2021年11月08日(日) 「バプテスマを受ける人々も」
当時の、若いAさんのバプテスマ決心の証しが 印象的だった。 イエス様を信じた後、何かが足らなかった、穴が開 いていた心に、喜びが与えられた。 イエス様の愛がとても嬉しかった。心が変えられて 毎日が生き生きとし、今まで経験した事のない 生きる力が湧いて来た。 とても喜んで、日々を過ごしていた中、辛い出来事 が起きた。その出来事により、心は辛くて、悲しくて、 寂しかった。 余りに辛くて、教会の事務所に来て、一人で祈った。 心が寂しいこと、孤独であること、悲しいことをことごと く告げて、祈った。 御声を聞こうと、聖書を読んだ時に、 「わたしは、良い羊飼いです。良い羊飼いは羊のために いのちを捨てます」ヨハネ10:11 と語られた。 辛かった出来事の事も、自分の思いも、気持ちも、 すべてわかって下さっていて、 愛しているよ。あなたのために命を捨てるほど愛しているよと。 イエス様の愛が御霊によって迫り、おおわれてしまい、心の 辛さも、寂し さも、悲しみも消えて、心が恵みで満たされた。 その時に、イエス様に更に従いたくて、バプテスマの決心 をした。 この後も、一人二人〜とバプテスマを受ける人々が起こ されて行った。
2021年11月06日(土) 「主が、失われた人を捜す」
高校生のAさんBさんは、高校を卒業して就職した。 フルタイムの仕事に就いて、忙しくなり、平日が、 なかなか来れなくなった。 すると、しばらく時を経て、次に、大学生たちが集い始 めた。 大学生は、時間が取れて、平日にも時間が空くと、 「伝道に行きましょう!」と教会にやって来た。 チラシ配布に行ったり、平和公園へ個人伝道に 行ったりした。 当時土曜は、教会の伝道日にしていたが、その日 にも、計画的戸別配布や、個人伝道に繰り出した。 その頃に、開拓伝道から初めての「特別伝道集会」 を開いた。 米国から賛美を通して伝道されている宣教師ご夫妻 が来て下さって、素晴らしい賛美が献げられた。 その頃、集っていた大学生方が時間があり、チラシ作成 や、毎日〃戸別配布、電停前配布、スーパー前配布 と大量のチラシをどんどん配布、強大な機動力があった。 その特別集会は、15人ほどの小さな集会所だったので、 満員で、後ろで立っている人々も出て、豊かに祝福され、 多くの労に、主は報いて下さった。 それは6月だったが、小さな集会所だが、与えられて感謝 で、秋とクリスマスに特別伝道集会を開催できた。 まことに主が生きておられ、教会を導かれることを、目の 当たりに見せられたことだった。 中心になって伝道していた高校生たちが、仕事に就いて 多忙になるや、大学生たちが起こされ、自由な時間が あり、伝道活動が進められて行った。 それらの人々が卒業で、帰省や県外就職になると、 次の何人もの大学生たちが起こされて行き、やはり時間 があり、よくチラシ配布をし、開拓から伝道が進められて 行った。 振り返る時、改めて、主が働き、主ご自身がみわざをされ ていたのだと、主とひとつ働きに、喜びが溢れる。 “人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです” ルカ19:10 伝道を通して、救われる人が加えられて行った。
2021年11月05日(金) 「開拓時に次々と来会者が」
開拓の最初は、聖書通信講座付きトラクトを配布。 戸別配布や学校前配布をし、すべての学校で配布 した。 一人の女子高校生が、学校のごみ箱に捨ててあった そのトラクトを見て、「この通信講座をしたい」と思ったと。 そのAさんが、教会に来始めた時、彼女の親友を連れ て来て、そのBさんも主を信じて救われた。 それ以来、二人で一緒に、日曜だけでなく、平日も 学校の帰りに、我が家に寄り、勉強をして帰るように なった。 それならと、毎週火曜と木曜に集会を持ち、聖書の 学びをするようになった。 すると、彼女たちは一人でも多く、イエス様のことを 知って欲しいと、クラスの人々を順番に、その集会に 連れて来た。 聖書の学びをして、宿題をし、ケーキ作りをしたり、 楽しいひと時を持った。 次々とクラスの子たちが来て、福音を伝えた。 数ヶ月後、主を信じ、喜びを与えられていた彼女たちは クラスで、聖書研究会をしたいと祈り始めた。 主に導かれて、放課後に、教室で聖書学び会を持った。 牧師が学びのプリントを作り、練習して、そのプリントを読 んだ。よく練習して、いつもリハーサルをしていた。 その学び会には、幾人も集まり、続けられた。 主を信じ、数ヶ月で、聖書研究会を開く、今思えば、 よくやっていたなあと。 救われた喜びで、押し出されていたようだった。 又、全く別の所から、配布したトラクトを通して、教会 に来る人を起こされ、救われる人が起こされた。 開拓一年目に、33人の人が来会していた。 主の働き、主のみわざに感謝だった。
2021年11月01日(月) 「個人伝道での出会い」
開拓伝道の最初の頃、平和公園で個人伝道を していた。 平和公園のベンチに座っている人に、語りかけ、 集会案内をしたり、聖書のお話をしたりする。 平和公園にある、公会堂の会議室で、集会して いた時は、集会前に案内すると、その足で集って 下さった方々も。 公会堂会議室から、店舗用を借りて集会するよう になり、移転後も、平和公園で個人伝道を続け ていた。 その中で、ベンチに座っていたAさんに、案内を。 するとAさんが、集会に出席し、イエス様を信じ 救われた。 大学生のAさんは、心が虚しかったことを話された。 ずっと以前にギターが欲しくて、欲しくてたまらなか った頃、親が誕生日のプレゼントにギターを買って くれる事になった。 もう嬉しくて、嬉しくて、その日を指折り数えて待 ち詫びた。 とうとう誕生日になり、学校から戻ると、プレゼント が用意されている。 授業中も、もうただただ嬉しくて、待ち詫びた。 そして帰宅し、待ちに待った念願のギターを とうとう手にした。 すると、その時に、あんなに欲しくて欲しくてたま らなかった物なのに、手にした途端、心がサーッと 冷えて、虚しくなったと。 欲しい物を手にしても、心は満たされない事を 知った。 太宰治の「トカトントン」という短編小説に、 主人公が、何かに真剣に取り組もうとすると 「トカトントン」という音が聞こえて来る。 その時に、心がサアッと冷えて、バカらしくなる。 何かをしようとする度に、その音が聞こえる。 そんな内容だが、自分も同じだと思ったと。 そのAさんが、イエス様を信じた時、本当に喜び に満たされているのがわかった。 心が満たされる経験をしたと。 主がAさんを救いに選んでおられて、平和公園で 出会いを与えられたことを覚えさせられた。