2023年06月10日(土) 「続・宣教師がハワイへ」
宣教師A先生を通して、神様のみわざを いつも見せられて来た。 ハワイへ開拓宣教に出られる事になったが、 それ以前は、九州や香川県の島で、開拓 宣教をされた。 ハワイへ行かれる時は、アメリカのミッ ション団体は、日本宣教のためのサポート なので、 ハワイ宣教になると、サポートが無くなる 事になる。 しかしそれも承知の上で、神様が行けと 言われたので、すべての必要は与えられ ると確信しておられた。 いっさいのサポート無しで、神様だけを 頼って、ハワイへ向かわれた。 ・・・・・・・・ 日本最後の一週間に、A先生の親しい宣教 師B先生が関東から、最後の交わりに会い に来られた。 A先生ご夫妻は、ハワイの空港に到着後 何の当ても無く、完全に100%神様の導き を信じ、ゆだねておられた。 ハワイから無事着の連絡と共に、神様の サプライズがありましたと。 何と、B先生のお友達がハワイにいて、 予め、A先生ご夫妻を迎えに行くよう 連絡していたと。 そのお友達のC先生ご夫妻が出迎え、家が 決まる間、滞在するようにと。 神様の備えに、びっくり感謝!!でしたと。 ・・・・・・・ A先生は、まずアルバイトを決め、住まい を探し、落ち着かれた。 そして次に、集会所探しを始められ、安い ガレージを借りて、自分で集会が出来る ようにリフォームされた。 A先生は、宣教師になる前は、大工さん だった。 ハワイで、開拓宣教が始められて行った。 神様のみわざだった。 ・・・・・・・・ ハワイで、宣教を終えられて、老後は アメリカへ帰国された。 まだ、メールも無い頃、何度かお便りの やり取りをした。 私たちも、広島で開拓伝道をしている事 をお伝えすると、大変喜んで下さった。 アメリカと日本で、もうお会いする事が 出来なかった中、 高齢となられ、ある日、宣教師夫人から お便りを受け取った。 「癌で、愛するイエス様のみもとに帰り ました。 最期の痛みは、大変なものだったのですが、 その息を引き取った顔は、微笑んでいま した。」と。 A先生そのものの、最期だったと思った。 天でまたお会いできることが、楽しみで ならない。
2023年06月08日(木) 「無牧の中で主の栄光を」
「無牧」で思い出が。 若い時に、アメリカ人宣教師ご夫妻が開拓された 教会に、行くようになった。 人数も少なく、小さな教会だったが、家族のよう で、暖かい教会だった。 親友が一緒だったので、礼拝後は一緒に勉強した り、買い物したりと、楽しく教会生活を送って いた。 そんな中、突然、宣教師ご夫妻が、話された。 実は、神様からハワイへ宣教に行くように示さ れましたと。 もう突然の事で、皆で、ただびっくりするばかり。 示されてからも、本当に確かなのか、そして、残 されたこの教会は、どうすればよいのかと、尚も 2年間祈り続けました。 2年間祈り続けて、それは変わるどころか、確信 が深まるばかりでした。 残された群れは、神様におゆだねし、神様が必ず 導いて下さると信じ、確信を与えられています。 それで、今日発表することに決めましたと。 ・・・・・・・ もう皆で、言葉無く、ただただ大変なショックで、 呆然だった。 何より、先生ご夫妻がおられなくなるなどと、 寂しい、寂しくてたまらない。 また、突然だったので、ポッカリ心に穴が空いた ようだった。 皆で祈って、その日は帰宅した。 帰宅し、皆、ショック状態の中、しかし祈った。 そして、祈り続け、少し冷静になって来て、 そんな中、教会の皆で話し合った。 先生方が、長く祈られ、確信され、神様がその ように導かれているなら、私たちは、ものすご く寂しいけれど、送り出してあげよう。 そのように、皆で一致した。 ・・・・・・・・ そして、空港まで見送り、お送りした後、 無牧になった。 毎週の礼拝や夕拝には、近くの牧師や神学生方 が、順番にメッセージをしに来て下さった。 感謝なことだった。 説教者が無い時には、証し会をした。 それも恵まれた。 そんな中、少ない人数だったが、やはり教会の 使命は救霊なので、特別伝道集会を開こう! との志を、主が皆に下さった。 ・・・・・・ 牧師はおらず、小さな集まりで、何ができるか わからなかったが、皆で祈った。 祈って、チラシを作り、印刷に出し、そのチラシ を近辺に配布した。 何の力もなく、ただただ祈りだった。 祈るばかりだった。 祈りに祈った。神様のみが頼りだった。 当日は、近くの教会の方々も応援出席して 下さった。 配ったチラシで、6名の新来者があり、 驚いて、皆で感謝した。 救われる人も起こされた。 無力な中で、小さな集まりの中で、 ただただ神様の働きで、みわざだった。 主を知る時とされた。
2023年06月07日(水) 「偶像の事で、神の栄光」
