2004年03月24日(水) 大切な「気持ち」
ある先生、バイトをしながら、神様の働きをしておら れる。先日、とても心に残る話があった。 バイト先で、より良い仕事をして行くために、従業員 からの提案やアイデアを出せるシステムになっている。 「それで、職場で日頃、自分の思う事、感じる事を文 書にして出すと、ものすごく、びっくりされるんです よ。こちらにしたらまるで当然の事を、なぜそんなに 驚くのかに、驚く。(笑)」 「え?どんな事を言われるんですか?」「心の事なん です」 「教会では私達って、結局、いつも取り扱ったり、 考えたりするのは、心の事ですよね。それが職場では 全く無いんですよ。 だから、従業員の気持ちをもっと考えた方が良い、働 く気を起こさせるためには、気持ちを大事にすべきだ とか、又、喧嘩や争いが多くてね、皆が気持ち良く働 けるために、こうしたらどうかとか。 始業前に、標語を皆で、言うんですけど、ただの棒読 みで意味なんて全く考えて無いんですよ。 それも、せっかくするなら、所長がどうしたいのか、 どうして行きたいのか、ビジョンや思い考えをちゃんと、 自分の言葉で気持ちを伝えたらどうか。 提案の一つ一つにびっくりされて、いつも会社側の言う 事は、品質向上、生産性の向上、販売の拡大、利潤追求 物質のみで、心の事が皆無、全く無い。だから、私の言 うことが、ものすごく新鮮みたいで。 よく耳を傾けてくれて、実際取り入れて、改善してくれ るんですよ。又、私が、牧師だから、聞いてくれるとい う面があると思いますが。こんな面でも、用いられたら 感謝です」 とても印象的だった。 心、気持ち、それを一番大切にして、受け止めて下さる この神様を知っていることの、幸せをしみじみと思った。 ちょうどC婦人が「知人から電話があって、子供が志望 校がダメだって、結局すべり止めに行く事になって、冴 えん様子なんですよお。 子供は、納得してて、そこで頑張ると言ってるんですよ ぉ。子供が良いのに、親が不満で、そんなの子供がせっ かく頑張ろうとしてるのに、親の気持ちが伝わりますよ ねえ。かわいそうですよねえ。 それで、子供の気持ちが、一番大事なんじゃけえ、子供 がいいと言ってるんじゃけえ、いいじゃない。良かった じゃない。一緒に喜んであげんにゃあ。どこに行くかよ り、そこでどう頑張るかの方が大事なんじゃけえ」 「何やらかんやら話してたら、すごく喜んでくれて、 『あんた一人だけじゃわ。そんなふうに言ってくれるの』 と、感謝でした。神様を知ってて、本当に本当に感謝で ならないです」 by 多恵子
2004年03月23日(火) 世の価値観への二つの反応
今週メッセージの「種まきの例え」に関して、続け て話していた。 Gさん「道ばたの固い土地、私の事じゃー。ズキッ!! 心が固い事、感じます。いばらの土地も、自分。その 部分がすごく大きい。御言葉と共に、この世の価値観 や考えも、同レベルで入れてしまっていて、それが、 御言葉をおおってしまい、枯らしてしまう。 職場や近隣や親戚やら、すべてこの世に囲まれている。 “この世と調子を合わせてはいけません”とあるが、 この世界の価値観が凄まじい勢いで、襲って来る。聖 書と正反対。そして、“人はうわべを見るが、主は心 を見る”とあるように、この世界は外側のみ。心の中 のことに全く目を向けない。 自分は、聖書の価値観が、真理で真実だと思っている が、凄まじい勢いで襲って来る、この世の考え方に飲 み込まれそうになる。 ふっと我に返れたり、教会に来ると、正しい場所へ帰 れる。自分が、いばらが生えるのを許しているからだ とわかる。 どんどん生えて来る雑草を、きっちり抜き捨てないと だめだ、と教えられた。御言葉がおおわれてしまう事 を、本当に体験する。 Hさん「私は、この世の価値観が来る時、私は真理を 知っている、神様を知っていると、この世の価値観を 見下し、高ぶってしまう。そして、高ぶる自分に落ち 込んでしまう」 パリサイ人と取税人の祈りがある。 取税人は、「神様、罪人の私をあわれんで下さい」と 祈った。パリサイ人は「私がこんな取税人のような罪 人でない事を感謝します。私は立派な者で・・」と祈 った。 Kさん「よくやってしまう。自分は違う、そんな者で はない、外側で見栄で生きる者ではないと、自分がパ リサイ人になってる」 Lさん「私、もっとひどい。このパリサイ人の上を行 っている。私なら、こんなパリサイ人のような事はし ない。人を見下さないし、人をさばいたりしない。 ・・私は、取税人のような罪人でない事を感謝します と祈った、こんなパリサイ人のようでない事を感謝し ますと、心の中で言っている」 よくわかる。聖霊様が、心の中をいつも照らし出して 下さるので感謝!! by 多恵子
2004年03月22日(月) 幼子のような信頼
