2022年09月12日(日)
  「あなたをいやす者」

Aさんは、小さい頃からの傷があり、鬱症状に苦しん
でいた。

もうだいぶ以前に、教会へ来てくれて、出会った。

普段はどうも無いのだが、定期的に症状が出ていた。

そしてその期間が過ぎると、すうっーと何とも無かった
かのように、元気になった。

しかしその期間は、辛くて苦しくて、何も出来なかった。
祈りができず、聖書を読むどころか、手に取ることも
できなくなる。

頭ではわかるのだが、どうしても自分も責めてしまい、
症状が出ると、辛い状態が続いた。

しかし少し時間がたつと、自然に回復していた。


途中から海外居住となり、別れたのだが、時たま電話
で交流していた。


その後、波乱万丈、紆余曲折のごとく、次々と様々な
厳しい試練を通ったが、信仰を守られて来た。



先日、ふと「Aさん、以前ずっと、あの辛かった症状は、
今はどうなの?」と聞くと。


「あー!今、聞かれるまで、もう全然意識にも無かった。
それが鬱症状、無くなってしまったんよ!」と。


「えー!!!いつ頃から?」

「もう、5,6年前から、全く無くなった」

「えー!!感謝だね!!」

「ほんとに感謝で。長い時間かかったけれど、神様が
少しづつ〃教えて、取り扱って下さった。

鬱症状が出ると、何も出来なくなる自分が、全く受け
入れられなかった。

だから、人も愛せなかった。
周囲に申し訳なかったんだけど。

ますます自己嫌悪に陥って行く。

時間がかかったけれど、自分の弱さを受け入れることが
できるようになった時、

あれほどしんどかった症状が、消えてしまった。

今、平安が与えられていて、以前と全く違う。」



「長い時間がかかってしまったけれど」

「でも、神様には無駄が一つもないから」

「そうですよね。感謝でいっぱいです。」


“わたしは主、あなたをいやす者である。”
出エ15:28





2022年09月09日(土)
  「おぼれて死にそうです」

Aさんが証しの中で、親族の介護があり、責任ある
仕事があり、日々厳しさを抱えていた。

お世話があり、同時に、仕事は山積みで、身体は
一つしかなく、時間的にもギリギリだった。



弟子たちが、主に「さあ、湖の向こう岸に渡ろう」と
言われ、岸から舟をこぎ出したところ、

主は、疲れか、舟のともの方で、ぐっすり眠って
しまわれた。

そこに暴風で、弟子たちは水をかぶって、危険な
状況に陥った。舟が転覆しおぼれてしまう。

ふとイエス様はと見ると、熟睡されている。
弟子たちは、主を起こし、

「先生、先生、私たちはおぼれて死にそうです」
と言った。


その箇所の、弟子たちの言葉が、自分に重なり、

「おぼれて死にそうです」が自分の言葉となった。


まさに、おぼれて死にそうな状況だが、み言葉に
励まされ、気を取り直す事ができた。

それは“耐えることのできない試練はなく、脱出
の道が備えられている”

そして、“何も思い煩わないで、願い事を神に
知っていただきなさい“

主は必ず支え、道を示し、導いて下さることに
希望が与えられた。




Bさん「私も、同じく“おぼれて死にそうです”の
状況です。

“あなたの信仰はどこにあるのです“とあり、

厳しい試練の中ですが、“あなたの道を主にゆだねよ。
主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる“と、

主にゆだねて行きたいです。

主からちょっと目を離すと、どっと恐れと不安に襲
われます。
ほんとにサタンの攻撃が来て、最悪のシナリオが
出来上がります。

不安が来るたびに、祈っています。ずっと祈って
行きたいと思います」


2022年09月09日(金)
  「たましいの救い」

教会の41周年記念礼拝で、全員で一言づつ
証しをした。

祈りの答え」との題で。

沢山の祈りの答えに、大変励まされ、恵まれた。

特に、永遠がかかっているたましいの救いには
感謝があふれる。

親や伴侶や兄弟の救いは、感動する。

だいたい、数10年祈り続け、祈りが答えら
れて、親族の救いを見る。

Aさんは、「うちの主人は無理です。私が教会へ
行くのは良いようなのですが、とても主人は
教会へは来ないです。」

主人が信じるなどと、考えられないと言って
おられたが、

ご主人が病に伏された時に、牧師が語る福音に
はっきりと「信じます」と告白された。

祈りの答えに、もう驚き感謝だった。



Bさんは、長い長い間、ご主人の救いを祈り
続け、福音は以前から何度か聞かれ、

受け入れるだけの状態でおられた。
祈りを積んでいた時に、

ある日、とうとう決心をされ、救われた。
大きな感動だった。

日頃の証しが、実を結んだ。


親の救いには、だいたい地道な長い祈りが
必要だが、祈り続けていると、老齢になって
救われたり、今際の際に救われたりと、
祈りが答えられている。


若い時に救われた友人も、お母さんに福音を
伝え、祈り続けていた。
お母さんは、苦労もされ、特に一生懸命に人
のお世話をされ、人に尽くされた一生だった。

それゆえ、罪という事がどうしてもわから
なかった。、
何度も説明して、話すが、わからなかった。

高齢になり、お身体も弱って来られ、いつどう
なるかもわからず、祈り続けていた。

すると亡くなる前の晩に、突然ベッドの上に
正座され、祈っておられた。

罪は無いと思っていましたが、自分は罪人です。
沢山の罪を犯して来ました。どうか罪を赦して
下さい・・

驚き感謝が溢れた。祈りが答えられた。
翌日、天に帰られた。



祈りを積むことの大切さを教えられる。

永遠がかかっている、たましいの救い・・、
特に兄弟姉妹の親族方が救われますように!!


“主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも
あなたの家族も救われます”