2023年11月17日(金)
  「弱さの内に、神の力が現れる」

今週、Dさんが平日の集会に出席感謝だった。

いつもは仕事だが、今日は代休で、集会に
来れましたと。

30年ほど前、Dさんは、大変な病気を発症。
心身、ダウンで、治療を受けながらも、

どうしても集会にだけは、何があっても来た
いと、心身きつい中、ずっと休まず出席され
びっくり。

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無理しないでと言うも、集会が支えといやし
にされているのでと。

御言葉と交わりによって、すごく励ましと慰
めを受け、これがあるから、支えられてい
ると。

私たちもすごく励まされて、交わりが嬉しく
大きな喜びであった。

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少しづつ〃回復が与えられて、驚くばかり
に元気になり、神様の栄光を見せられた。

やがて順調に回復、数年後、子どもたちの
お世話をする仕事につき、追いかけ走り回
って、勉強の指導に、対応に、用いられ、

今もずっと元気に仕事ができていて、皆で、
驚くばかりの神様の力を見せられている。

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「あの頃は、もう死ぬほどしんどかったです」
と、今では笑いながら。

「あの大変さの中で、休まずにずっと集会
に集っていたね」

「もう、どうしても来たかったんです。
這ってでも。唯一の大きな支えでした」

皆が、「あの頃のDさんを知っているから、
もう、それは、ただただ主の栄光、神様
の素晴らしさを見せられます。

本当に驚きで、すごいです」

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恵みが十分で、弱さの内に神の力が現わ
れることを、目の当たりに見せられた。





2023年11月16日(木)
  「耐えられる試練」

Aさんも「耐えられない試練はない」ということ
を経験させられた。

Aさんは進路を選ぶ時に、祈りつつ自らが好き
だと思え、生かされると思える分野に進んだ。

その専門の学びをし、実技を身につけ、その
職に就くことが叶った。

しかし、実際に仕事についてみると、段々と
思っていたものとは全く違っていた。

思い描いていた、自分がしたい事柄とは方向性
が全く違っていた。

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自分はじっくりと時間をかけて、丁寧に作り上げ
たかったが、時間の制限の中で、スピードばかり
を要求され、段々疲れてしまった。

しかし、一旦、自分が始めたからには、すぐに辞
めることはしたくなかったので、数年勤め上げる
ことができた。

仕事自体や対人関係の試練もあり、非常に
辛い日々であったが、

結果的に、乗り越えさせてくださった。
そこを通ったからこそ、今があると思える、訓練
と学びの時とされた。

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辞めるに時があり、主の時がきて、平安に辞す
ることができた。

そこでしか得られない、訓練と多くの学びを与え
られて、心から主に感謝できた。

「耐えられない試練はない」ことを身をもって
知らされた。

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やがて、自分が思っていたものと、全く違う
分野の仕事に、不思議に導かれた。

しかし、以前と違い、思いのほか、自分
にフィットし、好きだと思え、やりがいのある
仕事だった。

試練は与えられるが、必ず益とされること、
そして、また恵みが備えられていることを
知らされた。

感謝にあふれた。





2023年11月10日(金)
  「どう与えて下さるか、楽しみ」

Bさんが、経済的なことで不安を覚え、
共にお祈りしていた。

以前の、Cさんの事を思い出した。

Cさんは、教会へ来た時に、少しして妊娠が
判明、事情を抱え、シングルマザーとして、
出産することになった。

Cさんは、今まで10数年ずっと、会社で
働いて来たので、必ずその月の下旬に収入
が入って来た。

入らなかったことは、ただの一度も無かった。
働いて、決まった給料が入るという、生活を
送って来た。

今回、臨月となり出産のために、一旦職場
を辞した。

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全く収入の無い月末を、生まれて初めて
経験する事になった。

上の子を抱え、生活はどうなるのか。

初めての事で、恐怖で、大変なパニックになった。

神様が必ず与えて下さるから、絶対に大丈夫!!
100%大丈夫!!
ずっと経験してきた。必ず与えらえるからと。

幾ら言っても、もう恐怖が収まらず、どうにも
ならなかった。

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すると、出産が近づいた頃、多くのクリスチャン
たちから、無名で大変な額の愛の献金が届いた。