今日も、交わり盛り上がり、恵まれるは、お腹抱え て大笑いするは。 Aさん「この世界の価値観とどうしても同調できな い部分があると、自分は神様を知ってると、すぐ高 ぶってしまう。あのパリサイ人ですよねえ。それで、 自分は間違ってると、又、落ち込んでしまって」 Fさん「あ、わかる。でも、そんな時、祈ったり、 御言葉読んだりしていたら、その時々に、知恵が与 えられたり、示されたり、励まされたり、導かれま すね。祈りや御言葉から離れていたら、ダメですね え。どんどん落ち込んで行くばかり。やっぱりデボ ーションで守られますねえ」 Bさん「私、高ぶった者だったですよ。目がとても 良くて、視力が良かった。周囲の人にね、まあ、目 が悪いねえ、何で目が見えんのんね、と言ってた。 その私が、緑内障になって、まあ、へりくだらされ て。感謝です」 「昔、バプテスマ受けたいと言ったら、主人に、 『おや!まあ、あんた!それでもクリスチャン?』 と言われて、まあ、へこみましたよ。(笑)でも、 私も、高ぶってたんですよねえ」 「その主人も、癌になって、死を前にした時、心素 直にされて、神様を信じたんですよ。もう感謝で、 感謝で。神様の守りだったんでしょうねえ。死が不 安だとか、恐いとか言わなかったですねえ。安らか そうでした。 皆に、悲しいでしょと言われたが、私は悲しくなか ったですよ。それより、主人が救われた事がもう嬉 しくて。天に見送った事が安堵で、平安で、感謝で した。 すべてが神様のお計らいで、最善と言われますが、 その通りで、主人は癌になったから、救われました」 「それが奇しいみわざで、娘の出産と同日だったん です。主人が息を引き取って、その後、出産した。 教会に棺が搬送されて、私は娘についてやれたんで す。悲しみの後、慰めと喜びを下さった。神様のな さる事は時にかなって美しいです」 「今は一人暮らしですが、もうすべての事、神様に お委ね状態です。もう年で、働く事も出来ませんか ら、身体も経済的な事も全部、神様だけが頼りです。 お頼りしていると、心が穏やかで安らかです。年と って、もう神様がすべてご存じでいて下さると思う と、色々な事があっても、腹が立たなくなりました」 Eさん「年をとると、二つに分かれますね。角がど んどん削られて、丸〜くなる人と、ますます頑固で、 強情で固くなる人と」(笑) Cさん「私も言われます!主人に『え?あんた、ク リスチャンじゃなかったんか?左の頬、出すんじゃ ないんか』と。(笑)」 Dさん「私も!『あんた、そんなんでいいんか』と 周囲に言われる。(笑)私なんて、もう開き直って る。『そうよ!大罪人を神様は愛してくれとってん よ』って」(笑) Cさん「でも、神様の声だなあと思います。つい甘 えが出て、家族の中で、自分本位になってしまう事 への警鐘だなあと。自戒が出来て感謝です」 集会終了後も、話が弾んで、盛り上がり、なかなか 腰が上がらない。楽しかった。 ご高齢で一人住まいのBさんが「思い煩ったところ で、何もどうにもならないから思い煩いません。 神様に全部お委ねしています。まあ、平安で、心が 楽なんですよ」と、穏やかな笑顔で。御言葉を生き ておられる。 「何も思い煩うな」「神が心配してくださる」「主 はその道筋のすべてに心を配っておられる」「あな たの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心 配してくださる」 全面的に、主に委ねきって生きる幸いに、励まされ る。 by 多恵子
2004年03月21日(日) 「どんな心で?」
日曜メッセージは種まきの例え話。 同じ種が蒔かれて、実を結ぶ種とそうでない 種が生じて来る。同じ種なのに、どこが違う か。土地の問題。土地は心であり、種は御言葉。 種には特徴がある。@命がある・生きている A力があるB実を結ぶ この種が心に蒔かれると、私達は変えられ、 成長して行く。しかし、実を結ばない人がい る。それは心が固い。種を受け入れない。知 ろうとしない。するとサタンが種を取って行 く。 又、自分の力で頑張って根を張ろうとすると、 出来ない。大きな試練が来た時、力尽きて枯 れてしまう。 又、神以外の他のものも愛する。同等の価値 を置き、同じ位置づけで、心に受け入れる。 これが雑草。良い土地は、御言葉を聞いて悟 る=知ろうとする。この知ろうとする事がな ければ、実を結ぶ事はない。 こんな内容のメッセージ、礼拝後、教えられ た事を語り合った。 Aちゃん「メッセージ聞いていて、自分の心 がわかった。私は御言葉と同時に、誘惑の種 も蒔かれていて、自分の中で、世のものを大 切にしていて、御言葉と同レベルに置いてい る。誘惑の種もしっかり育っている。その雑 草が成長を妨げている。雑草を抜かないとい けない事がわかった」 Bちゃん「私は道ばたの固い心というのが、 とても印象的だった。自分の心は固いんだと 思った。そして、悟ることをしていない。神 様を知ろうとしていない。ぼお〜っと御言葉 を聞いている。知ろうと意志していないから、 せっかくの御言葉がぼやっ〜と通り過ぎてい る。神様を知ろうとして聞いて行きたいと思 った」 Cちゃん「私は土の薄い岩地だ。すぐに芽が 出たが、自分もすぐに喜んで受け入れる。御 言葉に励まされたり、慰められたり、指針を 与えられたりすると、すごく嬉しくて、喜ぶ。 でも1週間たつときれいに忘れる。根が張っ ていないことを教えられた。自我が邪魔して いる。御言葉が根づくために、心が耕される 必要があると思った」 Dちゃん「教会生活長くて、御言葉はよく知 ってはいるが、御言葉に力があり、生きてい ることを体験していない。御言葉を、本当の 意味で聞いていないからだと思った。頭でわ かるのでなく、しっかり自分の心に入れない と、実を結ばない事がわかった」 一つのメッセージから、皆が教えられる箇所 が全く違い、興味深い。 聞いていて、うん、うんとうなずき、御霊の 導きを感じ、とても恵まれる。恵みが倍増。 でも、一人一人が、よく悟っていると驚く。 by 多恵子
