2022年02月19日(土) 「職場にも神様が!」
Aさんは、続けて、いろんな証しをしてくれた。 結婚後、子どもが小さい時は、保育所に預け、フルタイムで 働いていた。 ある時、チームで動く仕事に就いた。 プロジェクトのため、いろんなアイデアを出し合っていた。 話し合いを続け、案を出すが、一つ一つマイナス面もあり、 なかなか難しく、た良いものが無い。 時間的な事もあり、皆で、焦って来て、尚も案を出し合い 話し合うが、これというものが無い。 行き詰まってしまい、しかし刻々と時間は経過し、何とかしなけれ ばと、皆も焦りが見える。 その日も、夜遅くまで、会議を持つが、決まらない。 ・・・・・・・・・・・・ Aさんも祈り心で、翌朝だった。 早朝に、突然、良い案がひらめいた。 すぐチーフに電話すると、それは良い!、それで行こう!!と。 通常の出勤時刻よりも早く、皆に招集がかかった。 皆で集まり、皆も、良い案だと、それで行くことになった。 すぐに、その準備にとりかかる。 しかし、実際に作り上げて行くと、思ったより、難しく、思うように 出来ない。 試行錯誤しながら、進めるが、壁にぶち当たる。 思い通りに行かないのだ。 難しくて、時間ばかりがかかり、前に進まない。 皆も、何とかしたい、何とかしようと思う余り、イライラして来る。 段々、皆が、イライラ、ピリピリしているのがわかる。 もう見るからに、一触即発状態だ。 その時、チーフが「今朝は朝食も食べて無いんだ。朝から 高速を飛ばしてこなきゃならなかった」と言った。 もう最悪の雰囲気の中なので、Aさんは「それが私のせい?」 と被害者的に、悪く取ってしまう。 もう自我が爆発して、何か言いそうで、「神様!」と心の底から 叫んだ。「助けて下さい!!」と。 すると、「ごめんなさいね」 自分の口から、言葉が出た!自分でもびっくりだった!! 「ごめんね。私が、この案を出したばかりに、皆に忙しい思い をさせて」と。 するとチーフが「何、言ってるんだ。君はアイデアを出してくれた んじゃないか」。 他の人々も「そうよ、そうよ。Aさんがこんな良い案、考えてくれ たんじゃないの。 謝る必要なんてないよ。 皆で、頑張ろう!! 」 「そうよ、そうよ、頑張ろう! 絶対出来るよ」と。 ・・・・・・・・・・・・ イライラ、ピリピリ、一触即発状態だった、その場が、 突然、変わってしまった。 思いやりと、和やかで、温かい雰囲気に。 驚いた。 神様は、職場にもおられて、このように働かれるのだと。 そして、その案は完成を見た。
2022年02月18日(金) 「サタンの誘惑」
Aさんが交わりの中で、話してくれた。 結婚をして、アメリカに住み始めた時、隣家の夫妻が クリスチャンだった。 とても良い人々で、親切にしてもらい、助けられた。 実際、大変有難く、感謝だった。 親しくなり、教会で特別な集いがあった時に誘われた。 行ってみようと思え、夫婦で出席した。 その礼拝で、初めて福音を聞いた。 自分の罪のこと、イエス様の十字架のこと、神の愛を、 初めて聞いて、最後に信じたい人は挙手して下さい と言われた時、自分は手を挙げた。 それが夫も挙手していて、夫婦で同時に救われた。 それから、教会生活が始まって、とても楽しかった。 聖書の学びを受けながら、自分は赤ちゃんが好きで、 赤ちゃんのお世話をする、奉仕にあずかり、楽しく、 喜びがあった。 喜び持って教会生活をしていた時に、夫にヘッドハンティング が来た。 持っている技術が見込まれ、高給が約束された。 牧師に相談すると、今は動かない方がよいと、牧師は 反対だった。 まだ救われたばかりなので、ここで落ち着いてきちんと 御言葉を学んで、信仰の土台が築かれるのが良いと。 自分たちは、救われたばかりで、まだ霊的なこともよく わかっていなかった。 夫は、自分の技術が生かせる、その仕事ができることが 大きな魅力だった。 その誘惑は大きく、負けてしまった。 その仕事を受けることにし、遠方に引っ越した。 すると、自分はまだ霊的なこともよくわかっておらず、引っ越し 先で、なかなか馴染めず、教会へも行かなくなってしまった。 夫は、何とか教会へは通っていたが、仕事のレベルが 高度で、又、量も多く、残業も多く、ものすごくハードだった。 神様の御心ではなかった。誘惑に負けて、自分たちの思い に従い、神様から離れてしまった。 全然、平安が無かった。 立ち返らせて下さったが、サタンの誘惑について、肉の思い、 判断について、身をもって学ばせられたと。
2022年02月10日(木) 「大試練の中で、主の平安」
