2025年05月17日(土) 「高慢が砕かれて」
試練について、話し合っていた。 <Aさん> 試練は苦しくて、辛くて、涙、涙で、非常に痛いの ですが、振り返ると、ほんとに感謝です!! 苦しみゆえに、神様に、すがりついて、助けを求め、 頼り、祈りに祈らされます。 これ以上祈れないほど、祈り、その祈りの中で、結果は 見えていないのに、大丈夫だと思えるから不思議で、 感謝です。 自分自身が落ち着いて来て、試練を受け入れられる ようにされます。 しばらくすると、ほんとに良きに導かれます。 いつもそうなんですよね。 状況に変化が出てきたりします。 ・・・・・・・・・・ いつも、試練で、神様に近づけられました。 順境だと、問題が無いと、ほんとに頼らないまま 進んでしまい、祈らないまま日を過ごしで、 それって、自分の力で生きて行けると思っている からで、高慢ですよね。 頼らざるを得ない状況を、与え続けて下さったこと に感謝です。 ・・・・・・・・・・・・・ 試練の大きな恵みは、もし試練が無ければ、どんなに 高慢になっていたかと、恐ろしいです。 あの時も、この時も、砕かれました。 涙、涙で、主に助けを求め、練られました。 主を頼らないことが、高慢ですよね。 自分の力に頼り、自分で出来ると思うこと。 振り返る時、試練での砕きが、感謝でならないです。 ・・・・・・・・・・ <Bさん> 同じです。もう、何を、どうしてよいかわからない、 どん底を通ったことも、何度かありました。 食事ができず、不安と恐れしかなく、最悪のシナリオ を描いて、もう恐怖でした。 ただあだ、祈るしか無く、神様にしがみつく感じでした。 でも、何度かの苦しい試練は、乗り越えさせて下さり、 本当に神様の最善をして下さいました。 神様を知っていて、本当に良かったと心底思いました。 神様を知らなかったら、どうなっていたかわからない です。
2025年05月16日(金) 「初めてのカンボジア」
クリスマスプレゼントを運んだ、 その2年前位、2005年に、初めてのカンボ ジア宣教の視察に。 ・・・・・・・・・・・・ 乗り換えが必要で、マレーシア経由で、ずっと祈 って来たカンボジアが眼下に見えた。 ワクワクで、初めてカンボジアの地に降り立つ。 3月で、日本はまだ膚寒かったが、現地は暑い! 空港で、入国の際にその場で、ビザを取得する。 大勢が、窓口にわあ〜と押しかけ、びっくり! 当時のプノンペン国際空港は小さく、国際空港 だが、広島の山の上の空港ぐらい? 迷子になる心配の無い空港。 ・・・・・・・・・・・ 外に出るや、カルチャーショック!!! え? 道端の両サイドが、ゴミの山また山続き!! それが道路に沿って延々と続く。 市の清掃車は無いようだ。 タクシーに乗り、次のカルチャーショック! 運転手さんが英語ペラペラ!! え? あんなに英語を勉強しても、喋れないのに(>_<) ・・・・・・・・・・・ 街へ出て、3番目のショック!! 皆が皆、車もバイクも、警笛音を鳴らしっぱなし!! ブーブーガーガー、ずっと。頭、ガンガン!! 目が回る。すごいエネルギー!! 車は定員など無いようで、何人でも乗り、バイクは 赤ちゃん子ども、お母さん5人乗りも普通。 信号あって無いもの、逆走も普通。 上半身裸の子どもたちや、大人も、お金を求めて来る。 ホームレスか、道端に寝ている。 ・・・・・・・・・・・ 逞しく、サバイバルで、「生きてる!!」という活気 ガンガン溢れている。 どこかで見た光景だ!! 他の日本人も言った、「白黒映像で見た、戦後すぐの 日本の光景と同じだ」 「そう!!それ!!それ!」 私も「戦争を知らない子どもたち」で、戦争は知 らないが、映像で見た光景と同じ!! ・・・・・・・・ あれから20年、今はプノンペンも経済が回り、 発展している。 懐かしいカンボジア。 また、行きたいプノンペン。
2025年05月15日(木) 「祈っていたからの、即答」
18年前に、長男家族が、教会からカンボジア宣教に 遣わされた。 その年の年末。 当時、独身の次男が、年末だけ、まとまった休みが 取れるため、カンボジア訪問を予定したようだ。 教会の方々が、カンボジアへのクリスマスプレゼント を持ち寄って下さり、段ボール箱4ケほど。 送付しようと思っていたところ、 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 次男から電話がかかり。 「年末に、カンボジアへ行くので、持って行けるよ」と。 「え!!」 「カンボジアへ行くの?私も行きたい!!」 即答で、口から出た言葉。 「この時節で、チケットが取れるか、どうかわからない けど、明日朝一で、連絡してみる」と。 「取れなかったら、大丈夫なので」 ・・・・・・・・・・・・・・・ 一瞬、口から出たのは、ずっと「カンボジアへ 行きたい」と、祈っていたからだと思った。 