2004年03月20日(土) 献堂式に出席した
A教会の新会堂が完成。献堂式に行って来た。 去年の夏、A教会の方々が会堂見学に来られ、 しばしの幸いな交わりが与えられた。その会 堂が建った事を聞き、是非行きたいと思った。 見学日が、ちょうど大型台風広島直撃の日と 重なった。中止されるのかと、思いきや、連 絡無いので、もしや、来られるのか??と思 っていると、何と、来られた!! 大型台風を ものともせずに。 それが、何と台風が予想進路をそれたのだ。 びっくり!熱い信仰に、台風も恐れをなして、 それてしまったか。 楽しい交わりが与えられ、建設の祝福を共に お祈りした。 献堂式当日、少し早く着いて、中を見学させ て頂く。 まだ準備中で、片付けをし、セッティングを し、掃除機をかけておられた。教会の方々が 「まあ、すみませんねえ。直前までバタバタ してますが、裏方のあるがままを見て貰えば 良いので」と笑いながら、とても感じが良い。 暖か〜い雰囲気が伝わって来る。 「わあ〜素敵ですねえ。外壁の色も初めて見 ました。目立っていいですねえ。真っ赤なカ ーテンの色も、とても素敵」「この会堂、教 会のみんなで、考えたんですよ」「それが一 番ですよねえ」 教会の方々が、嬉しそうで、晴々と、生き生 きしておられたのが何より印象的だった。 式が始まり、教会の方々の特別賛美があった。 「私は最初に救われた者です」「私は先日バ プテスマを受けました」と語られ、賛美をさ れた。 喜び一杯に賛美され、その方々の姿に感動し 恵まれた。 牧師先生の会堂建築報告で、すでに着工して いるのに、融資が突然キャンセルに、同時に 胆石で倒れられ、牧師は入院。大変な事態に なり祈りに祈らされた。 退院し、別の銀行に。感謝な事に融資が下り て、道が開かれた。 会堂建設の時は、どこも大変なんだ。必ず信 仰の試みがあって。 B宣教師のメッセージは、詩篇122:1 “人々が私に、「さあ、主の家に行こう」と 言ったとき、私は喜んだ”から。 教会があること、教会には喜びがあること、 喜びのあるところへ人は来ること。主の家は 喜びの場所であることが、心に響いた。 牧師先生ご夫妻の喜び一杯の笑顔と、教会の 方々の溢れる喜びが、こちらにも嬉しい。 やっぱり、献堂式の主役は教会の方々。輝い ておられる。心からおめでとうございます。 A教会の上に豊かな祝福がありますように。 by 多恵子
2004年03月18日(木) 神様からのご褒美
Aちゃんの無事高校合格が決まった!!万歳〜! ほんとに神様を感じた。神様が合格を与えられ た。ご褒美のように感じた。 ずっと苦難の中学生活だった。 対人関係で揉みに揉まれた。辛く苦しいさ中に あった、青年キャンプで、交わりの時に、5つ のパンと2匹の魚のお話をした。 どんなに小さなものでも、イエス様のもとに持 って行くなら、それを受け取って祝福として、 大きく用いて下さると。 すると、涙を浮かべて、献身したいと。 自分みたいな者でも、もし友達の祝福のために 用いられるなら、自分自身をそのために献げた いと。涙ながらに話してくれた。 え?自分を苦しめて来る、友達の祝福のために、 自分を献げるんだ??その事自体に、神の奇跡 のみわざを、栄光を見た。 そして、Aちゃんは献身した。その後、ますま す友達関係で苦しみが来た。厳しい試練が続い た。 どんどん、どんどん圧迫が来て、とうとう一人 になってしまった。学校へ行って、誰とも、一 人も話さず、帰宅する日々が続いた。 聞く度に、胸が痛んだ。祈るばかりだった。 母親であるB婦人が、「もう学校に行きたくな ければ、行かなくてもいいよ」と言った。 帰っては泣くAちゃんに、もうこれ以上だと、 心が壊れるのではないかと心配した。 Aちゃんは「うん、でも、行ける」と、休まな かった。独りでいることに、ずっと耐えた。神 様がしっかりと、Aちゃんを握っていて下さっ た。 皆も祈った。厳しい試みの数ケ月経た時、祈り が答えられて、話しかけて来てくれる子達が現 われた。 心を配ってくれる子達が与えられ、それ以後、 学校が初めて楽しいと思える期間が与えられた。 神様は耐えられ試練には会わせられない。期間 限定であり、逃れの道も備えられている事、皆 で、神様をほめたたえ、感謝した。 Aちゃんの念願であり、祈りであった“3月に はお友達と気持ち良く別れたい、神様の証しを したい”その祈りが見事に答えられた。 “そして、イエスは、五つのパンと二匹の魚を 取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを 裂いて・・人々はみな、食べて満腹した。そし て・・十二のかごにいっぱいあった” マタイ14:19 献身したAちゃんを、イエス様が受け取られ、 祝福し、試練を通して、周囲の皆にとって、大 きな祝福とされた。 C婦人「私だったら、絶対に仕返しする。何倍 にもして報復する」(大笑)「攻撃して行かな いで、じっと耐えていたAちゃんはすごいです よねえ。大人より偉い。高校合格して、あんな いい子が、喜んでいるのを見るのは、本当に嬉 しい」 “試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良し と認められた人は、神を愛する者に約束された、 いのちの冠を受けるからです”ヤコブ1:12 かの日に、神様からいのちの冠を受けるが、こ の世においても、沢山のご褒美を下さったんだ ね。 by 多恵子