Bさんは、このNYでの再会の前に、大変な試練を通っていた。 離婚を通ったBさん、今までの人生で離婚が一番 厳しい試練だったと。 それが離婚になったと同時に、母国の親族から、実父様の 危篤の連絡が入った。 二つの大変な事態が同時に起きた。 当時はまだ携帯は無く、家電話の時代で、国際電話が Bさんから、かかって来た。 とにかく急遽帰国し、父親に福音を語りたいので、祈って 欲しいと。 突如の大変な事態に、主に拠り頼み、電話口で心合わせて祈る。 とにかく、取る物もとりあえず、帰国した。 するとお父様は、今日明日という状況ではなく、まだ大丈夫で、 思ったより落ち着いた状態だった。 ほっと安堵し、とにかく病院のベッドにへばりついて、お父様 のお世話をした。 1週間近く、ずっとたましいの救いを祈りながら、そばについて いた。 大変和やかな、幸いな父子の交流の時とされた。 今まで、ずっとお父様とこんなに親しく話した事が無いと。 というより、話をした覚えが無いと。 すべてを取り返すかのように、小さい頃の思い出話が 次から次へと出てと。 懐かしく、楽しかったあんな事、こんな事を話し、二人で 笑い、心通い合う、幸せな祝福の時間とされた。、 まだ大丈夫そうなので、一旦戻ることにし、明日発つ という最後の日に、「お父さん、神様のお話しをしてもいい?」 と聞いた。 「ああ、いいよ」との答えをもらい、神様を感じ、祈りながら 福音を話した。じっと聞いて下さった。 お父様は、大変な責任を負う立場にあり、状況上、よく理解でき、 心の中でいいので、神様に気持ちを伝えてねと告げた。 御言葉の種を蒔けた確信、伝える事が出来た喜びに、 あとは神様にお委ねできて、大きな感謝と平安で、 日本を後にした。 Bさんは、別の大変な試練を負うまっただ中で、主にすべてを委ねて 御心に従って行動して行った。 大嵐の状況で、とにかく主に従う時、「主の平安」を心に下さる ことを見せられた。 “わたしは、あなたがたに平安を残します。 わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。 わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います” ヨハネ14:27
2022年02月8日(火) 「大泣きの祈り」
Aさんの親友で、主に在るBさんもアメリカ在住だ。 Bさんも、日本転勤時、岩国の日本人集会にずっと集っていた。 Aさんが、ニューヨークで、落ち合える段取りをしてくれた。 Aさんと私たちは列車でNYへ。Bさんはバスで北からNYへ。 大喜びの再会を果たす。 ところが、会うやBさんが大泣き、号泣で、涙が止まらない。 NYへ来る前日に、突然、家主から、家を出るように言われた。 シングルマザーで、子どもたちを抱えて、どうしていいかわからない。 出るようにと言われても、行くあても無い。 もう不安と恐れが、涙となり、溢れ出て止まらない。 とにかく昼食をと、店に入り、食事をしつつ、状況を聞く。 少しほっとしたのか、話が出来て、祈ろう、神様は絶対に助けて 下さるよと、神様に目が向くと、落ち着いて来て、改めて再会の 喜びに笑顔も出た。 そこを出て、ファーストフード店に入り、コーヒーを持ち、 4人で、聖書を開き、夫が御言葉を話し、さながら集会となった(*^_^*) Bさんが、どんどん神様に信仰を向けて行き、会った時と表情も全く 違って来て、生き生きとして来た。 心を合わせて、切に祈り、顔に喜びが。神様は素晴らしい。 必ず与えられるから、祈って行こうねと、 別れる時は、平安な笑顔だった(^^) 帰途、きっと一番必要な時に、神様は会わせて下さったんだねと Aさんと話した(*^_^*) ・・・・・・ そして、その後、Bさんの教会のすぐ近くに住まいが与えられた!! 牧師が、教会の皆にも、Bさんの住まいのために祈ってくれるよう 祈りを要請した。 すると老齢の夫妻が、手を挙げて下さったと。 一緒に住まないかと。夫人が病を持ち、少し世話も手伝ってもらえたら 有難いと。、 Bさんは祈って、主からの御心と確信与えられ、平安を頂き、夫妻の ご好意を受けることにしたと。 あの時、心を一つに切に祈った祈りが答えられたね!!!と Aさんとも喜び、主に感謝した。
2022年02月5日(土) 「点が線でつながる」
