2022年07月12日(月)
  「続・御霊の働き・個人伝道」

ふと思い出す個人伝道。御霊の働き。


仲の良い友人とカフェに入った。
いつも語らいは楽しく、普通に談笑していたら、

その時は意図はしていなかったが、自分の
意志に関係無く、突然、自然に信仰の話
になって行った。

御霊の働きだった。

相手の心が開かれていて、証しをすると、吸い
込まれるように、相手の心に入って行く感じ
だった。

祈りつつ、話していると、次々と御言葉が
頭に浮かんで来る。
勝手に浮かんで来て、御霊の導きだった。

その彼女はイエス様を信じて救われた。


神学校時代、伝道の実習があった。

その伝道の学びの時間帯に、実際に外へ出て
個人伝道をするというものだった。

秋頃だったか??暑くも寒くもないような時期、
神学校の近くの大きな公園へ出かけた。

学生は、公園でバラバラになり、それぞれ違う
方向へ向かった。

向かった方向にベンチがあり、するとそこに
女子生徒が座っていた。

平日の午前中に、なぜ女生徒が??
何か、わけありかなと、トラクトだけでも渡そう
かと、声をかけてみると、

以外に、拒否反応なく、キリスト教会ですと
言うと、やはり拒否反応は無かった。

ベンチで隣に座り、自己紹介もしつつ、様子を
見ながら、差し障りのない話をする。

快く、応答してくれ、とても素直そうな方で、
嫌や様子は無かったので、少し突っ込んで
話して行くと、

今、悩みがあるんですと、話してくれた。

そこで、御霊の流れに乗せられたように、聖書の
こと、福音をお話しできた。

信じますと言われ、驚いた。
その後、近くの教会へも行ってくれたとの事だった。

・・・・・・・・・・・・・・

実習の個人伝道で、不思議な恵みの経験だった。

ただただ御霊の働きを感じた。

その方と、その時間に出会わせられ、相手の心
が開かれていて、話す御言葉がぐいぐい入って
行った。

・・・・・・・・・・・・・・・

“テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという
女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロ
の語る事に心を留めるようにされた。”使徒16:14