2004年03月17日(水) 真摯な証しのゆえに父が・・
私は、16才の時、親友に教会に誘われて、特別 集会に始めて出席した。 その時、ビックリしたが、語られる言葉が、自分 の心にピッタリで、求めていたものに出会った感 じがした。 わかりやすいお話で、初めて聞いたキリストの十 字架の意味が、はっきりと理解できた。その場で、 主イエス・キリストを信じた。 その日、新約聖書と小冊子をプレゼントされて、帰 宅した。 夜更けて、一人でその小冊子を読んでいた時、今思 えば、ルカ15:の放蕩息子のメッセージだったが、 ビンビン心に入り、迫り、放蕩息子が自分で、父が 神様であることが、よくわかり、涙が溢れて仕方が なかった。 その日、本当に救われて、神様のもとへ帰ったのだ と思う。 父は、私の信仰や、私が、教会へ行くことに全然反 対しなかった。むしろ、好意的だった。 ある時、こんな話をしてくれた。 父がまだ子供の頃、戦時中で、物もない頃に、田舎 の山奥に、クリスチャンのおじいさんがいた。それ は暖かい優しい人だった。いつも子供達を集めては、 聖書の話をしてくれた。 物のない貧しい時代に、大変な犠牲を払って、いつ もいつも、集まる子供達に、お菓子を振舞ってくれ ていた。どんなにか大変だったろうに。それが強烈 なインパクトだったと。 父も、あんな昔に神様の恵みをしっかり受けていた。 結婚して、開拓伝道を始めて、初めてのクリスマス。 父がお金を送ってきてくれた。子供達へのプレゼン トのために、使って欲しいと。 その時、父の心に、生涯消える事のない深い印象を 残した、そのクリスチャンの真実な証しを思った。 私の信仰に反対せず、好意的だったのは、その真実 な生きた証しがあったゆえ。その真摯な証しのゆえ に、私が恩恵をこうむったと。 そんな時代に、そんな山奥に、クリスチャンがいた こと。たった一人で立ち、真実な証しがなされ、御 言葉の種が蒔かれていたことに、驚き、深く感動し た。 一人でも証しを続けること・・、必ず実を結ぶこと ・・。 あの時の、子供であった父が救われ、天でいかばか りの喜びの再会がなされている事だろう。 by 多恵子
2004年03月16日(火) 父が天に召された
父が先週、天に召された。 癌で闘病が続き、もう食事もできず、点滴となっていたが、 小康状態が続いていた。 夜に、突然の電話。「急変した。ダメかも知れない」との 少し後、「息を引き取った」との連絡があった。 覚悟はしていたので、又、すべてに神の時があることを信 じていたので、来るべき時が来たという感だった。神の時 だと、厳粛な思いだった。とにかく、すぐ親族に連絡に当 たる。 受話器を置いた時、突然、父は今、神様と共に天にいると の、感謝と喜びが湧き上がった。内から湧き上がる聖霊の 喜びだった。神様有難う!! 突き上げて来る感謝で、心が 満ちた。 38年祈り続けて来た。去年、孫に当たる長男の証しによ り、はっきりと十字架を理解した上で、信じると言ってく れた。神様を選び取った。 それ以後、私達が順番に見舞いに行く度に、父の明確な救 いを確信できた。 昨夏、父の脳腫瘍が発覚した時、切に祈った。必ず救って 下さるように。そして、その救いが周囲も確信できるよう にと。その祈りが見事に答えられた。父が救われた事が、 何よりも嬉しくて嬉しくて、喜びで満ちた。 長くないと聞き、葬儀が教会で出来るように、神様の栄光 が現われるように祈り始めた。 後に葬儀について話が出た時、父がまだしっかりしている 時に、家族に遺言していたと聞いた。 「坊さんは呼んでくれるな。内々でよいので」と。 それで、親族が皆、教会の葬儀に賛成してくれた。祈りに 答えて下さった神様に心から感謝した。 葬儀式が教会で執り行なえ、親族に御言葉を聞く機会が与 えられた。親族に証しをの、切なる祈りが答えられた。 葬儀式を、一番後ろで見守りながら・・38年前に救われ て、今、夫が司式をし、子供達が賛美をし、父の葬儀が教 会で行なわれ、親族が御言葉を聞いている。神様の大きな 大きなあわれみと祝福に、胸が一杯になった。 長男が、K市で仕事をしていた時、N教会へ集わせて頂い ていた。おじいちゃんと一緒に教会へ集い、一緒に賛美す るのが夢だった。が、当時、誘ってもなかなか来てくれな かった。 葬儀はそのN教会で行なわれた。今、この教会で、おじい ちゃんの葬儀で、こうやって賛美できているのが夢のよう だと。 夢を実現させて下さる神様を思った。 葬儀式で、子供達が賛美した。 “父の神がわれら 信仰してる民に 備えられた住まい そこに われらは 行く やがて われら きよい向こう 岸で 共に手をば 取りて 喜び合おう” 賛美を聞いていて、天で再び会える喜びと慰めに、心が満 ちた。 溢れる思い出で、悲しくなり、寂しくなる時、天国の希望 が慰めとなって、心が恵みでおおわれる。神様の慰めをひ しひしと味わっている。 長男が、最後に父を見舞った時に、「有難う、僕にとって 最高のおじいちゃんだったよ」と言ったと。 翌週見舞う予定の、急変だったので、私は最期を看取れな かった。 天国で喜びの再会をした時、父に一番に言いたい。 「有難う」と。 by 多恵子
