2022年06月15日(水)
  「試練の先の大きな安堵・平安」

★<試練を乗り越えた後の平安>

それは、言い尽くせぬ、素晴らしい安堵、喜び、恵み。


「試練は何とも苦しいけれど、試練が解決した後、
乗り越えた後は、本当に心底の安らぎ、安堵を
経験しますね。」

「本当に!心底の安堵、満ち足りた安らぎを経験
しますね。」

「これは試練を経たからこそであって、試練の賜物ですね。」

「もし、試練が無ければ、試練が取り去られた後の
こんなにも安らかな、平安な気持ちを味わうことは
ないですものね。」


「大きな厳しい試練を通りましたが、苦しく、辛い
ばかりで、何も見えない時期もありましたが、
でも、それによって、神様に出会えて、今、心底の
平安があります。感謝です。」


「あの時を思うと、安らかな安らかな気持ちに
本当に感謝でならないです。」


「よく耳にします。
辛い、苦しい対人関係だったが、神様の時が来ると、
不思議に、相手が引っ越しや、部署替えや転勤で、
取り去られる。

辛かった分、試練が取り去られた時の平安は、
何にも代えられない、大波のような安堵だと。」


「苦しかった分、安堵を経験でき、平和な状況も
経験でき、祝福が大きいですね。」


「苦しみがあったから、平安がしみじみと嬉しく
身を持って味わえますね。」

「それは、神様からの慰めですね。」

。。。。。。。。。。

Aさんが、隣人のことで、非常に辛い、苦しいところを
通った。

理不尽に、攻撃されたり、文句を言われたり、果ては
近隣で、自分の悪口を言いたい放題で言われた。

しかしそれは全く身に覚えのない事なので、ひどく
戸惑い、悩み、どうしてよいかわからんず苦しんだ。

友人が、その人がサークルで、買い物先で、自分の
悪口を言っていたと、教えてくれた。

根も葉も無いことで、辛くて辛くて、心が重く沈んだ。

祈りに祈って、もうどうにも出来ず、主にすべてをおゆだね
した。

すると、状況は何も変わらないのに、あんなに苦しかった
心が落ち着いて来て、不思議だった。
神様を感じた。

相手に話そうとすると、拒絶され、自分の姿を見ると
避けられ、どうにもならなかった。

続けて祈っていると、相手のご主人に相談してみるという
思いが与えられた。

友人も同行してくれ、外で、ご主人と話す機会が与え
られた。

詳しく状況を説明すると、そんな迷惑をかけている事は
全く知らなかったと。
ただ、言われてみると、思い当たるふしがあると言われ、
誠実に対応して下さった、良いご主人だった。

すぐに動かれ、実家のお母さんが来て、1週間ほど
した時、病気だとわかり、入院治療しますと挨拶が
あった。

苦しく、辛い試練であったが、主にお委ねした時に
見事に解決に導かれた。
主にお任せすることの、大切さを学ばせられ、
平凡な日常は、本当に幸せで、大きな恵みで、感謝
なのだと教えられた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「慰めよ。慰めよ。わたしの民を。」とあなたがたの神は仰せられる。

