2025年07月16日(水) 「強靭な肉」
肉の強靭さを、話していた。 ぼお〜としていると、自分の力で生きている。 神様が飛んで、祈りが無く、肉の判断で進み、 失敗してしまう。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 突如の事態が起きた時、パニックになってしまい、 肉が、即、反応し、頭が巡る。 「どうしよう!!」ああでもない、こうでもない、 「何とかしなくては」 思い煩いと不安、恐れで、どっと落ち込む。 神様が飛んで、自分の肩に全部の重荷が どっとかかるので、担い切れない。 どうしても、肉が出て、自分で何とかしなければ と思ってしまう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 主が、デボーションを持つようにと、言われるが、 「肉は、ダラダラしてしまいますよねえ」 今、疲れている。ちょっと横になりたい。 テレビを、ぼお〜と見ていたい。 身体が動かない。 肉は、強いですねえ。 ・・・・・・・・・・・・・・・ サタンの火矢が、どんどん思いにやって来る。 楽な方へと、誘惑される。 肉は、楽な方へ、楽な方へと流される。 主の御心を行なうこと、犠牲を払うことが、ぼや けて来る。 肉は、嫌いな相手は、愛したくなく、嫌っていたい。 メリットの無い事は、したくない。 損得で動く。 肉は、自己中心。自分の思い、自分の栄光。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ ほんとに、肉って、物凄い力ですよね。 神様に砕かれないと、どうにもならない。 試練は、感謝ですねえ。 健康一つにしても、当たり前になっていて、病気 になった時、当たり前でなく、主の恵みだと 気づく。感謝しかない。 でも、治った途端、肉は強くて、喉元過ぎれば、 熱さ忘れ、不満になってしまう。 頑なで、自我は強く、どうしようも無いですね。 時折りの、試練がほんとにあわれみで、感謝 に思えます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 主の十字架が無ければ、どうなっていたか。 救い出されて、御霊の導きと力によって、肉を 拒否し、主に喜ばれる道を選択できることは、 奇跡だ。
2025年07月15日(火) 「暑い夏の思い出」
暑い〜、非常に暑い毎日〜に ぐったり〜(^-^; 暑い日には、ふと25年前の会堂建設を思い 出す。 その年も非常に暑い夏だった。 外に出ると、熱気がもわ〜と、尋常でない暑さ だった。 ニュージーランドから来日、ボランティアで大会堂 建設の大工奉仕をして下さった。 5人のチームが交代で、2チーム。 炎天下で、全身汗びっしょりになりながら 労して下さった。 女性が一人、夫婦で加わり、食事のお世話を。 朝5時から祈り会をし、日々の炎天下建設をして 下さった。 女性は、買い物に行き、三食を作り、掃除洗濯を。 祈りによって、建てて頂いた会堂だった。 一日の労を終えられる時、たまたま出会い、 「苦労様です」と感謝を伝えると、いつもニコニコ 笑顔で、「マイ プレジャー」と。(*^^*) ・・・・・・・・・・・・・・・ ある朝、用で、その方々の滞在住まいに行くと、 男性方は、もう建設に出ていて、女性がおられ、 「上がって!!上がって!!」と笑顔で、手招き。 お言葉のままに上がると、紅茶を入れて下さって、 結局、話が尽きず、気がつくと、3時間も!! ・・・・・・・・・・・・・・ 素晴らしい信仰のご夫妻だった。 家と土地を売り払い、現金に換えて、それを持ち、 世界中に、福音を伝えて回っていると。 家が無くなったら、イエス様がホームになったと。 今まで32ケ国回ったと。びっくり仰天!! そのお金で、貧しい人を助けて回った。 すると 「どうして?なぜ?こんなに良くしてくれるの?」 と聞かれる。 その時に、福音を伝え、神の愛、キリストの十字 架の救いを伝えると。 :::::::::::::: 父ブッシュの時、湾岸戦争が始まった時は、 イラクで、クルド人を助けていた。爆撃があり、 爆弾が爆発して、それは恐ろしかったと。((+_+)) でも、戦争が始まっても、帰られず、そのままそこに おられた事にびっくり!!! 会堂建設の奉仕も、幾つもの教会で、して来た。 ある時は、建設途上で、突然の台風が来て、まだ 壁も無い中、屋根が飛んで行ってしまい、追いかけ たと。(笑) 話は尽きず、楽しい主の祝福の時間だった。