祈りがあったからで、祈りの答えだと。 その夜、主の御心が成りますように、御心なら 与えて下さいと。祈った。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ そして、翌朝、連絡が来た。 「はい、最後の一席を、ご用意できます」と。 おおー!!!!! 最後の一席!! 神様有難う!!!( ^^) _U~~ ・・・・・・・・・・・・・・・ その年のことがきっかけで、結局、毎年 年末に次男とカンボジアを訪れることに。 10回以上行ったかな。 ・・・・・・・・・・・・・ あの、即答が不思議で、 あの時、どうしようかと、考えていたら、 後の、毎年の訪問も無かったかもしれない。 ・・・・・・・・・・・・・ 神様を、非常に感じた出来事だった。
2025年05月13日(火) 「御心に従うと、周囲にも祝福が」
日常生活で、神様の御心を求めるには、 @みことばと、A祈りによる心の平安と、B環境が 開かれることだ。 ・・・・・・・・・・・・・・ Bさん 「救われて、自分はまだ初心者で、みこころがよく わからない。 みことばを与えられる、ということも、よくわからない。 でも、神様に従いたいと思うし、御心を歩みたい と思う。 環境の閉じ開きで、求めたらいいんだよね。」 ・・・・・・・・・・・・・・ 「夫が、結婚記念日に、夫婦の時間を持ちたいと。 夫婦で旅行をしたい。 子どもは、見て下さる方に預けたいと」 双方、仕事で非常に忙しい毎日で、一日一日、 こなすのが精一杯で、確かに夫婦の時間、会話も、 持ててなくて。 子どもが心配だけれど、もし御心なら道が開かれ るのかなと。 御心に従いたい。 祈って、神様の閉じ開きを見て行きたい。もし、閉じ られるなら、それもOK!! ・・・・・・・・・・・・・・ 数日後、 「教会の、子どものいないご夫婦が、子どもが大好 きで、『是非、喜んで!!預からせて欲しい』と。 子どもたちも、普段からご夫妻にすごくなついて いて、子どもたちも、お泊りを喜んでいて。 子どもたち託児の、門が開かれたよ!! そして、 時節柄、取りにくい、飛行機のチケットが取れたと、 夫から連絡有り。 夫と私の職場の、休暇も取れて。 これ、環境の閉じ開きで、神様が門を開いて下さ ったんだね。 祈っていた、祈りの答えに感謝!!」 ・・・・・・・・・・・・・・・ 帰宅して。 本当に神様の祝福を感じたよ!! 仕事に追われる毎日の中、良いリフレッシュになったよ。 夫婦でゆったりとした時間を持てて、もう久しぶりに いろんな事を話せて、いっぱい対話ができて、 神様を感じた。 戻ると、子どもたちが、もう楽しかったと、大喜びで。 ご夫妻で、すごく考えてプランを立てて、楽しませて 下さったようで。 お礼を言うと、自分たちの方が大きな喜びを与え られて、まあ楽しませてもらったよ!! 神様に感謝でいっぱい!!と。 :::::::::::::: 「様に従いたいと、御心を求めて、従うと、 当事者も、周囲も、皆が喜びと祝福にあずかる んだと、ほんとに感謝だったよ!」と
2025年05月10日(土) 「導きがわからない時」
Aさん 「知り合いに誘われて、初めて教会へ行った時に、 初めて福音を聞いた。 自分の罪の身代わりに、イエス様が死なれ、自分 が受けるべき罰を受けて下さった。 父なる神が、ひとり子を与えるほどに、私を愛して 下さったこと、 初めて聞いて、信じたいと思い、招きの時に 手を上げた。 夫も手を上げて、夫婦が共に救われた。 不思議な、素晴らしい神様のみわざだった、 救われて、教会に行き始め、心に喜びがあった。 教会生活は楽しかった。 聖書を学びつつ、自分は赤ちゃんが大好きで、 教会で、赤ちゃんをお世話する役割も与えられ 又、教会での、人々との交流も楽しく、ずっと心に 喜びがあった。 神様が、特別に、救いの喜びを与えて下さって いたと思う。 。。。。。。。。。。 そんな時に、夫に転職の誘いが来た。 夫は専門的な技術を持っていて、それが認められ、 来て欲しいと。 救われたばかりで、主の御心や導きという事は、 まだわからなかった。 牧師に相談すると、まず夫婦の信仰が、ここで養 われ、確立して行くことが大切で、今は動かない 方が良いと言われた。 しかし、よくわからない中で、報酬は高額で、又 何より、夫は、専門分野で仕事ができる事が、 大きな魅力だった。 その誘惑に負けて、遠方に転職した。 ・・・・・・・・・・・・ Aさんは、まだ信仰についてよくわかってなくて、 その地の教会へ行ったが、今までの教会と 違い、全くなじめなかった。 そのため、教会に行かなくなってしまった。 夫は、残業も多く、仕事は高度でハードだった。 ヘトヘトに疲れた。 それでも、夫は何とか教会へ行っていた。 しかし、体力が持たず、日曜は行けなくなって しまった。 ・・・・・・・・・・・・・・ 牧師のアドバイスが、的確で正しかったと知った。 御心からそれて、心身共に、苦しい試練となり、 刈り取りとなったが、 主のあわれみは尽きず、 数年後、転職となり、主に立ち返れた。 ・・・・・・・・・・・・・ 信仰生活では、確かに誘惑が来ること、 祈りとみことばが大切で、主に御心を祈り求め ること、みことばを通して主の語りかけを 聞くこと、 よくわからない時には、助言者、導き手を備え て下さっていること、 学ばせられた。
