡航
までホテル住まいになる。

「お米が余ってしまって、使ってくれない?」と
袋ごと持って来た。

びっくりして、神様への畏れで「神様、ごめんなさい!」
と祈った。










2021年10月18日(月)
  「〃 3」

Aさんが、ある時、親族の入院費用が想定外の出費
で、子どもの水着代が無かった。

学校からのプリントが来て、夫が、「今年は“泳がない“
に○をつけておこう」と言った。

「でも、神様、御心なら与えて下さい」心で祈った。

そんな時、友人に借金の返済を持って行った。すると
友人が突然、今抱えている悩み、問題を話し出し、
ずうっと聞いていた。

帰る段になり、友人が今日は相談に乗ってもらって、
すごく嬉しかった。苦しかった気持ちが楽になった。、
ほんとに嬉しかったので、このお金は上げると言った。

そんなの貰えないと言い続け、断った。
すると、上げるんじゃなくて、寄付する。寄付だと
言い、相手もがんと引き下がらない。

平行線が続き、じゃあ半分だけと言い、折り合った。

すると、何とそのお金で、子どもの水着が購入できて、
まさに神様が与えられたと、心から感謝した。

・・・・・・・・


Bさん、知人の結婚式に招待されたが、服が無い。
祈っていて、自分は友人に借りれるので、子ども
たちは制服で出席させようと思った。

そんな時、知り合いが子どもたちにプレゼントを
くれたのだが、それが何と、とても可愛い素敵な
服だった。

余りにタイミングがピッタリで、びっくりし、
神様の暖かい配慮を感じ、心から感謝した。
いつも思いを超えて良くして下さる主。


2021年10月15日(金)
  「祈ると与えられた・2」

米国からご主人が日本転勤になるCさん。

岩国に来て、日本人集会の米国人の夫を
持つ婦人方と霊的交わりをしたくて、
転勤地が岩国になるようにと、ひたすら
祈り続けていた。

しかし岩国は空きがなく、関東に決まった。
そこでそちらに向かうと、その配属部署は
閉鎖になったので、急遽岩国に回るように
ととの指令。

まさに、主が祈りに答えて下さったと
大喜び。


ある時、岩国のDさん、月ことの返済がかさみ
食料を買う費用が全く無かった。

とにかくまず祈りが大切と、皆で主に必要を求め
祈った。
広島の祈り会でも、一緒に祈ってもらった。

祈り終わった時、Eさんが「今日は祈り会に
来れて、本当に感謝でした。

感謝な事に、うちは食物で困ることなど無い。
これを献げたい。何日間かは、ご飯が食べられる。

私は、今まで自分のことしか祈って無かった。
今日、Dさんの事を聞いて、初めて人のために祈り
たいと、心から思いました。

今日は嬉しかったです」と、財布の中身を全部
献げて帰られた。

主は、すべての事を益とされ、周囲の祝福へと
発展してゆくことを、目の当たりに見せられた。

2021年10月13日(水)
  J 「祈ると与えられた数々1」

Aさんが臨月になって、仕事を辞め、出産に備えた。
事情があって、一人で出産に臨むことになる。

今までずっと仕事をして来て、必ず定収入があった。
収入が全く無いという事態が、初めての経験で、貯え
もなく、不安は恐怖となり、パニックだった。

「絶対に大丈夫!!必要は必ず与えられる。天地が
ひっくり返っても、主は必要を与えて下さる!!」

幾ら言っても、頭スルーで、不安と恐れを握りしめて
いるので、どうにもならない。
経験した事がないので、わからない。

周囲の皆が、ずっとこの事のために祈っていた。

無事出産となり、皆で感謝し、喜んだ。
岩国のアメリカ人教会からも、日本人教会からも
沢山の人々から多額の無名献金が献げられ、すべての
必要が満たされた。

それは、半年以上、仕事せずとも生活できる額だった。
子どもと共におれて感謝だった。
そして丁度良い頃に、仕事に就けた。


別の婦人Bさんも、妊娠がわかった時に、泣いた。
出産費用が無い。健康保険に入って無いから補助
も無い。
目の前の血液検査の費用も無い。不安で不安で、
泣いていた。

