2004年05月28日(金) 「祈れない時は」
祈ることについて学び、交わり、語り合っていた。 Aさん「子供に必要で、どうしてもしないといけな い事があって、でも、子供はしたがらない。でも、 どうしても必要なことなので、何とか穏やかに、 〜しようかと、声かけをする。 したくないから、子供は動かない。何とかさせようと、 何度か言って、段々、強いる強い言い方になってしま った時、子供の拒否にあって、はっと気づいた。 自分の力で、子供を何とかしようと思っている。祈っ て、子供に言ってなかった。今日の学びで、祈ってか ら言うことを教えられた。祈ると、神様が働いて下さ ることを、いつもいつも経験しているのに」 Bさん「余裕ある時間が与えられたので、祈りの奉仕を しようと、祈ってたんです。1日目、2日目と祈れて、 3日目が全然祈れない、もう全く祈れないんですよ。 それで、ああ、わたしゃいつも3日坊主で、2日間の祈 りも、単に自分の感情じゃったんじゃと。やっぱり祈れ んわ、と思ってしまって。聖書は幾らでも、読めるのに、 全く祈れないんですよお」 「そりゃ、サタンじゃわ。3日坊主じゃなくて、祈りの 奉仕をされるのが嫌で、サタンが祈りを取りに来た。 祈れません、祈りたくありません、気持ちがない、と正 直な気持ちを告げて、神様に近づいたら、突破口になっ て祈れるよ」 Cさん「良い子でいようとして、そこで、頑張って何と か祈ろうとするのが違うんですよね。祈れないですよ。 頑張って祈って行くと、余計祈れず、全く祈れない」 Dさん「あ、すごくわかる。祈りたくない、祈れない、 自分の気持ちを認めて、ありのまま告げて、神様に近づく と、サタンの足場を崩してしまいますよね」 祈りを必ず妨害してくるサタン。祈りは、サタンとの戦い。 by多恵子
2004年05月24日(月) イエス様と対話で生き生きと
集会の交わりで、イエス様に頼ることを、語り合って いた。 Fさん「家の鍵が無くなってね、もう娘と二人でてんや わんやで捜しまくってたんですよぉ。捜し回ったあげく、 『あ!そうだ!!お祈りいー!!』 と、娘と二人で、そこ で祈ったんです。 座って、祈って顔を上げた瞬間、『あー!あったー!!』 テーブルの上にあって、本の陰に隠れてたんです。それ がちょうど、祈るために座った目線で、見えるんです。 イエス様だー!と、娘と二人で感謝!! それが最初から 祈らないで、自分で全部やってから祈るんですよねえ。 ほんと、頼ること教えられて感謝でした!!」 プロの洋裁師Hさん「私も同じです。一通り自分でやっ てから、どうしてもだめだと最後に頼って、祈ってる。 最初から頼って祈ることを、教えられます。 でも、仕事で針を使いますでしょ。この針だけは、今ま で100%祈って見つけさせてもらいました。危ないで すからねえ。でも、ずっと使ってるから、どうしても針 が飛んだり、無くしたりするんですよ。でも、完璧に捜 させて下さいました。 今は、もう年で、独り暮らしでしょ。毎日朝起きると、 『神様おはようございます』から始まって、ずうっと、 『神様、神様』とお話してるんですよ。ほんと、気づく と神様に話してて独りごと言ってるんですよ。(笑) 神様とのお話は、歩きながらでも、お皿を洗いながらで も出来ますものねえ。感謝です」 でも、本当に神様に出会えて感謝で、平安で心穏やかに 心配もなく過ごさせてもらってます。もし、神様を知ら なかったら、独りでどんなに不安で寂しくて、何もかも 不安だっただろうなあと、感謝でならないです」 「頼らないと失敗しますねえ。自分の思いでどんどん言 葉も発するし、行動して行く。その言葉で失敗したり、 行いで失敗して、あ、祈らなかった、頼らなかったと、 いつも教えられる。だのに、自分でしてしまうんですよ ねえ」(笑) 絶えず祈りなさい、絶えずイエス様とお話しながら、生活 して行けますように。 by 多恵子
2004年05月22日(土) イエス様の香りが周囲に
遠方の友から祝福の便りが。 牧師が亡くなられ、夫人と子供達のため、教会の今後 のために共に祈っていた、Aさんから連絡があった。 新しい牧師が与えられるよう、教会で一つになって祈 っている。そんな中で、自らの教会への姿勢を神様か ら問われ示された。 今まで深く考えることもなく来てしまった。教会は与 えてくれる場所であり、受けるばかりであった自分が、 教会の一つの枝として、主のために心から働きたいと 思った。 祈りの中で、主が自分達の教会を愛しておられ、教会 の周囲の魂を愛しておられることを見せられ、自分自 身にも教会に対する愛と重い責任が増し加えられた。 牧師の死は、教会に豊かに生きるいのちをもたらして いる。 測り知れない犠牲を、主は素晴らしく益として祝福さ れて、豊かないのちをもたらして下さっている。 同じくアメリカの敬愛するBさんから、ご主人が天に 召されたとの連絡を受ける。 驚いて、メールを送ると、「大丈夫です。イエス様が いつも共にいて下さいます。それに私は、昔からひと りごとを言って、自分で返事をする素敵な特技を持っ ています。 そのお陰で、寂しくなるとイエス様や主人とお話して います」 お孫さんの誕生おめでとうございます、と、反対に祝 福が送られて来た。 大きく励まされ、引き上げられ、心暖められた、遠方 からの便りであった。 どんな状況の中でも、イエス様に焦点を当てて、イエ ス様を見上げて行く人々は、周囲を祝福し、引き上げ て行く。 by 多恵子
