2023年07月17日(月)
  「品性」


Kさんが、辛い、苦しい試練が与えられている。

「天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上ら
せ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせ
てくださるからです。」マタイ5:45

主は、悪い人にも良い人にも、雨を降らせる。
未信者には雨が降り、クリスチャンには降ら
ない、のではない。

クリスチャンの畑はいつも豊作、商売はすべて
繁盛、病気やけがはなく、受験はすべて合格・・
そうなれば、皆、クリスチャンになる。


だから、主は、クリスチャンにも未信者にも
同じことを起こされる。

そのため、クリスチャンにも苦しみが臨む。

しかし未信者と異なるところは、クリスチャン
はその苦しみの中に、神を見る。

神のご愛や真実、配慮、思いやりを見て行く。
すると、それは心に平安が与えられ、素晴らし
い祝福とされて行く。


Kさんは、主に造り替えていただきたいと願
っている。


「患難さえも喜んでいます。それは患難は
忍耐を生み出し、

忍耐が練られた品性を生み出し、練られた
品性が、希望を生み出す・・」ローマ5:3

この練られた品性、神よりの品性が与えら
れたい、それが憧れであり、願いであり、
欲しいものだった。


厳しい試練があるが、品性を与えて下さる
ためであると、受け取れる。


すると、そこに希望が生まれる。

現状は厳しいが、しかしこれを通して、品性
を与えて下さるなら、忍耐ができる。

苦しみや辛い出来事は、意味があり、意図
があり、それにより、

砕いたり、削ったりして下さる。


状況でなく、主に視点を合わせて、主のお心
を受け取って行ける。


2023年07月14日(金)
  「別人のように変えられ」

Bさんが、だいぶ前に教会に来られた。

大きな問題、悩みを持っておられて、
暗い表情でおられた。

困難が大きすぎて、悶々とされていた。


聖書の学びを続ける中で、イエス様を信じ、
受け入れられた。

その頃から、祈りを学び、祈りを始められた。

悩みの解決を祈り、祈り続けるが、自分の思う
通りの答えが来なかった。

祈り続けるが、目に見えるような自分の思う
解決は来ないので、目に見える現状は変わら
ず、悶々とされていた。

神様、どうして?とも思われるだろうし、
思うようにならず、暗いお顔にも見えた。

・・・・・・

しかし、ずっと続けて教会に来られ、御言葉
を学び続けられた。

幾年かが過ぎた時、状況が変わるのが祈りの
答えというだけでなく、主のご計画や御心が
ある事を学んで行かれた。

・・・・・・・

更にその後、状況は変わらないが、神様には
ご計画があり、災いはなく、平安と将来と希望
のためのものと言われ、

すべての事について感謝しなさい、と言われる
ので、感謝しますと。

「今、感謝できます」と言われた。

また、その後、献身に導かれ、神様に自分自身
を献げられた。

・・・・・・・・

はたから見ていて、献身されてから、更に全く
変わられた。

いつも平安なお顔をされていて、目の前に起き
る出来事一つ一つを、主からのものと、信仰的
にとらえ、受け止めておられる。

・・・・・・・

CさんDさんEさん〜

「Bさん変われれましたねー。暗い顔をされて
いた以前と全く違う!

いつも平安なお顔で、落ち着いて明るくおられて
すごく嬉しいです!!

神様はすごいですね。

いつもほんとに恵まれます!!(*^^*)」


2023年07月14日(金)
  「御言葉の力を経験する」

「わたしがあなたがたに話したことばは、
霊であり、いのちです」ヨハネ6:63

御言葉は霊であり、いのちであること、日常で
よく経験する。


Aさん
「丁度、ペテロの海上歩行の箇所の学びをしま
した。
弟子たちが真っ暗闇の中で、嵐の試練に会った
時に、海の上を近づき、

「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることは
ない」

ペテロが「来なさい」と言われたイエス様だけ
を見続けている時は、海の上を歩けた。

ふっと風を見た途端、ぶくぶく沈んだ。

しかし「主よ、助けて下さい。」と叫んだ時、
すぐに、イエス様は手を伸ばし、助けて下さった。

・・・・・・

その数日後、突然の大変心配な出来事が起きた。
不安と思い煩いは増して行く。

その時、
「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることは
ない。」
との御言葉が臨んだ。

心が、すうーっと、落ち着いて来る。
平安が与えられた。


“問題悩み”を見ると、主から目が離れるので、
思い煩い、不安、恐れの海に、ぶくぶくと
沈んでしまう。

御言葉を見ていると、問題から目が離れ、
御言葉は、霊であり、いのちなので、心の波を
おさめ、平安にされる。
御言葉の力を経験した。


・・・・・・・・・・・・

Bさん
先日、お店に、電話注文しておいたテイクアウト
食品を、予約時間に、受け取りに行った。

すると店員の何かの手違いで、出来ていなかった。
ええーっという感じで、又、混んでいて、かなり
待つようになった。

何だか、イラっとして、文句の一つも言いたく
なるが、その時に、

「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を
抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。」