天よ。喜び歌え。地よ。楽しめ。山々よ。喜びの歌声をあげよ。
主がご自分の民を慰め、その悩める者をあわれまれるからだ。


2022年06月12日(日)
  「どうしても赦せない」

赦せない思い、人を赦すことの難しさを語り合う。

★★
「イエス様を知る前は、ずっと心に人に対する
憎しみや、妬み、赦せない思いがありました。

それは自分が胸が痛く、胸が苦しいです。
ずっと胸の奥が辛くてたまらなかったです。

それも赦せない相手は、痛くもかゆくもなく、
どうもなく、苦しいのは自分ということになり、

苦しくてたまらないが、どうにもならない、赦せ
ない思いはなくならず、変わらず・・でした。

イエス様に出会って、自分は赦せないが、
祈ることを教えられ、祈り続けていました。

もう何年も〃祈り続ける中で、胸の痛みが
取れました。

結局、憎しみや妬みや、その苦しみが神様
に追いやってくれていて、だからこそ祈り続け、
神様を求め続けて来れたことが、わかりました。

もし、苦しみが無かったなら、救われた後も、
真剣に神様を求めることも無かったと思います。

辛いから祈り続け、今は、もう痛みが無い
です。神様がいやして下さったと思います。

祈りに追いやられて、感謝だったです。」

・・・・・・・・・・・
★★
「赦せない思いは、苦しいです。四六時中
その思いに支配される。

ずっと苦しくて。楽しい、喜びの状況にいても、
ふっとその事が思いによぎると、途端、気持ち
が暗くなり、沈み込む。

楽しい時も、心に影を落とし、楽しくなくなる。
一時期は、身体にまで来て、体調不調にも
なり、大変でした。

赦すことはできないので、祈りに持って行き、
祈り続けました。

サタンからの思いが来る度に、神様を呼び、
続けました。

あんなに胸が苦しかったのに、薄れて来て
います。

以前とは全く違います。
祈りの力を教えられています。」

・・・・・・・・・
★★
「いじめに会いました。

もう辛くて、辛くて、家に帰っては、涙、涙で
泣いていました。

いじめて来る相手に、腹立ち、嫌な思い、
憎しみで、怒りでいっぱいになり、

それも、苦しくて、悶々状態でした。

ずっと、悶々状態が続く中で、自分も平安が
無く、

そんな時、相手を赦さないことは、相手を憎む
限り、結局ずっと一生、相手に自分がコントロール
されているという事になるとの、メッセージを

聞いた時に、絶対に嫌だと思い、御前に、「相手を
赦します」と決心しました。

すると胸の苦しみ、辛さが消えて、心も平安に
なりました。

神様がもろに働いて下さったと、心から感謝
しました。」



2022年06月11日(土)
  「自我が!」

肉が・・、自我が・・と、皆で、しっかりうなずきながら
語り合う。

Aさん
「どれだけ自我が強いのか。どこまでも、どこまでも
強烈な自我。
日常生活で、あれも、これも、自我にのることと
教えられます。

胸の奥に、妬みがあり、憎しみがあり、プライドが
根深く巣くい、ほんとにどろどろの醜さです。

でも、本当に感謝でならないです。
もし神様を知らなければ、こんなにひどい自我も、
自我が砕かれるということも、何もわからないまま
一生を終えたのだろうと。

赦せない思いや、憎しみは、ものすごい力ですね。
相手はどうもなく、自分が自分の首を絞めて、追い
詰めて、自分が、自分を苦しめるばかりで。

祈れることが、救いです。
赦せない思いが来る度に、神様のもとに持って行き、
祈れることが、本当に感謝です。

聞いて頂いていることで、知って頂いている事で
救われます。

赦せない思いは、まだあるのですが、ずっと祈りに
持って行けて、段々、薄れてきています。
確実に薄れてきています。

ほんとに神様がおられなかったら、どうなっていたかと、
感謝で感謝で、ならないです。」


Bさん
「砕かれないと、神様はわからないですねえ。

教会に特別な集いや、何かある度に、よく通って
いました。もう10数年になります。

その度に、御言葉を毎回聞いているのですが、全然
わからなかったです。

意識的に拒否しているわけでは、全く無いつもり
ですが、自分に必要が無いから、入らないのでしょう
ねえ。

渇きがなく、求めがない状態ですね。

でも、厳しい試練が来て、あちらの壁に、こちらの
壁に、頭をぶつけて、行き詰まり、辛くてたまらない
中で、御言葉が心に迫って来ました。

今までずっと聞いていて、初めて心に響いて、心に
入って来ました。

イエス様を信じ、救われました。

神様からガツンと来ないと、わからない、どうしようも
無い者なのですが、ただただ感謝です。

私を神様のもとへ導いてくれた試練に、感謝です。

砕かれたのですねえ」

Cさん
「いやあ、もう日々、自我、自我で、自我の連続
です。
人の言葉に、カチンと来るし、ひと言、嫌味を言って
しまうし、腹が立つと、きつい事を言って反撃するし、
ほんと自我で生きてます。

でも、神様を知って、心の中で、祈るように変えられ
ました。

カチンと来ると、心で祈り、感情的な言葉は出さ
ないように祈っていると、守られるんですよね。

言わなくて良かったと、後で、感謝することが多いです。

くちびるの戸を守って下さいと、ずっと祈ってます(^^)

