2023年04月17日(月)
  「思い煩うと」

種まきの例えで、
いばらの中に蒔かれる種がある


「いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、
この世の心づかいと富の惑わしとがみことばを
ふさぐため、実を結ばない人のことです。」

みことばを聞くが、「この世の心遣い」と
「富の惑わし」が、みことばをふさぐとある。


★ある時、遠方のAさんが、「祈れない、み言葉が
全く入らない」と言った。

Aさん宅を訪問し、色々聞いていると、

出るは、出るは、次から次へと・・・

思い煩いを具体的に、神様に祈ることにしようと。

すると思い煩いの数々、あの問題、この悩み、その心配、

育児の悩み、仕事の問題、親族の問題、経済的煩い

芋づる式に。


4時間かけて、一つ一つの思い煩いを主のもとに出し
て行った。

すると!「あ、祈れます!み言葉が入ります!!」


●思い煩いは、祈りとみ言葉を奪ってしまう。
要警戒だ。



★婦人の集会の時に、

皆に、厳しい試練が重なってしまった。それぞれが
苦しい状況にいた。


皆が、悶々状態で、集会にやって来る。
すると、心が余りにもいっぱいいっぱいで、そのままだと

み言葉が全く入らないと言う。


まず、悩み苦しみを吐き出す時、不思議だが、み言葉
がぐいぐい入って来ると。

一人一人が吐き出したい事を吐き出して行く。

するとものすごく祈りとみ言葉が祝福される。

心が喜びと平安に満ちる。

皆が笑顔で、賛美しつつ別れる(*^^*)




2023年04月14日(金)
  「正直な祈り」


★祈りについて


建前でなく、きれい事でなく、正直な祈りを
主に向かって祈ることを学んでいた。


日本人夫人Aさんの、ご主人はアメリカ人。

A夫人とご主人はアメリカ人教会に集い、
A夫人は日本人教会にも出席していた。


A夫人は、ご主人がアメリカ人教会で
青年のバイブルクラスの指導をする事
になり、夫婦で奉仕する事になった。

そのクラスのために、夫婦で祈った時
に、

A夫人が「神様、私は、この奉仕を
したくありません。嫌です。

でも、夫のために、夫を助けるゆえ
にこの奉仕にあずかります。
お献げしますので、導いて下さい」

と祈った。


するとご主人がもうそれは驚いて、唖然
としていたと。

しばし沈黙の後、

そんな祈り、初めてだと。

「うん、でも、そっちの方がいいと思う」
と言ったと。


2023年04月12日(水)
  「よくやった」

Aさんが、大変な試練の中におられる。

もうご高齢ながら、経済的必要のために、ずっと仕事
をしておられる。
ご主人を先に見送られ、どんなにか寂しさや辛さが
あられるでしょうに、子どもさんの面倒を見ながら、
お元気そうに歩んでおられる。

仕事は、体力的にもきつく、どんなに大変かと思うが、
その口に愚痴、不満は無く、感謝して、信仰によって
歩んでられる。

ある時、Bさんが「大変ではないですか。合法的な
事なので、福祉のお世話になってはいかがでしょう」
と言うと、

「有難う」と、拒否ではなく「調べてみるね」と受け
止めて下さった。

その時に、いつかイエス様にお会いする事が、希望の
すべてだと。

天に帰った時に、イエス様が「よくやった」マタイ25:21
と言って下さる、その言葉が自分の希望で、そのために
今、生きている。

その言葉が、今、自分の生きる力とされていると。

その言葉を思う時、忍耐できて、引き上げられると。

・・・・・・・・・

タラントの例えの箇所で、

主人が旅に出るのだが、しもべたちにタラントを
あずけて行く。これで商売せよと。

すると五タラントと二タラント預かったしもべが
主人が戻った時に、

それぞれが、更に五タラント、二タラントもうけ
たと報告した。

その時に、主人が「よくやった。良い忠実な
しもべだ」と。
主人の喜びを共に喜んでくれと。

主人は大いに喜んだ。


・・・・・・・・・

改めて、「よくやった」の言葉に恵まれる。

天に帰った時に、「よくやった」と言ってもらうこと、

そこを見つめていたい。




2023年04月10日(月)
  「妬みが祝福に変えられた」

「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを
一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉に
おいて、敵意を廃棄された方です。」
エペソ2;14


