2024年11月22日(金)
  「ケネディ大統領暗殺の真実」

60年前の11月22日。

中学2年生の時だった。

朝、起きると、普段は無いことに、テレビがついていた。
母が「ケネディ大統領が暗殺されたのよ」と言った。

画面には、突如の生々しい緊急事態が映し出されていた。
衝撃だった。

その日は、歴史上、初の日米宇宙中継の日だった。
その2時間前に、ケネディ大統領が暗殺された。

学校へ行くと、担任が、ケネディ大統領が暗殺されたこと
を話してくれた。担任の先生も大変なショックを受けていた。

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その日のインパクトが大き過ぎて、ずっと心にあり続けた。
「なぜ、殺されなければ、ならなかったのか」。

ウォーレン調査委員会は1964年、オズワルドの単独犯行
と断定した
齢を重ねる中で、関心は無くならず、調べに調べ続けて来た。
オズワルドの単独犯などでないことは、素人目にも明らか
だった。

トランプ大統領の時に、報告書が開示されたが、最後の数
ページだけが、最重要な箇所が、敵対勢力によって、阻止
された。大きな疑惑のままだった。

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4年前、2020年米大統領選挙の一部始終をネットで見て
いた。アメリカ在住の、クリスチャン女性からの要請によるもの
だった。

開票速報のテレビ画面が、逐一、映像に映し出されていた。

その目の前で、

テレビ画面のトランプ票が、ごっそりとバイデン票に移動した。
かの有名な「バイデンジャンプ」だ。白昼堂々と。

開票事務所で、水道工事をするからとスタッフ皆を帰らせ、
その後、テーブルの下から数個のスーツケースが出て来て、
ぎっしりバイデン票。

それが平然と監視カメラに映っている。平気。この怪。

あちこちトランプ勝利で、夜が明けて朝になると、バイデン勝利
に変わっている。未明にトラック山積みの不正バイデン票が到着。

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ネット民は、皆、それを目の当たりに見ていた。

「え!これがアメリカ? 未開の地の村の選挙か!」

正義を行ないたい人々が、目の前で殺されて行った。

悪魔にたましいを売った、沢山の議員たちの顔が歪んで変わって
行った。こんなにも顔が変わるんだ。


面白いことがあった。

三浦春馬君の自殺は絶対にあり得ない、自殺ではないと信じ、
調べていたファンの、少なくない人々が、
「え!春馬君の死を調べていたら、大統領不正選挙のサイトに
来た。何で?」と。(^_^)

春馬君の事件も、2020年不正選挙も、ケネディ大統領暗殺
も、根は一つで、すべてが繋がっていた。

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本当は、2020年の選挙も、今年同様トランプさん圧勝だった。

2016年からの4年間が、経済が回り、暮らしが豊かになり、
失業者が皆、仕事に就け、兵士と退役軍人たちへの対応
が大きく変わり、手厚く扱われた。戦争が一つも無かった。
戦争をしていない歴代唯一の大統領。
選挙公約を全部実現させた。
だから、国民はトランプさんに投票した。

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面白いことがあった。

逐一、大統領選挙の実際をネットで自分の目で見て、目を
日本のメディアに向けると、逐一、正反対、真逆のことを言っ
ていた(笑)

その瞬間、メディアは、今までずっとそうだったんだと気づいた。

4年前から、日本のメディアマスコミ報道は、一切、見なくなった。

トランプさんが、ずっと「フェイクニュース」「フェイクニュース」
と言っていた意味がわかった。

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4年間、水面下で、大きなオペレーションが行なわれていた。

