2003年12月30日(火)
  膚に感じるイエス様

先日、続く多忙の中、疲れを取ろうと、夜に夫と温泉
に行った。
寒い日が続いていた時で、山にあるその温泉に近づく
と雪が残っていた。平地とは、気温がかなり違うよう。

外は、雪が散らついていた。段々と、木々や葉がうっす
ら白くなって来る。
心身共に、ほっとひと息、心地良く温泉から上がって帰
宅する時には、フロントガラスの雪が凍っていた。

地面も白い。夜遅くて、気温もますます下がっている。
二つの道がある。右と左に分かれる。左は山越え、右は
川に沿った下り道。
山越えは、ヘアピンカーブで急な下り坂もある。
どちらで帰るかの分かれ目で、夫は川沿いの道を選んだ。

私はそちらは嫌いな道。車1台がやっとの狭い山道で
片側山膚で、片側川。その川もガードレールが無い。
行き違いも出来ない狭い山道。昼間でもうっそうとして
いて、薄暗くて、不気味で気持ち悪い。夜は恐い。
山越えの、広い舗装された道の方が好き。

夫は下る方を選び、どんどん進んで行った。不気味で気
持ち悪い、恐い道、それもこんなに夜遅くは初めて。
車一台も通っていない。雪から守られるよう、心の中で
祈った。

すると、その時、ずっとクリスマスの間、聞いたメッセ
ージ 「インマヌエル・主ともにいます」が、すっと心
に臨んで、心が、灯がともったように暖かくなった。

「主ともにいます」が、まさに実感となって臨んで来て、
不安と恐れが全く消えて、平安な何とも言えぬ暖かい気持
ちになった。主がともにおられるなら、何も恐いものは
なかった。

夫の判断は、正解で、その道には、雪が物陰にしか無かっ
た。無事下まで下りることができた。山越えの道だと大変
な事になっていただろう。
イエス様に触れて、身も心も暖められた年末のひと時で
あった。
by 多恵子



2003年12月29日(月)
  正直であること

今年最後の青年会で、「祈りについて」の学びの中で、
確信を持って祈るためには、正直に祈ることを学んだ。

建前の祈りは聞かれていないし、本当の気持ちを表し
ていない祈りも聞かれていない。それは偽りだから。

神様は常に現実を直視される。現実に起こっている事
に何も触れず、観念的な抽象的な綺麗事の祈りは、全
く神様に届いていない。

ありのままの私を受け止めて下さる、どこにもいない
唯一のお方。ありのままの気持ちを、受け止めて下さる。
誰にも言えない本音を、しっかりと受け止めて下さる方。
本音を自分の心の奥にしまったまま、神様の前に出てい
ても、結局、神様に何も触れる事が出来ない。
自分の奥底を閉じたまま、神様とひとつにはなれない。

友人が対人関係でひどく辛い目に会って、心が壊れかけ
るところまで行った。神様がわからなくなり、祈りもで
きなくなり、御言葉が全く心に響かず、入らなくなった。

そんな状態が続いた中、ある出来事が起こり、もう心が
限界超えて、プッツン、切れてしまった。
「もういい」と思えた。その時、神様への恨みつらみ、
怒りが心の底から湧いて出て、神様に向かって言った。

「あんたのせいよ」「あんたが私の人生を滅茶苦茶にした」
その時突然、神様から即、返事があった。打てば響くように、
答えが来た。心が癒された。それから、御言葉が新しくどん
どん心に入って来た。
そして、自分が神様に心をしっかり閉じていたとわかった。

今まで我慢して、我慢して生きて来た。本当の心を押し殺
して我慢して。本当の自分を神様にぶつけた時に、癒され
た。本音を受け止めて下さるお方。本音でなければ、触れ
られない神様。
何という愛、その愛の深さ、大きさを新たに知った。

Bちゃんが「自分は対人関係で嫌や気持ちになる時、今ま
でただただずっと我慢していた。でも、正直に祈る事を学
んで、そのつどの気持ちを全部神様に言うことにした。
「今、腹立つ、何でこんな事言われないといけないのか」
「あの態度に、今、ムカッっと来てます」・・