2004年03月15日(月) 1ミリオンも行けない
十字架を負うことの学びをしていた。 日々の生活で、自我に死んで、神様のみこころを選び取る。 選択すること。 “あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっし ょに二ミリオン行きなさい”マタイ5:41 「出来ん〜」「1ミリオンも行けん。何で、私がせんなら ん!労力も時間も使うのが嫌で、文句タラタラ」 「それも、強いてじゃろ?絶対ダメ!!強いられるだけで、 もうそこで、大喧嘩じゃ」(大笑) 「いかに自分が楽して、相手にうまく押し付けるか、いか に自分の労力を軽減するかに必死。1ミリオンもダメ」 「うわべは役割分担と言って、きれいな形に見せてるが、 実は交換条件、私もするんだから、あんたもしてよ!きっ ちり損得の世界」(笑) ・・1ミリオンとは、当時、ローマの法律で、ローマ兵が その荷物を持って歩けと言ったら、歩かなければならない とされていて、人々に物を強制的に担がせる権威が与えら れていた。 右の頬を打たれて、なんで左の頬を出せないか。強制的に 1ミリオン行けと言われて、なぜ行けないか。 自分のプライドに触れるから。右の頬を殴られたり、強制 的に荷物を持たされて歩かされると、プライドが傷つくの だ。 相手の言葉や態度で、自分が見下されたと感じる時、相手 も引き下げたい。それで傷ついたプライドを回復しようと して、反撃に転じる。自分の力で、プライドを保っている から。 しかし、クリスチャンは、高価で尊いと言って下さる神様 の愛の中に、自分の存在価値を見出すことができる。 どんなに罪深くても、それでも尚、愛して下さる神の愛。 その中にしっかりと自分の価値を見出せるなら、たとえ人 に見下されても、プライドが傷つくことはない。 だから、神の愛に押し出されて、左の頬を出し、2ミリオ ン行く事ができる。 Aさん「その通りだ。職場で、上司に出来ないところを 指摘される。カチンと来て、腹が立って、相手も出来てい ないところを、皆で陰で言い合って、スッとする。そう、 プライドがひどく傷つく。それで、相手を攻撃して、自分 のプライドを回復させてる。自分の心にピッタリだ」 又、2ミリオン行くためには、自分の権利に固執しない、 自分の権利を放棄する必要がある。 2ミリオン行く事が、証しとなる。権利や所有物に固執 せずに、キリストのために進んで捨てる態度が必要。 右の頬を打たれる時、1ミリオン行く事を強いられる時、 神を大切にするか、自分を大切にするかにかかっている。 自分への攻撃、侮辱、損害に、非常に敏感に神経質に、 ピリピリしている。自分を守るためには、最大限の注意 を払う。自分自身に非常な関心をもっている自我。 攻撃され、侮辱され、損害を受けるのも、相手が、相手 自身に対して強烈な関心があり、自分を大切にするから。 だから、自我と自我とのぶつかり合いになる。 自分を捨て、神様を大切にし、選び、みこころに従う時、 周囲に潤いと温もりが溢れ流れる。 「潤いと温もりをかもし出すために、用いられたいです わ」と皆で。 by 多恵子
2004年03月14日(日) 心を見られる神様
Aさん「デボーションしようと、感謝な事に、祈りは毎日できるようになった。祈っていると、全く違う。本当に家庭が変えられて、夫婦、親子の関係も変えられた。良い感じで、日々幸せに過ごせて感謝。 祈りはできるが、聖書がなかなか読めない。仕事をしているので、朝忙しいし、昔から、活字が苦手。だから読めないと思っていた。 でも、気づかされた。そうじゃない。活字が苦手だからじゃなくて、自分が読もうとしていないからだと、自分の意志の問題だと、初めてわかった」 「そうそう!いつも状況じゃなくて、自分の内側の問題なんよね。強情で、頑なで。自分が問題」 Bさん「ある事が、なかなかうまく出来なくて、どうしても良いように出来なくて、自分には賜物が無いから止めようと思った。 でも、環境的に、思いとは裏腹に、せざるを得ない状況が与えられる。心を注ぎ出して祈ると、本当の自分の心が、その事から、逃げようとしている自分がわかった。 安易な方に走り、その事がよく出来るように、真剣に神様に求めてもいない。求めた事がない。気づかされて感謝でした」 Cさん「ある事が得意で、皆にも喜ばれるし、神様のためにと、一生懸命やっていた。ところが、突然心の中を見せられた。人一倍劣等感が強く、人に認められたい、誉められたい。神様のためなどでは全然なく、自分を誇るために、自分の栄光のためにしていた事が示された」 外側に表われていることでなく、心を見られる神様。 「わたしは・・人が見るのようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る」Tサムエル16:7 常に、心の動機を見ておられ、問題にされる。心が神様に喜ばれるものでありますように。 by 多恵子
