2023年05月12日(金)
  「失敗した」

Cさん

「私は別なことで、ずっと平安が無かったよ。
失敗で、教えられた。」


引っ越した時に、親切な隣家のご夫婦によく
してもらった。
助けてもらい、親しくなった。いいご夫婦だった。

ある時、教会で特別な集会があるからと誘われ、
一緒に参加した。

その時に、聖書のお話を聞いて、最後に牧師が
「今日、イエス・キリストを信じたいと思う人は
手を上げて下さい」と言った。

その時に、私は手を上げた。信じたいと思った。
後で聞くと、夫も手を上げたと知り、驚いた。
夫婦で一緒に救われた。

それから教会へ通い始め、教会生活が、すごく
楽しかった。
聖書を学びながら、人々とも良い交わりがあり、
とても喜びがあった。

そんな時に、夫に仕事の引き抜きが来た。
遠方だった。報酬も高額だったが、才能を生か
せるという事が、何より魅力だった。

信仰面を考えた時、そういう事より、今の場所
で教会生活を優先し、信仰を培われて行った方
が良いと思った。

そしてそれが今の自分たちへの、神様の御心だ
と思えた。

うすうす御心がわかっていたのに、神様でなく、
自分の思い、欲に従ってしまった。
才能を生かせるという事が大きな誘惑で、そこに
惹かれて、そっちを選択してしまった。


●その結果・・

遠方に引っ越して、自分はその地の
教会になじめず、行かなくなってしまった。

夫は、仕事は高度でハードだった。夜遅くなる
ことも、しばしばだった。

それでも夫は、何とか日曜に教会に行っていた
が、余りに忙しく、過労でとうとう日曜に
行けなくなってしまった。

後に、神様に立ち返れたが、

その間中、全く平安が無かった。

御心をそれると、喜びと平安が失せて、大切な
ものを失ってしまう。

失敗して、教えられ、感謝だった。


2023年05月10日(水)
  「赦せない相手を、赦せた」

★「私が変えられたのは、人を赦せたことです。」

もうずっと以前に、対人関係でちょっと行き違い
があって、その人により傷ついてしまい、どうし
ても赦せない人がいました。

どうやってもだめで、赦せないんです。もう時も
経っているのに、自分としてはよほど傷ついたの
か、ずっと赦せなくて。

神様を信じて救われて、時間をかけながら、神様
の愛やあわれみ、慈しみを知って行きました。

ペテロや弟子たちが裏切っても、決してさばかず、
責めず、赦し、建て直された。愛も知りました。

裏切りなんて最悪で、一番ひどい事にかかわらず、
赦された。神様の愛や真実を学んで行きました。

それが、ある日突然、街でバッタリその赦せない
相手に会ったんです。

その時、自分の方から、声をかけ「あの時はごめ
んなさいね」と言えたんです。

すると相手は、「いえいえとんでもない。こちら
の方が申し訳なく、悪かったのは、こちらです」
と。

双方で謝り会えて、ギクシャクしていた、胸の奥
のつかえが、すっかり取れて、すっきり晴れやか
に平安になりました。

会うなどと思っていないので、用意も何もなく、
瞬間の対応で、自分でも驚き、神様だと感じ、
感謝でいっぱいになりました。



Bさん
「私も赦せない相手がいました。」

ずっと言葉や態度で傷つけられてきて、表には
出せず、心に憎しみや恨みが積りました。

でも、赦せない相手がいると、苦しいのは相手
ではなく、自分自身です。

苦しくて、胸が辛くてたまらない。

いつも思いに上り、楽しい時のはずなのに、
ふと思うと、心が暗くなり、影を落とします。

ほんとに憎しみって、牢獄に捕らわれた囚人だ
と思います。

ずっとその相手に囚われ、憎しみに囚われて
いる。

そして平安は無い。

辛くてたまらず、とうとう神様にギブアップし、
相手を赦すことを決心し、赦しますと祈りました。
私の憎しみを赦して下さいと。

すると、神様はその心を見て下さり、受け取って
下さって、平安になったんです。

あの時からずっと平安です。

こららすべて神様のみわざです。

2023年05月08日(月)
  「私は、ここが変わった!」

「イエス様を信じて、人生が変わったが、一番
大きな事は?」との質問に、

★「『安心感』です。」

試練は必ずあるし、良い事も、自分の思い通りで
ない事もあるが、その中で、何があっても、
心に安心感があります。感謝です。


★「あ、私も同じく『安心感』です!」

信仰持ったからと言って、悪い事、不都合な事が
無くなるのではなく、同じようにある。

悲しい事や、苦しい事、嘆かわしい事が起きると
表面的には、どうしよう〜と動揺するのですが、

でも、心の底には、何があっても揺るがない安心感
があるんです。これってすごい事ですよね。


★「私は『思い煩い』です。」

思い煩いが、全然違います。以前は何かあると、
どっと思い煩いが来て、それが大きくなると
飲み込まれてしまうようでした。

でも、神様を知って、思い煩わなくなりました。
何も思い煩うな、と言われる神様にお委ねでき
るからです。


★「私は『祈り』です。」

苦しい時に、祈りが支えであり、慰めであることを、
味わえていることです。
祈りは、神様を頼り、自分は何も出来なくても、
相手に、祈りで寄り添うことができるんだなと
思いました。
祈られている幸せを感じています。祈る喜びも知り
ました