でも、感謝でならず、神様を知らなかったなら、
どうなっていた事かと思います。

心に平安があって感謝です。」

2022年06月10日(金)
  「同じ事が、神視点に立つと・・」

発想、神様視点ということ語り合い。


★【どのように与えて下さるか、楽しみに】

Aさんが、自分でも言う、人の何倍もの心配症だった。

心配と思い煩いを、自分が取って来ると。思い煩いが
無いと、不安になり、わざわざ取って来ていると。

「思い煩いが好きなんよ」

「そうだ、その通りで、思い煩いが好きなんです」

そんなAさんに、次から次と試練が来た。

経済的苦境や対人関係やら〜。

経済的苦境が、次から次へとやって来る。その度に皆
で祈った。祈りに、祈る。

何と、必ず、与えられた!
幾ら苦境が来ても、100%満たされた。
何度も、何度も。

続く、歳月の中で、とうとう、「次は、神様h、どのように
与えて下さるか、楽しみになりました」と。


★【“万事益”を、楽しみに】

人間は、気をつけていても、必ずミスするし、失敗してしまう。

その時、御前に悔い改めて、反省する事は大切だ。
次に、同じミスから守られる。次につながれて行く。

しかし、前向き、信仰的、反省でなく、サタンからのものも
来る。

うじうじ、ぐじぐじ、ああだ、こうだと、あれが悪い、これが悪いと
建設的でない、後ろ向きのネガティブ思考に、引っ張ろうとする。

心がうっとうしく、暗くなるのはサタンだ。

その時に、きっぱり!「万事益」に立つと、心が守られる。

主がそう言っておられるので、そこで「万事益」を信じる!!

すると、これをどのように益として下さるのか、主のわざであり、
期待が生まれる。

Cさん「自分はどうしても、そんな時、落ち込むばかりで、
すぐに万事益の発想がありませんでした。

すべての事を益として下さる神様を、信じて、どのように益
として下さるか、期待して行こうと思います。」


★【視点が・・】

Dさんに、非常に大きな、厳しい試練が臨んだ。

苦しみと悲しみ、辛さの中で、どんなに大変だった事だろう。

そんな中、Dさんが話してくれた。

周囲の人々が、声をかけてくれたり、一緒に祈ってくれたり、
食事に行こうと誘ってくれたり、電話や手紙、

少し時を経た頃には、食事に行こうと誘ってくれたり、
イベントに誘ってくれたり、


自分が、神様を見ていて、神様の視点がある時には、
こんな私のために、皆が心配してくれ、心にかけてくれて、
本当に有難いと思え、恵みが見えて、神様にも、皆にも
感謝でならない。

神様のご愛、支えや助けが身にしみて、心に喜びが
湧き上がる。

神様の愛と恵みがわかる。

でも、自分が神様を見ておらず、肉の視点しかない時は、
あなた達はいいよね、あなた達は幸せでいいよねと、
羨ましくてしようがなく、屈折した、ひがんだ、すねた
思いになる。

