2022年05月30日(月)
  「続・母の愛」

<前回の続き>

そのBさん宅での、婦人会、
お母様も出席して下さった。

学びと祈りの後、持ち寄りご馳走を楽しみながら、
皆で、わいわいがやがやと、楽しい交わりをした。

皆で、いろんな事を喋り合い、盛り上がる中で、
お母様も話して下さった。

Bさんが、アメリカ在住時に出産を迎えた。
お母様は、しばらく滞在、産後のお手伝いをし、
帰国になった。

帰国時のチケットは、乗り換えがあった。
出国時は、娘一家に空港まで送ってもらい、
搭乗までの手順を教えてもらい、無事搭乗。

そして、乗り換え空港に到着した。
お母様は、英語が全くわからず、飛行機を降りて、
どの方向へ向かえば良いのか、どうすればよいのか
全くわからなかった。

オロオロと、どうしようもなく、そこにいた係員の男性に
チケットを見せた。

すると、その係員が大急ぎで、車椅子を持って来た。

え!何!車椅子!??

身振り手振りで、「違う!違う!」私は身体障害者で
はないと、懸命に伝える。

相手も懸命に英語で、何やから言っているが、
全くわからない。

すると相手は、彼女を力づくで、ドーンと車椅子に
座らせた。
そして、広大な空港内を、彼は猛スピードで25分
走り続け、ギリギリ直前に、乗り換え機に間に合った。

・・・・・・・・・

皆で、驚きながら、聞いた。
「えー! びっくり!! 良かったですねえ!!!」

「まあ、機転の利く、親切な係員さんだったですねえ。」

「はい、有難かったです。もうそれしか方法が無いと
思われたのでしょうね」

「でも、言葉もわからないのに、見知らぬ異国の地を
よく、行かれましたねえ!!」

Bさん「いやあ、乗り換えの仕方を、教えておけばよかったのに、
もう産後で、そんな事にも全く、気が回らなかったです。」

お母様「言葉も、何もわからないのに、無謀ですよねえ(笑)
もう、助けてやりたい一心で、何も目に入らずでした」

楽しい交わりで、はからずも、お母様の深い深い愛情が
現われ出た結果となった(*^_^*)

・・・・・・・・・

台所に立ち、一緒にコーヒーの用意をした時、
Bさん「母から、初めて聞きました。」「お母さんの愛だね」
「はい、感謝です」






2022年05月30日(月)
  「続・お母さんとのギクシャクが祝福に」

Bさんが、証ししてくれた。

小学校低学年の頃、お母さんはずっと仕事を
していて、とても疲れて帰っていた。

職場で、対人関係や仕事も、とても大変そうなのが、
子ども心にわかった。

しんどい事を抱えているようで、お母さんに話したい
ことがいっぱいあったが、飲み込んで、話せなかった。

本当は、いっぱい話をしたくて、話を聞いて欲しかった。
無意識ながら、ずっと我慢をし来たのだと思うと。

小さい頃から、いろんな面でも、ずっと我慢をし続けて
来たようだ。

お姉さんがいて、お姉さんは何でもうまく、良くできた。
自分は、なかなかうまく出来ないと思っていた。
だが、表向きは、特にどうということなく、普通に暮らしていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・

そして、クリスチャンになってからの事だった。

ある時、別に普通の会話の中で、お母さんがお姉さんを
誉めた。

その時、なぜかわからないが、比較されていると思って
しまい、なぜかわからないが、昔からの積もり積もった
感情が、思いが、噴き出してしまった。

どうという事のない会話だったのに、爆発してしまった。
初めてのことだった。

お母さんに対して、小さい頃に、ああして欲しかった、
こうして欲しかった、あれが、これが嫌だった。
悲しかった、苦しかった、辛かった、溜まり溜まっていた
ものを、全部ぶつけてしまった。
自分でも、わけがわからないまま、吐き出してしまった。