すると、我慢している時は、表に出さないから、自分は良
い人だと皆から言われるし、自分でもそう思っていた。
心の状態を全部神様に言って行く時、自分は、何てひどい
醜い罪人なんだろう。良い人のよの字も無いことがわか
った。偽りと欺瞞から守られることがわかった。

我慢して、自分を押し殺していると、本当の自分が底に
あるが、自分でもその本当の自分がわからなくなる。
見えなくなる。クリスチャン生活って、我慢することと
勘違いしたりする。
友人のHさんが言った。「我慢」の「我」は「自我」の「我」、
「慢」は「高慢」の「慢」。我慢でなく、神様に頼ること
を教えられますと。

正直に自分を出して良いと言われる神様は、何というお方。
by 多恵子

2003年12月26日(金)
  今年も恵みのクリスマス!

クリスマス、バタバタしていたが、恵みいっぱいのクリ
スマスだった。

クリスマスの前週の礼拝メッセージが、博士達の礼拝の
箇所。
Tちゃんがが「礼拝の大切さがよくわかりました。
博士たちが、あれほどの目的を持ってイエス様のところ
へ行ったなんて知りませんでした。ただ、誕生を祝いに
行ったのかと思ってました…。
黄金・乳香・没薬、それぞれ意味があるんですね。日曜
の礼拝も、ただぼーっと参加するんじゃなくて、イエス
様の働きを思って、価値のある礼拝を献げないといけな
いなぁと思いました」礼拝の大切さを学ぶ。

イエス様の誕生は、御父の突発的な考えや、思いつきでな
く、永遠の昔からご計画されていた事。沢山の預言の成就
である事。

自分自身の、日常に起こる様々な出来事は、すべて神の永
遠のご計画の中に、送られてくる御手からのもの。
「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っ
ているからだ」エレミヤ29:11
だからこそ、「では、この事の中での、神様のお心は何か」
と、祈り求める事ができる。

「あなたがたのために」、私のためである事、御父がクリス
マスに主イエス様をプレゼントして下さった、そして、その
十字架の死が、紛れもなく、他ならぬ私のためであることが、
迫って来て、今年も心新たなクリスマスだった。
 
娘Mが、この4月、大学入学以来ずっと祈って来たのが、友
達への証し、神様を伝えること。
神様はその積まれた祈りに答えて、このクリスマス2人のお
友達を送って下さった。良い印象を持ち、又、来たいと言っ
てくれたと。

クリスチャンだと言った時、「ああ、それでなん。やっぱり
という感じ。それでわかった。牧師さんに育てられたから、
そうなんじゃー」と、違いをとても好意的に捕らえてくれたと。

「え?ほんま?まさか!」と言われるより、良かったじゃない
と大笑いだった。恵みのクリスマスに心から感謝!!
by 多恵子

2003年12月20日(土)
  主が手を支えておられる

アメリカのBさんから、国際電話。
以前に、証しを書いた、子供が非行を重ね、このままでは
真にだめになってしまうと、カウンセリングや矯正プログ
ラムのある学校へ送った。

家から車で8時間の、国境近く。初めて面会が許され、先日
6ケ月振りに、子供に夫婦で会いに行った。
子供に会えると、もう心踊り、わくわくして、嬉しくて、面
会の前夜や一睡もできなかった。主人も眠れないようで、深
夜にドライブに出ていた。

当日、劇的な再会だった。子供は両手を広げて、親を抱きし
めてくれ、ずっと手をつないでいてくれた。生まれて初めて
の、子供との心通うハグだった。

実習のプログラムがあり、今までの出来事を話し合う。目線
を合わせて、喧嘩にならず、互いの気持ちを穏やかに語り合
える・・初めてのことだった。奇跡だった。

親に固く心を閉じていた子供が、全く変わり、心大きく開い
てくれて交われた。「青年」に成長している姿を見て、涙が
止まらなかった。

本当に神様は生きて働いておられ、益として下さる。
子供は、他の子供には決して無い機会を与えられている。
それは、自分と真正面から向き合い、自分の罪と向き合う。
逃げないで、避けないで、自分のして来た事と向き合って
いる。大人でも、このように自分に向き合うことなど無い。