〜主は彼女の心を開いて〜

御霊の流れに乗せられて行く感じだ。





2022年07月11日(月)
  「個人伝道と御霊」

★教会で、個人伝道の学びをした。

「伝道とは」から「伝道の心構え」「伝道の要素」
「福音とは」と詳細に。

個人伝道の仕方をポイントに分けて、実際的
方法、又、その際の注意点等。

実際に御言葉を使い、救いに導く方法を改めて
学び、大変恵まれた。
的確にまとめてあり、わかりやすく、皆がすごく良かった、
恵まれましたと。

★Aさん、
「何かすごく、心に来ました。主人は高齢なの
ですが、まだ福音を伝えてなくて。

主人は必要が無くて、聞く耳が無さそうなので、
ずっと伝えられずにいて。

でも、もう高齢で、このままならずっと伝えられない
ままなので、よく祈って、伝えようと思いました。」

★Bさん
「学びがとても祝福でした。学びの中で、福音
がストレートにそのまま出て来て、一緒に来て
いた子どもたちも、しっかり聞いていて、感謝
でした!」

・・・・・・・・・・・・・・
個人伝道は、いつ、突然チャンスが来るか
わからないので、備えている必要がある。


★親友Cさんは、50年前、乗り物で隣席だった
宣教師に話しかけられ、別れ際にトラクトをもらった。

何だか心惹かれ、行ってみたいと思い、その地図
を頼りに教会へ。
そこでイエス様を信じて救われ、今もずっと幸い
な交流が続いていて感謝。

★Dさんは、友人が泊まりがけで遊びに来た時に、
夜に静かな落ち着いた中で、色々語り合う時が
与えられ、突然御霊の導きを感じ、個人伝道の
機会が与えられた。

友人は心開かれていて、御言葉が入って行く
感覚があり、その後、教会へ行き、イエス様を信
じ救われた。

★私の祖母は、孫の言う事なので、聖書の事も
うん、うん、と聞いてくれるのだが、ぬかに釘で、
孫可愛さに聞いてくれているだけで、入って行かない。

長い間の偶像礼拝もあり、拒否はしないが、
御言葉は入らず、すり抜けて行くようだった。

嫌ではなく、教会へも来てくれるのだが、御言葉
が入らない。

そんなある日、私が、子どもたちに聖書絵本を話して
いた時、祖母も一緒に加わっていたが
祖母の様子が今までと全く違い、真剣に聞いている。
御霊の働きを感じ、福音を話すと、信じると。

ほんとに驚いた。御霊を感じ、御霊の働きだった。
ある日突然、機会が来るようだ。

★父の葬儀の時に、内々の家族葬にしたが、
遠方の遠縁の叔母が、どうしてもと来てくれた。

小さい時によく行き来し、大変お世話になったが、
大きくなって、もう全然会えていなかった。

教会で葬儀をし、初めての聖書のメッセージを聞いた
後、焼き場へのバスが丁度席が隣になり、信仰の
話しが出来て、焼き場へのバスの中で、福音を
お話できた。よく耳を傾けて聞いてくれた。
不思議な機会に感謝だった。