事実、トランプさんは、圧倒的勝利で、大統領に復帰した。

4年前の豊かな経済、良い暮らし、様々な要因があるが、

国民が、メディアの嘘に気づいてしまって、嘘メディアに
「ノー」を突きつけた結果だとの、分析があった。

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トランプさんが、言った。

大統領に就任したら、
「9・11の本当のこと」「ケネディ大統領暗殺の真実」「地球規模の
小児人身売買の性虐待、臓器売買の真実」を機密開示すると。

60年目にして、ついに追って来た、ケネディ大統領暗殺の真実
が明らかになる。答え合わせの時が来た。


2001年、アメリカ旅行で、不思議にアーリントン墓地のケネディ
大統領の墓に立った。感慨深かった。


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2024年11月13日(水)
  「いやされる」

Cさんが、一人の相手から、辛く当たられていた。

言葉の攻撃を受け、自分が否定されることに、
ひどく傷ついた。

ただ、しかしCさんは、その相手がいかに過酷な
状況にいて、その生い立ちも、到底自分なら耐え
られないようなものである事を知っていた。

相手の余りの凄まじい心の圧迫や、重圧感を思い、
自分にしか当たる所が無かったのだろうと、怒り
より、かわいそうに思えた。

不思議な感覚だった。

神様の働きだったろうか。

今では、齢も重ね、良い関係とされている。


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Dさんは、ある相手に、嫌われていると感じて
いた。
自分のことが嫌いなんだろうなと。

トゲのある言葉や態度に、ひどく傷ついた。
心を剣で、刺されるようだった、

相手からの攻撃に、傷つくのだが、一番
辛かったのは、自分の心の内の思いだった。

相手への、憎しみ、恨み、敵対心、裁き、
それが、心を苦しめた。

胸が辛くて辛くて、苦しくてたまらなかった。


相手への憎しみは、相手でなく、自分が苦しい。
胸の奧が、辛くて、苦しくてたまらない。心の中
に闇を抱えているようで、心が刺されるようだった。

人を恨み、憎むことの苦しさを思い知らされた。


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祈りに、祈っていた。

そんな中で、イエス様が十字架で打たれて
下さった傷によって、いやされると語られ、

イエス様の傷と自分の傷が重なった。

イエス様が、自分の傷を引き受けて下さった
のだと思った。

何もかもを引き受けて、十字架で苦しみを
受け、苦しみを飲み干し、死んで下さった。

イエス様の十字架を思う時に、不思議に
心が、落ち着いて行った。






2024年11月12日(火)
  「自分ではなく、御霊によって」

Bさんが、同じような経験をした。

子育てが一段落し、出産後、中断していた、大好きな趣味
の教室へ、再び通い始めた。

嬉しくて、喜び持って通っていた。

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ところが、数ケ月経た頃、一人の人から、攻撃を受けるよう
になった。
挨拶を返してもらえず、無視され、嫌みな言葉が投げられ、
もろに、いじめだった。

辛くて〃、帰宅しては、涙があふれた。
辛くて、祈るのだが、いじめは一向に止むことがなかった。

そんなに辛いなら、教室を辞めればようにだが、
講師がその道の熟練者で、どうしても習いたかった。

その日も、帰宅し、涙で、ひたすらこの事の導きを求めて、
祈っていた。

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すると、御霊により、色々な光景を思い出させられた。

自分は、ずっと以前から習って来て、年月をかけた下積み
の訓練があったので、今の教室の人々とはレベルが違って
いた。

上手に、巧くできるので、一人目立ってしまっていた。

それがその相手は、妬ましかったのだと。合点が行った。

そして、こんな自分みたいな者を、妬まなくてはならない
相手がかわいそうに思えた。

あんなに辛かったのに、自然に、相手の祝福を祈って
いる自分に驚いかされた。


自分でなく、御霊によることであった。


心から相手の人の祝福を、祈れて、心がすっきりし、
晴れやかになった。

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翌日、教室に行った時、心に平安が満ちていて、
自分サイドとしては、全く問題無くなり、普通に、穏やか
に接することができた。

そして、大好きな趣味のけいこ事に、心を注いで集中
できた。

神様のみわざを経験させられ、その事で、感謝と喜び
であふれた。





2024年11月11日(月)
  「その裏にあるもの」


以前に教会学校でスタッフをしていたAさん。

難しい子がいて、他の子たちに、ちょっかいを
かけては、もめ事を引き起こしていた。

わざと、人に嫌がられるような事をする。
それが乱暴で、余りに目に余るので、注意をするが、
一向に収まらない。

聖書のお話をする時にも、騒ぐので、他の子ども
たちが聞けなくなる有様だった。

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いい加減、イラ立ってしまい、又、なすすべなく、行き
詰まってしまい、祈りに祈っていた。