素晴らしく尊い時であり、これからの人生を新たに生きて
行く上の堅い礎とされることと思う。
神様に感謝し尽くせないほどの、感謝に満ちた面会だった。

「その人は倒れてもまっさかさに倒れはしない。主がその
手をささえておられるからだ」詩篇37:24

神様がおられるから、いつもどんな時にも希望がある。
by 多恵子

2003年12月11日(木)
  「神様有難う」

●折々に教会に来て下さっているBさん。先日の集会
に、久し振りに元気なお顔を見せて下さった。

「又、子供が受験なんですよぉ。あれから、もう3年
たつんですねえ。今回は自分でも驚くほど、すごい気
が楽なんですよぉ」と笑いながら。

すると皆が、「ほんまじゃー!!」「Bさん、以前の受験
の時、すごいパニックになっとっちゃった」
「悶々で、悩んで、悩んで、教会に来ては、ずうっと話
しとっちゃったですよねえ」
「すごい思い煩って、落ち込んで、大変だったですよ
ねえ」(笑)

Bさん「あの時に、神様は最善をして下さる。必ず、子供
のために一番ふさわしい所へ導いて下さると、言われて、
ほんとにその通りだったんですよ。
だから、今回の受験も、どこになろうと、子供に最善の
一番ふさわしい学校に導いて下さると、信じれるんです」

「信じておられるんだ、すごいー!!」 時間をかけながら、
少しづつ少しづつ、神様が、Bさんに働きかけ、導いて下
さっていることが、何よりも嬉しく感謝!!

●神様を信じているCさん。「すごく年をとったような気
がしてます。だけど、若い頃の私より、今の私が好きなの
です。みんな、若い頃に戻りたいと、よく言うけど、私は、
今が、幸せです」

この言葉、いいなあ。とても素敵だ!!
神様を知って、夫婦関係変わってしまって、子供達への対応
も、神様のお心に従おうとしていて、何だかどんどん変わっ
て行くCさん。

私も年をとって、今がとても幸せ。年をとるほど、イエス様
を知れる。身体は老化して行くが、年をとることが嬉しい
なんて、幸せかも知れない。
イエス様にある時、年を重ねるほど、自分がますます解き放
たれて行く。 
「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを
自由にします」ヨハネ8:32

●深い水の中を通り、厳しい試練にあったDちゃん「人には
トンネルは絶対に出るからね、素晴らしい計画があって、
益になるからねと言ってあげられる。

人には絶対にそうだと信じれる、けれど、自分となると、
永遠にトンネルを出そうにないとしか見えない」
ずっと忍耐して、耐え続けていた神様からの試練、とうとう、
トンネルを出たあ〜!!! 神様が出して下さった。

トンネルを出た時、ずっと目を留め、慈しんで、見守って
いて下さった神様のまなざしが見えるようだった。時がある
こと、完全に御手が支配していること、素晴らしい成長の
ためであること、又、知れて感謝!!
by 多恵子



2003年12月10日(水)
  「小さな小さなクリスマス」

二番目に心に残っているクリスマスは、開拓伝道を
始めたその年の、広島で初めてのクリスマス。

今から29年前の9月に、公会堂会議室で、集会を
始めた。
その一番最初の集会は、私達夫婦と、夫が広島へ来て
友達になった、一人の男子大学生と、母教会から来て
下さった応援の兄弟の4名で持った。

それから毎朝学校前で、聖書通信講座付きのトラク
ト配布を行なった。広島中の中高、大学、専門学校、
ほとんど全部の学校で配布した。

チラホラと反応があり、通信講座の応答があった。
その反応のあった一人一人を訪問し、その中の一人の
女子高生が来会。イエス様を信じ救われ、友達を次々
と連れて来た。彼女の親友も救われた。

一番最初のクリスマスは、自宅で家庭集会で、その
子達と連れて来たお友達と、8名で持った。

「♪世界で初めのクリスマスは、
   ユダヤの田舎のベツレヘム♪
     宿にも泊まれず 家畜小屋で 
         ♪マリヤとヨセフの二人だけ」               
「♪世界ではじめの クリスマスは 
   小さな 小さな クリスマス♪
       けれどもよろこび 満ちあふれた 
         ♪気高いまことの クリスマス」