毎日、あちこち案内してもらう。 ワシントンDCへ。ホワイトハウス、リンカーン記念館、国会議事堂 や、あの近辺を。 一帯は、緑が多くて、公園にもなっていて、落ち着いた感じだ。 2001年、あの頃は、なんにも知らなかったなあ。 良いものに見えるのが悪で、悪いものに見えるのが善だなんて。 黒が白、白が黒だったなんて。 ホワイトハウスの地下深く。 そして、アーリントン墓地へ。 一番行きたかった所かも知れない。 1963年11月23日朝、史上初の日米衛星中継が行われる日。 その衛星中継から入って来た第一声が、ケネディ大統領暗殺。 え! こんな衝撃あるだろうか。 学校でも、世間でも、その辺でも、心もずっとザワザワしていた。 そして若い心に刻まれてしまった。 関心があり、ずっと暗殺に関する記事やルポ、分析、映像を 追って来た。 ケネディ・ジュニアが、ネットにずっと出ている。 段々、明らかになって来ているのかな。 2001年、旅行の半年後に、9・11が勃発。 別の衝撃。 天地がひっくり返った。 でも、どの時にも、命をかけて真実を伝えようとする、良心ある人々が 存在することに、救われ、感動する。 悪ははびこり、サタンはこの世の神だが、しかしその背後に、主が万物の 支配者であり、最高権力者であり、最高主権者だ。 「神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子の ご支配の中に移してくださいました」コロサイ1:13 サタンが決して勝てない光の御子の支配の中に住んでいる。 主イエス・キリストの勝利と権威のもとに住んでいる。 光の中にいて、主イエスの名前を持っている。 何と平安と喜びだろう。
2022年02月3日(木) 「現地の教会へ」
Aさん夫妻の通う教会で、日曜に礼拝に出席する。 先生を始め、皆さんに声をかけられ、温かく迎えられる。 夫が夕拝で、証しを頼まれ、Aさんの通訳で、救いの証し、 開拓の証しをした。 親の反対を受け、家を出て、教会の事務所に寝泊まりする 中、神学校へ導かれたこと。 何も無い中、開拓宣教を始めたことを話すと、皆が帰りに 順番に握手で、驚いた、恵まれた、感動したと話された。 Aさんのご主人も、初めて証しを聞いて、とても感動した、 恵まれたと話しておられた。 カンボジアに行った時もそうだが、言葉は違っても、主を 共に讃美することの感動。 そして共に主を崇める心は一つで、喜びが湧き、恵まれる。 その教会は当時は800人の集まりで、体育館での集会 だった。 お昼の愛さんは無く、全員一旦帰宅し、夕方の礼拝に集う。 それがAさん夫妻が、昼食のため、すぐ近くのレストランに 連れて行って下さったのだが、そこはほとんど教会の人々で 埋まっていた。 夫妻は、時々、礼拝後の昼食に、青年たちを家に招き 庭でバーベキューをし、交わりを持っていた。 その日は、その青年たちと段取りをしていた。 教会学校の資料、教材類も、アメリカは日本では考えられ ないほど豊富で、Aさんご主人が大変親切に、ネットや 又、販売店に連れて行って下さる。 その教会の資料置き場にも案内され、教会学校の奉仕に 携わっているので、非常に興味深く、楽しかった。
2022年02月1日(火) 「慰労とお祝いに」
新会堂が建ち上がった時に、私たち夫婦の銀婚式も あって、Aさんが慰労と、お祝いにとアメリカに招待してくれた。 Aさんは、岩国ベース勤務の、アメリカ人の夫を持つ クリスチャン夫人だった。 当時、私たちの教会は、広島から夕拝後行き、岩国アメリカ人 教会の会堂を借りて、日本人集会をしていた。 アメリカ人教会の夕拝後の会堂を借りての集会だった。 それは、以前の宣教師が、日本人に重荷を持たれ 日本人のための集会を開きたいと。 しかし日本語は出来ないので、自分たちはチラシ配布等 伝道をするから、メッセージに来て欲しいと頼みに来られた。 祈りにより、牧師は主の導きを確信し、夜の日本人集会 が始まった。 ・・・・・・・・・・・・・・ Aさんは、朝と夕はアメリカ人教会に、その後8:30からの 日本人集会にずっと集われていた。 ある時、証しをしてくれた。 Aさんは、結婚後、夫婦共に救われたが、引っ越しをきっかけ に神様から離れてしまい、しかし、日本転勤になって、今一度 教会に通うようになったと。 神様に立ち返れて、神様から沢山の事を教えられ、御霊の 喜びも経験して行かれた。 ある日、リビングに一人でいた時だった。 突然、以前の事が思い出され、思いを巡らしていた時に、 自分の罪をはっきりと示されたと。 全く罪意識もなく、罪だとも思っていなかった。罪を罪だと わからない。 しかしその時、突然、光が射したように御霊により、罪がわかった。 リビングで、その場に神様をすごく感じて、聖い畏れを感じ、 ひざまずいて、罪を悔い改め、赦していただいたと。 神に立ち返り、御霊に導かれた歩み、喜んで集っておられた。 ・・・・・・・・・・・・・・ ワシントン・ダレス国際空港に着き、Aさん夫妻で出迎えに。 主の豊かな祝福満ちた、1週間の滞在とされた。