突然のチャンスは、御霊の働きをもろに感じる。
これからも御霊に委ねて、備えていたい。



2022年07月09日(土)
  「意志的・愛」

愛することは、意志であり、感情は関係無いことを
ずっと学んで来たが、

Aさん「頭では、学びを理解しているんだけど、
どうしても、感情が邪魔をして、感情だと思い、
落ち込んでしまう。

やはり培われた肉の価値観が邪魔をして、
感情の方に流されてしまう。

嫌いな相手がいるが、嫌な気持ちになると、
その感情に振り回され、支配されてしまって、

意志で愛するどころか、その前に、気持ちが
暗くなり、落ち込んでしまって、更に自己嫌悪に
陥る。

自分は、「感情」に支配されている事に、気づく。
「感情」が、中心にあって、王座を占めている。

それなら、一生、敵を愛せないし、嫌や相手を
愛せない。

改めて、気づけて感謝です。

「感情」に従っている限り、一生このままだと。

「感情」は横に置いて、無視して、意志で
示された愛の行ないをして行くこと、

ずっと学んでいた事ですが、初めてわかったような
気がします。

でも、失敗も感謝です。
沢山の失敗をしたから、はっきりわかることができて、
感謝です。

サタンが「感情」に働いて来ていて、ずっと振り回され、
御心から、そらされていた事、今日、はっきり、わかって
感謝です。

聖書の愛は、すべて「意志的愛」であること、
祈って、助けられて、従って行きたいです。




2022年07月08日(金)
  「理解を超えた試練の恵み」

御霊によって、これまでの人生を振り返る
時と機会を与えられた、Aさん。


次から次と、幾つもの、それも大きな厳しい
試練があった。

一つ、一つと、ひも解いて行った。

以前も、一応は、試練を通して、教えて下さる
ことを理解していた。

しかし、一つ、一つの試練を、順番に考えて
行った時、今まで全く見えなかった恵みが見え
て来た。

今まで、自分の殻の中にいて、自分の強い思い
や自我の中で、見ていて、自分中心で見て
いるので、神様が見えなかった。

主の恵みとしか、言いようがないが、全く違う
見え方が与えられた。

苦しかった事、悲しかった事、辛かった事に、
一応の理解でなく、その中に、主の愛と恵み、
取り扱いが、一つ一つと見えて来た。

自我を砕くため、自分の強い思いを変えるため、
そのために、一つ一つの試練が、さじ加減ピッタリ
のものであったこと、

この厳しい試練でなければ、自分はわからなかった、
事、懲らしめが主の愛であることを、信じることが
できて、受け取ることができた。

一つ、一つと試練を重ねながら、自分の目を開き
成長させようとして下さっている、主が見えた。

一つ一つの試練があって、今の自分がある、その
事を覚える時、喜びが溢れる。

この世の喜びではない、御霊の喜びだ。



「順境の時って、神様を忘れるんですよねえ。

自分で生きて行けるから、自分の力でやっている。

試練は痛いけれど、本当に感謝だと思えます。」



2022年07月06日(水)
  「平凡が大きな〃恵み」

Bさん「朝から、もう暑くて、起きた時、『ああ、しんどいなあ。
またかあ。今日も暑い〜。』と、うんざりで、さえない
です〜〜」


以前、癌が発覚して、余命宣告を受けたAさんが
神様を求められて、御言葉を伝えると、イエス様を
信じられた。本当に感謝だった。


そのAさんが、突然の余命宣告を受けた時、もう目の
前が真っ暗になって、死への恐れに襲われたと。

一番恐かったのが、夜寝る時だったと。
今、寝るが、もうここまま明日の朝、目覚めないのでは
ないかと、それがもう恐くて恐くて、物凄い恐怖だったと。
毎夜、毎夜、真っ暗闇の恐怖だったと。

Aさんは、主を信じられた時、御霊の喜びが満ち満ちて、
お顔が、使用前使用後のごとく、変わり、明るいお顔
になられた。

内側から喜びが湧いて溢れて来られるようだった。
嬉しくて、嬉しくてと、賛美のテープを聞いておられた。

恐れが全く消えて、喜びに変わったと。


Bさんと、Aさんの目覚めないのではとの、物凄い恐怖
を話すと、朝、普通に目覚められるって、大変な恵み
なんですねえと。

今日も、命が与えられていて、今日も主の愛により、
新しい恵みの中を生かして下さる、物凄い恵みですよね。

・・・・・・・・・・
★★★

すべての事がそうなんですが、突然の出来事が起きた
時に、神様が飛んでしまうんですよね。

そこが問題ですよね。

神様視点に立つと、どんなに苦しい事や悲しい事、
辛い事が起きても、そこで、神様に会えて、必ず
教えられ、恵まれる。

そこに必ず恵みがある。

試練の中で、神様を認めて行くことが重要で、
神様を見て、試練を見ると、沢山のことを教えられ、
成長させられる。

神様を見ずに、ただ状況、出来事だけを見て
いるなら、不満と愚痴、落ち込みしかない。



“あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ

そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる”

箴言3:6






2022年07月04日(月)
  「ゆだねると、主が働かれ〜」

当時のことで、印象深い出来事があった。

・・・・・・・・・・・・・

Aさん出席の当時、皆が皆、試練のまっただ中
だった。

莫大な借金の返済、経済的苦境、夫婦の問題、
育児の悩み、介護の悩み、辛い対人関係〜

全員が半端無い、厳しい試練にあった。

集会に集まっては、まず、苦しみ、悶々を吐き出した。

もう、いっぱい、いっぱいで、胸の内の大きな重い
かたまりを、まず吐き出さないと、とても御言葉が
入らない。
大泣きしながら、わめきながら、苦しい辛い胸
の内を、いつも吐露していた。