当時、私達の若い頃、フォーク調のゴスペルソングが
流行っていた。「世界ではじめのクリスマス」

「♪小さな小さなクリスマス、けれども
  喜び満ち溢れた、気高いまことのクリスマス♪」

本当にその通りの、小さな小さな、けれども、イエス様が
真ん中におられる、暖かい、心からの喜びが満ち溢れた
クリスマスだった。
 ・・とても、印象深いクリスマスであった。
by 多恵子


2003年12月09日(火)
  喜びのクリスマス

昨日は、今年最初のクリスマス。
教会にいると、12月は何度もクリスマスを祝う。
イエス様が、この私のために、はるか2000年前に十字架
にかかられた。はじめてこの話しを聞いた時神様の存在を簡
単に信じることができたので、十字架という意味、罪に本当
に鈍感だった。

神様がいるから、イエス・キリストが私の罪のために十字架
にかかられたことも本当だろう。
なんの訓練も教習もなしに天国にいけるなんて、そんなうま
い話あるんだろうか。
まぁ、でも神様が言っておられるからそうなんだ。
今は深く考えまい…

こんな感じで信仰生活が始まったがただ、ただ、神様から愛
されて、ここまで来ることができた。

信仰を持って16年たったが、今言えることは、やはり神様
を信じ、イエス様の導きに素直についていけば、間違いはな
かったということだ。
いや、もっと最初から素直に歩んでいれば、どんな実りがあ
ったんだろうと後悔することばかりだ。

イエス様を信じた時、自分の中で価値観が逆転するとよく聞
くが、神様の価値観とこの世の価値観を使い分け、二束のわ
らじを履いているからその逆転のスピードはなかなか進まな
かった。

今、御言葉に心を満たされたと喜んでいても
また明日になれば、環境次第でどうなるかわからない自分が
いる。ねたみやひがみ、競争心にゆれてしまう心。
また神様の他に頼りにしてしまうものを持っていたい自分。
見えるたびに、イエス様の十字架がありがたく思われる。
転ぶたびに、私の中で十字架は大きく輝きを増していく。

「そして男の子を産む。その名はインマヌエル・・」
(神様は私達と共におられる、という意味である)
   *マタイ1:23

神様の愛は、私に注がれ、イエス様は私とともにおられる。

世の中は、年々、暗く息を呑むような事件の連続だ。
この暗い世にあって、この世のクリスマスの賑わいは今を
盛りにあだ花のように咲き誇るが、私達には共に生きて下
さるイエス様がいる。

また今年も、イエス様の御降誕の意味をかみしめて心から
喜び感謝する。
    
       by富士子

 

2003年12月08日(月)
  「インマヌエル!!」

今日は、早々と地区集会の婦人クリスマス会。

クリスマス聖歌を一緒に賛美し、主を喜びたたえる。
インマヌエル「主ともにいます」の、メッセージ。

私達の内に住み、宿とするために、主イエスはこの
世界に来て下さった。
どこまで行っても、どう頑張っても、罪しか提供する
ことの出来ない私達。
罪を犯したくないが、したくない事をしてしまう。
「自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、
したくない悪を行なっています」ローマ7:18

主イエスを信じた私達の内に、聖霊が住まれ、常に共
におられ、罪に打ち勝つ力、みこころを行なう力を与
え、信仰生活を導き、喜びを与えて下さる。

「私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私
たちの霊とともに、あかししてくださいます」
ローマ8:16

御霊の証しが、私の心の中に、はっきりとある。神の霊
に触れる時、はっきりとわかる。あたたかい気持ち、喜
びで心が満たされる。

イエス様が、私の心の内を宿として住んでいて下さる。
そのことがはっきりとわかる。インマヌエル、主とも
にいます!!
イエス様に出会う以前、虚しくて、虚しくて、何をも
っても満たされなかった心が、イエス様によって、ピッ
タリと、いちぶの隙もなく、完全に満たされた。
心があたたかい。そして、この喜びは、環境にも状況
にも関係なく、心の内側から湧いてくる。