2025年05月03日(土) 「受け入れること」
以前に、「ジョニー」という映画を観た。 ジョニーという女性が、水泳の飛び込みに失敗し、 脊髄を傷めるが、何とか命だけは取りとめた。 しかし、一生身体は動かないとの宣告を受けた。 その時に、絶望のどん底に陥り、死を願った。 「鏡に映る姿はとても人間ではない。窪んで 落ち込んだ2つの眼球は、血走ってどんより していた。 36キロの身体は、黄疸で黄色い皮膚に覆われ た、がい骨だ。 不気味に太った頭、歯も薬物治療のため黒い。 とても生きて行けない」。 絶望しかなかった。 ・・・・・・・・・・・・ しかし、周囲の祈りの中で、少しづつ励まさ れて行く。 時を経つつ「神がどう見ておられるかが大切。 人がどう見るかは問題ではない。 人でなく、神からの価値だけを考えよう」 との言葉に、自分が神の似姿に造られた事に 目が向いた。 自分のこの身体、格好、能力、出来る事、出 来ない事、自分で自分がどう見えたとしても、 信仰に立とうと決心した。 ・・・・・・・・・・・ 信仰により、自分の事を神に「感謝する」事 にした。 するとパズルが埋まるように、すべてのもの をふさわしい場所に置くよう助けられた。 そして、より良く神に仕え、より幸せになれる ように、神がこの身体を与えられたと受け取れた。 この事が無ければ人生最後まで、自己中心に生 きていたであろうと。 神が特別に自分に関与して下さった事に感謝 した。 ・・・・・・・・・・・ 今、喜びがあり、幸せで、自分を他のものに変 えたいと全く思わない。 奇跡だった。 感謝する事は、今の状況に神を認める事だ。 その時、神が働かれ、更に感謝に溢れる。 ・・・・・・・・・・・ 今の状況を受け入れること、すべての道 で主を認めること、 それが、主と共に歩む道であり、平安の 道だ。
2025年05月01(木) 「弱さを認める幸い」
以前、Aさんが、ホームページを開いていた。 様々な日常の出来事や、身の回りの事、自らの 思い、感じた事、身近な事柄を記していた。 その中で、神様に信頼して歩むことの平安、喜び、 感謝を綴っていた。 ・・・・・・・・・・・・・ 心配や不安、思い煩いを、神様が担って下さること、 主のもとに、荷をおろして歩めることの幸い、 Aさんはそれが嬉しくて、喜びであった。 神様にゆだねながら、神様と共に、この世を歩ん で行ける幸せを感謝していた。 喜び持って歩んでいた。 それを、ホームページに記していたら、 ・・・・・・・・・・・・・・ すると、何と、大パッシングを受けた。 世の価値観からだった。 他に頼らず。自分の力で生きるべきだ。 頑張らないで、どうする。 皆、しんどい中、苦しい中、頑張っている。 他に頼るのは、弱い人間のすることだと。 ・・・・・・・・・・・・・・ 自分が弱い人間だから、それを認めて、神様に 頼って生きて、それが喜びであり平安であり、 幸せそうであることが、許せない。 自分が頑張って頑張って、荷が重くてしんどくて 苦しい。苦しくてたまらない。 それが、そのままで幸せで、喜びもって 生きている相手を見ると、怒りがわき、憎しみとなる。 自力で生きると、苦しくて辛い、だから、何もして いないように見える人に、さばきになり、怒りとなる。 、 ・・・・・・・・・・・・・ しかし、主は、自らの弱さを認めて、主により頼むこと を、非常に喜んで下さる。 “主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。 というのは、 わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるから である。」と言われたのです。 ですから、 私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ 大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。” Uコリント 12:9 弱いまま、主のもとに行き、主が働いて下さる、 主によって生きて行けるとは、何と驚くべき 恵み!! 幸い!!祝福!!!