2004年06月28日(月)
  状況でなく、見えない神を見る

御言葉に従うことについて学び、話し合っていた。

ご高齢のAさん「私は独り暮らしの、年金生活者
んですよ。その年金が下がって、節約に節約を考
えて、でも、どう計算しても、やって行くのは無
理なんですよ。

これって、病気になったらとか、突如の事故にあ
ったらとか、突然の出費が必要になったら、どう
しよう・・、寝たきりになったらどうしよう・・
もう、あれやこれや考えてたら、私、以前鬱をし
てるので、鬱になりそうなんです。もう思い煩い
は尽きない。

ああ、でも、神様がおられる。すべてお任せして、
お委ねして、祈って行こうと思うと、平安になる
んです。

年金が下がった時、生活もままならないと思った
んですが、神様にお献げすることだけは、減らし
たくない。
それで、新聞を止めることにしたんです。そして、
その新聞代を献げようと決心した。

そして、それを実行し出したんです。すると、不
思議な事が起こって、同じ階のご高齢のおじいさ
んが、朝はもう早朝に目覚めるので、何時間もか
けて、新聞を隅から隅まで全部読む。

もう読んだからと、毎日、私に広告も入れたまま
下さるんですよ。要ることもあられようから、ま
あ、時々でいいですよ、と言うのに、もう読んだ
から要らんと、毎日下さって。

これは神様だとわかり、この事を通して、これか
らの残りの人生、何の心配もするな、私がいると、
言って下さっているのがわかったんですよ。
それが感謝で、感謝で、これからもすべてお委ね
して行きます。平安与えられてて感謝です」

Bさん「今日来て良かった!又、目に見えるとこ
ろ、自分の思いで突っ走るところだった。御言葉
に従うこと、神様に従うこと、我に返れました!

子供が試験なんですが、目の前の事しか見えなく
なってしまって、点数、点数で追い立てるところ
だった。
そうじゃなく、神様がいつも私に言われるのは、
目先の事でなく、子供を丸ごと受け入れて、子供
の良さを存分に伸ばしてやりなさい。

あるがまま受け入れて、伸び伸びと育ててやりな
さい、気づけて感謝でした!」

目に見えるところと、神様のみこころ、御言葉が、
しばしば正反対なことがある。見えるところ、自
分の思いでなく、御言葉の方を選んで、従って行
けますように。
by 多恵子

2004年06月23日(水)
  働いて来るサタン

学びの中で、サタンについて語り合った。

A子ちゃん「私、今思えば、よくわかるんですが、サタンに
用いられていた。(笑)
救われていたが、学生時代、神様から全く離れていた時期
があって、帰省してきた時、家族が喜んで、神様のこと、
その恵みや感謝を話していたら、無性にイラつくんです。
面白くないんです。心がトゲトゲしくなって、その場を
壊してました。

それが、普通の雑談だったら何も感じないんですよ。楽し
く一緒にわいわいやってて。霊的な話、神様の話になった
途端、心がざわついて来て、反発心で一杯になる。
それが、別に私に話してるんじゃなくて、家族間で話して
るだけでも腹が立って、むかつく。これ、サタンだったん
だなあと」


わかる。私もそうだった。神様から心が離れて生活してい
る時って、クリスチャンの親友と、雑談なら幾らでもでき
るのに、祈ろうとかになると、何か心に反発するものが出
て来る。祈りが嫌なのだ。
その親友が嫌なのではなく、霊的なものへの心のざわつき。
しかし、祈ったら祈ったで、又、平安が戻ったり。サタン
が巧みに働いていたのがわかる。

その前に、ヨハネ15:18,19から、サタンがいかに
クリスチャンを憎んでいるかを学んだ。凄まじい憎悪だ。

“この世のものであったら、世は自分のものを愛したでし
ょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえって
わたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで、
世はあなたがたを憎むのです”

サタンの所有であった私達を、神が救い出し、神の所有と
された。今は神のものだ。サタンにすれば、痛切な裏切り
であり、その憎悪を私達に向けている。

信仰ゆえの迫害を通して、サタンの憎悪を見る。様々な人
々の体験に、人ではなく、背後にいるサタンであることを
もろに感じる。

又、信仰生活で、みこころを確信して歩もうとする時、妨
害が入る。サタンは私達の心の中を、すべて見通している
ので、その不安も、思い煩いも、弱さを何もかも知ってい
る。それゆえ、的確な誘惑と攻撃が来る。
余りにも的確で、誘惑に屈してしまう。エデンの園で、エ
バに「神は、ほんとうに言われたのですか」と投げかけた
誘惑だ。
みこころだと受け止めたが、一抹の恐れと疑い、不安があ
る、その隙を突いて来る。