今日も、沢山の喜びや感謝を語り合い、問題や苦しみや
悲しみも語り合った。泣いたり笑ったり、他愛無い話に
和んだり、心の内を素直に自由に語り合えた。

「♪互いに 親しみ 過ごせ この日 み神の愛をば
うたえ ともに 主にある兄弟姉妹たちよ ♪
ああ 嬉しく 楽しき 訪れ! ああ 慰めの訪れ!♪」

“ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所に
は、わたしもその中にいるからです”マタイ18:20

帰途は、風が冷たく、ひときわ寒さ身にしみる今日、
イエス様に触れた心は、ポカポカとあったかく、喜びで
心満ち足りていた。
by 多恵子

2003年12月07日(日)
  「心に暖かい灯」

今日、教会の外庭にある木にイルミネーションを
点灯。
クリスマスツリー、リースを取り出して、綺麗に
飾り付け。教会は、すっかりクリスマス一色。聖
歌隊が賛美やハンドベルの練習。青年達がクリス
マス特伝のチラシ配布。

クリスマスの季節、いつも何だか、心あったか〜く
なり、嬉しくなる。

イエス様を信じてから、37回のクリスマスを迎えた。
印象深いのは、やっぱり救われた年の、初めてのクリ
スマス。
それまでとは完全に違った。古いものは過ぎ去って、
新しくされた、本当の意味を知って、初めて霊的に
心から喜べた、恵みのクリスマス。

当時、子供達のための、クリスマス祝会を夕方から持
って、来てくれた子供達を、キャロリングをしながら、
順番に家まで送り届ける。

ロウソクに火をつけて、クリスマスソングを賛美しな
がら、夜の街路を、教会の人々と子供達と一緒に歩く。
心に喜びが一杯に満ちて、芯から楽しかった。

しんしんと冷たい寒い凍りそうな夜空に、心に赤々と
暖かい灯がともっていた。霊の喜びだった。

「♪あめなる神には、み栄えあれ、♪地に住む人には、
安きあれと、みつかいこぞりて、ほむるうたは、静か
に更け行く、夜に響けり♪」

今日も礼拝で、クリスマスの賛美をしながら、歌詞を
思い、聖霊の喜びに心が満ちた。
救われて、外側の状況に全く関係なく、内側に溢れる
喜び、内側から満ちてくる、喜びをいつも経験する。
心が神様に触れる、霊の喜び。

今日はメッセージで、キリストの誕生は、昔からの数々
の預言の成就であることを学んだ。
「このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた
事が成就するためであった」(マタイ1:22)
「私のことばは、その時が来れば実現します」ルカ1:20

「これが、あなたがたのためのしるしです」ルカ2:11
必ず「しるし」を与えて、私達を導かれる。そうでなけれ
ば、私達には、それが神からのものである事がわからない。

御言葉の約束があり、日常の中に、様々な「しるし」を
与えて、私達を間違いなく、正しく、みこころの方向へ
導いて下さる。
生活に起こる一つ一つのことを、しっかり心に留めて、
今週も神様のお心がよく悟れるように。

「星が彼らを先導し・・その上にとどまった」マタイ2:9
今週も、一日一日、みこころへと導いて下さる神様に感謝!!
by 多恵子

2003年12月06日(土)
  「家族のきずな」

今日は教会の学び会で、「家族について」の学びが
あった。
まず親が、神を家庭の中心に据える。心を尽くし、
精神を尽くし、力を尽くして、神を愛し、神に従う
ことを、自分自身が実行する事によって、模範を示し、
子供によく教えること・・。

学びをしながら、昨日のCちゃんの家族を思った。
そして、あったか〜い思いに、真実な、真摯な思いに、
心が温もりで一杯になった。

親子関係に、失敗と挫折があったけれど、今、神様は
素晴らしく、祝福して下さっている。Cちゃんの家族
に、しんしんと心恵まれる。

この挫折が無かったら、こんなにも家族のきずなが深
まらなかったのではと、思う。すべてを益にして下さ
る素晴らしい神様。

面会に行って、親子での実習があったと。子供が生ま
れてから今までの、あらゆる出来事を思い出して、良
い思い出と悪い思い出に分けて、大きな紙につづって
行くものだった。
それを親子でして行った時、互いの沢山の様々な思い
出の数々が、幾重にも重なり合って、気持ちの通い合
いが出来て、心が触れ合って行ったと。