その場は、そのまま別れたのだが、
帰宅して、冷静になると、何という証しに悪いことをして
しまったのかと。

お母さんにイエス様を知って欲しくて、祈っていた中、
とんでもないことになってしまった。

心から悔い改めた。

・・・・・・・・・・・・・・・・

Bさんから電話がかかり、今からお母さんに電話して
謝ろうと思うので、祈って下さいと。

電話の受話口で、心を合わせて一緒に祈った。
この事が益とされ、祝福とされるよう、主の栄光が
現れるよう。お母さんに主の証しとされるように。

電話が切れてから、ずっと祈っていた。

30分ほどして、電話がかかり、お母さんとすごく良い
交わりが与えられたと。

お母さんに謝って、小さい頃の気持ちを伝えると、
お母さんは、もう号泣で、そんなに辛い、悲しい思い
をさせていたなんて、全く何も知らなかった、気づか
なかった。

ごめんね、ごめんねと、わ〜わ〜大泣きで、
心が通い合えて、神様が働いて下さいました!と。

それから、ご両親で礼拝に来て下さったり、Bさんが
婦人会を家でと招いてくれた何回か、お母さんも
出席して下さった。

ほんとに万事益とされる、祝福とされる、大きな
祝福だった。 







2022年05月28日(土)
  「続・再臨の映画も用いられ」

そこに集っていた、Bさんの思い出。

Bさんは、先に集っていたCさんのお友達だった。
その日は、たまたまCさんが家に呼んでくれて、、婦人たち
集まっての家庭集会だった。

皆、クリスチャンだったので、再臨のビデオ映画を皆で観る
予定だった。

それがその前日、CさんとBさんが話す機会あり、Cさん
は証しをし、教会へ行っていることを話し、するとBさんが
その日、教会へ行きたいと。

当日、皆が集まり出した時に、Cさんから、初めてのBさんに
再臨の映画、どうですかねと相談があった。

わからないでしょうね、びっくりするかもね、う〜ん、でも予定
していたし、皆、とても楽しみにしているし。

神様は、この日再臨の映画を観るのはご存じだったし、Bさん
に聞いてみようと言うことになった。

Bさんに内容も説明すると、それが、Bさんは「観たいです」と
言った。

映画後、Bさんは、再臨をありのまま、受け止めたようだった。
それも、びっくり!!「だったが。

そして、福音を語ると、何と、イエス様を信じ、救われた!!
初めて来て、再臨の内容でも、救われる人は、救われるのだと
神様のみわざに、びっくり感謝だった。

Bさんは、育児に深く悩んでいて、心に強い渇きがあり、真理を、
救いを、求めていたと知った。

友人のCさんを通して、集会に導かれ、イエス様に出会えたのだった。

・・・・・・・・・・・

そして映画鑑賞後、、皆で、交わりの時を持った。

集っている婦人方、皆、半端ない試練の中にいて、まさに
もうギリギリの状況の方々も。

大泣きで、叫んで、状況を話し、皆がいっぱいいっぱいで、
次々と吐き出す。出さないと、立っておれない、まさに瀬戸際
だった。

初めてのBさんは、余りの深刻さに、もう驚き、配慮のある方で、
ほんとに席を立ち、帰ろうとした。

「私は、いない方がいいと思うので」と。

すると、丁度泣きながら話していた方が、「いて、欲しいです!」
と止めた。

Cさんは「私が、聞いてもいいんですか?」に、皆が、一緒にいて
欲しいと、願った。

Cさんは、その場で、ずっと一緒に耳を傾けてくれた。

・・・・・・・・・・・

それからBさんは、毎週、教会と、婦人の集いに出席した。

それが、その事のあった、翌週の婦人の集会に来た時に、

Cさんが自ら、自分の辛かったこと、苦しかったこと、自分で自分
を追い詰め、未遂までしてしまったこと、今の状態、赤裸々に
話し、涙が出そうになりながらに聞いた。

皆で、心合わせ、祈った。心が一つだった。

御霊の働きを、ものすごく感じた出来事だった。





2022年05月27日(金)
  「続・苦しみは、実を結ぶ」

前回のAさんが集ってくれた集会。

3年毎に、皆、ご主人の転勤があり、皆、
海外のあちこちに、バラバラになってしまった。

時に、電話や、実家への帰省時に会える
事があった。

必ず語り合うのが「あの頃は、すごかったねえ」

「祈りが、もう次から次へと答えられて、どんどん
奇跡が起きて、全部答えられたよねえ」

「ほんとに、そうだったねー」
思い出話は尽きない。

皆が皆、試練が半端無かった。
離婚寸前で来た人々、育児に悩みに悩んで
来た人、対人関係の悩みで自殺未遂もした人、
有り得ないほどの経済的苦境の人、
未婚で出産した人、離婚調停中だった人・・

