2022年03月07日(月)
  {一致}

<そして、証しをもう一つ>


私たちの教会でも、会堂建設をしました。

土地のために祈っていて、色々候補が出る中、
丁度バブルが弾けて、土地の値段が下がったんです。

今だ!!!

もう、今こそが、神の時!!


今が買い時!!


今、買わなくてどうする!!

早く!!早く!!と、もう焦ってですねえ、牧師に
買いましょう!!買いましょう!!と。

経営の仕事をしていると、どうしてもそういう見方
になるんですよねえ。

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でも、牧師は、頑として、動かない。

牧師が見ていたのは、そこでは無かったのです。

幾ら言っても、牧師は、まだ時では無い。

今は、神の時ではないと。

「一致」が必要だと。

何よりも教会の一致が大切で、皆が一致できるまで
待つと。

牧師が絶対に動かないので、また、皆で祈りを積み
一致のためにも祈り始めました。

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すると、とうとう神の時が来て、

教会として、土地購入に踏み切りました。


素晴らしく良い土地が与えられ、それが、以前よりも
遙かに高い金額でしたが、それが!!

必要が満たされたのです!!!

神様は素晴らしいと、主を讃美し、主の御名を崇めました。

2022年03月04日(金)
  「壁の御言葉により」

<続・会堂建設>

基礎工事と内装を請け負って下さった住宅会社の
クリスチャン社長さんが、話して下さった。

「母がまず、救われて、クリスチャンになったんです」

「その経緯が面白いんですよ」と。

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お母様が、薬を買いに、薬局へ行かれた。

ふと見ると、支払いをするレジの、そばに壁色紙が
貼られていた。

その色紙には、「神は愛なり」と書かれていた。
それが目に留まった。

その言葉が、家に帰っても、ずっと頭を離れなかった。

当時、お母様は、経済的に極めて苦しい生活だった。
心労は絶えず、悶々の、もう瀬戸際の暮らしだった。

神が愛なら、なぜ、こういう事になっているのか!
なぜ、愛が、なぜこんなにひどい状態なのか!

考えていると、腹が立って、腹が立って、仕方がない。

それで、翌日、怒りがおさまらず、文句を言いに、
薬局へ乗り込んだと。


すると、薬局のご夫妻が、丁寧に対応して下さり、
店の奧が、住まいになっていて、その住まいに、
上がるようにと、招き入れられた。

そこで、聖書を開いて、わかりやすく、神の愛が、
福音が語られた。

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不思議に、心にどんどん響き、しみ入り、その日
イエス・キリストを救い主として信じ、救われたのだと。

それ以後、変わられ、喜びに溢れて生きるように
された。

そして信仰が、子どもにも伝えられたのですと。


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一人のたましいの救いのために、

色紙の御言葉が用いられた。

主は、何でもされるのだと、見せられる。

御霊が働かれる時、みわざがなされる。

そして、たましいが救われる。





2022年03月02日(水)
  「ピッタリ・タイミング!!に驚」

続・会堂建設時の事だったが、


当時、市内の住宅建設会社に、Aクリスチャン社長がおられた。

B専務もクリスチャンで、会堂建設の基礎工事と内装を請け負って
下さった。

専務さんと以前から交わりあり、土地探しの時にも、気にかけて
下さって、こちらでも探してみますと。

そんな中で、こちらで探す中で、幾つか候補が上がり、その中で
特に一つがすべての面でクリア。

皆で祈り、平安与えられ、とんとんと土地が決まって行った。
すぐに特別献金をし、残りは不動産の好意で、取引銀行を
紹介され、すぐに融資が整い、土地が教会の取得となった。

それらがとんとんと、あれよあれよと決まって行った。

建設も、クリスチャンの教会堂設会社に依頼した。
海外からのクリスチャンボランティアが、実際に建設に携わって
下さることに。

大阪の会社のため、基礎工事は、広島の地元のどこかに頼んで
するようにと。

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その電話打ち合わせをし、と言っても、どこの会社に頼めば良い
のか全くわからない・・

その時に、突然、Bクリスチャン専務さんから電話がかかった!!

「土地の件は、どうなりましたか?」と。

「あれは、良い土地が与えられて、これから基礎工事に入る
ところなんです」

「会社は決まっているのですか?」

「いいえ、これからです」

「それは、うちでさせて下さい!!
うちで基礎工事と内装をします」と。


こんなジャストタイミング!! 神わざだった。

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丁寧な〃基礎工事をして下さった。


後で、わかる人が、建設写真を見て、「この基礎、すごいわー!!」
と驚き、「これ、ビルが建つでぇ!!」と。

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後で、B専務さんに、「そう言えば、あの日、なぜ電話を
下さったのですか?

なぜ、あの日、だったのですか?」


「いえねえ、土地探しますと言っておきながら、
探すのですが、なかなかふさわしい土地が無くて、実は、ずっと
気になっていたんです。

電話しなくちゃと思い、

あの日、御霊様が、頭のこっちの方で、電話せい!電話せい!
と言われたのだと思います」(笑)

2022年03月01日(火)
  「落ち込んだ時には」

遠方の友人Aさんと「落ち込んだ時」の事を話していた。

特に、厳しい試練の最中で、心が重く、沈んでいる時に、

【Aさん】
「最近、大きな試練があり、ひどく落ち込んでいた。
どうしても、神様でなく、問題を見続けてしまうので、

見えるところに支配され、飲み込まれてしまって、
ますます落ち込むんですよね。

教会の人々も、親切に訪問して下さって、慰めや
励ましを下さるんだけど、言葉も全然入らず、どうにも
ならずで。

自分の問題なんですよね。

神様の時が来て、落ち込みから脱出できたんです。

でも、しんどい所を通って、自分と同じようなタイプの人の
ためには、幾ら励ましてもだめなので、ひたすら祈って
あげることが、一番なんだなと、学べて感謝でした。

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【Bさん】
Bさんは、また別のパタンだった。

厳しい試練が次々と続いた時、問題に飲み込まれて
心が固くなってしまった。

肉が強くなり、何で自分ばかりがと反発心が出て来る。
周囲は皆、幸せそうで、自分だけが不幸だと思って
しまう。不公平だと。

その思いに支配されてしまうと、心が強情になり、不満や
怒りが出て来る。

そんな時には、神様は思いから飛んでしまう。
肉がどんどん強くなり、反抗的になってしまう。

皆は幸せでいいよねと、屈折した、すねた思いになる。
いつも喜んで行っていた集会を休んでしまう。

喜びも平安もなく、暗い、重苦しい思いの中にいる。

そんな中、心配して、Cさんが家に来てくれた。
会いたくないし、話したくない。

一応出るものの、屈折した思いの中で、反抗的な突っ張
った態度になってしまう。

しかし、Cさんは、柔和にやさしく対応してくれる。

こういう時は、反抗心で、会いたくないし、神様のことも聞きたくない。

でも、自分の中に、もう一つの別の思いもある。

こんな自分のために、気にしてくれて、わざわざ家にまで来て
くれて、対応してくれて、悪いと思う自分がいる。
申し訳ないなと思うし、有難いと思う。

二つの自分がいる。

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落ち込んだ時のパタンも、人により違い、また一人の人でも
その状況によっても違うかも知れない。

結局、自分の思いや、判断でなく、よくよく祈って御霊の
導きに従うフォローが、真の励ましになるようだ。

その時、その時に、御霊の導きに従いたい。