神様が与えて下さった、それぞれの「家庭」。それぞ
れが独自でかけがえがない。二つと同じ家庭はない。
それぞれが尊く、ただ一つの家庭。

それぞれの家庭に、それぞれの歴史があり、刻まれた
思い出があり、培われた深いきずながある。心の触れ
合いがある。

Cちゃんの通った、人生最大の苦しみ、挫折、でも、
その産みの苦しみの中から生まれた、見事な真珠の
ような、新たな暖かい堅いきずな・・今度は神様から
来た、神様によって結ばれたきずな、古いものは過ぎ
去って、すべてが新しくされて行く。

神様が与えて下さった、私の「家庭」。嬉しい〜、あっ
たか〜い気持ちで心が一杯になる。感謝で溢れる。
神様、有難う!!
by 多恵子

2003年12月05日(金)
  “あなたがたの悲しみは喜びに変わります”

今日、遠方のCちゃんから電話があった。

育児で、押しつけ、型にはめ、自分の思い通りに子供
をコントロールしてきて、思春期にとうとう子供が爆発。
不登校となり、家にも帰らず、非行に走り、その仲間に
入り、酒、タバコ、盗み・・、ありとあらゆる事をした。

この子の一生がこのままでは、滅茶苦茶になると、寂しく、
悲しかったが、遠方の全寮制で、カウンセリングシステム
があり、矯正プログラムのある学校へ転校させた。

母親として、自分のして来た事の間違い、過失に気づかさ
れた。聖霊様が目を開いて下さって、心から悔い改め、
手紙で子供にも具体的にして来た事の、一つ一つを謝罪
し続けた。

3ケ月間は全く面会禁止で、先日、初めての家族面会日。
親のための、カウンセリングセミナーの後、皆が一堂に
会して、親達が輪になって、子供達を待っていた。

集りをリードする先生が「目を閉じて下さい。子供が生ま
れた頃の無邪気な姿を思い出して下さい。あなたの子供
です」と。
子供達が現われ、子供達がそれぞれ自分の親を抱きしめた。
Cちゃんは、3ケ月一度も会えなかった子供が大きく変わり、
心落ち着いていて、自分を力一杯抱きしめてくれたことが、
感動で感動で、胸が一杯で、共に行ったご主人と3人で涙、
涙だったと。

自分に心を全く閉じていた子供が、心開いて自分を受け入
れてくれた。その間中、手をつないでいてくれた。
子供の心を変えて、親子のきずな新たにし、深め、家族
を再建して下さっている神様の愛と慈しみに、どんなに
感謝してもしきれないと。

子供が、今、ずっと神様に祈っていると言った。こんな大
きなつまずきがあったが、神様から離れないでいてくれる
ことに、何よりも一番の感謝だと。

Cちゃんが、今までの自分の人生の中で、一番苦しい事と、
心裂かれる悩みと苦しみの中にいた時に、神様はすでにこ
の癒しと喜びの時を備えて下さっていたのだ。

いつでも、自分の本当の姿を正直に認めて、神様に頼る
なら、やり直させて下さる、再び建て直し建て上げて
下さる。神様は何と素晴らしい!! ただただ感謝!!!

「あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。あなたは私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました。
私のたましいが、あなたをほめ歌い、黙っていることがないために。私の神、主よ。
私はとこしえまでも、あなたに感謝します」詩篇30:11
by 多恵子

2003年12月04日(木)
  「からだの痛み」

「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分が
ともに苦しみ・・」Tコリント12:26

先日、急性胃炎になった。痛い箇所は胃なのだが、
もう、全身で転げ回った。痛いの、何のって、もう
何も考えられず、耐えるのに必死。

翌日病院へ行き、結果的に胃炎とわかったわけだが、
夫が心配して、どんな痛み?と聞いて来る。刺すよ
うな痛みか、圧迫するような痛みか。
だが、どんな種類の痛みかも、考えられないほどの
激痛。考える余裕も無い。

一応、鎮痛剤を飲み、激痛に耐えるのに、多大なる
エネルギーを使い果たし、クタクタのところ、薬が
効いて来たのか、身体の疲労と共にウトウトし出し、
朝になると、何とか病院へ行けた。