2004年05月20日(木) 神様を体験
Cさんから、滞在客の接待に心身疲れてだめと、S0S の連絡が来る。そのまま、今の気持ちのそのままを、直 接神様に全部言えばいいよと、応答する。 ああ、そうだった、神様に気持ちをすべて、ありのまま 話したら、ものすごく楽になったとの返信。自分の力で 頑張っていた事に、気づかされたと。以後、神様に助け られて、気持ちよく仕える事ができて感謝だったと。 その時、その時の気持ちを、ありのまま受け止めて、引 き受けて、しんどさと落ち込みを、まさに平安と喜びに、 交換して下さる神様を体験する。 心の状態を、そのまま神様に告げて行く時、不思議に神 様に触れる。そのままを受け入れて、愛していて下さる 神様に出会う。愛されていることの実感が来る。 今日もDさんから、祈りが答えられた!と知らせが来て いた。 子供の治療費のために、○十万必要で、どうにもならず、 ずっと祈っていた。すると、保険からやら、必要すべて 備えられ、無事治療終了したと。 職場に、それも知り合いの教会のクリスチャンが配属さ れて来た。同じ職場にクリスチャンなどと、もう夢のよ うで、嬉しくて、祈りの答えだと。 最近の様々な出来事が、ことごとく導かれた事を通して、 教えられたと。 神様にいつも守って下さいと祈っているが、神様の守り というのは、問題が無いという意味ではなくて、問題は 次から次へと起こるが、その一つ一つの問題を導いて助 けて下さるという意味だと。 振り返ると、今までもずっとそうだったと。 問題のまっただ中で、力強く導いて助けて下さる神様に 感謝!! by 多恵子
2004年05月17日(月) 頼らない罪
「わたしを離れては、あなたがたは何もすることが できないのです」ヨハネ15:5 を学んだ。 イエス様に頼らないことが、自分の力ですることが罪 の元と。 すると、Aさん「すごくわかる。自分の力で頑張ると、 人を必ずさばくんですよね。 私、以前15キロのダイエットをしたんですよ。もう そのさなかは物凄く苦しい。食べたい物が食べられな い苦しみ。甘い物はだめ、油物もだめで、油を抜いた、 味の無い物を食べる。 美味しくない。いつもカロリーを考えて、量も控えて。 我慢して、我慢して、ものすごく我慢して、頑張って、 痩せるわけじゃないですか。 だから、痩せたらね、太った人を見ると、何で痩せんの ん!と。努力すればいいのにと。以前は自分も太ってた んですよ。(笑) ほんとに自分の力で頑張ると、頑張っていない人をさば くんですよねえ。 そして、痩せたねと、人に言われると、そんな事ないよ と、口で言いながら、心の中では、うっふんと得意にな って自分を誇ってる」 Bさん「私は封建的な、ものすごく男尊女卑の環境中で 育ったので、男が台所に立つなどとんでも無い、あり得 ない世界だった。 結婚して、夫は全く違って、自由で、私がしんどそうに していたら、台所に入って、茶碗を洗ってくれる。それ を、結婚当初は、男たる者がとんでもないと、絶対に受 け入れられなくて、ずっと拒否していた。 自分の信仰生活も同様で、自分で頑張って、我慢して、 結果的に自分を誇り、自分に栄光を帰してしまう。 段々と気づかされて変えられた。今はもう素直に頼れて、 夫にもしてもらう事が感謝で、感謝で、有難うと受け取 れる。神様を頼らないで、自分で律法を行って来たこと よくわかる。」 自分自身も、恵みの意味をよく知らなくて、クリスチャ ン生活の初めは、やっぱり自分で頑張った。 出来ない、出来ないの、悶々のクリスチャン生活、「私は 善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行する ことがないからです」ローマ7:18 神様に、明け渡して自由にされた。 自分で頑張ると、ろくな事はない。必ず自分を誇るし、 神様の栄光を奪い、自分の栄光にするは、人は裁きまくる は。何の実もない。 「律法によって義と認められようとしているあなたがたは キリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです」 「しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法 の下にはいません」ガラテヤ5:18 by 多恵子
2004年05月16日(日) トンネルは抜ける