御言葉が来た。すると、心が落ち着いて、平安
にされた。

その直後、店員が「すみません。お待たせして。」
と言いに来た時に、にっこり笑顔で、「大丈夫
ですよー」と言えた。

御言葉の力を経験した。


2023年07月13日(木)
  「相手の立場に自分を置く」

Aさんが証しをしてくれた。

普段から何かとトラブルの多いBさんがいて、そのBさん
が大変な状況にあり、祈りの要請が回って来た。

でも、Bさん自身の問題もあり、そのようにしたら、
当然そういう結果になるだろうと、思えてしまう。

今回も、自業自得ではと、思ってしまう自分がいた。

何だかもやもやして、祈れない。
しかし、祈りの要請が来ているし。
悶々となっていた。

丁度その日が、教会の集会があり、出席した。

メッセージを聞いていても、自分はこのままで良い
はずはない。
しかし、さばく自分がいて、どうにもできない。

しかし、神様の御心を行ないたい!
喜ばれる歩みをしたい。

このはざまで、どうにも出来ない自分を、このまま
神様に明け渡しますと決心した。それが平安だった。

主におゆだねして、祈り始めた時に、「自分がBさん
の立場だったら?」との思いが臨んだ。

まさに神様だった。

相手の立場に立って考えることが無かったし、出来
なかった。
突然、涙が溢れて、自分なら絶対に耐えられないと、

Bさんのために泣きながら、助けてあげて下さいと、
必死に祈っている自分がいた。
自分で驚いた。

その後、「見事に解決した」との祈り感謝の連絡が
回って来た。


自分では祈ることも出来ないが、祈りが上から与え
られたことに、自分自身が驚き感謝で溢れた。

・・・・・・・・

★★
後ほど、愛するとは、自分を相手の立場に置くこと
だと学び、

まさに、自分を明け渡した時に、主がして下さった
ことに、更に恵まれた。、


2023年07月07日(金)
  「窮地の祈りに答えられて」

祈りについて語り合っていて。

以前、Aさんに、小学中学年の息子君がいて、
学校から帰宅後、ちょっとした事でバトル
になり、親子げんかになった。

言う事を聞かない子どもに、腹が立って、
もうカッカして、言い合いになってしまった。

子どもも反抗的になっていて、双方で怒鳴り
合いとなり、すると、子どもが「家出してやる!」
と怒鳴り、怒って家を出て行った。

親の方も、腹が立っていて、何とも思わなかった。
どうせ友だちの家か、公園にでも行くのだろうと、
思っていた。

その内に帰って来るだろうと。

段々夕刻になって来た。まだ帰っていない。

当たりが薄暗くなって来る。陽が落ちて来て、
暗さが少しづつ増して来る。

・・・・・・・・・・


さすがに、どうしたのだろうと気になって来る。
いつも行く、親しい友人たちの家に電話した。

するとどの子の家にも行っていない。友人の子
たちは皆、家にいた。

何かしら、暗さの加減もあり、どっと不安に襲わ
れる。
車を出し、いつも行く公園や原っぱ、お店やら
回る。しかしいない。

どんどん不安が増して、何度もそれらのルートを
車で回り、少し足をのばして捜し回った。

しかし見つからない。そんなに広い地域でなく、
もう捜す所が無い。

街には、灯がともるようになり、もう不安と恐れ
に襲われ、パニックになる。

後悔の念で、心が痛んで来る。自分は親で、相手
は子どもなのだから、諭して、教えなければなら
ないのに、子どもと同レベルで、けんかをするな
どと。

・・・・・・・

赤信号で止まった時に、心底から神様を求め、すが
り祈った。涙が出て仕方がなかった。

親として間違っていました。どうか子どもが見つか
りますように。この身に代えてでもお願いしますと、
切に、心の底から祈った。

青になり、祈りから頭を上げると、何と!その
信号の所に、子どもがいたのだった。


神様に心からの感謝を献げた。

心底の叫びに、求めに、祈りに答えて下さる神様
を経験して、喜びと感謝で溢れた。



2023年07月05日(水)
  「無駄は一つもない」

Aさんが病気の発症で、苦しい時期があった。

思うように動けず、様々な事柄に制限があり、
足かせとなり、又、身体自体も辛くしんどい
状況だった。

数年間、続いた。手かせ足かせの生活状況に、
悶々状態だった。
神様のご計画があり、神様の御心が最善であり
と、頭ではわかるのだが、

実際にしんどいので、辛くて仕方がない。

一日一日が、何とか過ごせている状態だった。
頭ではわかるのだが、心が重かったり、身体
はしんどかった。


そんな日々を経て、


今、

神様がよくわかる。それらの苦しかった日々
を支えて下さっていたことを。

ずっと守って下さっていた。状態はぐんと良く
なるわけではないが、悪くなっていない。

悪くなったとしても不思議はないのに、維持され
ていて、キープされている。

神様の御手に守られていることを感じ、認識した。