病気では、身体に激痛が襲うように、試練の時は、
心に激痛が走る。

何度も何度も試練の学びをし、メッセージを聞き、
暗唱して言える。神様の与えられる「試練」の目的、
正しい受け止め方、結果、その祝福。

試練は、この上ない喜びである事、祝福である事、
本当によくわかる。納得できる。振り返って見て、
あの試練、この試練、どの試練も通って良かったと、
本当に良かったと、心底思える。

何もかもわかるんだけれど、試練のまっただ中は、
「痛い」、ただただ「痛い」。

指の先をちょっと切っても、痛い。指だけが痛いの
でなく、痛みが全身に走る。頭の先にまで、痛みが
響く。

Bちゃんが、今、試練の熱い熱い火の中を通っている。
傍から見ていると、先にある神様の素晴らしいご計画
も、祝福も目に見えるんだけど、Bちゃんは、暗い
トンネルの中。ただただ真っ暗だろう。

どんなに痛いだろう。胸が塞がれるような思いになる。
Bちゃんが痛んでいると、私達も痛い。
一つの部分が痛いと、すべての部分が共に痛い・・

神様が、Bちゃんに、耐える力を与えて下さり、この
試練を乗り越えさせて下さるように、乗り越えた先に
ある大きな祝福を喜ばせて下さるように・・
by TAEKO

2003年12月03日(水)
  「依存」

Bちゃんとずっと話す。一人一人弱さがあるが、
特別に「思い煩い」が強い。電話で、何時間も話し
たり、メールのやりとりをしているが、もう余りに
あんまりの思い煩いに、ある時、「もうねえ、Bち
ゃんは、思い煩いが好きなんよ」と言うと、

思い煩いが嫌で、こんなに悩んでいるのにと思って
いたが、心の中をよくよく探って考えると、ピッタ
リ当たってると。自分は本当に思い煩いが好きなん
だと、それってわかる、と。

サタンの学びをしていた時、自分の一番弱い所に、
絶えず、常に来ていると話していたら、別のCちゃん
も、自分の一番弱い所は「思い煩い」だと。

まず、そこに最初のサタンの火矢が来て、無防備で
受け入れてしまうと、どんどん思いの中につけ込まれ、
それが乗じて来て、膨らんで、被害誇大妄想になって
しまうと。それが常に襲って来ていると。

そして、「それって、わかる!」「こんなに思い煩
いに苦しめられているのに、好きなんですよ、その
感覚、すごいわかる!!」

思い煩いがあれば安心し、無ければ不安になる。思い
煩い依存症。嫌なのに、不思議に居心地が良いのだ。
それが無いと、自分が自分でなく居心地悪い。
長い間に染みついた培われた、心の内の有り様があっ
て、自分が成り立っている。無意識に依存している。

Dちゃんが「私は自己憐憫」と言った。自己憐憫は
ものすごく心地良いと。誰も私の事なんてわかって
くれない。
すねて、人をシャットアウトし、自分の中に閉じこもる。
イエス様を知るまで、ずっとそうして生きて来た。それ
はとても楽で、居心地良い場所と。

ある宗教は、全員に依存関係を作り上げ、互いに依存
させ、縛り上げて、拘束させ、がんじがらめにする。
それを見かけは、愛という綺麗な美しい形でする。

助けられる者は、助ける者への依存関係を築き上げ、
又、助ける者も、助ける対象に依存して行く。必要
とされる事で心の満たしを得、その対象がないと生
きて行けなくなる。

相手のためではなく、助けることで、自分の存在確認
をし、自己充足のために使う。互いが依存し合い、
居心地良くて、そこから抜け出られないようにする。

Dちゃんは、イエス様に出会い、自己憐憫への依存の
誘惑がくると、拒否することを始めて行った。サタン
の誘惑には、ひたすら拒否、拒絶。

依存て、ストレートな目に見える罪でないから、ほと
んどわからない。それに陥っていて、全く気づかない。

「彼らの心にはおおいが掛かっているのです。しかし、
人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。

