2022年12月12日(月)
  「御霊と肉に引っ張られる」

Aさん
「霊と肉のことで、よく訓練というか、練習させ
られています。

肉はどこまでも、どこまでも強くて、頑なで、
自我の強さを教えられます。

対人関係で、嫌な思いをする事があります。
中傷されたり、攻撃されたり、嫌味を言われ
たりする時に、

そこで瞬間に、神様を見上げる事を練習させ
られています。

肉とサタンが一つになって、罪へと引っ張り、
新しい性質と聖霊が一つにり、主の方へと
引っ張る。

相手の肉に対して、こちらのも肉で対抗する
と、負けなんだと。
周囲にも害毒を流し、自分も平安が全く無く
なってしまい、何の証にもならない。

肉は「くそ!」「こんちくしょう!」と思うが、
肉の思いが来た瞬間、神様を仰ぐと、

へりくだらせて下さって、相手に感謝できる
ところを感謝させて下さる。
感謝せよと言われるので、それに従い、感謝
するんです。

自分でなく、神様です。
すると、不思議が起きます。
そこで、トゲトゲしい空気がストップして、
和らいで、おさまって行く。

自我は強くて、攻撃したいし、報復したい。
何倍にもして、仕返しをしたい。
そこにサタンが働いているので、やられて
しまう。

でも、神様を見上げる時、ワンクッションでき
従いたいと思う心が来る。、

ずっとサタンが、引っ張ろうとするのがよく
わかる。

御霊の導きに従う時、周囲に神様を現わすのも
よくわかり、それがサタンは嫌なのだと。

神様に従って行きたいです。」

2022年12月09日(木)
  「神様を新たに知る」

年の瀬も押し詰まり、今年一年の祝福を語り
合っていた。

Aさん
「祈りが答えられて来ました。大きな厳しい
試練があり、涙、涙で、祈る日々でした。

神様に拠りすがる事しか出来ない、何も
出来ない中で、ひたすら祈りの日々でした。

辛く、悲しい中を通りながら、信じて行こう
と思え、祈らされました。

練られたような気がします。一年の終わり
の今、感謝が溢れています。祈りに答え
て下さった神様に心から感謝でいっぱいです。」

Bさん
「若い頃、まだ未熟で、よくわかっていな
かった時に、対人関係で、失敗してしまい、
双方で、ぎくしゃくしてしまった。

こちらが失敗して、非があったのだが、
若さのせいで、深く認識できず、謝るのだが、
失礼な事になってしまった。

環境的な変化により、もう全く顔を合わせる
事が無くなったが、ずっと心のすみにとがめ
があった。
きちんと謝っていないことに、申し訳ない思い
があった。
神様からの思いだったと思う。

それが今年、突然バッタリ!と会ってびっくり!

若い時の事を、迷惑をかけた事を心から謝る
事ができた。相手もこちらも配慮が足らずにと
謝って来られて、心が晴れやかになった。

神様が平安へと導いて下さった事に感謝で
ならない。」

Cさん
「どうしても根深い、この世の価値観があって、
出来ないといけない、もっと頑張らなければ、

と追い立てられるような、思いが来る。
出来ることが善、との価値観ですよね。

でも、幾ら頑張っても出来ない。
疲れ果ててしまう。

御言葉に救われます。


「わたしの力は、弱さのうちに完全に現われる
からである。」Uコリント12:9


「弱さのうちに」が救いで、感謝でいっぱいです。」


2022年12月07日(水)
  「祈りに疲れた時」

Aさんが祈りについて話した。

「デボーションは、毎朝持てていて、聖書を読んで、
お祈りをしている。

色々な必要のためや、執り成しの祈りやら、祈り
は沢山あって。
祈りのノートに従って祈るが、

いつしか、祈りが義務になっていて、何かしっくり
こない。」


「おつとめみたい?」^^;


「そう、そう。それ。毎日のおつとめを果たして
いるような感じ。」

「気持ちが無くて、乗らなくて“ねばならない”状態。」


「重い荷物になるよね」


“ わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて
行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。”
イザヤ書 56:7

とあって、“祈りの家で楽しませる”っていいよね(^^)

神様との交わりが楽しい、嬉しい、喜びでいっぱい。


でも、別の面で、感情に振り回されていたら祈れない
よね。
今日は祈る気にならない、気が乗らないとか。
それならずっと気が乗らないなら、ずっと祈れない
事になる

感情だけも違う。

祈りの働きの面もある。
気が向いた時だけ、祈るのも違う。

・・・・・・・・

「祈れません。」「今日は祈る気が起きません」

「祈りがだるくて、重荷に感じます」とあるがまま

神様に告げるとよい。


Aさんが、祈りが義務になっていて、重荷に感じ、
気持ちが無い、祈れない、とありのまま祈って
行った時、


そのすぐ後、大きな祈りが答えられた!!
悩みであり、心配、思い煩いであった、祈りが
突然答えられ、事が良い方に動いた!!