この二つのものは、ユダヤ人と異邦人だが、


Aさんは、二つのものが一つにされたと。

Aさんは、Bさんと職場時代からずっと友人
で、同じく夫の仕事の転勤で、海外生活。

同じような境遇もあり、結婚後もずっと交流
が続き、海外でも連絡を取り合っていた。

Aさんは穏やかな落ち着いた感じで、Bさん
は人が集まると中心になり、輪を引っ張って
行く感じだった。

表面、長い間の友人であるが、実はAさんは
Bさんが大嫌いで、ずっと妬んでいたと。

二人でいると、必ずBさんが目立ち、皆はB
さんに注目し、自分は常に陰になる。

Bさんといると、自分が惨めになり、劣等感と
なっていた。だから本音では一緒にいたくな
かった。

双方同じ海外転勤になった時、会いたくない、
会いたくない思いでいっぱいだった。

幸いな事に、仕事や子育てで、双方非常に多忙
で、電話もなかなか出来ずに日が過ぎた。

それがAさんが日本転勤に、こちらの集会に
集われ、落ち着いた信仰生活ができてとても
恵まれ喜んでいた。

するとBさんも同じ地に日本転勤が決まった。
そこからAさんは、悶々状態に陥った。

会いたくなく、ずっと長い間の根深い妬みは
辛く苦しく、何より罪意識に苦しんだ。

苦しみを祈りに祈り、尚も祈り、妬みをBさん
に謝罪する事を決心した。

更に祈って、今までの思いを打ち明け、謝罪
した。

その時、Aさんの苦しみ、悶々はきれいに消えた。
解放され、自由にされた。

Bさんは、告白されて謝罪されて、全然嫌じゃ
無かったと。むしろ祈りを感じて、祈って〃
言ってくれたんだろうなと。

むしろAさんどんなにか苦しかっただろうなと
思ったと。
BさんはAさんが大好きで、自分への思いは
全く、全然気づかなかったと。


Aさんは、妬みが消えて、喜びと平安に変え
られた。
Bさんは、何でも話せる相手とされた。


「二つのものが一つにされた」

真に身をもって、実感が与えられた。


2023年04月08日(土)
  「どうやっても、わからない中・・」

婦人の集会に、新しく来て下さったBさん。


聖書の中からの、御言葉の学びが、わからないと
率直に素直に、言われた。

それで、聖書に接するのも初めてなので、
教会学校の子どもたちに、お話をするように

わかりやすく、わかりやすく、聖書のお話を
した。

しかし、わからないと言われる。

それで、更にかみ砕いて、尚も簡単に、わかり
やすくお話をする。

しかし、わからないと。

素直に言って下さって感謝で、せっかく来て
下さっていて、何とか御言葉がわかるように、
祈りに、祈る。

祈りながら、Bさんと話す中で、婦人方が
皆が試練の中で、悩みを話し、問題を話し、
苦しみや、辛さ、悲しみを吐き出し、

赤裸々に話す中で、御言葉による励ましや
慰め、答えの御言葉や指針の御言葉を
話していると、

それは、よくわかると言われた。

そうですか!!と、御言葉を具体的な
証し、出来事、信仰体験談とリンクさせて
お話すると、よ〜くわかると言われ、

びっくり感謝!!だった。

どうすればよいかとの、祈りに祈った
答えだった。

少しづつ〃御言葉を理解して行かれた。


どんな時にも、必ず導き、知恵、アイデア、
指針を下さる主に、感謝!!!(*^^*)