すると、祈っていた時に、ふと彼の家を訪問して
みたらとの思いが来た。

お母さんに会ってみたいと。家庭での様子を聞いて
みたいと。

御霊の導きと確信できて、彼の家を訪問した。
すると母親が、迎えてくれて、話をする事ができた。

教会学校に受け入れてもらえて、有難いと思って
いると、母親は心を開いてくれた。

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シングルマザーで、苦労して働き、子どもを育て
ていた。生い立ちや、今の状況も話してくれた。
母親自身も、苦しい状況で、苦労に苦労を重ねて
いた。

彼の置かれた、過酷な状況を知り、驚き、愕然とし、
逆に、よくこれで収まっていると、思えたほどだった。
涙が出て、執り成しの祈りを続けた、

彼を見る目が全く変わり、御霊からの愛が与えら
れた。自分が変わったからだと思うが、それから
彼は変わった。

乱暴な振る舞いや、他者への嫌がらせが消えた。

笑顔が見え、教会学校の中で、楽しげだった。

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★八方ふさがりの時は、とにかく祈りに持って行くこと。


天は絶えず開かれていて、主は事態を導いて下さる。
主は手段を持っておられる。

その中で、主の示しに従うなら、必ずみわざをして
下さる。









2024年11月10日(日)
  「受け入れること」

信仰人生の中で、試練は必ず来るし、大きい試練や
些細な問題や、次々と来る。

やっかい事、もめ事、面倒な事、痛い事、心配な事、
不安案件・・が起きて来る。

聖書は、試練があると、言っている。


その試練の時に、二つの方向に分かれてしまう。

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一つは、試練を試練として受け入れない。
自我が妨げる。

すると、問題がそこにあり、そのやっかい事が
次々と起きる。
愚痴と不満で、いっぱいになる。

問題しか見えなくて、神が見えない。「何で!何で!」
にしかならない。

痛いばかりで、目に見える状況や、目に見える人に、
更に不満と怒りが募る。

平安が全く無く、心は沈み、落ち込むばかりだ。

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もう一方は、目の前の事を、神からの試練と受け
とめる。神からのものだと。

“あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ”

“そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる”
箴言3:6

“わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。
主に責められて弱り果ててはならない。へブル12:5

主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべて
の子に、むちを加えられるからである”

“だれでも、受ける懲らしめを受けていないとすれば、
私生子であって、ほんとうの子ではない”

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目の前の悩み、問題が、神が与えている試練だと、
受け止めた時に、見方が変わる。

祝福が見えて来る。

教えようとされている事が、見えて来る。

問題に、主を認めることをしない間は、絶対に見え
ない祝福だ。

沢山のことに気づかせ、教え導いて下さる。

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“苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした、

私はそれであなたのおきてを学びました”詩篇119:72



後の日に、しあわせだったと、言えるようにされる。

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「受け入れること」が自我があらがい、非常に難しい
ので、そうできるよう祈ろう。


2024年11月09日(土)
  「実は、苦しみこそが、祝福」

以前、ある青年A君が、妹さんを教会に連れて来た。

イエス様を信じて、永遠の天国へ行って欲しい、
救われて欲しい一心だ。

妹さんは、嫌ではないから教会へ来られ、御言葉
も聞かれる。

ただ、「お兄ちゃん、私は、今、お腹がいっぱいなん
よ。だから、どんなに美味し後馳走を持って来られ
ても、食べられないんよ。満腹状態だから。」と。

好きな仕事をし、やり涯いがあり、充実している
毎日で、更に趣味の道も、楽しくてならない。

今、楽しくてたまらず、心満腹状態だ。

神様が必要無い。また将来いつか、悩みの時に
イエス様を知られるかも知れない。

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悩みや、苦しみは、痛くて辛い。

しかし、逆に、大きな恵みだ。自分の無力をとことん
知らされ、助けが心底必要で、知恵や力が必要だと
知らされる。

初めて、救いを求める。

多くの人々が言う。

「苦しみがあったから、悩みがあったから、神様の
もとへ来れた。」

「あの辛かった事、この試練が無かったら、神様の
もとに来ていない。」

「絶対に来れなかったと思う。必要が無いから。
この世に。どっぷり浸かって、人生それで終わり
だったと思う。」

「この世を楽しんで、神様には絶対に向いていない。」

「振り返る時、あれほど苦しかった問題、出来事が
感謝だった。」

「あの悩みがあったから、神様のもとに来れた。」

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苦しみがあったからこそ、砕かれて、神様の前に
へりくだることができた。