無事出産できて、半年以上も、働かずとも、
母子3人で生活できる、充分な費用だった。

Cさんにとって、初めての経験だった。

神様の養いを見せられ、経験させられ
大きな驚きと感謝であった。

Cさんはそれ以後も、お金が無い時に、必ず
与えられ、その繰り返しを何度も〃も通り、

Cさんの口から言葉が出た。

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「今回は、神様がどのように与えて下さるか
期待と楽しみなんです」





2023年11月06日(月)
  「神は良い方・最善しかされない」

Aさんが、普通に検診受けた中で、影が写り
重大な病気かもしれないので、精密検査に
なった。

たぶん大きな事になるかもと、医師から言われ、
今の時点では、全然わからないのに、
不安になった。

皆で祈った。
大きな事で無いように、重病で無いように、
きちんと結果がわかるようにと、心を合わせ
て祈りを献げた。

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検査日はまだ先で、帰宅して、穏やかにに日
を過ごしていた。

するとある夜に、突然、ものすごい不安と恐れに
襲われた。
死をも覚える、恐ろしさに、恐怖に飲み込まれ
そうになり、恐くて、恐くて、たまらなかった。

サタンが襲って来ていた。

その時に、恐怖を祈りに持って行き、主の御前
で、心を打ち明け、心を注ぎ出し祈った。

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そうすると、神様は良いお方で、良いことしかされ
ない。

神様は最善をされ、最善以下はされない。

その事が、しっくりと心に来て、どうであれ、自分に
とって、自分のために、良いようにして下さる!

それを、心から信じることができた。

すると、あれほど恐怖逆巻いた心が、すうーっと
平安になったのだった。

もし、重い病気であったとしても、主が共におら
れ、主と共に治療して行けばよいと思えた。
それも必ず助けて下さると。

恐れが来た時に、叫び祈ると、平安にされた。

祈りが聞かれたのだが、その前に、皆に祈って
もらった、その祈りの答えだとわかった。


2023年11月04日(土)
  「ゆだねた途端、主のみわざが・・」

Cさんも。

ゆだねる事の大きな祝福を経験した。

次から次への厳しい大きな試練が続き、パニック
に陥った。

その事柄が、初めて経験する事で、対応もわから
ず、何をどうして良いかもわからない。

対処するのに、何から始めるのかもわからず、
真っ暗だった。

Cさんの顔情が暗く、沈み、思い煩いでいっぱい
の表情だった。
しんどそうで、辛そうだった。

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対応を祈りつつ模索していたCさんが、ある日
会った時に、突然、笑顔が見えて、明るくて
別人になっていた。

使用前、使用後ほどの、変化にびっくり!!!