今までずっと祈りが答えられて来た。皆で祈ろう
と、皆が励ます。
皆で祈っていると、目の前の血液検査代が、すぐ
に無名の数件の愛の献金により与えられた。

それは定期検診の費用のために十分な額だった。

そして、驚いた事に、ある無名の方から、主に示
されたのでと出産費用のすべての必要が与えられた。

祈りが答えられた!!
涙をご覧になった主の深いあわれみに触れた。、

2021年10月05日(火)
  I「感謝すると・・・」

岩国日本人集会に、続けて色々なアメリカ人の夫を持つ婦人方
が来会。
10人ぐらい出たり入ったりしていた頃、日本人のたましいに重荷を
持ち、丁度クリスマスの時期、平日に婦人の救いのためにクリスマス
集会をする事に。

すべて婦人方で準備した。チラシを作り、友人知人に手渡し、
近辺は戸別配布し、新聞折り込みもした。

会場を整え、食事作りも分担し、クリスマスのご馳走も用意した。

すべて用意万端、新来者があるように皆で、祈った。


私は広島から岩国へ行くが、当日朝、早い目に出ようとすると、
家の前が幹線道路だが、車の長い列にびっくり!渋滞で
動いていない。

ラジオをつけるとその日は電車のスト。前日チェックもしておらず、
知らなかった。

以前、何度か岩国行きの渋滞を経験し、集会までに行きつけ
なかった事も。


一瞬「何で?」だが、次の瞬間「あ、そうじゃない、感謝します!」
と主を仰ぐ。
いつも学んでいるように、すべての事について感謝で、感謝を
主に向ける。

主は、この日を特別集会に定め、万端の準備も与えられた。
そして、この日のストもご存じ。
では、大丈夫だ!!と思え、感謝します!と、とにかく前に進む。


ノロノロ運転で、高速に入れる地点まで来た。どうしようか主を仰ぐ。
以前、高速で渋滞に巻きもまれた時、出る事が出来ず往生した
ことを思い、下で行くことに。

一般道路を走っていると、それが西へ西へと向かうと、あれほどの
渋滞が緩和され、普通に走れるようになりびっくり!


結局、開始時間内に到着できて、あの渋滞で不思議でたまら
なかった。何で着けたのだろう??

神様感謝します!

すると、一人の初めての婦人が、すでに来ておられた。

チラシを見て、どうしても行きたいと思った。でも平日で、仕事があり
すごく残念だったと。

でも、ストになったので、来ることができました!と。
嬉しそうなお顔で。

ストにして下さった(*^_^*)


その日、イエス様を信じられて、その後、次々とお友達を教会へ
連れてきて下さった。

主の不思議なみわざ!

感謝することの力も教えられ(*^_^*)