そして、永遠の救いを与えられ、受け取れて、何
にも代えられない、一生の素晴らしい宝を得た。

生きる意味を知り、生きる目的を知り、死後はどう
なるのか、真実を知った。

心に喜びが与えられ、平安も味わった。

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クリスチャンのBさん

「試練は痛いし、嬉しくなく、嫌だけど、苦しみの
時、試練の時が、一番神様に近かった!!」

自我に砕かれて、初めて、神様を知って行ける、


苦しみは、感謝で、祝福だと思える。

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苦しみが、私たちを、神様のもとへ連れて行って
くれる。



2024年11月05日(火)
  「血」

出エジプト24章を読んでいて

「全焼のいけにえをささげ、また、和解のいけにえとして、
雄羊が主にささげた。

モーセはその血の半分を取って、鉢に入れ、残りの半分
を祭壇に注ぎかけた。

そして、契約の書を取り、民に読んで聞かせた・・

そこで、モーセはその血を取って、民に注ぎかけ・・」

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血による契約の書、血を民に注ぎかけ、

主イエスの血まみれの十字架、血を注ぐことなしに
罪の赦しはない。

血による罪の完全な赦し、主の流された血潮。

主への聖い畏れを覚える。

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Aさんが、話してくれた。

若い時に、イエス様を信じ救われた。
その頃は、喜びがあり、教会生活が楽しく、喜んで
教会に通っていた。

ところが、進路で、人間中心の、肉の判断で、自分
の思いで選択し、みこころをそれてしまった。

心の奧では、うすうすわかっていたが、世の欲に
負けてしまった。

教会へ行かなくなり、主から全く離れた生活を
していた。

経済的には豊かなで、恵まれていたが、でも、
全く平安は無かったと。

主のあわれみと、導きにより、クリスチャン友人
を通して、また、教会に戻れた。

主は引き寄せて下さり、主を求めさせて下さった、
主のあわれみだった。

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そんなある日、一人でリビングにいた時だった。

突然、昔の出来事が、思い起させられ、自分では
何とも思っていなかった事が、罪だと、はっきりと
示された。

御霊の強い働き、光を感じ、神様を感じた。

その場に、神様を感じ、聖い畏れでいっぱいに
なり、その場に、ひざまずいて、祈ったと。

こんなに神様を感じたのは、初めてのことだった。

悔い改めて、罪を赦していただいた、平安に
身も心も、包み込まれた感じだった。

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「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために

刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。

彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、

彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」
イザヤ53:5








2024年11月01(金)
  「途中下車した」


以前、何年か前に、共産圏伝道をされている宣教師
の先生と話していた。

共産圏では、ネット検索に、不都合な真実はかから
ない。はなから、不都合な検索は、コントロールされ
ていて、出て来ない。

「ネット時代の若い世代は、ネットで世界を見れるわけ
で、そういう圧力による隠ぺいとか、反発感じないの
ですか。嫌じゃないですか。」

と質問を投げかけると、2,3秒 じっと考え込まれ
るようなお顔で、

「いや、どうにでもなります」との答え。


どれだけ隠ぺいしようとしても、不可能と。ネットが
ある限り、隠ぺいは出来ない。止められない。
どうにでも出来ると。手段があると。

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まさしく、それが真実だと知った。


世界中で、おびただしい真実が、隠ぺいされていて、
最近、ネット上で、どんどん機密開示されている。


何10年前か、ネット開始時と共に繋いでいたので、珍しくて、
色々と見ていた時に、様々内部告発等で、すでに出ていた
ものだった。


自由に、個人の思いを、信念を、表すことのできる
初めての場だった。


以前に聞いていたことが、やはり真実であったこと
に驚愕し、もし、ネットが無かったならと思うと、ゾッとし、
空恐ろしくなった。

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神は、必ず、一条の光のように、細い声で、真実を告
げておられると、信じることができる。


ある人が、マスコミが、メディアが、敷いたレールを走る
電車が変で、目的地もおかしいと、途中下車したと。


私も、途中下車した。

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「隠れているのは、必ず現われるためであり、
おおい隠されているのは、明らかにされる
ためです。」マルコ4:22