2025年07月12日(土) 「幸せが、わかる」
持病を抱え、しんどい状況にあるAさん。 「今日は、神様に助けられて、なすべき事 ができて、幸せでした」とメールが届いた。 「幸せでした」 の言葉が、とても印象的だった。 なすべき事ができるのが、当たり前でなく 神様の大きな恵み。 ・・・・・・・・・・・・・・ 弱さを抱えているからこそ、主に頼らなければ 一日たりとも、歩めないので、 “わたしの力は弱さのうちに完全に現われ る”Uコリント12:9 との御言葉の通りで、“わたしの恵みは、あなた に十分である”となる。 主の恵みは、自分に十分だ。 もし、主に頼る必要が無ければ、自分の力で 生きて行くので、恵みの外に出てしまい、 絶えず不満でいっぱいになるだろうか。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 私も、十二指腸に穴が空いて、開腹手術をした 時に、術後、全く動けず、歩けず、横の台の上 の物も、取れなかった。 腹部も、どんより重く、栄養もすべて点滴から だった。 熱も出ていて、食欲など皆無だった。 ナースステーションに一番近い3人部屋だったが、 ・・・・・・・・・・・・・・ 人がスタスタスタと、通路を歩く音の気配が、 歩けるなどと、どこの世界の話かに思えた。 遠い異世界のように思えた。 空いた隣のベッドに、検査入院の方が入り、 食事をしている。 食事など、それも遠い異世界で、とにかくグッタリ と横になっていた。 ・・・・・・・・・・・・ それが少しづつ〃、時間をかけながら、回復に 向かった。 朝起きて、普通に歩けて、普通に食事ができること、 時折り、術後のことを思い出し、 奇跡だと思える。 ・・・・・・・・・・・・・ 当たり前でなく、主の大きな恵み。感謝が溢れる。 それも、あの病気をし、手術をしたお陰。 心から良かったと思える。
2025年07月08日(火) 「続・神様の阻止」
Bさん 小さい子どもたちを育てながら、大きな借金を 抱え、返済に追われながら、目まぐるしい日々に、 様々な悩みが重なった時、もう限界で、プッツン 来てしまったBさん。 家出をした。 全部置いたまま、車で、逃げるように、どんどん 走りに走り、1時間ほどひたすら走った。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ すると、御言葉がどんどん追いかけて来る。 「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ 惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子と いっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださ らないことがありましょう」ローマ 8:32 幾ら、頭から追い払って、走りに走っても、ますます 追いかけて来るる。 ずっと〜追いかけて来る。ぬぐい切れない。 神様に捕らえられ、とうとうギブアップ!!! Uターンして、家路についた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 心がすっかり平安になっていた。 夫と子どもに、申し訳ない事をしてしまった。 家に着くと、「ママお帰り〜!!」 主人が夕飯を作って、子どもたちに食べさせ てくれていた。 「神様ごめんなさい」 そして「有難う!!」 「夫と子どもたちも、有難う!!!」
2025年07月07日(月) 「神様の阻止・感謝」