2004年03月10日(水) 叱責を侮る
“訓戒を無視する者は、自分のいのちをないがしろにする。 叱責を聞き入れる者は思慮を得る”箴言15:32 A君の証しを通して、神様からの痛い取り扱いを、しっか り受け取って、神様が何を教えようとされているかを、よ く考え、神様から学んでいる事を知り、大きく恵まれる。 “あなたがたはわたしのすべての忠告を無視し、わたしの 叱責を受け入れなかった”1:23 “わたしの忠告を好まず、わたしの叱責を、ことごとく侮 ったからである”1;30 A君の証しに触れた時、突然、自分に神様からの光が来た。 ある出来事に対して、全く、叱責を受け入れていない。 理屈ではそうなんだろう、悪いんだろうとわかるが、心で は思っていない。 しかし、それはまさに<神様からの>叱責だと、突然見え た。そして、同時に叱責を侮っている自分の姿が。 “わたしの叱責に心を留めるなら、今すぐ、あなたがたに わたしの霊を注ぎ、あなたがたにわたしのことばを知らせ よう”1:23 神様からの叱責と心から受け入れた時、心の奥底に真の平 安と安堵が来て、その事が表面上でなく、心底自分の中で 解決した。 Bちゃんが「私、毎日の生活の中で、すぐ<だってねえ> と言うらしいんです。自分では無意識なんですが、妹に指 摘されて、『お姉ちゃんはすぐ<だってねえ><だってね え>と言う』と。そう言えば、すぐ口から出て来る。 必ず言い訳し、弁解してる。素直に、自分の失敗やミスを 認められないで、自分を正当化しようとする、頑固で強情 な自分に気づかされた。自我ですよねえ」 放っておかれたら、どこまでも自分を正当化して行く自我。 聖霊様が気づかせて下さることが感謝。 十字架を見ても、尚且つ平然としている、自分の古い性質、 自我。自我が砕かれて行くことが救いで、感謝。 “命令はともしびであり、おしえは光であり、訓戒のため の叱責はいのちの道であるからだ”6:23 by 多恵子
2004年03月07日(日) 理不尽の十字架
イエス様の十字架の学びをしていた。 イエス様は一つの罪も犯されなかったのに、極悪人が かかる十字架にかかられた。 それって、道理に合わない。犯罪人の処刑のためにあ る十字架に、なぜ犯罪人でない、正しい人がかかるのか。 そのように、日常生活で道理を追求して行くと、大きな 間違いに陥ってしまう。みこころをそれてしまう。常に 自分は正しいに立ってしまう。正しいか、正しくないか に立った途端、見えなくなってしまい、道に迷う。 十字架は理不尽、不条理そのものであるから。 理不尽と不条理を受け止めて行くことが、十字架を負う 事であり、それがイエス様から与えられた歩みである事 を日々の生活で学ばされる。 Aちゃん「それ、ちょうど先週あったんですよぉ。お父 さんも私も、それぞれ自分のすべき事に、すごく忙しく していた。その多忙の最中に、突然お父さんに用を頼ま れた。 えー?もう信じれん状態で、お父さんに言った。『お父 さん!ちょっとよう考えてみてや。これは理不尽じゃ。 お父さんは忙しい。でも、私も遊んでるんじゃない。私 も物凄く忙しい。それを、何で、私がお父さんの用をせ んならんか?自分の事なんじゃけ、自分でしてよ』」 「え!お父さんにそんな事言うの?」ビックリで、でも、 自由な雰囲気で育っててもらって、いいお父さんで、い い家庭なんだなあ。 「それが、先週のメッセージで“互いに仕え合う”中で、 “親に従いなさい”と語られて、示されてて、ああ、い けないなあと。自分に余裕のある時は、心に潤いがあっ て、すごくいい調子なんだけど、自分に余裕が無くなる と、自己中心がもろに出て来てしまって」(笑) 「ほんとにそうですね。十字架って、そうですよね。そ の通りです。わかります。今度父に言われたら、用をし てあげて、その上に、まだ他にない?と言います」(笑) 「でもね、親に従おうと思って、『お父さん、何かする 事ない?』と言ったんですよぉ。すると、お父さん、す ごく嬉しそうな顔になって、『雪が降るぞ』と言ったん です」 「雨を通り越して、雪なんじゃ」(大笑) 週末、ほんとに雪が降ったー!!! まあ、えらい寒くて から。 Bちゃん「皆が、十字架を負おうとしてるから、それで、 雪が降ったんじゃー!!!」(もう大爆笑) 理不尽の十字架を負う時、その十字架のもとは、味わっ た事のない祝福の泉。苦みが甘みに変えられる。 by 多恵子
2004年03月04日(木) 舌・じっとしていない悪