外側の状況は全く同じで、親切にしてもらってるのに、
自分の霊的状態で、天と地ほどに、とらえ方が違う。

自分で経験して、神様を仰いでいないと、御霊に導かれ
て行かないと、肉に支配されてしまうと、思い知った。

サタンも引っ張りますものね。

神様に拠り頼んで、わたしにとどまりなさいと、言われる主に
とどまっていたいです。

神様視点で、物事を見れるよう、判断できるよう、祈って
いたいです。


2022年06月08日(水)
  「いやされました」

悩みや試練のことを、語り合う中で。

Aさん
「自分は、辛い対人関係があった。相手からは
よく思われていない事がもろにわかり、苦しかった。

別の相手からは、なかなか気持ちが思うように通じ
合えず、辛い思いをした。

すると、辛さによって、こちらにも嫌な思いが出て来る。
嫌ったり、憎んだりは、自分が苦しい。胸に鉛がある
ように、辛い。

でも、その苦しみがあったからこそ、神様のもとへ来れた
と、御霊により教えられ、感謝があふれた。

もし、何の問題もなく、順境の中であれば、自分は
絶対に教会に来ていないし、神様のもとに来ていない。
必要がないから。

悩みと苦しみが、自分を神様のもとに連れて来てくれて、
今、振り返る時、感謝で感謝でならない。

相手から辛く当たられ、自分が赦せない思いを持つ時、
自分の胸にずっと重苦しいものが消えず、相手でなく、
自分が苦しかった。

神様に出会って、罪が赦され、その胸の重い鉛が取れた。
感謝が生まれて、自分が変えられた。

悩みと試練が、自分を神様のもとに連れて来てくれたと
今は、感謝でいっぱいです。


何で、何で、自分の境遇はこうなのか、こんなに辛いのかと、
よく思ったのですが、生い立ちも、境遇も何もかもが、神様
のご計画であったこと、今は、わかります。

母の胎で、私を組み立て、母の胎にいる時から、ずっと見
て下さっていたのですよね。
今は、以前と全く違います。

何かある度に、イエス様の十字架に、感謝があふれます。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・
Bさん

「私も、神様に出会うずっと以前から、いろんな苦しみが
ありました。

何で、私はこの境遇なのか、ずっと思い悩んだり、他が
いいなあと、羨ましかったり、ああだったら良いのに、
こうであれば良いのに・・、

いろんな思いを抱いて、生きて来て、人生途上で神様
に出会うことができました。

それが、目が開かれたように、すべては神様のご計画で、神様
が与えられ、それらの苦しみ悲しみがあった上で、今の自分が
あると、わかったのです。

感謝です!

ずっと何で、何で、ああで、こうであればよかったのに・・
が、いやされました!」

いやして下さった!!!


“わたしは主、あなたをいやす者である。”出エジプト15:26


“主よ。あなたは私の神。
私はあなたをあがめ、あなたの御名をほめたたえます。

あなたは遠い昔からの不思議なご計画を、まことに、
忠実に成し遂げられました。”イザヤ25:1




2022年06月01日(水)
  「窮した者の祈りを・・」

遠方のAさんより連絡が来た。

今から21年前、女手一つで、まだ小さな子ども二人を
育てていたAさん。
ある日、突如、家主の都合により、借家を出なければ
ならなくなった。
もう、次の住まいをどうすればよいかわからず、不安と
恐れで、大泣き。

それが丁度、私たち夫婦の旅行先で、AさんとAさんの
親友Bさんと、落ち合う事になっていた日。

会えて良かった!ずっと大泣きで、カフェで4人で聖書を
開き、夫が御言葉を語る。

御言葉により、Aさんは段々落ち着き、顔が変わって来た。
4人で心合わせて祈った後は、笑顔になっていた。

絶対に神様は良くして下さるし、次の住まいを与えて下さ
るから、祈ろうねと、笑顔で別れた。


そして祈り続けていると・・

Aさんの教会でも、皆が祈ってくれてと。
その中から、Cさん夫妻が手を挙げて下さった。

老夫婦の二人暮らしで、家にスペースも十分あり、一緒
に住まないかと。
互いに助け合えるのではと。

・・・・・・・・・・・・・・・

Aさんは、主の導きを確信し、親切を受け取り、夫人の
お手伝いをし、大きな祝福の中で、暮らしていた。

あれから21年、子どもたちも結婚し、巣立ち、夫人も
天に召され、老齢のCさんも、体調の加減で、ほとんど
ベッドで過ごすように。

少しづつ弱り、2,3年前から、早く天に帰りたいと。

先日、Cさんの願いが叶い、愛するイエス様のもとに
帰られたと。

沢山の溢れる愛情をもらった老ご夫婦とも、天に召され、
家は、Aさんが使うようにと、遺言を残して下さった。

21年前、家を出るように言われ、何のすべもなく
ただ、泣くしかなかった。

窮する者の祈りに、答えて下さる真実な神様は、
家を与え続けて下さっている。

・・・・・・・・・・・

Aさんの車が故障して、見積もり30万と言われ、
とても不可能な額だった。

車が無ければ、生活が出来ない状況で、この時も
涙が出て、何のすべもなく、主に祈り、泣いていた。

すると、突如、Aさんの車の会社が、その車種が
欠陥車と判明し、車の修理場に持って行くようにと。

持って行くと、すべて無料で修理してもらえた。

こんな事ってある??神様のみわざ。


「窮した者の祈りを顧み、彼らの祈りをないがしろに
されなかったからです。」詩篇102:17