祈りに悩む中で、その祈りに関して、ありのままを
正直に、祈った時、これまで祈っていた祈りが
答えられた。

大きな祈りの答えに喜び、感謝が溢れ、嬉しく、
てならず、

祈りの励ましとして下さったとわかった事が
更に感謝であった。


2022年12月05日(月)
  「進化論のビデオを観た」

教会の中高生会で、「進化論」のビデオを観た。

進化論では、「猿」が進化して、「人間」になった。

しかしあの猿が、ある日、突然人間になる事は
無いので、必ず中間の過程が無いとおかしい。

それを「ミッシング・リンク」と言い、進化の過程
の鎖の欠けた部分のことだ。
中間の過程が欠けているので、繋がらない。

進化論者がどんなに探しても、中間が見つからない。

ある進化論者は、熱心の余り、猿と人間の化石を
ミックスして、ミッシング・リンクを捏造した。

証明されたと、大歓声を持って迎えられたが、30
年後、捏造だとバレてしまった。

北京原人や類人猿と言われているものは、コンピューター
解析で、猿だと証明された。

中間の化石も、一つも無い。

しかし進化論は真理だと、学校で教えられて来た。


ビデオを観たA君が、学校の理科の先生の所へ
進化論の話をしに行った。

先生は丁寧に対応して下さって、今は、進化論推しは
少ないと。進化論では説明がつかないのだと。
進化論と創造論があって、創造論だと思うと。


キリンの首が長いのは、何億年もの間に、高い所の
ものを食べようとして、首が伸びた。

象の鼻が長いのは、地にあるものを食べようとして
鼻が伸びた。

婦人方と、今、聞くと笑ってしまいますが、でも、
進化論の事を習った時に、そのまま何とも思わずに
信じてましたよね〜(笑)

そう〜、何とも思わなかったですよねえ。

・・・・・

「そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、
神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を
輝かせないようにしているのです。」
Uコリント 4:4 

サタンに思いをくらまされると、ほんとわからない。


「それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、
サタンの支配から神に立ち返らせ」
使徒 26:18

暗闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ
て下さったので、見えるようにされた。


2022年12月04日(日)
  「彼らの行いは彼らについて行く」

Bさんは、すでに天に帰られて、主のみもとに
おられ、安らいでおられる事に感謝だ。

★祈りの人だった。

10数才年上で、高齢になられた頃、
朝の4時5時に目が覚めて、祈るんですよと。

主との静かな恵みの時間がとても感謝だと。
三原とカンボジア宣教の祈りを教えて欲しいと。
よく連絡を下さった。

いつも祈ってますよと。三原とカンボジア、
そして私たちの教会のために、ずっと執り成しの
祈りをして下さっていた。

宣教地での様々な祝福を自分の事のように大変
喜んで下さっていた。


★救霊の人だった。

洋裁の賜物があり、まるでプロのようにお上手で、
家庭を解放して、洋裁教室を開き、洋裁を教え、
その後で、聖書の学び会をされていた。

特にアメリカ在住の日本人女性が多く集まって
来られ、そこは楽しい交流の場とされ、救われ
る人々が起こされて行った。

異国の地で、昼間はご主人方は仕事で不在、
寂しさがあり、日本人との交わりを求めると。

そんな方々がみ言葉に触れ、救われて行った。
救霊の重荷を持ち、よく労されていた。


★とてもきさくな方だった。

ある時、笑いながら失敗談を。

当時、仕事をしていて、非常に忙しい日々が
続いていた。
教会では、順番のように、家庭を解放し合って、
学び会や交わり会を持っていた。

婦人で、クリスマスイブ会を持ち、集まろうと
計画がなされた。
役割分担する中で、「家は今回はどこにする?」
となり、うちはどうかと聞かれた時、

とっさに「その日は仕事!」と答えてしまった。
それで、別の人の家になったが、

手帳の予定表も見ずに、本音は忙しい中、家
の掃除や整えが大変で面倒だった。
「神様ごめんなさい」と悔い改めた。


そんな事があって・・

続けて忙しい日々が続いていた。

クリスマスイブの日も、大変な忙しさで残業
をし、仕事をこなしていた。

「あ〜あ、クリスマスイブなのに残業なんて
冴えないなあ、みんな今頃楽しんでいるだ
ろうなあ、いいなあ〜と思った時に、

「あ!!」と気づかされた。

「その日は仕事!」とにべもなく断ったが、
神様は、その言葉が嘘にならないように、
この日を残業にして下さったのだ、と。

その瞬間、主に触れて、御霊の喜びが来た。
主がここにおられ、一緒に仕事をして下さっ
ていることがわかり、その場が喜びで
いっぱいになった。

何だか冴えなくて、無味乾燥だったその場が
突然、主の臨在が満ちた。

すべてを支配し、益として下さる主を
知った経験だったと。


「『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』御霊も言われる。『しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。』