神様は、私たちを、とても愛して下さっている ので、私たちが御心をそれる時、導き返して下さる。 Aさん 家が店をしていて、いつも非常に忙しい。 特に母親は、仕事と家事、子どもたちの 世話で、目の回る忙しさだった。 学生の頃、自分はクリスチャン、帰宅して 母親が、特別に忙しそうにしていた。 手伝えばいいんだろうなと思う。 でも、嫌だった。面倒だった。 時間を自分のために、自分の好きなよう に使いたいし、したくない。 ・・・・・・・・・・・・・ 手伝ったら、母は喜び、助かるだろうなと 思うが、自我は頑なで、好きなようにしたい。 葛藤はあったが、とうとう自転車で、出かけ ようと思った。逃げたかった。 決行して、自転車で家を出た。 そして、3,4分、こいだ時、何と、パンクした のだ!! 瞬間、神様!!だと思った。止められた。 ・・・・・・・・・・・・・ 「母を手伝いなさい」と。 主の関与が嬉しく、感謝だった。 そうすればいいんだろうなと思うが、肉が強く、 自我のゆえに、できなかった。 主を認め、即、自転車を引いて帰り、母を 手伝った。 ・・・・・・・・・・・・・・ 心に平安と喜びがあった。 自分の心も、それが御心だとわかっていた。 特に忙しかったその日、母は大変喜んでくれ、 感謝してくれた。 、 主の証しとされた。 父親も喜んでくれ、パンクを修理してくれ、 心は喜びと平安でいっぱいだった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 自分では出来なかった。 主の関与が、嬉しかった。
2025年07月06日(日) 「絶望したことが無ければ」
「自分に、真に絶望した事が無ければ、 神のことはわからない」 と、ある信仰書にあったが、そうなんだと 思う。 ・・・・・・・・・・・・・ 肉の力は強く、自分で出来る事は、祈らず 主に頼らず、自分の力でできてしまう。 自分でどうにもならない時、心砕かれ、主 に頼る。 何と、頑なな、高慢な自我なんだろう。 ・・・・・・・・・・・・ どうにもならない、絶体絶命の時が、実は 大きな祝福の時なんだと思う。 高慢な者が、へりくだらされ、主に拠りすがる。 必ず、助けて下さる。 ・・・・・・・・・・・ 高慢なので、主は、愛により試練を送って下さる。 懲らしめは愛で、そのまま行けば、高慢により 滅びてしまう。 ・・・・・・・・・・・・ 砕かれなければ、神様のことはわからない。 教理で、頭でわかるのだが、膚でわからない。 御霊によってわからない。 神様との間に、幕があって、何か隔てがあって。 神様がわかるのは、砕かれ、へりくだらされ、 自分自身を明け渡す時。 ・・・・・・・・・・・ ピタリと焦点が合い、心に内側から喜びが湧き、 どんなに苦しい時も、心の底に平安があって、 その平安は、決して無くなることがない。 神様がわかる。 御霊の証しが心にあり。 ・・・・・・・・・・・ 「私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身 が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます」 ローマ8:16 感謝でならない!!
2025年07月05日(土) 「新しい性質と古い性質」
数ケ月前から教会に来て下さっている、 Aさん、Bさん。 二人共、同じ事を言われた。 「私が、教会にいて、いいんですか?」 「え?どうしてですか?」 「皆、見渡しても、聖い方々ばかりで、 肩身が狭い、もう、どうしていいか。」と。 ・・・・・・・・・・・・・ Fさん、Gさんが、大笑い!!(*^^*) 「無い、無い!!自我が強くて、日々 自我との戦いですから」(笑) 「罪赦された罪人ですから」 「ほんと自我が、いかに強烈であるかを、 ますます教えられています」 ・・・・・・・・・・・・・・ 「イエス様を信じると、新しい性質が与え られ、古い自我の性質も残っているので 新しい性質に御霊が働き、こっちに!!と 引っ張り、 古い自己中心の性質に、サタンが働き、 強力に引っ張る。 どっちにも引っ張られ、自分の意志を向けた 方に、後ろに結果がついて来る。 御霊に従うと、平安と喜びがあり、周囲にも 神様の潤いや喜び、神の栄光を現わす。 サタンの方に従うと、平安が失せて、喜びも 無く、暗たんたる気持ちになり、周囲にも 害を及ぼし、証しを損なってしまう。 しかし悔い改めるなら、赦され、平安を戻して 下さる。 ・・・・・・・・・・・・・ 肉で失敗してしまう事も多く、そんな事を クリスチャンたちで話していると、 数ケ月後、Aさんも、Bさんも、 「自分がいてもいいんだと、安心しました!!」 「神様を求めて行きたいです」(*^^*)