出し尽くすと、御言葉が渇いた心に、スポンジが
水を吸い込むように、御言葉が入って行く。

いつも、そのように集会をしていた。

・・・・・・・・・・・・・

ある日、その集会に、突然、一人の新来者が来
られた。
都合で、その日だけ、教会に来れるので、来ましたと。

皆で、大歓迎した。


その新来のCさんは、その日だけとの事だったので、
わかりやすい、初めての方向けの聖書のお話に
変更しようと思った。
とにかく、御言葉をお伝えしたく思った。

しかし、皆は、いつものように大変な重荷を抱え
て来ている。

初めての方に対応すべく、どうしようかと、主を
仰ぐと、皆の抱えている重荷のために、祈ろう
との思いが与えられた。

でも、初めての方は、祈りもわからないし、どんな
ものだろうとの思いも。

しかし、皆の悶々に、祈らずにはおれず、
Cさんに、了解を得ようと、聖書のお話の前に、
ちょっと祈りの時を持ちますが、よいですかと。

Cさんは、どうぞ、どうぞ、と快く承諾。
それで、その場を、主におゆだねして、

少し待って頂く感じで、その日は吐き出す時間
が無い分、何もかもを、祈りに込めて、切なる
心底からの祈りを、皆で心一つに献げた。

・・・・・・・・・・・・・

祈り終えると、そのCさんが

「横でお祈りを聞いていて、涙が出て来ました。
胸がいっぱいになりました。心にしみて、涙が
止まらずでした」と言われ、びっくり!

御霊が働かれたことを、もろに感じた。

Cさんは、「今日しか来れなかったですが、本当に
来て良かったです。聖書を読もうと思います」
と帰られた。

お委ねする時に、主が働いて下さることを
また、見せられ、感謝だった。






2022年07月01日(金)
  「実を結び、その実は残るため・・」

Aさんの久し振りの来会に喜んだ(*^_^*)

以前、久し振りに会った時、遠方までずっとご両親の介護に
通っていて、来れなかった。

又、かなり時を経て、突然、主が、バッタリと街で会わせて下
さって、まさに不思議で、神様だった。

ご両親も見送って、今、家族も元気にしていると聞き、聖書
をいつも車に置いていて、行ける時に、夜遅い集会に行こう
と思っていると。
神様が、ずっと心にあることを知り、喜びと感謝が溢れた。

以前に来ておられた方が、ずっと神様が心にあることを
知る時、こんなに嬉しいことはない。
飛び上がるほど嬉しく、心が喜びで満たされる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

36年前に、米人宣教師さんに頼まれ、夜遅い日本語集会
を新しく開始した。

そこに最初に来会のBさん、その時期に問題抱え、渇きがあり、
すぐにイエス様を信じられて、喜んで毎週集っておられた。

1年後、ご主人の転勤で、海外へ。
問題解決のために、祈っている最中だったので、後ろ髪を引か
れる思いだったが、主にお委ねした。祈りで応援に。

10年後に、Bさんからお便りが。

「私のことを覚えていますか。あの時は、お世話になりました。
あれから転勤先で、教会に行きました。
その後も、何回か転勤がありましたが、続けて現地で教会に
行くことができて、未信者だった主人が救われて、今は、
子どもと家族3人で、喜んで教会へ通っています。
嬉しくて幸せです。感謝とお礼をどうしても伝えたく、
お便りしました。」

・・・・・・・・・・・・・・・

以前、厳しい大変な試練にあった、Cさん。

苦しい試練の中、イエス様を信じ、救われた。
こんな神様の愛を初めて知ったと、本当に喜んでいた。
犠牲の愛、与える愛、見返りを求めない愛、無条件の愛、
もっと早く知りたかったと。
この愛を知り、神様に出会えた事で、試練が厳しい結果に
なったとしても、生きて行けると。
人生途上で、神様に出会えたことが、本当に感謝でなら
ないと喜んでおられた。

Cさんも海外在住で、一時帰国の時に、教会へ来て
救われた。
海外のお家に戻られ、そこで教会に行きますと、
ずっと喜んで、現地の教会に通われた。

そして数年後、連絡があり、あの後、転勤になり、別の地に
移ったが、夫も救われ、家族5人でずっと教会に通っていると。
感謝で、感謝でならないと。幸せですと。

・・・・・・・・・・・・・・

連絡を受ける時、喜びに、満ち満ち溢れる。

御言葉の種が、蒔かれ、土地である心に、主が植え付けて下
さって、御言葉が根差す時、必ず実を結ばせて下さること、
その実はずっと残ることを、実見せられて、感謝!!(*^_^*)