2023年04月07日(金)
  「祈ると・・(*^^*)」

“窮した者の祈りを顧み、彼らの祈りをないが
しろにされなかったからです。”
詩篇 102:17

Aさんが、子どもさんの病気で、子どもが痛み、
苦しんでいるのが、辛くて、辛くて、

もう、祈るばかりで、神様に拠りすがるばかりで、
祈りに祈っていた。

涙が出て仕方がなく、涙が溢れて、祈りに祈って
いた。

すると、祈りの中で、あれほど痛んで、辛かった
心が、すう〜と落ち着いて来たのだ。

不思議だった。

大丈夫だと思えて、心が平安にされた。

すると、子どもの病気が落ち着いて来て、元気に
なったのだった。



Bさんも。

突然、遠方の実家から連絡が入った。

父親からで、母親が倒れた。歩けず、どうにも動
けず、救急車に来てもらった。今から病院に行く
から、とりあえず連絡しておくのでと。

バタバタと電話が切れた。
Bさんは、ドオっーと、大きな不安に襲われた。
命に関わることではないのか。

何か、重病ではないのか。
寝たきりになってしまうのでは。

遠くで、何もわからないだけに、不安と恐れは
募るばかりだ。

その時、Bさんは、主のもとに行き、不安も恐れ
もすべて告げて、主と交わり、祈った。

すると「恐れないで、信じていなさい」との
御言葉が臨み、心が、すう〜っと平安になった。

あれほどの不安が消えてしまった。

しばらくして、病院の父親から電話が入った。
診察してもらったら、過労によるものと。
よく休めば大丈夫と。心配ないからと。

主に心から感謝した。



“彼らは、私の愛への報いとして私をなじります。
私は祈るばかりです。”
詩篇 109:4

ダビデは、痛く、辛く、苦しい試練の中で、どう
にもならない状況で、

「私は祈るばかりです」

と言った。「祈るばかりです」


様々な試練の中で、もうどうにも出来ない、どう
にもならない時がある。

その時に、「祈るばかりです」


祈ることができる。祈ることが出来て、祈りが
一番の力だ。


四方、八方、皆、ふさがっていても、天は開いて
いる。


2023年04月04日(火)
  「思いと違い(^^)」

以前、地区集会の婦人の集まりで、

一人の婦人のお友達で、後にも先にも、その日だけ
出席できるというAさんが来られた。

その日だけという事だったので、福音を語り、わかり
やすい聖書のお話をしたいと思った。

しかし、集っていた婦人方は、皆が皆、大きな試練の
中にいた。
離婚寸前の人や、経済的な大変な困窮にある人、
子どもの悩み、親との確執の悩み・・

初めての方は、祈りはわからないし、祈りに時間を
取っても、理解できず、手持ちぶさたではと、思うが

余りの試練の厳しさに、神様に頼らずにはおれず、
もう必死に拠りすがるばかりの状況で、祈らずには
おれない。


そこで、Aさんに「少し時間を取って、祈らせて
もらっていいですか。待って頂いていいですか。」
と言うと。

「もう、どうぞ、どうぞ。喜んで。」との返答。

Aさんには、少し待ってもらい、

もう心を一つに、必死に、あがき求め、拠りすがり
主にすがり祈った。

皆で、祈った後、顔を上げると、

Aさんが、「涙が出ました」と言われた。
皆の祈りを聞いていると、もう涙が出て来てと。

こちらも驚き、御霊が働かれた。


主が、祈りを通して、Aさんの心に深い印象を
与えられたことに驚き、感謝した。

主は、いろんな方法を通して、証しをされること
を教えられた。


2023年04月03日(月)
  「変じゃない?」


“それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、

サタンの支配から神に立ち返らせ、

わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦し
を得させ、聖なるものとされた人々の中にあっ
て御国を受け継がせるためである。”
使徒 26:18



Cさんの田舎で、棚の上に、張り子のだるまが幾つも、
10ケ位?並んでいる。

人々は、それを拝んで、家内安全、五穀豊穣・・
を祈っている。

ある時、だるまが1ケ壊れた。それで、だるまを
修理して、又、棚の上に置いた。

そして、普通に、引き続き拝んだ。

大の大人が、変に思わない。



よく先祖を拝まなければ、バチが当たると言われる。
バチが当たらないために、拝む?

家族が病気になり、次にけがをし、リストラになり
入試に落ち、経済的苦境に陥り・・となると、

先祖を粗末にしているからと。
お祓いをしてもらわないと、と。
先祖のバチだと。

自分の子どもが、自分をまつらないからと、
子どもを不幸のどん底に追いやり、痛めつけ、苦しめ、
そんな事をする?

ましてや、孫が自分をまつらないから、苦しめに
苦しめて、痛めつけ、不幸にする?



ある地域で風習がある。
人が亡くなった時に、棺桶に遺体と共に5円玉を入れる。

「本当に入れるんだよ」
「何で?」
「死後の世界に入る時、ご縁がありますようにと」
「で、誰に渡すの?」
「??不明」

・・・・・・・・・・・・・・・・

“そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、

神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を
輝かせないようにしているのです。”
Uコリント 4:4


★★★暗やみ、サタンの支配下。
この世の神サタンが、思いをくらませている。
それで、変に思わない。


2023年04月01日(土)
  「人間が行ったわざではない」

聖霊が働かれる時、思いを遥かに超えたみわざ、
出来事を見せられる。

聖霊が働かれた結果であり、人間が行なった事
ではないとわかる。

「彼らは驚き怪しんで」使徒 2:7とあるが、
聖霊が力強く働かれる時、驚き怪しむ。


私たちの教会のカンボジア宣教が、諸般の事情
の中、主のお導きにより、「日本拠点カンボジア
宣教」に平安と共に導かれた。

主は、どういう風にされるのかなと、祈っていると。

コロナで現地にいた時も、いっさい集会禁止で、
リモート集会だった。

それで、結局、帰国しても同じリモート続行で
日本人集会や、日本語とみ言葉の学び会は続け
られた。

不思議で、コロナの恵みで、コロナのお陰で
リモート集会なるものが、始まった。
以前には、全く無かったものだった。

そして、

そのリモートでの日本語学び会の、男子たち
が、日本留学生試験を受けて、次々合格。
かなり難関だが、えらく優秀なよう。

1年間、東京の語学学校で、日本語の学び後、
全国の高専に振り分けられる。


それが、その内の一人が、広島の近くの高専に!!
びっくり!!
全国に高専があるのに、一番近くの高専!!

その彼は、バッタンバン時代から最も親しかっ
た男子生徒。
びっくり!!

もう一人も、瀬戸内海の因島のそばの高専。

ガンボジアから日本に帰国すると、今度は
カンボジアから日本に来てくれたと。
ほんとに不思議。
聖霊の働き。



まさに聖霊が働かれる時、思いを遥かに超えた
みわざ、出来事を見せられる。

それは、聖霊が働かれた結果であり、人間が行
なった事ではないとわかる。