★「私は『一日一日を大切にすること』です。」

神様を知って、毎日の日々が当たり前でなく、
神様から与えられ、守られて生かされていると。
それで、喜びもって大切に一日を過ごそうと思え
ます。


★「私は、どんな時も、一人ではない。主が共に
おられると思えることです。」


★「私は、人としての、生き方が変えられました。」

聖書には、沢山の指針がありますが、その言葉が
心に響くようになりました。」


★「私は、自制ができるように変えられました。

以前は、対人関係で怒りが沸くと、その時は何と
か抑え込んでも、必ず、後で絶対に言い返さなけ
れば、気が済まなかったです。

それはあくでも自分の気持ちで、肉であり、自我
ですよね。つまり自分中心でした。
神様によって変えられました。自制できるように
されています。


★「私、幽霊が恐かったです。」

日本の非常に古い廃屋の類が、気味悪く、幽霊が
出そうでほんとに恐かったんです。

でも、神様を信じて救われた後、幽霊が恐くなく
なりました!


2023年05月07日(日)
  「救いのびっくりみわざ」

もう一人の父方の祖母も、救われた。

この祖母は、兵庫県の真ん中あたりの、田舎に
住んでいた。

母方の祖母は同居だったが、この祖母は普段は
学校があるので会えず、春休みや、夏休みに行
けたら、良い方だった。

そのため、文通をしていた。

手紙で、福音を伝え、イエス様の十字架の救い、
神の愛を、伝え続けていると、

ある時の手紙で、有難いことと、信じているよと。

本当に感謝だった。

続けて、手紙で、神様のことを伝えた。

・・・・・・・・・

この祖母にも。大変可愛がってもらった。


夏休みに行くと、
祖母が「孫が来るまでが、楽しみで楽しみで、
指折り数えて待つんよ。
もう嬉しくて嬉しくてね。来てしまったら、あっと
いう間で、もう帰ってしまうのかと、寂しくて。
あの待つ時間が、わくわくで、楽しいのかも
しれないね。」と。


祖母は、高齢になり、転んで、寝たきりになって
しまった。

手紙は、大変喜んでくれて、いつも必ず返事を
くれていた。
手紙を通して、みことばと証しを伝え続けていた。

元気で、認知症もなく、長生きだったが、

高齢のため、少しづつ弱って来ていると聞いていた。

・・・・・・・・

そんな中、突然、危篤状況との連絡が来た。

とにかく、行こうと、まず関西の親のもとへ帰省する。

すると親が、「もう意識があるのか、無いのかずっと
眠ったままなんよ。1週間、行っていたが、昏睡状態
で、目覚める事がなくて、もう行っても無駄足になると
思うよ。」と。

でも、会うために来たので、とにかく田舎へ行って
来ると、親元から、祖母宅へ。

・・・・・・・

祈りに祈って、田舎に向かう。

田舎に着いても、迎えてくれた伯母が「まあ、遠い所を
よく来てもらって有難う。昏睡状態の感じでねえ。」と。


祖母の寝ている部屋に行くと、何と、目を覚ましていた。
皆から言われたことを聞いていたので、びっくり!!!

何と、話もできて、意思疎通もちゃんとできて、
夫が、もう一度福音を語り、イエス様のおられる天国に
行こうねと。一緒にお祈りした。

すると、「はい、有難う!!有難う!!」と。
何度も「有難う」と。

救いの確認ができて、感謝でいっぱいに。


話ができたと言うと、周囲の人々が、親が、それは驚いて
いた。

私たちも平安に満たされて、帰宅できた。

数日後、天に召されたことを聞き、天寿を全うし、主の
みもとへ連れて行って下さったことに感謝した。


2023年05月06日(土)
  「驚いた!祖母の救い」

祖母は、夫が戦死し、ずっと私の両親と同居だった。
生まれた時から、ずっと一緒にいた。

典型的な、いわゆる「おばあちゃん」で、孫を非常に
可愛がり、愛情をいっぱい注いでくれた。、

小さい時から、小学生くらいまで、キャッキャと
大笑いしながら、よく一緒に遊んでくれた記憶が
ある。楽しい思い出だ。

よくあちこちの親戚の家にも、連れて行ってくれた。
親戚のお姉さんたちが、トランプやかるた、ゲーム、
家の中でかくれんぼや、庭でおにごっこや、遊んで
くれて、今でも楽しいシーンが浮かんでくる。