「偶像」の学びの中で、 「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。 上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、 地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造って はならない。 それらを拝んではならない。 それらに仕えてはならない。あなたの神、主である わたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎 を子に報い、三代、四代にまで及ぼし」 出エジプト記 20:5 と、偶像礼拝を禁じている。 もうずっと昔に、若い頃、4,5人のスタッフ方と 共に、教会学校をし、聖書のお話と工作やゲームの イベントをしていた。 その聖書のお話の中で、偶像礼拝、神様以外のものを 拝んではならなと、子どもたちに伝えていた。 ・・・・・・ そんな中、小学6年のCちゃんの、ずっと病気だった お父様が亡くなられた。 するとCちゃんが、大好きなお父さんだけど、 亡き骸は拝まないと、お母さんに言ったと。 教会内のクリスチャン婦人が、その未信者のお母様 と親しい間柄で、お母様から相談された。 お母様は未信者で、神のことは知られないので、拝 まないと言われて、びっくりされたと思う。それも 大切なお父さんのことであるので。 クリスチャン婦人に相談され、私たちの教会は、 当時、無牧で、牧師がおらず、とにかく教会学校の 先生たちに連絡が入り、皆が集まった。 Cちゃんと一緒に、皆でお祈りした。 そして、Cちゃんのお母様に、聖書からまことの神 のこと、救いのこと、偶像礼拝のこと等をお話した。 Cちゃんが、お父様のことを尊敬し、大切に思い、 大好きで、愛していること、しかし拝むことは しないことを伝えると、理解はして下さったようだった。 更に皆で祈った。 ずっと寄り添っていたクリスチャン婦人が、お母さん に、 「どうでしょうね、Cちゃんの神様に従いたい気持ち が強くあるので、Cちゃんの気持ちを受け取めてあげ るのは、どうでしょうね。」と、 するとお母様が、「はい、そうしてやりたいと思い ます。」と。 ・・・・・・・ もう、びっくりした。 神様が、働かれたことを目の当たりに見せられた。 お母様も、ご主人が亡くなり、いっぱいいっぱいの 中、子どもを理解して、受け入れてあげられた事に 神様を感じた。 クリスチャン婦人とCちゃんお母さんの信頼関係が あったことも、大きな事だった。 偶像の学びをしていて、ふと思い出した、昔の 出来事だった。神様の栄光だった。
2023年06月03日(土) 「みこころを求める祈り」
「祈り」について教えられる。 神様は、「祈れ」「願え」「求めよ」と言 って下さっている。 祈りを喜んで下さり、どんな小さな祈りも 聞いて下さっている。 しかし、信号のように、青・赤・黄とあり、 青=すぐに答えられる祈りがあり、 赤=「ノー」の答えの祈りがあり、 黄=祈り続けよ、の祈りがある。 何でも、祈ればよいが、すべてがその通りに 叶えられるのでなく、神のみこころに従って 答えられる。 もし、どんなに強い願望であっても、神の みこころでなければ、答えられない。 それがみこころであれば、叶えられない方 が良い。 祈る中で、 「神のみこころ」ということを教えられる。 「何事でも神のみこころにかなう願いを するなら、神はその願いを聞いてくださ るということ、 これこそ神に対する私たちの確信です。 私たちの願う事を神が聞いてくださる と知れば、神に願ったその事は、すで にかなえられたと知るのです。」 ヨハネT5:14.15 神のみこころにかなう願いは、必ず叶え られる 「みこころ」ということを覚える時に、 自分の願いを、そこにだけ視点を置いて 願い続ける時、万一その答えが「ノー」で あったり、長い期間祈り続ける祈りであれ ば、どうだろう。 失望と落胆しかない。なぜ答えられないのか? 心が沈み、暗くなるばかりだ。 その願いは祈りつつ、この事の中で、主が 教えて下さりたいことは何か? この出来事での、主のみこころは何か? それを祈って行く時に、必ず答えが来る。 「ああして下さい」「こうして下さい」 「あっちに行って下さい」「こっちに来て 下さい」との祈りでなく、 主のみこころを求めて行くことを教えられる。 この苦しい状況が変わるようにとの祈りが、 全く答えられない中、この事苦しい状況を 与えておられる主のみこころを求める時、 自分が変えられている事を発見する。
2023年06月01日(木) 「不思議な合格の仕方」
Bさんと神様の不思議なみわざを話していた。 Bさんは、受験で合格発表の時、補欠合格 だった。合格者の手続きを待って、もし空き ができた場合に、合格となる。 御心がなりますようにと祈っていたら、合格 になった。 不思議な合格の仕方だった。 昔、私の友人知人は、同じく合格発表で、補欠 待機で、どうしてもその学校に行きたくて、 待ったが、だめだった。 そんな事もあって、Bさんの補欠合格が印象的 で、不思議感謝だった。 ・・・・ Bさんが志を持って、入学した一年目だったが、 つまずきがあって、心的にどうしても登校でき なくなった。 どうやっても無理なので、学校をやめようと 思った。 牧師に相談し、祈ってもらったところ、御言葉 を通して、退学でなく、休学に導かれた。 Bさんは、その事に平安を与えられ、1年間休学 して休息した。 ・・・・ そして1年後、リフレッシュできたBさんは、 復学できて、何とすいすいと履修できた。 あのつまづきは何だったのかと、感じで、 無事卒業できた。 その時に思った。 神様は、登校後のつまづきも予めご存じで、 やめないようにと、特に神様を感じる 不思議な合格の仕方を与えて下さったのだと。 Bさんは、ずっとそこで学んだ職業に就き、 今も、その仕事で主に仕えておられる。 それがBさんの賜物だったので、補欠合格は やめるなとのしるしだったと思った。