神様にゆだねたら、楽になりました!何だか
平安になったんです!!と。

そして驚くべきことに、するすると次々と目の前
に門が開かれて行った。

はたで見ていても、まさに神様のみわざだと
主の栄光だった。

一つ一つと、奇跡のように、目の前に道が与え
られて行った。

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Cさんは、主におゆだねしただけで、何もして
いない。

何もしていない中、目の前に次々と備えられ
開かれて行った。

Cさん自身も、平安なお顔で、笑い声もあり、
元気に対応、みわざを見せられた。




2023年11月03日(金)
  「ゆだねられない」

Bさんも。

教会へ来て、聖書の学びや、育児の学びをしている
中で、自分の間違いに気づかされた。

自分が良かれと思うことを、押し付けて来たことが
わかった。

子どもの「気持ち」を考えることがなく、思いが至らな
かった。

あくまで自分が、良かれと思うことで、子どもの気持ち
はどうだったのか、あれやこれやと押し付けた。

そして失敗をさせまいとして、転ばせまいと、歩む道筋
の石を取り除いて来た。

しかしそれは、子どものためでなく、自分のためである
事に気づかされた。
子どもが転ぶのを見る、自分が痛いからであって、
子どものためではない。

御霊が示して下さった。

聖書には、蒔き刈りの法則があって、蒔いたのもは
必ず刈り取るとあり、子ども失敗を刈り取って始めて
次に失敗しないように学べると知った。

そして、若い時にくびきを負うのは良いことで、山やら
谷やら、しんどい所も通ることで、初めて成長して行け
ることも。

試練は良いもので、沢山の学びを得ることも。

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そんな時に、子どもに大きな試練がやって来た。

しかし自分も心配で心配でたまらない。思い煩い
と不安に押しつぶされそうだ。

子どもを握り締めている自分に気づかされた。
ゆだねなければと思うのだが、できない。

自分が子どもを放すと、子どもの一生がだめにな
ってしまうように思うからだった。

教会へ来ると、また、そうする事が祝福なのだと
わかるのだが、帰宅すると、世にまみれてしまい、
元のもくあみった。

ゆだねられず、しかし心配、恐れ、不安で心はどう
にもならない。

苦しくてたまらない。自分にとっても試練で、
ただただ苦しい。思い煩いに、不安に、心配に・・
もうどうにもならなかった。

どうやっても、神様に渡すことができず、できません
〃と祈っていた。

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そんなある時、子どもを受け入れられている自分
に気づいた。

心から、ありのままを受け入れてやろうと思えていた。

心が平安になっていた。


どうしても渡せない、助けて欲しいと祈り続けていた
祈りを、神様が聞いて下さったのだと、わかった。

不思議だが、ゆだねることができていた。

主のみわざであった。

子どもは、生き生きとして行った。






2023年11月02日(木)
  「軌道修正してくださった」

Aさんが証しをしてくれた。

どうしても手に入れたいものがあり、絶対に無くて
はならない。無いなどと考えられない。

何が何でも、どうあっても欲しい。
絶対に欲しい。

そのものは罪では無いし、それを求めること自体も、
罪でも何でもなく、祈り続けていた。

あがき求めていた。祈りつつ、具体的な努力もし、
できる事はした。

しかし、与えられない。幾ら祈っても与えられなかった。

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自分はその願望を、手放すことが出来ないと気づいた。

つまり、神様に明け渡すこと、ゆだねることが出来ない。

なぜなら、神様にゆだねるという事は、与えられたら感謝、
でも、与えられなくてもOKですと、いうことだからだ。

それは出来ない。与えられなくてもOKは、受け入れられな
い。有り得ない。

祈っていた時に、御霊が気づかせて下さった。

この願望を、主に渡さなければ、自分は恐ろしいことに
なって、与えてくれるなら、悪魔でもよい、偶像でもよい
何でもよいことになってしまう。

御霊により気づかせられ、自分が道をはずしていること
願望に飲み込まれていること、恐ろしいことになって
いることに目が開かれた。

我に返れて、心からの悔い改めをし、自分は神様に
従って行きたいこと、御心でなければ、与えられなくて
よいこと、その思いを祈り、自分自身を明け渡しゆだ
ねた。

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すると、不思議が起きて、心が全く平安になってしまったと。

あれほど、悶々とし、苦しく、不安だった心が、なぎになって
しまった。

そして、そのものが、与えられなくてもよいと思えた。
心が変えられてしまった。


すると!!何と、しばらくして、そのものが与えられた
のだった!!

驚くべき恵み、祝福だった。

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何よりも、ずっと主が慈しみ、ずっと目を留めていて下さ
って、間違った方に行く時に、軌道修正して、導き返して
下さる、そのご愛に感謝と喜びに溢れた。




2023年11月1日(水)
  「明け渡したら・・」


遠方の親友が送ってくれた文章。
アーメン!!で、すごく恵まれる。

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こうべをたれ ひざをかがめ、申し開きもせず
あるがままを述べ
我を忘れ御前に語る。

神はいと良きかた、
わが肉はいと悪きもの
われひたすら求む
神の休みに入らんことを

かわきを潤され
揺らぐことなき安きを受く…わがたましい
ついに神にとらえられ

こころのあらそい
ついにやむ

神に守らるるわれ
楽きかな
静かなるかな

いとも親しく神に結ばれ
みこころのうちに

われありて
すべてのもの
いと穏やかなり。

・・・・・・・・・・・・


どうであれ、どんな問題であれ、主に明け渡すこと、
ゆだねることができたなら、

必ず本人は平安になり、自由になり
解放される。


主に渡せず、握りしめていることが、苦しみと
煩悶、恐れ、不安、思い煩いとなり・・

しかし自我は決して放さない。

ありのまま祈って行くところから、解決が
始められて行く。