・・・・・・

私が16才で、イエス様を信じた時、絶対に両親と
祖母が救われて欲しいと祈り続けた。

親族の救いは長くかかると聞いていたので、とにか
く祈りを積んでいた。

祖母は、教会へ誘うと、拒否等は全くなく、来てく
れた。
特別集会や、クリスマスや、特別な時には誘った。

ただ、拒否は無く、福音もみことばも聞いてくれ
るのだが、のれんに腕押しといった感じだった。

ニコニコと、はいはいと、聞くが、全く入ってい
ない。
孫のゆえに、孫可愛さに来てくれている感じだった。

・・・・・・・

長らく偶像礼拝をして来ていて、よくあちこちに
お参りに行っていた。

老齢の友人方が、あちこちにいて、皆が、いろんな
偶像を拝んでいて、誘われては行ったりしていた。

霊の妨げを感じたりした。
霊的なものなら、更に祈るしかなくて、祈り続けて
いた。

時折り、聖書の話をするが、拒否は全くなく、聞い
てくれるが、全く入らない。
まさしくのれんに腕押し、ぬかに釘。

・・・・・・

16年を経た時。
広島に遊びに来てくれた。

寝る前に、子どもたちに聖書の絵本を読み、お祈り
していたが、祖母も輪に加わっていた。

その絵本からのお話の時に、突然、祖母の心に
み言葉が入って行くのを感じた。


御霊の働きを感じ、祖母に福音を語ると、「信じる」と。
びっくりした!!!
主のみわざだった。

丁度、特別伝道集会の時で、翌日の特別集会の最後に
「信じたい方は前に来て下さい」の招きに、自分で
出たので、びっくり!!!

はっきりと救われたことを感じた。

御霊の働きだった。

祈りを積んでいると、ある日突如として、御霊が
働かれることを見せられた。

2023年05月04日(木)
  「いと静けき港につき」

♪人生の海の嵐に もまれきし この身も

不思議なる神の手により 命びろいしぬ

いと静けき 港につき 我は 今 安ろう

救い主イエスの 手にある 身はいちも

安し。♪

・・・・・・・・

色々な人々が、この聖歌の歌詞の通りで、
ピッタリ、そのままだと(*^^)v

苦しみ、悲しみ、様々な試練があった中、

いと静けき港につき、今、安ろう。

主の御手の中にある身は、大変な平安と。


ある人は、パワハラの対人関係で、ずっと
苦しんで来たが、だからこそ主を求め、救
われる事ができた。
その中で取り扱われ、主の愛や、助けや支え
を体験し、知ることができた。

ずっと祈らされた。主のもとに行き、主を
呼び続ける歳月だった。

今、悩みは解決し、重荷が取れて、解放され
いと静けき港について、心底安らいている。

・・・・・・・・・

ある人は、同じく難しい対人関係にずっと
悩み苦しみ、やはりだからこそ、主のもとに
来れて、救いに入れられた。

もしこの悩みが無ければ、必要がなく、主の
もとには絶対に来ていないと思うと。
だから、その試練が感謝でならない。

相手をさばいたり、恨んでしまうと、相手では
なく、自分が苦しくてたまらない。

絶えず主のもとに行き、環境的には今も変わ
らないが、心に平安を与えられた。

だから、問題が問題で無くなってしまった。
苦しい状況は同じなのに、主のもとに避け所
ができて、常に帰るべき場所ができた。

主のもとに行きさえすれば、平安にされる。

・・・・・・・


いと静けき 港につき 我は今 安ろう。

大嵐の問題、悩みを通ったからこそ、静かな
平安な港についた喜び、安堵、安らぎ。

何にも代えられない感謝(*^^)v




2023年05月03日(水)
  この世にはない「平安」

試練について、皆で語り合っていた。

Aさん「長い長い試練でした。答えが見つからず、
答えの無い中で、辛く、苦しい日々でした。

どこへ行っても答えが無い中で、不思議な導きで、
神様に出会いました。

新しく教会堂がそこに建ったのは、知っていま
したが、何かのきっかけが無いと、なかなか行け
ないんですよね。

自分で教会へ行ったと思っていましたが、行ける
こと自体も、神様の導きなんですねえ。

神様を信じ、救われてからも、かなり時間を経ま
したが、自分は変わりました。変えられました。
ほんとに感謝です。

心が落ち着いていて、平安を与えられています。
感謝できるんです。こんな気持ち、神様を信じる
前は全く無かったです。

今後のことも、見えるところは、問題だらけです
が、神様がおられるので、大丈夫だと思えます。」


皆で「大きな事ですよねえ。平安なんて、絶対にこの
世のものでは得られないですよねえ。」

「この世に、無いですものね。」


Bさん「神様の下さる平安は、何にも代えられない
です。
今まで、何かあると思い煩いと不安で心が暗くなっ
て、重苦しくなりました。

それが今は、神様のもとに持って行くと、心から
重荷がすう〜っと消えます。
平安になります。ほんとに感謝でならないです。

又、人への恨みやさばく思い、憎しみは自分が
苦しいです。胸の奥が辛くてたまらないです。

余りに辛くなって、神様のもとへ行き、ことごと
く打ち明けて、悔い改めると、平安になります。

その平安が嬉しくて、感謝でいっぱいです。」




「わたしは、あなたがたに平安を残します。
わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。

わたしがあなたがたに与えるのは、世が与える
のとは違います。」ヨハネ14:27