そして、その誘惑に乗って行くと、「決して・・ません」、
それは思い違いだと、正反対の不信仰を断定して来る。

内側の恐れと不安をことごとく知っている。サタンだと
わかると、逆手にそれを確信のために用いる事ができる。
それほどまでに妨害して、確信を取り去りたいという事
は、まさに神のみこころである証拠で、「神様、確信し
ます!」と、その度に、深めて行けばよい。
by 多恵子


2004年06月06日(日)
  心のこもった一言

同じく友人Bさんと、久しぶりに会えた。

学生の頃の同窓会があって、その様子を話してくれた。
彼女が幹事の一人で、同窓会のお世話係をしていた。
それは36年も前の同窓会。皆は50半ば。それゆえ、
先生は御高齢。

一人の先生が突然気分が悪くなられ、倒れられた。幹事
である彼女は駆け寄って、介抱しようとした。
先に、一人の男性がしっかりとした感じで、テキパキと
要領よく対応している。どの同窓生だろうと思い、「何
組だった?」と聞くと、それは生徒でなく、先生だった。
やっぱり先生。対処の仕方が全然違うと感心していた。

救急車を呼んだ方が良いとの判断で、救急車でそのまま
病院へ。世話役の彼女は付き添った。
家族に連絡し、家族が来るのも待ち、事情も説明し、家
族にあとお委ねして、病院をあとにした。大丈夫なよう
で良かった。

ほっと安堵して、対処してくれた先生に報告の連絡をし
た。すると、その時「○○(36年前のように呼び捨て
で)有難う。よくやったね」心からねぎらって下さって
いるのがわかった。
心からの言葉に、本当に嬉しくて心があたたか〜くなった。
久しく経験した事のない感覚だった。

それはまさしく「先生」だった。もう30数年来、ずっと
仕事に就いて来て、職場では上司とは、上司と部下の関
係。あくまでも仕事上の関係だ。しかし、それは全く異質
の、心に響く、心のこもった言葉だった。
その一言で、その言葉だけで満足で、心にしみわたるよ
うに嬉しかった。

その時、イエス様もそうなんだと思った。「よくやった。
良い忠実なしもべだ」。よくやった、有難う。何もいら
ない、イエス様のこの一言だけでいい、心が心底満ち足
りるんだと思った。イエス様が、よくやったと言って下さ
る、それだけでいいと思った。

慈しんで、愛して、じっと見つめて、暖かく見守っていて
下さるイエス様。その愛に応えるために、労して行きたい
よねと語り合った。

by多恵子

2004年06月05日(土)
  40年来の祈りの答え

久しぶりに遠方の友人Aさんに会い、証しに恵まれた。

Aさんは10代前半で救われて、ずうっと母親の救いのため
に祈り続けて来た。

母親は折々に教会へも来てくれ、自分も神様の話をよくして
いた。でも、周囲の人々を次から次へとずっと親身にお世話
して来た、親切なとても良い人だった。
人からも良い人と言われ、自分も良い人だと思うので、どう
しても罪がわからなかった。

幾ら説明し、話しても、自分も人のためにと一生懸命に生き
てきたので、罪人だと言われても、いわゆる犯罪は犯してい
ないし、それどころか良い事をしてきて、罪人と言われても、
ピンと来ないし、わからない。

Aさんの父親が天に召され、母親を引き取り、最後は共に生
活できた。祈りながら、一緒に生活をする中で、色々な事が
共有できた。

かなりの高齢まで元気に守られ、やがて老衰のように少しづ
つ弱って行った。

亡くなる前日のことだった。突然、母親が寝ていたベッドの
上で正座して、祈り始めた。
「神様、私の罪を赦して下さい。自分には罪が無いと思って
いましたが、私はひどい恐ろしい罪人です。今まで犯した数
々の罪を赦して、私のような者をも天国へ連れて行って下さ
い。神様を信じます」と。

何も言わないのに、自分で、一人で祈り、もう、びっくりし
たと。そして、その翌日、安らかに天に召されて行った。目
の当たりに見た奇跡だったと。

神様が直接母親に関与し、働いて下さった。証しを聞いて、
本当に励まされた。神様に不可能は一つもない。
何でもお出来になる。親族のための執り成しを決して無駄に
されず、受け取っていて下さる。
親族の救いのための祈りと、折々の証しを続けることの大き
な励ましとされた。

“その方が来ると、罪について、義について、さばきについ
て、世にその誤りを認めさせます“ヨハネ16:8

by 多恵子