2025年07月04日(金) 「ゆだねて、平安に」
Aさん イエス様を救い主と信じ、救われたが、教会も なかなか行けなかったので、長い間、神様が わからなかった。 ちょうど、大きな試練が来た時に、教会の平日 の集会に行くようになった。 悩みに悩み、苦しんで、集会での学びで、神様 にゆだねることを教えられる。 神様にゆだねればよいことが、頭ではわかる。 だが、それが、ゆだねられない、 どうしても、ゆだねられない。 ・・・・・・・・・・・・・ 悩みは深まるばかりだが、教会へ行くと、ほっと した。 しかし、家に帰ると、元のもくあみで、悩みのどつぼに。 また、教会へ行くと、ゆだねなければ、と思う。 しかし、ゆだねられない。 ずうっと、それを延々繰り返していた。 ・・・・・・・・・・・・・・ 自分が握り締め、自我が固く握り締めて、どうし てもゆだねられない。 自分が手を放すと、何もかも崩壊してしまうと思え てしまう。 だから放せないし、余計に握り締めることになる。 延々繰り返す苦しみ、何もどうにもできず、 もうどん底で、でもゆだねられなくて、皆さんにも ずっと祈ってもらい、自分も祈っていたので、 その時は、主が、あわれんで特別介入して下さ ったと思う。 事態を受け入れることができて、導かれて行き、 その事は、無事良いように、収まって行った。 ・・・・・・・・・・・・ その後、歳月を経て、今回、大波のような試練が 臨んだ。 不安、心配、恐れは、煩いは、大嵐のように襲い、 吹き荒れ、自分では、いっさいどうにもできず、 心に鉛があるように、重く沈んだ。 今回は、神様におゆだねしますと、祈ることができ た。 その時、スウーッと心が平安になった。 初めての経験だった。ゆだねると、こんなに楽になる とはと驚きだった。 自分の最も痛いところに、試練が来たからこそ、そう できたのかなと思う。神様に感謝でいっぱいだ。
2025年07月02日(水) 「あなたを苦しめ、飢えさせて]
「あなたを苦しめ、飢えさせて」と、はっきりと 言われている。「主は」と。 主が苦しめ、飢えさせられると。 誰しも、平穏な生活を、人生を、望む。 苦しみは望まない、避けたい。 しかし、「主はその愛する者を懲らしめ」と 懲らしめは、主の愛だと、はっきり言われて いる。 そして、懲らしめは、その時は喜ばしいもの ではなく、「悲しく思われる」ものだと。 試練は、嬉しくなく、悲しいと。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ しかし、苦しみは、何かのバチではなく、 主が与えられた、「訓練、鍛錬」と、受け取る 時、試練に向き合うことができて、 全く景色が違って来る。 訓練と受け止め、その中で、主に従って行く時 必ず「平安な義の実を結ぶ」と。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ Aさん 「今まで、様々な試練があったのですが、 ほんとに、苦しかった事の一つ一つ、教えられ、 自分が変えられ、又、環境も、秩序立って、平安 にされています。 ものすごく苦しい事もあったのですが、苦しみ から救い出されて、良くして下さっています。 試練の一つ一つは、すごくしんどいのですが、 本当に神様には、無駄な事は一つも無いんだ なあと。 これらが、更に、後の日に、繋がって行くの でしょうね。 いや、もう苦しみがあった事が、感謝です」 ・・・・・・・・・・ Bさん 「病気やけがでも、痛い事、苦しい事、辛い事 を通ったなら、人が同じような痛みにある時 にわかりますね。 自分が通ってないと、わからないですものね。 又、自分が、ひどい痛みの中にいる時も、 同じところを通った人がいると、それだけで 慰められますね。」 ・・・・・・・・・・ Cさん 「若いDちゃんが、対人関係や、身体の不調や どうしてと思うほど、次々と試練を通っているが、 人の痛みがわかるために、大きく用いられます ね。 将来の、何かのためなのでしょうね。 神様にあっては、常に希望がありますね。」