心が平安にされた。御手の中にある感謝と喜びが
湧いた。

それを知るためにも、この数年が必要だったのだと。
苦しかったが、試練であり、神様に無駄は一つも
なく、

そこを通ったからこそ、しっかりと神様に抱かれて
いること、何の心配もないことを知らされた。


そして、今後の、残された人生も、どれほどかは
わからないが、不安も心配もないことを教えて
下さった。


ほんとに、その時はわからないが、すべてがご
計画の中であることを見せられる。


2023年07月03日(月)
  「どうしても欲しい・・」

祈りについて語り合い、交わっていた時に。

Aさん「ものすごく欲しいものがあって、どう
しても欲しい、死ぬほど欲しい、手に入れたい
ものがあると、

神様に祈るのですが、もうそれしか思いに無い
ので、それだけなので、与えて欲しいばかりで、
何も目に入らない。

それが手に入らないと、祈りが答えられないと
思い、いつまでかと、失望落胆する。

また、与えられそうな状況になるが、やはり
与えられない、その繰り返しになって、もう
真っ暗になる。

何で?何で?与えてもらえないのかと、不満
や焦りが募って、落胆ばかりになる。

何で?何で?もう、どうしても欲しくて、それ
が思いや感情がマックスになった時に、突然
御霊が気づきを与えて下さった。

欲しいものさえ、手に入ればよいのなら、偶像
の神でも、サタンでも何でもよくなってしまう。
ほんとに、どこまで行くかわからない。

心底恐くなった。偶像まで行ってしまうでは
ないか。
道をそれている事に気づかされた。

本当に感謝でした!!神様にゆだねる事ができ
て、その後、もうあれほどの執着が消えてしま
った。」


・・・・・・・

Bさん「わかります!例えば、病気が治りたい
一心でいる時、わらをもつかみたい。治して
くれるなら、もう何にでもすがりたい。

すごくわかる。神様に祈って祈っても、病気が全
く治らない。
がっかりしてしまい、失望落胆ばかりになって
しまう。

そこも通りながら、尚も祈り続けていた時に、
病気のいやしだけを、その一点だけを見つめる
のでなく、プロセスや、神様のみこころに目を
広げて行った時に、

様々な祝福に気づかされた。
苦しいから祈りに祈り、何より祈らせて下さっ
ていること。

ますます祈りが与えられていること。
そして、求めと願いだけでなく、感謝が与えら
れたこと。

感謝に導かれ、感謝に目が向くようになり、感謝
して行くと、更に、感謝すべき事を与えて下さり
変えられて行った。



2023年07月01日(土)
  [よくなりたいか。」

Aさんが話してくれた。

Aさんは、以前からのトラウマがあり、時にうつっぽい症状
になった。しかしそれは重くはなく、薬を飲むほどでも
無かった。しばらくするとと、回復し、時折り起きる波の
ような感じだった。

その時は、家事も育児も何もできず、ただ横になって
いた。気力がなえて、失せて、とにかく起き上がる
事もできなかった。

朝から晩まで布団の中から出れなかった。何も出来
なかった。夫が仕事をしつつ、子どもたちを見てい
た。子どもが小さい時は、大変だった。

それは信仰を持った後も、続いていた。少し日が
たつと自然におさまって行っていた。

その事を祈りに持って行き、祈っていた。
その中で、御霊の気づきを与えられて行った。
確かにトラウマがあり、そこから何かが起きると、
それが原因となって、うつっぽくなっていた。

現に確かに、傷によるものがあったが、それは事実
だが、そこに肉が乗じて、頑なな自我があって、
そこにいるのが、肉が、楽で心地良い、自分の弱さで
ある事に気づかされた。その通りだと思った。

夫とうまく行かなくなった時に、そこのところを
指摘され、ほとんどの負担が夫にかかっていたと。
その通りだった。

自己憐憫の殻に、逃げ込み、そこは本当に楽だった。
ずっと甘んじていた。

自分の肉を、自分ではどうにもできず、主に祈って
いた時に、ベテスダの池の38年、病にいた人に
「よくなりたいか」と主が声をかけられた。

主が同じように、自分にも「よくなりたいか」と
み声をかけて下さっていることがわかった。
迫って来た。

「よくなりたいです」と答え、弱さをもったありの
ままの自分を、主にゆだねた。

その時から、自分が変わったことを感じたと。
時に失敗もするが、心の底に静かな川のように平安
が流れていて、それが決して無くならないのだと。



そして遠方で、歳月をへて、中高年と年を重ねて行き、
交わる機会があった時に、ふと、

「Aさん、昔、布団から出られなくなって、悩んで
いたいたのは、良くなった?」と聞くと、



喜びに満ちた快活な表情になり、

「あれは、完全にいやされたよ!!全く無くなった。

『よくなりたいか』と問われ、『よくなりたいです』
と応答しただけなのに、

その通りに、本当にいやして下さったよ。神様すごいね!」


主のみわざ!!!