皆が皆、問題を、苦しみを背負っていた。

だからこそ、神様をあがき求め、いつも叫んでいた。
厳しい試練によって、神様にものすごく近かった。


「感謝せいと言われても、感謝でき〜〜ん!!!」

「かみさま〜〜!!ほんまに聞いてくれとってんか〜!!!」

大声で叫び、祈っていた。

奇跡を目の当たりに見て行った。
ほんとに、まさに神様が目の当たりに働かれていた。

経済的苦境の人は、必ず、絶対に必要が与えられた。
皆で、毎回、毎回、驚くばかりだった。

育児に苦しんでいた人々が、神様に出会い、神の愛
を知り、聖書から育児を学び、変えられて行った。

離婚調停中の人が、奇跡が起きて、夫婦がもう一度
やり直すように合意できた。

聖書から、夫婦の在り方、家庭の在り方を学び、
御霊の実際的助けがあり、夫婦が、家庭が建て
直され、建て上げられて行った。

奇跡に次ぐ奇跡だった。

試練は痛くて、辛くて、苦しいが、必ず祝福に結果して
行くことを見せられた。

苦しみだけで終わるのでなく、平安と喜びへと、
導かれて行き、実を結んで行った。

神様に在っては、試練は、必ず実を結ぶ。

何という幸いだろう。


2022年05月27日(金)
  「続・更に祝福が」


そして、そのAさんは、教会へ来たのが、育児に悩んで
の事だった。

子どもをどうしても叱ってしまい、手も出てしまい、又、彼女の
背景自体にも色々な苦労があり、悩み苦しんでいた。

病院で、知り合った女性の中に、クリスチャンがいて、連絡
先も取り交わしていた。
ある時、もう苦しみが頂点になり、彼女に電話した。

「教会に連れて行って欲しい」と。

彼女はすぐに飛んで来てくれた。そして教会に連れて来て
くれた。

教会で、罪のこと、イエス様の身代わりの十字架、父なる
神の愛、もう渇ききった心に、洪水のように恵みが押し寄せ、
涙と共に、救いに入れられた。

その後も、育児では、葛藤しつつも、今までとは違った。
つい叱ってしまった後、自己嫌悪に陥る。しかし、
主に祈ることができた。
悔い改めることもできて、赦していただく恵みも味わえた。

祈ることができて、導きを与えて下さる神様に頼ることが
できるようになった。

そして祈りに答えて下さる神様を、経験して行った。

・・・・・・・・・・

その日、その店で出会った時、長女Bちゃんと Bちゃんの
赤ちゃんも一緒だった。
Bちゃんは小さい頃、ずっと一緒に教会へ来ていたので
よく知っている。
小学校までで、すっかり大人の女性になっていて、びっくり!!!

母子が、ものすごく良い雰囲気で、平安と憩いに包まれて
いた。可愛いお孫ちゃんもそこにいて、何と幸せそう(*^_^*)

「主人も子どもたちも、家族全員、元気にしています」と
嬉しい知らせ。

育児に悩んで、神様のもとに来たが、こんなに仲良しの母子
とされ、すべては祝福に導かれていた。

こちらも喜びと祝福で心がいっぱい!!

神様、有難う!!!


2022年05月20日(金)
  「何という素晴らしい万事益」

神様を知らなかったら、マイナスの、負の出来事は、
アンラッキー、運が悪かった不運、良くない出来事に
なるのだろうか。

家内安全、商売繁盛、五穀豊穣の逆は?
突然に降りかかる災害は?
病気にもなるし、けがもするが。

平安の主である、主が共におられることが、何という
平安だろう。

「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなた
がたとともにいます」マタイ28:20

何にも代えられない、「主の平安」を与えられていること
が、何とあわれみで、感謝なことだろう。


「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたに
わたしの平安を与えます。

わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。

あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」
ヨハネ14:27

イエス様が下さる、イエス様の平安の中で、生きることのできる
幸い!!!

・・・・・・

先日、次男が突然の激痛に襲われ、救急車で病院へ。

結果、尿管結石で、これは痛い。石が出るまでの痛みも
半端なく。

私も患ったことがあるが、立っても座っても、どうやっても、どう
にもならない激痛(^^;)
私は、痛み止め飲むが、ほとんど効かずだったが(>_<)

痛み自体はしんどい。救急車で出たので、病院まで
一家を迎えに出かけ。

神様、万事益ですよね。感謝します。この事態を、どのように
益にして下さるかのか、待ち望んでいます(^^)

一家を住まいまで送り、帰途、買い物に店に寄った。

すると、突然、声をかけてくれた人が!

何と、長い間、会っていないAさん!!バッタリ!!と、
というか、もろに主のお導き。それも隣県からで。

嬉しくて、思わず手を握り合った。
ずっと家の都合で、集会に行けてないが、行きたいと
思っている。

タイミング合えば、夜の集会に行けるように、ずっと聖書を
車に置いていると。
ずっと神様のことが心にあることに、もうこちらの喜び爆発。

もう、飛び上がりたいほそ、嬉しかった。

神様有難う!!次男の尿管結石が無ければ、その店に
行っていない。
万事益、喜びが満ち満ちた。