学び会で色々話す。 仕事が入っていて、久しぶりに来れたAさん、不登校 味だった子供が、4月になりクラス替えもあり、すっ かり元気になって登校している。 悩みと苦しみを通って、子供も一回り大きく強くなれ たようだ。あの時は、悩みのドつぼ、右も左も真っ暗 なトンネルだったが、振り返れば、ほんとに導き出さ れている。 神様は時もすべて御手の中で、良い時に良いように計 らって下さっている。今は真っ暗闇と思える時も、必 ずトンネルは抜けて明るい光のもとに出される。 Bさんも子供が元気に喜んで登校している。クラス内 での対人関係の深い悩みや、受験で、限界ギリギリの 中、一緒に必死に祈り続けた昨年が遠い昔のよう。 深い真っ暗なトンネルは必ず抜ける。「ヨブの忍耐の ことを聞いています。また、主が彼になさったことの 結末を見たのです」。必ず結末を用意していて下さる 事に感謝。 C子ちゃんも、毎日が天国かと思えるほど喜び溢れて 生活している。職場で、なぜか自分に向いていない部 署に配置替えになり、苦しい日々となった。辛くて苦 しくて、余りのしんどさに、表情がどんどん失せて行 き、心配して見ていた。 とうとう限界まで達して、一歩も進む事ができなくな り、それが益となって、神様にすべてを明け渡した。 何もかも明け渡した瞬間、笑顔がこぼれ気持ちが楽に なったと。 その後、同じ仕事も支えられ助けられ、不思議に素晴 らしい結果を出せた。 その又、不思議が起こり、人生のライフワークへと進 路変更が導かれたのだ。今は、その変更進路上で、感 謝と喜び溢れる日々だ。 つい昨年、苦悶の日々だったのが不思議なほど。 真っ暗な夜を通されるが、朝が必ず来る。トンネルは 必ず抜ける。この中で忍耐を養って下さって、信仰が 一段階成長する。 「さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない 喜びと思いなさい」 「信仰がためされると忍耐を生じるということを、あ なたがたは知っているからです」 「その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あな たがたは・・成長を遂げる」ヤコブ1:4 by 多恵子
2004年05月02日(日) 「パッション」
周囲の子達が映画「パッション」を観て来た。 私はまだ観ていないが、感想を色々話してくれた。 「で、メル・ギブソンのメッセージって、何だったん?」 Aさん「ストレートに福音を解き明かしているのでは なくて、含みを持たせてて、もっと知りたい人は聖書 を読んで欲しい、教会へ行って欲しい。これから求め て欲しいと言っていると感じた」 Bさん「片目のつぶれたイエス様のその片目が凄い眼 差し。その眼差しが自分を見ている。母マリアから見 たイエス様、マグダラのマリアからのイエス様は違う。 十字架を背負ってるイエス様を見つめる一人一人にそ れぞれのイエス様が映っていて、あなたにとってのイ エス様は?心に映し出されるイエス様は?って言いた かったのかなと思った」 鞭打たれて、十字架上で血まみれになったイエス様が 「父よ彼らをお赦し下さい」と祈るその姿が、物凄い 強烈なインパクトだったと。 聖書を知らない人は、どんなにひどい悪を受けても、 悪で返さない、そんな人がいるんだと感じるかも知れ ないと。 それを聞いていて、思い出した。私が高校生の時、倫 理でクリスチャンの先生がいた。 その先生が、授業中に宗教という項目で、キリスト教 の説明をした。 結局1時間、キリスト教の話になり、十字架の意味と 「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしてい るのか自分でわからないのです」(ルカ23:34) の意味を説明した。 その時、心惹きつけられ、思わず聞き入った。その中で、 身代わりの死である事と、及びもつかない愛である事を 知った。まだ、クリスチャンでなかったが、心に鮮烈な、 強烈な消える事のないインパクトを受けた。救いのため の、一つの布石であった。 そして、その半年後、友人に誘われて行った、教会の特 別集会で、初めて聞いた福音がはっきりと理解できた。 その場で信じ救われた。 どんなに苦しめられ、痛めつけられ、傷つけられても、 決して悪で返さない、すべて受け止め、耐えて、愛と赦 しで応答する。強烈過ぎる衝撃だ。 映画通して、イザヤ53章のイエス様が思われたとの感想。 “彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、 私たちが慕うような見ばえもない。 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ・・、人が顔をそ むけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。 しかし、彼は私たちのそむきの罪のために刺し通され、私 たちのとがのために砕かれた。彼は痛めつけられた。彼は 苦しんだが、口を開かない” 残虐に残虐を重ねた暴力を受け、鞭で身体が裂かれ、血ま みれになり、それでも耐えて、黙って十字架につかれた。 だから、自分は救われた。このイエス様だからこそ、つい て行けた。自分の心の奥底が求めていたものだった。 心に求めがあった。何か真実なもの、尊いもの、かけがえ のないもの、何にも替えられないもの・・。 それが、このイエス様だった。 光が見えて、出会えたのだ。心の内に火がともり、尽きる 事のない喜びと温もりが、日々の生活に沸々と。 by 多恵子