2024年02月13日(火)
  「境界線」

Dさんが、近しい人が病気になり、心配で心配で
たまらず、心が相手にのめり込み、入り込んで
しまい、

自分も落ち込み、滅入り、もう体調にも来て、
病気になりそうだった。

このことを神様にもって行った時に、


境界線を乗り越えて、浸食していることに
気づかされた。非常に近いがゆえに、自分が無く
なってしまっていた。

境界線の学びを思い出し、相手の問題と自分
の問題をはっきりして行くと、心が落ち着いて
すっきりした。

自分にできることをして行けばよいと平安に
なった。
今は、何より祈ることで、相手のために祈る
よう、主は導かれているとわかった。


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別の形で、よくあるのが、「ノー」が言えない。

浸食して来る相手に、「ノー」が言えなくて、
ずるずる受け入れている内に、苦しくてたま
らなくなってくる。

別に用でも、大事な事でもないのに、ずるずると
付き合わないといけない場合、

自分にはすべきことがあり、時間が取られて
行く。

段々、怒りと恨みになって行く。

「ノー」をきちんと言えば、怒ることも恨みに
思うことからも守られる。

なぜ、言えないかは、相手が嫌な思いをする
のではと。
こちらも嫌われたくない思いも、あるかもしれ
ない。

しかし、自分がノーを、きちんと言わなければ、
相手のノーも受け入れることができない。

色々考えさせられる「境界線」。




2024年02月10日(土)
  「罪は罪を引き出し、感謝は感謝を」

前回、Aさんが、Bさんからひどく妬まれ、存在否定
の言葉を投げつけられ、言葉の暴力であり、
ひどく傷つけられた。

暴力を振るわれると、身体が傷つくように、言葉は
心に深い傷を負う。

そして傷ついて痛いので、傷つけられた方も、相手
を嫌い、恨み、憎むようになる。

憎むことは、罪を犯しているので、平安が無いし、
心は辛く、苦しい。

罪は、罪を呼んで行く。

心が傷み、害毒が流れて行く。

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Cさんが、夫婦げんかになってしまい、怒りをぶつ
け合ってしまったと。

相手の欠点を責め、非を責めて行く。

相手の良いところも、いっぱいあるのに、けんか
になると、気に入らない点、腹の立つ点を攻撃
して行ってしまう。

すると、相手も、Cさんの欠点、非を責めて来る。
いかに相手が悪いかを攻撃する。

争いになり、怒りとなり、感情的になると、
売り言葉に、買い言葉、思ってもいないことまで
飛び出す。

修羅場になってしまう。


愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、柔和、自制・・・
など、ほど遠い、真逆のこととなって行く。

害毒、悪い実を結んでしまう。

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Cさんが気づかされたと。

こちらが御霊のものでなく、肉のものをぶつけて
行くと、相手からの肉を引き出してしまうと。

怒り、恨み、責め、自己中心、自我、自分勝手
保身・・・

悪いものをぶつけると、相手の悪いものを引き出
す。

逆に、感謝や信頼、思いやりを向けると、相手の
感謝、信頼、思いやりを引き出す。

良いものを向けると、相手の良いものを引き出す。

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肉の歩みでなく、御霊によって歩めるように、ですねと。、



“御霊によって歩みなさい。

そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなこ
とはありません”
ガラテヤ5:16



2024年02月07日(水)
  「妬みの恐さ」

「 憤りは残忍で、怒りはあふれ出る。
しかし、ねたみの前にはだれが立ちはだかること
ができよう。」箴言27:4

妬みの恐ろしさが、聖書の中でも言われている。

サウル王はダビデを激しく妬み、ヨセフの兄たちは
父親から偏愛されているヨセフをひどく妬み、

カインは献げ物のことで、アベルが受け入れられた
ことで、妬みにより殺害してしまった。

祭司長、パリサイ人たちは、民衆の人気が主イエス
に向かうのを妬み、主を十字架につけて行った。

妬みは恐い。妬みから憎しみとなり、実際に人を
殺して行く。

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Aさんが、立場と境遇的なことで、Bさんにひどく
妬まれた。

存在を否定される言葉を絶えずぶつけられ、ひどく
傷つけられた。

傷つけられると、Aさんも、Bさんを嫌い、憎むよう
になり、妬まれるのだが、自分も憎み、苦しくて
たまらなかった。

自分の憎しみに、いつも胸が苦しくて、痛んだ。

イエス様に出会い、その罪が赦されて、胸の奥
の痛みが消えて、平安にされた。

そして、自分も大人になった時に、Bさんの境遇と
立場だと、どんなにBさんは辛かったろうと思えた。

自分への妬みも、理解できた。

Bさんと和解ができて、心に休みが来た。


秩序が壊れることによって、Bさんの境遇も生じた
わけで、罪は、周囲の人々をも傷つけ、壊して
行き、罪は罪を呼んで行く。

主の十字架にのみ、解決があり、罪が止み、罪の
連鎖がストップする。


2024年02月03日(土)
  「ゆだねることができない」

「ゆだねる」事の難しさを語り合う。

事態が起きた時、まず不安と思い煩いでいっぱい
になる。
神様が飛んで、まず状況を見るので、とっさに
何とかしなくては、と思うからだ。

すると、問題がずっしりと自分の肩にかかるので
不安でいっぱいになる。

平安が無い。

その時に、祈らなくてはと気づき、神様に祈るの
だが、思い煩いは消えない。

祈るのだが、自分が問題を握って放さない事に
気づかされる。
だから苦しくて、平安が無い。

いつも学んでいて、ゆだねれば良いのは、よく
わかるが、頭のことであって、自我が放さない。

握りしめている。

放せません、自分では出来ません、無理です、
と、何やかや祈り、神様とやり合っている中で、

ギブアップに導かれ、自分では出来ないので、
神様がゆだねさせて下さる。

ゆだねることができると、不安が消える。
平安になる。

それを毎回繰り返しているだろうか。
自我がどれだけ強いかを見せられる。

ゆだねるとは、自分に死ぬことだと経験して
行く。
自分では出来ない。神の力。