彼らの行ないは彼らについて行くからである。」
黙示録14:13

2022年12月03日(土)
  「温かい交わり」

教会の礼拝に、米国在住のAさんご家族が一時
帰国され出席して下さった。

ご夫妻と夫人のお母様、クリスチャンホームだ。
ご夫妻は若い時に救われ、お母様は5年前に
救われましたと。

主に在る喜びを、お会いした時に感じ、交わり
の中で、救いの感謝、喜びを話して下さった。

クリスチャン同士は不思議だ。初対面なのに、
違和感無く、とても親近感を感じ、楽しさを感じ、
主を共に喜べる、何という幸い(*^^*)


これら、イエス様の十字架の血潮によることで、
感謝でならない。


リベラルな州がひどくて、共和党のテキサスに
引っ越しました。落ち着いて生活できていて
ほんとに感謝ですと。


テキサスと言えば、以前、チャットで知り合い、
ネット祈り会に来られていた、クリスチャンの
Bさん。

主を愛する素晴らしいクリスチャンで、いつも
交わりにより、大変恵まれ、励まされた。

どんどん親しくなり、一時帰国時には必ず教会
にお顔を見せて下さった。
そして九州への帰省の途上も必ず立ち寄って
下さっていた。、

心通い合い、共に主を喜び、楽しく交われる
恵み祝福に感謝でいっぱいだった。


Bさんはアメリカ人男性と結婚し、20代始
めにアメリカに移り住まれた。

最初は言葉がわからず、右も左もわからず、
何もかもわからない中、隣家のクリスチャン
夫妻が、それは親切に助けて下さった。

店を教え、事務処理の仕方を教え、ごみの
事など、もう何から何まで、至れり尽くせり
に、手伝い助けて下さった。

困った時には、いつも力になって下さった。
本当に助かり、有り難かった。それで教会に
誘われた時に、お礼のつもりで出かけた。

お返しのつもりで、そして嫌ではないので
ずっと出席を続けていた。
そんな中で、御言葉がぐいぐいと心に入り、
響いて来た。

自分の罪、イエス様の十字架の意味、父なる
神の愛が目が開かれるようにわかり、主を
信じたいと思い、決心が与えられた。

それ以後、喜びと平安の中で、ずっと主に
仕えて来られた。

義理で通っていたのが、救われて、まあ喜び
が満たされてと。


そんなこんなを思い出し、心温められ、主の
素晴らしい恵みに感謝する時とされた。


2022年12月01日(木)
  「夜空のクリスマス」

街には、クリスマスソングが流れ、イルミネー
ションがキラキラ輝き、店はツリーに、カラフル
なクリスマスグッズが溢れ、にぎわっている。

56年前に、イエス様を信じたが、その初めて
のクリスマスが非常に印象的だった。

クリスマス礼拝が終わり、もう夜で、暗かった。
クリスマスのため、近所の子どもたちも多数
来ていて、その子どもたちを一人一人家に送り
ながら、

キャロリングをした。
皆で、賛美歌を歌いながら、街を歩いた。

主を賛美しつつ、心に喜びが満ちた。
皆で、賛美し、皆が家族のようで、皆がひとつで、
心がとても暖かくなり、心楽しく、嬉しく、
今も、はっきり脳裏にあり、忘れる事のできない
光景だ。

年末で、もうとても寒いが、心に平安が満ちて、
心温かく、神様の素晴らしい祝福だったと思う(^^)

イエス様に出会えて、何て幸せで、感謝だろう。
救われて、一年目だったが、信じる前とは全然
違った。

真実の愛を知り、み言葉の真理を知り、生きる
意味と目的も知り、永遠を知り、何とく恵み
だろう。

真っ暗闇のこの世界に、真実の光が輝いていた。


主に在る友に、その事を話すと、

「私も同じです」と。「冬の夜空、クリスマス
の思い出です。
今も、静かな夜空に輝く星々、感動です。
思わず、神様!と叫びます。素晴らしさに
涙が出ます。感謝です。」


12月、日々イエス様を覚えながら、クリスマス
の準備をして行きたい。