2023年01月13日(金)
  「砕かれ、練られる」

Aさんが、聖書の中のヤコブとヨセフを通して
大変教えられましたと。


ヤコブは、ヨセフを偏愛し、特別に可愛がった。
ヤコブが愛したラケルとの間に与えられた子ども
だった事があるのだろうか。

ヤコブはヨセフを甘やかしてしまった。そのため、
ヨセフは、人の痛みや気持ちのわからない、自分
本位の人間に育ってしまった。

ヤコブに責任があった。一人を特別扱いし、ひいき
にするなら、他の子どもたちは、どう感じ、どう思
うのか。

他の兄弟たちは、ヨセフを激しく妬み、それは憎し
みとなり、殺したいと思うほどになった。

皆、兄弟たちが野良仕事をしている所へ、一人
綺麗な特別な服を来たヨセフがやって来て、

今だ、殺そうとしたが、殺すのはあんまりなので、
エジプトへの隊商に奴隷として売り渡した。

そして父親ヤコブには、ヨセフは獣に襲われ死んだ
と伝えた。


ヤコブはどんなに痛んだろう。悲しみに暮れ、ヨセフ
はエジプトで大変な訓練を受けた。

ヤコブも、ヨセフもどちらもが、砕かれ、練られ、
訓練され、きよめられて行った。

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私たちも、辛いこと、苦しいこと、悲しいことが
起きるが、自分自身の歩み、生き方を振り返させ
られ、探らされる。


痛みの中で、ヤコブやヨセフのように、矯正して
下さりたいところ、足らないところ、出っ張って
いるところ、初めてそれらに気づかせられる。


苦しみの中で、初めて気づける自分の姿がある。

そして気づけたことが、神様に出会ったことなので
御霊の喜びが与えられる。


砕かれること、造り変えられることを見せられる。


2023年01月04(水)
  「視点」

信仰人生の中で、試練は必ず来る。

試練が成長を与えてくれる。

「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を
生み出し、練られた品性が希望を生み出す。」

忍耐は、我慢することでなく、主が良くして
下さると信じること。

患難の苦しみの中で、今は苦しいが、必ず主が
良くして下さると信じることが可能だ。

順境の中で、問題の無い、ハピーな中で、現在
良い状態の中でなら、意味をなさない。



ヤコブ1:2では、「私の兄弟たち。さまざまな試練
に会うときは、それをこの上もない喜びとと思い
なさい。」

試練を、単に「喜び」でなく、「この上もない
喜び」と思えと。

信仰が試されると、「忍耐」が生じ、この忍耐を
完全に働かせるなら、成長を遂げると。

私たちの一番の願いとする、「霊的成長」が与え
られるので、試練を喜べと。

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次々と大変な試練が臨む、Aさん。

「試練」に関する御言葉にすごく励まされ、教え
られます。

試練の中で、どこを見ているかですね。それが
すべてのように思います。

神様を見ていると、まず心が守られ、ほんとに色々な
事を教えられ、気づかされ、ますます恵まれます。

でも、状況を見ると、次々思い煩いや不安、恐れが
湧き上がります。神様から目を離しているからです
よね。
どちらを見ているかだなあと。全然違う。これは
大きいですよね。」

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Bさんが、大きな厳しい試練があった時、心が弱り、
落ち込み、沈み込んでいた。

そんな中、
周囲の主に在る人々が、何とか励まそうとしてくれて、
食事に招いてくれたり、お茶に呼んでくれたり、
イベントに誘ってくれたり、色々声をかけてくれた。

そんな時に、
自分が神様を見ている時は、「こんな私のために、
親切にしてもらって、有り難いなあと、感謝が湧いて、
心が恵まれて、引き上げられる。

逆に、自分が神様を見ていない時は、屈折してしか
見えなくなってしまう。
「皆はいいよね。幸せそうで。自分だけ不幸で」と。
せっかくの親切を受け取れない。


「状況は一つで、全く同じなのに、自分が神様を見て
いるか、見ていないかで、天と地ほどに違うことを
教えられました。」と。


2023年01月1日(日)
  「なんという幸せ、なんという楽しさ」

今年は1月1日が日曜で、元旦&新年礼拝だった。

1年の最初に、礼拝をお献げして、新年を始める
ことができることの恵み、幸いに感謝。

時節柄の事で、ずっと飲食を控えていて、かなり
久し振りに、礼拝後、ジュース&お菓子で交わり
会を持てて感謝だった。

「わあ、久し振りですねえ」と嬉しそう。

皆で、お茶とお菓子で、大笑いしながら、お喋り
する。
しばらく持てなかっただけに、楽しさ倍増。

心が通い合い、リラックスでき、ほっとする。
和やかで、安堵の、楽しいひと時。

昨年の祝福や近況を語り合う。

共に主に感謝し、主の御名を崇める。


主の血潮により、一つとされている、恵みの
楽しい交わりだ。



“見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、
なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。


それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。
それはひげに、アロンのひげに流れてその衣の
えりにまで流れしたたる。


それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露
にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの
祝福を命じられたからである。”
詩篇133:1


主に在る兄弟姉妹の交わりは、なんという幸せ、
何という楽しさ(*^^*)