舌の学びをした。 舌は恐ろしい器官。人を生かしも殺しもする。 人を慰め、励まし、引き上げ、生き返らせる事も できるし、人を傷つけ、落ち込ませ、立てなくし てしまう事もできる。 “舌は火であり、不義の世界”“舌を制御するこ とは、だれにもできません”“それは少しもじっ としていない悪であり、死の毒に満ちている” ヤコブ2:8 “悪いことばを、いっさい口から出してはいけま せん” 必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話 し、聞く人に恵みを与えなさい。エペソ4:28 舌はじっとしていない悪で、誰にも制御できない。 神様に支配してもらわないと、肉が使うと、何を するかわからない。 話す事が賜物で、自分の考えや気持ちを、口で表 現する事が好きで、そう出来るAちゃん、原稿無 しで講演をしてしまうほど。 いつも言っていた。「話す事が好きで、どこでで も自分は饒舌。だからどうしても、舌で失敗をす る。気をつけていても、多く話すものだから、必 ず舌で罪を犯してしまう。寡黙な人が本当に羨ま しい」 “ことば数が多いところには、そむきの罪がつき もの。自分のくちびるを制する者は思慮がある” 箴言10:19 Bちゃん「私は喋るのが苦手で、舌が重くて話せ ない者、明るく軽く喋れて、周囲を楽しくできた らどんなにいいだろうといつも思っていた。 ところが、絶対に言ってはいけないと、聞いた事 を、すっかり頭から飛んでいて、当事者に言って しまった。言った後に気がついて、後の祭りで、 とんでも無い事をしてしまって、信頼関係滅茶苦 茶で、手をついて謝った。 許して貰えて、感謝だった。自分は口が重いから 大丈夫と思っていたが、全くそうでない。 軽く喋れたらどんなにいいだろうと思っていたが、 やっぱり口が重くて良かった。口の重い事が心か ら感謝できた」 Cちゃん「大切な人には祈って話したり、他人に はまだ配慮して話すが、家族に対してが、甘えが 出て、肉の欲望のまま話してる。 本当は一番大切な人達なのに、わがままが出て、 気遣いなく、肉の思いがそのまま言葉になって出 ていて、嫌な思いをさせたり、ひどく傷つけて平気。 その事に気づけて感謝。特に家族に、よく祈って接 します」 悪気が全く無く、発した言葉で傷つけたり、又、 傷ついたり、言葉は難しい。 祈って語れるよう。心に満ちたことを口が語る、 御霊の制止を感じつつも、喋りたいという肉の欲望、 元の心が御霊に支配されるよう。 “主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの 戸を守ってください”詩篇141:3 by 多恵子
2004年03月03日(水) あるがまま受け止められて
久し振りに友達と会った。 厳しい試練を通り、色々な学びを得て、すっかり 元気になっている。 状況が自分の思いと違う結果になり、神様の愛が わからなくなってしまった。神様は自分が嫌いだ からだと、見捨てられたと、思い違いをしてしま い、自分が神様に対して、心を閉ざしてしまった。 長い時間をかけながら、少しづつ少しづつ神様は 導いて下さって、心を溶かし、癒して行って下さ った。 良い子でいるのでなくて、恨みつらみも、不満も、 傷も何もかも、心の底のドロドロを、神様にあり のままそのままぶつけて行った時に、初めて癒さ れた。 何もかもを、丸ごとを受け止めて、心を受け止め て愛して下さる神様のご愛は測り知れない。 出来ない事は出来ないと、自分にどうにも出来な い気持ちも、自分で何とかするのでなく、正直に そのまま持って行く時、神様がそこで受け取り、 働き、みわざをして下さる。 自分で何とかしようとするので、ますます泥沼に はまって行く。 “キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせ た方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊 によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生か してくださるのです”ローマ8:11 御霊が生かし、“御霊に従って歩む私たちの中に、 律法の要求が全うされるためなのです”8:4 御霊によって、御霊に導かれて歩む時、心に喜び があり、「ねばならない」でなく、「したい」に 変えられる。 「以前、聖書読むのも、義務感だった。クリスチ ャンは聖書を読んで祈らないといけないから、そ うしていた。しんどくなってくるし、読めない。 そうやって読んでいても、心に入って来ない。響 かない。 今は全然違う。神様の御声を聞きたいから読む。 御声が聞きたくて仕方がない。どんどん入って来 る。 もう恵みが溢れすぎて充分です。これ以上だと消 化不良起こしますから、というぐらい御言葉が心 に入って来る」 “しかし、御霊によって導かれるなら、あなたが たは律法の下にはいません”ガラテヤ5:18 恵みの中に置かれている、この素晴らしい恵みに感謝。 by 多恵子
2004年03月02日(火) 「いのちの泉がわく・心」
日々の生活で、思いに働いてくるサタン。 Aさん「日常の生活の中で、見張っていると全然違う。 よく見える。先週ちょっと風邪をひいたのか、体調悪く て寝込んでいた。 すると、しんどくて自分の事で一杯。子供が約束通りの 時間に寝ないで、ごそごそしている。いつまでたっても 寝ないので、イライラが爆発し、子供に当たって怒って 怒鳴ってしまった。すると、「どうせいつも僕が悪いん だろ」と子供が言った。 せっかく子供と双方思いやりを示し合う、麗しい関係に なっていたのに、ああ、ぶっ壊してしまった。 自分の事だけで、サタンの事も、神様の事も吹っ飛んで 頭にきれいに無かった。相手の事もない。ほんとにこう いう時に、罪を犯す事がよくわかった」 Bさん「サタンが思いに来るのがよくわかる。ぼやーっ と聞いていると、どんどん吹き込まれる。