2021年10月04日(月)
  「H喜びがパンク」

その一軒家の会堂で、5年ほど経た時に、米軍基地
のある岩国のアメリカ人教会から、米人宣教師が広島
まで訪ねて来られた。

日本人のたましいに重荷があり、何かをしたい。
チラシ配布は出来るが、日本語が全く出来ない。

それで、伝道は自分たちでするので、メッセージをしに
来てくれないかと。

牧師がこの事を祈ると、主の御心であることを確信できて、
こちらでの夕拝時間を繰り上げて、

毎週、岩国へ出かけ、アメリカ人教会の会堂を借りて、
日本人集会をすることになった。

広島から車で1時間ほどだ。
1985年11月17日のこと。

宣教師さんが周辺にチラシ配布して下さり、日本人集会の
オープニングだった。


そこにAさんが赤ちゃんと共に、初めての来会。

Aさんは、軍のアメリカ人男性と結婚し、渡米するが、
夫は昼間はずっと仕事。

全く見ず知らずの異国の地で、言葉もわからず、友人も
知り合いも一人もおらず、家にずっと一人でいる毎日だった。

それがずっと続くと、寂しさと孤独がどうにもならず、お酒に
依存するようになったと。

そのせいで、夫婦仲もうまく行かず、悩みと辛さの中におられた。
初めて、聖書の言葉に接し、神の愛を知られ、喜んで毎週
続けて集われた。

渇いた心が、乾いたスポンジが水を吸収するように、御言葉
を吸収され、しばらくたった時、招きに自ら進み出られ、
信仰告白をされた。

岩国夕拝では、どうしても夜が遅くなり、バタバタと別れる感じ
になり、ゆっくりとお話したいと、広島まで来られたほど、主を
求めておられた。

心に喜びを与えられておられる事がよくわかった。表情が
明るくなられ、何人かの知り合いも教会へ連れて来られ、
ご主人も何回か来て下さった。

一年ほど、毎週出席して下さった中、ハワイ転勤が決まった。
基地勤務では、必ず3年毎に転勤があった。

一年でのお別れで、もっともっと交わりたく、心残りであったが、
ハワイで教会に行きますと言われ、お見送りした。


一番最初の集会に来て下さり、イエス様を信じられて、とても
喜んでおられ、印象深いAさんだった。

・・・

それから10年後の事だった。
一通のクリスマスカードが届いた。

「私のことを覚えておられますか。A子です。あの時は大変
お世話になりました。心から感謝しています。
私は今、サンディエゴにいます。夫も救われて、夫も一緒に
家族3人で教会に通っています。
どうしても喜びをお伝えしたくて、カードを差し上げています」


Aさんからのお便りに、嬉しくて嬉しくて、心が喜びでパンクしそう
に、嬉しかった。
家族が祝福されている様子が伝わり来て、喜びに溢れた。

神様、本当に本当に有難う!!!

2021年10月03日(日)
  G教会会計の不思議

不思議を経験。

母教会から独立した時に、集っていたのは学生がほとんどで、
機動力や行動力には恵まれ、チラシ配布等、伝道面は
大きな力であった。

反面、経済的には、大変だった。
そのため逆に、そのところで主の力を見せられる事となった。

独立した最初の頃、毎月のように赤字が出ていた。
その事について、皆で祈ったところ、「五つのパンと二匹の魚」
の箇所から、とにかく持っているものを、主のもとに携えることに。

それで、赤字のために特別献金をした。
すると、必要額のほんの少し多い目が与えられ、満たされた。
皆で喜び、感謝した。

その翌月も、赤字になった。
同じように、赤字のための特別献金をし、主のもとに持てる
ものを携えた。

すると、必要額にほんの少し多い目が与えられ、満たされた。

その事が、毎月〃続いた。

不思議な事は、必ず必要額とほんの少し多い目に与えられた。
足らなかった事は一度も無かった。


これが大変不思議であった。
人々が相談して献げるわけではない。

各々が祈って、示された額を献げる。
誰が幾ら献げるなどわからない、関知しない。

また、一人一人、それぞれ事情があり、ある月は出費が少なく
少し多く献げられる。

また別の月は、想定外の出費があり、献げたいが、少ししか献げ
ることができない。

又、別の月は、想定外の収入が入り、多く献げられる。


一人一人、それぞれ事情があるのに、それにも関わらず、毎月
少し多い目に必要額が満たされた。、

人間わざでなく、主が働き、みわざであることを認めざるを得ない。

この繰り返しを目の当たりに見て、主がまことに生きておられる
ことを皆で見せられて行った。




2021年10月01日(金)
  F閉じられる事の導き

与えられた15人収容位の、ミニ会堂は、時間に関係無く
集会に、交わりに、自由に使えて、感謝でいっぱいだった。

若い人々、学生たちが集っていたので、時間が自由になり、
平日も教会に来ては、交わったり、日曜の準備をしたり、
伝道したりしていた。

小さな会堂は段々狭くなり、もう少し広い場所が必要に
なって来た。特別集会をすると、座れなくて後ろで立って
いた。

祈っていた時に、200mほど先に、二階建ての古い家が
貸家に出ていた。
そこは、何とか35名が入れるほどのスペースだった。

戦前の建物で、かなり老朽化した家だったが、導きを確信
できて借りる事になった。

その時に、牧師住居を、別に近辺で探した。探し回るが
なかなか適切な物件が無い。
距離的に、費用的に、どうも合わない。尚も祈りつつ探すが
見つからない。

そんな時に、その家のすぐ近くに、費用的にも手頃な賃貸
があり、丁度良いと思えたが、家主が子どものいない相手
に貸したいと。

どこにも道が開かれないので、祈った結果、発想が無かったが、
その家の二階に住む事に。

二階に台所を設置し、住まい用に整える工事が必要だったが
その安くはない費用が満たされた。御心の道は、本当に開かれて
行くことを見せられた。

結果的に、17年そこに住んだが、やはり振り返ると、母教会から
の独立と、時が重なったので、経済面で大変助かり、御心の道
であったと、感謝だった。

道を閉じ開きして、御心の道へと導かれ、道が閉じられる事も
感謝で、御心が別の方向にあることのしるしだと。

あちこち閉じられて、御心の方向へ。