主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには
自由があります」Uコリント3:17

まずおおいに気づかせ、おおいを取り除き、どんどん
自由にして行って下さる神様に感謝!!
主の御霊のあるところは、自由!!
by 多恵子

2003年12月02日(火)
  私の隠れ場

遠方の友人や、色々な人が、みことばの「寂しい所へ
行って、しばやく休みなさい」や「マルタとマリヤ」
のような類の箇所の時、今日のみことばに、ぐっと来
たとのメールが届く。

いろんな人々が、目まぐるしく忙しい日々に、1日の
終りには心身消耗し、神経がすり減ってしまう状況に
いるんだなあと。

するべき事が、次から次へとあり、時間は限界があり、
様々な重圧で、精神的にクタクタに、消耗しきってし
まう。重荷が次々と来て、考え込んで、押しつぶされ
そうになる・・そんな時は、天のお父様に、ことごと
く祈りで送り返す。

ストレスの抑圧の時には?静かな音楽すら、耳に障る
ほど疲れている時には?BGMも、テレビもラジオも
すべての音を消して、静かな、静かな、一人の静寂の
中で、神様に向かう。神様のことだけを想って。

世の喧騒、心の中の喧騒から逃がれ、静けさの中で、
神様を意識し、心を神様に向けると、不思議に、心が
落ち着い〜て、安らか〜になる。心が解放される。

確かに、「御翼の陰」「私の隠れ場」があり、確かに、
神に触れる。これは大きな恵みで、喜びかも知れない。

ストレス解消には、これが一番。流されずに済み、
我に返れる。
この隠れ場に、追いやって下さるための、ストレスも
実は恵みで感謝かも。

「あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみから私を守
り、救いの歓声で、私を取り囲まれます」詩篇32:7

「いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る」
詩篇91:1
by 多恵子

2003年12月01日(月)
  青年達と楽しかった!!

青年会で、「結婚」の学びを頼まれる。
ここ10数年ほど、ずっと婦人会で、よく夫婦の学び
をしているが、皆が言うことが「これを結婚前に知っ
ていたかった」そうすれば、不毛な多くの喧嘩をせず
に済んだのに。(笑)

それで、男性と女性の違いを、青年会で一緒に学ぶ。
「へえ〜そうなんじゃ」「う〜ん」「女性の心理で、
自分が全くピッタリで、そういう心理だったんじゃと
自己確認ができた」「面白いですねえ」「うわっ、
この通りじゃ」「へえ〜、でも全然違うんですねえ」

<男性は仕事が命で、仕事に野心を燃やし、名誉を>
A兄「うわっ、ほんまピッタリじゃわ。自分はこの通
りじゃ!!」(笑) 
<女性は心の内を聞いて欲しい。男性は、話をうわの
空で、聞いていない>「わかる、わかる。そんなん、
話なんて全然聞いてないですよねえ」姉妹達「え!
ちょっと、そうなん!」(大笑)

集会後も、翌日も、学びの続きをし、話はどんどん
盛り上がり、楽しかった。
「職場や学校で、色々男性と接するが、その事でも、
当てはめると、ああ、そうなんだと、わかるう」

「お父さんに対しても、何でそうなんか、全然意味不明
でわからん!と思ってたことが、ああそうなんじゃ、
と納得」(笑)
「うち、お父さんとお母さんが、よく口喧嘩するんです
よお。あ、このプリント読んでて、ここじゃあとわかる!
これで、ここが、こうこうで喧嘩になるんじゃと」。

神様のユニークな計らい。神様の造られた、男性と女性。
その相違により、全く異質の二人が補い合って、ひとつ
とされ完成されて行く。
同じものが二つあっても、全然補い合いにならないし、
一方の面からだけしか見えない。
やっぱり同性とは全く異質で、面白い。

「そうなんですよ!!男性に関しても、女性同士が何人集
って話してても、皆、同じ見解、同じ見方になるから、
何もわからず、何の進展もないわけですよねえ」。

ワイワイガヤガヤと、若い子達と、とても楽しかった。
若者達、皆、結婚にとても関心と興味があって。
皆が、それぞれ神様の備えて下さっている伴侶との
幸福な結婚に導かれるように。
素晴らしいクリスチャンホームを築いてね。
by 多恵子