職場で、悪口 が普通のように言われているが、同調して行ってしまう。 親族間で、嫉妬や敵対心を聞くと、自分には全くそんな 思いは無かったのに、影響を受けてしまって、そう言え ばそうかなあと、思えて来てしまう。 教会へ来た途端に、あ、そうじゃないと我に返る。(笑) やっぱり教会には神様がおられる。本当に思いに、価値 観に働いて来るサタンがわかる」 Cちゃん「サタンの吹き込んで来る思い、よくわかる。 場がしらけるのが嫌で、何げなく話題を人に振る。でも、 その話題を出すと、その人は悪口を言うのがわかってる。 わかってて、そうしてしまう自分がいる。自分は狡猾だ と、罪だとわかる」 Dさん「思い通りにならないと自我が荒れ狂う。心は嵐 が吹きすさぶ。自分の思い通りにしたい、神様が自我を 示しておられるのがよくわかる。自分の思いを捨てて、 神のみこころに委ねるように言っておられるのがよくわ かる。強烈な自我との戦い。 自分の思いでなく、みこころが小さな事にも成るのが最 善と、必死に戦いながら明け渡して行く。どんな時も結 果的に、自分の思いでなく、みこころに委ねる時、それ が自分にとっても周囲にとっても、最善であり美しい事 がよくわかる。 頭ではわかっているのに、目の前に来ると、いつも自我 との戦い。自我はどこまでも強烈」 四六時中、思いに来るサタンを識別し、神様を見ておれ ますように。心をしっかり見張っておれますように。 by 多恵子
2004年03月01日(月) 「わたしを呼べ」
“わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え” て下さる神様に、いつも呼ばわることを確認させられる。 Bさん「対人関係で、こちらは善意で親切を尽くしてい たのに、裏切られた。ショックで、ものすごく傷ついた。 落ち込んで、心が暗くなり、沈んでいた。小さな子供に 『お母さん、元気ないね』と言われて、はっとした。 これじゃあいけないと、我に返った。自分で抱えている 事に気づき、神様のもとへ行った。思いの丈を全部神様 にぶつけた。 『神様ー!私は善意で親切を尽くしたのに、何でですか !』『私は傷ついて、痛い!』『何でこんな目に会うん ですか!』『あの人は私を裏切った!許せません』心に ある気持ちを全部、何もかも神様にぶつけた。 すると、癒された!!以前の喜びと平安が戻って来て、心 がすっかり回復された。すべて、神様のもとへ持って行 かないといけないと、又、教えられた」 Cさん「私もものすごく心が傷ついた事があって、その 人がどうしても許せなくて、敵対心や憎しみが出て来る。 どうにも出来なくて、神様のもとへ行って、気持ちを全 部ぶつけた。『腹が立つ!』『許せない!』『傷ついた !』『嫌だー!』心の底から何もかも、神様に大声でぶ つけた。 すると、不思議だったが、神様が全部取って下さって、 その人に対する悪い思いが全部きれいに消えた。何も無 くなってしまった。驚いた。自分では全くなくて、神様 のみわざだった。そして、その人のために祈れた」 どんな時も、正直に神様に向かう時、神様にしっかり出 会える。神様の奇跡を経験する。 by 多恵子
2004年03月17日(mizu 金)
私は、16才の時、親友に教会に誘われて、特別 集会に始めて出席した。 その時、ビックリしたが、語られる内容が、自分 の心にピッタリで、求めていたものに出会った感 じがした。 わかりやすいお話で、初めて聞いたキリストの十 字架の意味が、はっきりと理解できた。 初めて教会へ行って、その場で、主イエス・キリ ストを信じた。 その日、新約聖書と小冊子をプレゼントされて、帰 宅した。 夜更けて、一人でその小冊子を読んでいた時、今思 えば、ルカ15:の放蕩息子のメッセージだったが、 ビンビン心に入り、迫り、自分が放蕩息子で、父が 神様であることが、よくわかり、涙が溢れて仕方が なかった。 その日、本当に救われて、神様のもとへ帰ったのだ と思う。 父は、私の信仰や、私が、教会へ行くことに全然反 対しなかった。むしろ、好意的だった。 ある時、こんな話をしてくれた。 父がまだ子供の頃、戦時中で、物もない頃に、田舎 の山奥に、クリスチャンのおじいさんがいて、それ は暖かい優しい人だった。いつも子供を集めては、 聖書の話をしてくれていた。 物のない貧しい時代に、大変な犠牲を払って、いつ もいつも、毎回、集まる子供達に、愛情注いで、自 腹を切って、お菓子を振舞ってくれていた。それが 強烈なインパクトだったと。 結婚して、開拓伝道を始めた、初めてのクリスマス。 父がお金を送ってきてくれた。クリスマスに子供達 のプレゼントのために、使って欲しいと。 その時、父の心に、消える事のない深い印象を刻ん だ、そのクリスチャンの真実な証しを思った。 私の信仰に反対せず、好意的だったのは、その真実 なクリスチャンの生きた証しがあったゆえ。 その真摯な証しのゆえに、私が恩恵をこうむったと。 そんな時代に、そんな山奥に、クリスチャンがいた こと、一人きりで立ち、真実な証しがなされ、御言 葉の種が蒔かれていたことに、驚き、深く感動した。 一人でも証しを続けること・・、必ず実を結ぶこと ・・。 あの時の、子供であった父が救われ、天でいかばか りの喜びの再会がなされている事だろう。 by 多恵子